4月(3)社内の暗闘

 美幸が企画推進部第二課に配属になった日。業務終了後、部長と打ち合わせが有った真澄以外の二課の面々は、美幸の歓迎会の為、揃って柏木産業近くのビルの地下に入っている居酒屋に移動した。

 美幸の次に若い幹事役の高須が店員に名前を告げると、奥まった広めの個室に通され、各自適当な場所に落ち着く。それから各人にビールが配られると、高須から促された最年長の村上が、乾杯の音頭を取った。


「それでは、企画推進第二課の新しいメンバーである、藤宮美幸君の今後の活躍を期待して、乾杯」

 そして歓迎の言葉と共に、ジョッキを打ち合せる音が響く。


「乾杯」

「頑張ってね」

「宜しく」

「はいっ! 頑張りますので、こちらこそ宜しくお願いします!」

 にこにこと愛想良く笑いつつ頭を下げる美幸に、座卓の斜め向かい側から清瀬がしみじみと言い出した。


「いや~、本当に二課って社内で評判悪いから、なかなか配属希望者がいなくて慢性的に人手不足でね。藤宮さんが入ってくれて嬉しいよ」

「あ、なんだかそうみたいですね~。初期研修中に希望を取られた時も、ここを希望してたのは私だけだったみたいです。競争率が少ないと言うか、ライバルが皆無でラッキーでした!」

「は、はは……、ラッキー、ね」

 満面の笑みでそう告げられた清瀬は、次にどういう言葉を続けて良いのか迷い、曖昧に頷いた。すると美幸の横から、高須が幾分心配そうに尋ねてくる。


「因みにさぁ、藤宮。ここが社内でそんなに人気が無い訳、知ってるのか?」

「今日、お昼を食べながら同期の人達に聞きました。皆さん全然そうは見えないですけど、不倫とか横領とか恐喝とか傷害とか、色々問題を起こされてるんですよねっ?」

 あっけらかんと答えられ、高須が思わず顔を引き攣らせる。


「……ああ、もう知ってるんだ」

「『されてるんですよねっ?』って……」

「その同期の人達から、ここについて、他に何か言われなかったのかな?」

 川北に尚も尋ねられ、美幸は慎重にその時の会話を思い返してみる。


「何か、色々言われましたね。えっと、『今からでも遅くないから、転属希望を出せ』とか。それにここが『産業廃棄物処理場みたいな職場』だとか、『柏木産業の掃き溜め』とか。その他には……、ああ、『面汚しリストラ課』とかも言っ……、あぁぁぁっ!?」

「何だ?」

「どうかしたのか? 藤宮さん!」

「そんな大声を出して!?」

 いきなり大声を張り上げて、手にしていたジョッキを座卓に叩きつけるように置いた美幸に、一同は揃って驚いて尋ねた。すると美幸は、自分の胸の位置で両手を組み合わせ、感極まったように満面の笑みで叫ぶ。


「たった今、気が付きました! 『掃き溜めに鶴』って、まさに課長の事を言い表している言葉ですよねっ!? 凄い、ぴったりっ!」

 中空を見据えたまま真澄を賛美した美幸を見て、他の者は無言になった。


(うわ、何かさり気なく酷い事言われたな、俺達)

(自分もその掃き溜めの一員って、分かってるのか? この子)

(初めてできた後輩が《これ》かよ)

(城崎君、何とか言ってくれ)

 年長者からの懇願の視線を受け、高須とは反対側の美幸の隣に位置していた城崎が、溜息を一つ吐いてから美幸に声をかけた。


「藤宮さん」

「はい、何でしょうか、係長」

 素直に即座に振り向いた美幸に若干たじろぎながら、城崎は慎重に言い出す。


「その……、同期の方達からの発言のように、悪し様に言われても一々反論出来ないしする気も有りませんが、藤宮さんはどうですか?」

「すみません、どういった意味でしょう?」

「つまり、この課に在籍していると、社内からあなたもそういう目で見られかねないという事です」

「そんな事ですか。全然OKです」

 半ばその返答を予想していたものの、城崎は一応理由を尋ねてみた。


「課長の下で働けるからですか?」

「それが一番の理由ですけど、私、割と生存本能高いですから。今日一日でだいぶ分かりました」

「藤宮さん……、できればもう少し、他人に分かるように話して貰えるかな?」

 理由になっていない事を平然と言われた城崎は、本気で頭を抱えたくなった。すると美幸は真顔で続ける。


「だって皆さん、悪い人じゃないですよ? 今日一日二課に居ても、ピリピリ来なかったですから」

「何だ、そのピリピリってのは……」

 思わず高須が口を挟むと、美幸は背後に向き直って淡々と告げる。


「えっとですね、私、危ない人とか自分に悪意を持った人が近くに来ると、本能的に分かるんです。その感覚が丸一日皆無でしたから。だから以前がどうあれ、皆さん揃って柏木課長の有能な部下ですよ? それ以上でも以下でもありません」

「……便利だな」

「はい。人生、色々得しています」

「…………」

 半分呆れながら高須が感想を述べたが、美幸が笑って頷く。それで高須は再度沈黙した。


(おい、今度は超常現象系か?)

(認めて貰ったのは嬉しいが、何か引っ掛かるものが……)

(何にしろ、ただ者じゃ無いな)

 そんな周囲の空気に疲労感を深めつつ、城崎は気力を振り絞って話を続行させる。


「それでは藤宮さん。社内での二課の位置付けに言及した所で、今後の注意事項を一つ言っておきます」

「拝聴します」

 すかさず向き直って姿勢を正した美幸に、城崎はどこか探るように言い出した。


「さっきの話をした同期の人の中に、営業一課の人はいなかったかな?」

「居ましたが、どうして分かるんですか?」

「うちの事をそこまでクソミソに言うのは、あそこ位だから。あそことは犬猿の仲、と言うか、向こうが一方的にこちらを敵視しているから」

 そう言って思わず溜息を吐いた城崎に、美幸が怪訝な視線を向ける。


「どうしてですか?」

「あそこの柏木浩一課長は、うちの課長の実弟なんだ」

「それなら姉弟仲が悪いんでしょうか?」

 尤も可能性のありそうな事を、美幸は口にしてみた。しかし城崎は、苦笑しながら首を振る。


「いや、姉弟仲は至って良好だ。しかし、課長が二課の課長に就任した直後はさすがに無理だったが、その半年後の決算からうちは新規契約数、売上高共にトップの座を他に譲っていない。それが一課の連中と、浩一課長を推すお偉方は面白くないらしいな」

「うちの会社は上半期下半期、それぞれ営業利益トップの部署には、ボーナス支給額二割増しの特典を設けているからな。他の部署からはやっかまれるし、浩一課長を次期社長にって考えてるオヤジ達には、現場でバリバリ実績を出している課長が目障りで仕方ないんだよ」

 背後から忌々しげに高須が説明を加えてきた。それを聞いた途端、美幸は激昂する。


「何ですかそれはっ!? 浩一課長ってのがどんな人かは知りませんが、課長以上に社長に相応しい人なんか存在しませんよっ!!」

「まあ、それはそれとして。ただでさえそんな風に常に非友好的な関係なんだから、営業一課との揉め事は極力避けるように」

 美幸を宥めつつ、城崎は言い聞かせようとした。しかし美幸が、不穏な事を呟く。


「寧ろ『課長を馬鹿にするな』と、ぶちかましてやりたいです。初期研修中に色々情報収集しているうちに知りましたが、係長は有段者で、それもかなりの腕前なんですよね?」

「確かに有段者だが……、どこからどうやってそんな情報を……」

「柏木課長の直属の部下の方の基本情報位、押さえておくのは当然です。時間が無くて、他の皆さんの脛傷情報までは押さえられませんでしたが」

「…………」

 真顔で告げる美幸に、その場全員が押し黙った。そこで尚も彼女が主張する。


「本当に悔しいです。私が係長位上背があって有段者だったら、課長を卑下する奴らなんか、闇討ちして有無を言わさずボッコボコに」

「藤宮さん?」

 それまでの知的で穏やかな空気を霧散させた城崎に、細目で眼光鋭く睨み付けられた美幸は、一瞬、生命の危機すら感じた。そこで美幸は、盛大に顔を引き攣らせながら頷く。


「実行しませんし、口外もしません。気をつけます。係長、顔が怖いです。女性にモテませんよ?」

「…………」

「藤宮……、お前はもう少し言葉遣いに気をつけろ」

 城崎は全体的には整った顔立ちながら生まれつき目つきが悪く、一部の熱狂的な女性ファン達からは『ストイックで魅力的』とか言われているものの、大抵の男性社員からは『愛想が無い』とか『極道顔』とかの陰口を叩かれていた。それを本人が密かに気にしている事を知っている高須が、思わず口を挟んで美幸を窘める。それで気を取り直した城崎は、美幸への注意事項を続けた。


「それから新人とは言え、藤宮さんはもうれっきとした柏木課長の部下です。藤宮さんの失態は課長の失態になりますので、くれぐれも社内外で問題は起こさないようにして下さい」

 それを神妙な顔で聞いた美幸は、小さく首を傾げてから確認を入れた。


「それは逆に言えば、私が結果を出せば課長の業績に繋がるわけですよね?」

「それは、勿論そう」

「よぉぉっし、やるわよぉぉっ!! 営業一課なんて木っ端微塵に粉砕して、絶対に課長を社長に据えて見せるんだから!」

 城崎の台詞を遮り、美幸が拳を振り上げながら力強く宣言した。そんな彼女を、高須がすかさず叱りつける。


「だから、言葉を選べって言ってるだろうが! 間違っても社内でそんな事を喚くな!!」

「大丈夫ですよ。心の中だけで思うようにしますから」

「信用できねぇぇっ!」

「高須先輩、『鰯の頭も信心から』って言いますよ?」

「それ、絶対使い方を間違えてるぞ?」

「そうでしたっけ?」

 ああだこうだと言い合い始めた若手二人に、年長者達は懸念と疲労感を滲ませた視線を向けた。


「大丈夫かね、彼女」

「何とか教育します」

 額を押さえつつ呻くように城崎が告げると、周りから苦笑混じりの声がかけられる。


「頑張れ、係長」

「その年で、中間管理職の悲哀が漂うとは気の毒に」

「皆さんが引き受けてくれるなら、俺はいつでも降りますよ?」

 半ば本気で城崎が口にしたが、周囲は笑って取り合わなかった。


「冗談だろう? 今更私達が、管理職になれるわけはないさ」

「そうそう、今では気楽なヒラ社員生活を満喫しているんだから」

「俺達が足で稼ぐから、係長はどっしり構えていてくれ」

「城崎君以外に、課長の下でここを纏められる人材は居ないさ」

「…………」

 口々に宥めるように言われ、確かに自分以外にこのポジションに就ける人間が居ないのを再認識した城崎は、黙って溜め息を吐いた。上の者達がそんな話をしている間に、それなりに社内の事などで話が盛り上がっていた若手二人組だったが、少しして高須が、改めて感心したように言い出した。

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