8月(4)教育的指導

「清川部長。取り敢えず主だったところの事実確認は済みましたので、部下を医務室に連れて行きたいのですが、宜しいでしょうか?」

「ああ、連れて行け」

「そちらの方々にも色々言い分はあるかと思いますので、仲原さんは総務部の様ですし、清川部長が聞いて頂いたら助かります。何かこちらの藤宮に落ち度があるようでしたら、遠慮なくおっしゃって下さい。後ほどお伺いします」

「分かった。さっさと連れて行け。お前達は全員部長室に来い。一通り話を聞いてやる」

 まるで苦虫を噛み潰した様な顔付きで清川が理彩達を促し、真澄は美幸に声をかけて歩き出した。


「さあ、藤宮さん。行くわよ」

「はい」

 そして周囲の視線を一身に浴びつつ、エレベーターの前まで移動すると、さり気なく周囲に人の気配の無い事を確認してから、真澄が囁いてきた。


「……藤宮さん」

「はい」

「身体を張るのは良い心意気だとは思うけど、今回のはやり過ぎよ」

「えっと……、顔は大丈夫ですよ」

「それもだけど……」

「え?」

 それを聞いて心配をかけてしまったと思った美幸は控え目に弁解したが、何故か真澄が小さく溜め息を吐く。そこでやってきたエレベーターに二人で乗り込んでから、真澄は行き先階数のボタンを押さずに閉ボタンを押した。そして止まったままの箱の中で、真澄が真顔で美幸の体をパンパンと両手で軽く叩き出す。


「あの……、課長?」

 流石に戸惑った顔を向けた美幸だったが、何かの感触を捉えた真澄は、スーツのジャケットの裾を捲り、スカートのウエスト部分に挟まっている、携帯用の爪切りを抜き取り、それを彼女の目の前にかざした。


「これ、何かしら?」

「…………」

 ヒクッと美幸の顔が強張り、咄嗟に次の言葉が出なかったが、真澄は冷静に確認を入れた。


「どさくさ紛れに、わざと彼女の爪先に切れ目を入れたわね?」

「あっ、あのですね」

「私が割り込む直前、目薬がどうこうと言っていたみたいだけど。大方こっそり相手のポケットにでも、滑り込ませておいたんじゃない?」

「…………はい」

「どいつもこいつも、目が節穴ぞろいね」

 ぐうの音も出ずに項垂れた美幸を見て、真澄は舌打ちをして医務室がある階数ボタンを押した。そして腕組みしたまま壁に寄りかかった真澄に、美幸が恐る恐るお伺いを立てる。


「課長……、清川部長に言いますか?」

 しかしそれに対する真澄の答えは素っ気なかった。

「別に」

「どうしてですか?」

「言わなくても、部長が私に文句を言ってくるでしょう。……彼女達の話にまともに耳を傾けて、疑問を感じたならね」

「課長?」

 そこで冷笑と言う言葉がぴったりの笑みを浮かべた真澄に、思わず美幸が声をかけると、真澄は小さく首を振った。


「でも恐らく、文句は言ってこないわ。あなたの言い分を鵜呑みにして終わりよ」

「課長はそれで良いんですか?」

「部長がそれで良いと判断した事に、わざわざ私が『自分の部下に非があります』と申し出る必要は無いわ。あの人は、面倒事は嫌いなのよ。特に女に関わる事はね」

「そうですか。それなら一件落着で」

「するわけないでしょう!」

「……申し訳ありません」

 安心してにっこり笑いかけた美幸に、真澄が鋭く釘を刺した。


「明らかに、今回のこれはやり過ぎです。ですがあなたが上手く立ち回って主張がほぼ認められている状況で、下手に処分はできません。ですがあなたにとってしかるべき処罰を、近日中に与える事にしますからそのつもりで。ほら、行くわよ?」

「…………はい。分かりました」

 そしてエレベーターを降りて医務室へ向かいながら、美幸は鋭い叱責を受けた事で、地味に見事にダメージを受けていた。


(うぅ……、課長に怒られた。元はと言えば係長の元カノ連中が勝手に勘違いして、絡んで来たのが悪いのに……)

 そこでタイミング悪く、廊下の反対側から慌ただしくやって来た城崎と、医務室前で遭遇した。


「……藤宮さん! 怪我をしたって聞いたけど! 一体どうしたんだ!?」

 美幸の左頬に斜め一直線に走る赤い傷を見て城崎は顔色を変えたが、その城崎に向かって美幸はビシッと人差し指を突き出し、恨みがましい声をぶつけた。


「これは全面的に、係長のせいですから!」

「……え?」

「係長、仕事はできますけど、女を見る目は最低レベルですね。歴代彼女が揃いも揃って、見た目が良くても中身が激悪です!」

 続けて言われた台詞に、城崎が顔を引き攣らせる。


「…………理由を聞いても良いかな?」

「不愉快過ぎて、説明する気にもなれません!」

「…………」

「……城崎さん、戻りましょうか」

 そうして城崎の目の前でピシャリと医務室のドアが閉まり、流石に不憫に思った真澄に慰められつつ、城崎は職場へと戻った。


そんな騒ぎがあった翌週。

 定例の週一回の朝礼が執り行われていたが、企画推進部の室内は、必要以上に静まり返っていた。


「……それでは最後に、二課に新たに配属になった二人を紹介する。仲原理彩さん」

 苦笑い気味に部長の谷山が声をかけると、一歩下がって後ろに控えていた理彩はスルリと前に出て、綺麗に一礼してから口を開いた。


「本日付けで総務部から異動しました、仲原理彩です。最近何やら柏木課長を社長にして、自分は重役を務めるなどと大言壮語された方がいらした様ですが、私は謙虚に柏木課長より出世した瞬間に、柏木課長を腰巾着共々蹴落とす事を目標とするつもりです。宜しくお願いします」

「……何ですって?」

 そして再度一礼した理彩は顔を上げると、美幸を真正面から睨み付けて、不敵な笑いを漏らした。


(へぇ? 二課に入って本当にやる気なわけ? 冗談じゃ無いわよ。負けるものですか!?)

 美幸も闘志を漲らせる目つきで睨み付けていると、谷山が続けて、もう一人の人物を紹介する。


「それでは次に、瀬上孝太郎君」

 すると理彩と同様に一歩後方に控えていた瀬上は足を踏み出し、きちんと足を揃えて一礼してから、力強く宣言した。


「はい、営業五課から異動になりました瀬上孝太郎です。城崎係長を叩き出すまで二課で粘るつもりですので、宜しくお願いします」

 瀬上がそう口にした瞬間、室内中から好奇の視線が城崎に突き刺さる。


「……知るか。勝手に言ってろ」

 以前から慣れている感情ではあったが、瀬上からの鋭い視線に内心うんざりして呻いた城崎だった。

 企画推進部全体での朝礼が済んで、各自が自分の課に戻って行くと、真澄は自分の机の前に部下を集め、先程紹介された二人について再度言及した。


「さて、それでは改めて紹介します。本日からうちに配属になった、仲原さんと瀬上さんです。皆、仲良くして頂戴」

「はあ……」

「宜しく……」

 部下達が引き攣り気味の笑顔や戸惑いの表情など気にもとめず、不気味な位機嫌良さそうに、真澄が話を続ける。


「それで、仲原さんは営業関係の仕事の経験は無いから、当面の間は城崎さんが仕事のやり方を教えて下さい。藤宮さんには事務的な仕事は一通り教え済みでしょうから、当面私から仕事の指示を出すわ」

「は?」

「え?」

(ちょっと待って下さい!)

(課長、まさか彼女が係長の元カノだって、知らないのか!?)

 城崎と理彩が揃って固まり、真澄を見ながら間抜けな声を上げた。そんな二人を見て他の課員が互いの顔を見合わせながら、驚愕の視線を上司に送る。


「何か質問でも?」

「いえ、その……」

「城崎係長に、ですか?」

 口ごもった二人に対し、ここで真澄は含みのある笑みを見せた。


「あら、何か不服かしら?」

「いえ、その……」

「不服と言うわけではありませんが……」

「二人とも、まさか仕事にプライベートを持ち込むような、物を知らない新人の様な真似はしないわよね。入社して何年目かしら?」

(うわ、これは絶対に知ってるよな)

(課長……、本当に見かけによらず鬼だ)

(分かってはいたが)

 如何にもわざとらしく小首を傾げて見せた態度で、その場全員が以前の二人の交際歴が、真澄にとっては周知の事実である事を悟った。それはしっかりと当人達にも伝わり、色々諦めて互いに頭を下げる。


「分かりました。ご指導宜しくお願いします」

「いえ、こちらこそ」

 そうして二人にかなり強引に了承させた真澄は、瀬上を振り返った。


「瀬上さんには私から軽く業務の説明をしてから、すぐに実働要員として入って貰います。取り敢えず高須さん。日農元との提携業務を、瀬上さんと分担して頂戴。その方面には強い筈だから、取りこぼす事は無いでしょう。今後、順次手を広げて貰います」

「は、はいっ!」

「……分かりました」

 動揺著しい高須と苦虫を噛み潰した様な顔付きの瀬上に微笑んでから、真澄は机の並びを指差しつつ、機嫌良く次の指示を出す。


「それでは空いている机のうち、藤宮さんの隣の机が仲原さん。村上さんの隣が瀬上さんと言う事にしますので。説明は以上です。早速、業務を開始して下さい」

「はい……」

 課員全員静かに了承の返事を返したものの、容赦ない真澄の裁定に、殆どの者は頭を抱えた。


(うわ……、課長、容赦なさすぎです)

(机の配置が微妙過ぎる)

(藤宮君と仲原君を隣同士にするのは、問題有り過ぎでしょう?)

(瀬上君を係長と、背中合わせにするっていうのも……)

 そこで思い出した様に真澄が美幸に声をかけ、廊下に繋がるドアに向かって歩き出す。


「それから藤宮さん、ちょっと付いて来て」

「はい」

 それに美幸が固い表情のまま頷き、室内全員からの何とも言えない視線を背中に受けながら、真澄の後を追って廊下へと出た。そして角を曲がって人気の無い突き当たりで立ち止まった真澄は、腕組みして壁に寄りかかりつつ、美幸を見下ろして小さな笑いを零した。

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