一年目は猪突猛進

4月(1)運命的な再会 

 とある月曜日の朝。

 毎週月曜に行われている所属部署毎の朝礼の為、企画推進部の面々は自分達のフロアに隣接したミーティング室に足を向けた。机と椅子を寄せて空いたスペースの前方に、三人の課長が揃って何やら話し込んでおり、一同が軽く挨拶を交わしながら続々と集まる。最後に部長の谷山が三人の人物を引き連れて部長室からやって来ると、定刻になったのを確認した彼が、第一声を発した。

 続けて簡単な訓示や週内の予定などを述べた後、壁際に一歩下がって控えていた三人を振り返り、身振りで前に出るように促す。


「それでは次に、初期研修を終えて本日から企画推進部配属になった二人を紹介する。紹介したら簡単に自己紹介と、抱負を述べてくれ」

「はい」

 揃って返答をし、前へと進み出た二人に頷いた谷山は、まず左端の男性に声をかけた。


「それでは最初に、一課配属の秋月康也君」

 そこで指名を受けた人物が、一歩前に進み出る。


「はい、今ご紹介に預かりました、秋月康也です。宜しくお願いします。私の抱負は……」

 無難に自己紹介を終え、拍手で歓迎の意を受けた彼が一歩下がって元の位置に戻る。次に谷山は、その隣の女性に声をかけた。


「次に、二課配属の藤宮美幸ふじみやみゆき君」

 その声に従い一歩前に出た彼女だったが、谷山に恐縮気味に申し出た。


「すみません、谷山部長。私の名前の読みは『とうのみやよしゆき』なんです。読みにくくて申し訳ありません」

 それを聞いた谷山は軽く目を見開いて驚いたが、すぐに申し訳なさそうな表情で謝罪する。


「これはすまん、確認不足だった。以後気を付けよう」

 率直に自分の非を認めた谷山に、美幸は笑って首を振りつつ答えた。


「いえ、必ず一回は間違えられますので、気にしていません。その代わりに、誰にでも必ず一度で名前を覚えて貰えるので、寧ろ得をしています」

 それを聞いた谷山は、思わず笑いを誘われる。


「ははっ、なるほど。しかし苗字はともかく、名前の読みが『よしゆき』とは特殊だね。ご両親には、何か特別な思い入れでもある名前なのかい?」

「はい、これは父の悲願だったので」

「と言うと?」

 何気なく問い掛けた内容だったが、美幸に重々しく言われてつい興味を引かれ、問いを重ねた。すると美幸が、真顔で説明を始める。


「家は代々名前に『美』の一字を入れて、『よし』と呼ばせる伝統がありまして、四人の姉の名前はそれぞれ美子よしこ美恵よしえ美実よしみ美野よしのと言います」

「そうすると、五人姉妹なのか?」

 言外に(それは凄いな)と言うニュアンスを含ませつつ、谷山が口を挟んだ。それに美幸が、あっさりと頷く。


「はい。それで姉達の名前は、全て祖父が決めたんです。父は婿養子で、発言権が無かったので」

「…………それは気の毒に」

 話題に上った美幸の父親に、谷山を含めたその場の男性全員が思わず憐憫の情を覚えた。


「それで母が私を妊娠した時、流石に気の毒に思った祖母と母が取りなして、『今度の子供の名前はお前が付けて構わん』と祖父に言われた父は、狂喜乱舞したそうです」

「それはそうだろうな」

「それで四人女が続いたし、どこぞで占って貰ったら男で間違いないと言われて、『美しい』に『征服する』の『征』と書いて『よしゆき』と読ませる、男の子の名前を考えていたものですから、私が産まれた時はとても気落ちしたそうです」

「…………」

(いや、何人続いても確率は二分の一だろ)

(占って貰ったって……、怪し過ぎるぞ)

(何かもう聞かなくても、話の続きが読めたな)

 流石に何と声をかけたら良いか分からず谷山は黙り込んだが、それは周囲の人間も同様だった。そんな様々な思いが錯綜する中、美幸が冷静に話を締めくくる。


「周囲が『諦めて女の子らしい名前を付けよう』と諭しても、父が半狂乱になって拒否しまして。散々家族内で揉めた上、『征』の字を『幸せ』に変えて、そのまま『よしゆき』と読ませる妥協案を父が受け入れて、こうなった次第です」

「……色々大変だったらしいな」

「はい、当然私は覚えていませんが、母や姉達が今でも時々父に文句を言っていますので」

 谷山に自分の名前の由来を語り終えた美幸は、勢揃いしている社員達に向き直った。改めて「藤宮美幸とうのみやよしゆきです、宜しくお願いします」と挨拶して丁寧なお辞儀をしてから、満面の笑みで宣言する。


「それで私の抱負ですが、三十年後には柏木産業の副社長兼専務に就任して、社長に就任した柏木課長を、支えていきたいと思っています!」

 それを聞いた者達は、揃って呆気に取られた。


「はあ?」

「へ?」

「正気か?」

「新入社員が何言ってんだよ」

「大言壮語にも程があるぞ」

 ひそひそと声が漏れる室内で、直属の上司になる予定でありいきなり名前を出された真澄が、一歩足を踏み出して控え目に美幸を窘める。


「あの、藤宮さん? 上昇志向は結構だけど、新人であればもう少し、地に足をつけた目標の方が良いと思うけど?」

 しかし真澄の台詞を美幸は半ば無視し、彼女に駆け寄って感極まった風情で訴えた。


「お久しぶりです、柏木課長! 課長の下で働く事ができて、本当に嬉しいです!」

「……ごめんなさい。私、あなたと以前に面識があったかしら?」

 その怪訝な顔つきでの真澄の台詞に、美幸が些か気落ちしたように説明する。


「お忘れですか? 私、桜花女学院の出身ですが、七年前の高一の時に、学校の最寄り駅で課長に盗撮犯を取り押さえて貰った事があります」

「七年前……」

 言われた事を真顔で考え込んだ真澄だったが、すぐに言われた内容を思い出した。


「ああ、確かに営業部時代にそんな事があったわね。思い出したわ。あの時の?」

 すると美幸は忽ち打って変わって先程まで以上の笑顔を浮かべ、嬉々としてその時の事を語り始めた。


「はいっ! ゴミ箱を犯人に投げつけて派手に転倒させ、尚も逃げようとした往生際の悪い奴の顎を容赦なく蹴り砕き、止めとばかりに股間をヒールで力一杯踏み潰して悶絶させて気絶させた、あの時の課長の勇姿! 今、思い返しても惚れ惚れしますっ!」

「ちょっ、そんな大仰な事じゃ……」

 目を輝かせた美幸が、勢い込んで断言する。流石に真澄は周囲の視線を気にして顔を引き攣らせたが、今更発言を取り消す事は不可能だった。


「以前から思っていたが、やはり血も涙も無い女だな、柏木」

「何をやってるんだか……」

「柏木君、対外的な事もあるからほどほどにな」

「…………」

 大学時代からの長い付き合いである第一課長の広瀬はドン引きして一歩後退し、先輩でもある第三課長の上原は額を押さえて深々と溜め息を吐き、谷山すら呆れた表情を隠さずに窘めてくるに至って、真澄は反論や弁解を諦めた。そんな空気を全く読まない美幸が、尚も決意の叫びを上げる。


「あの時に私、決心したんです! 一生、この女性ひとに付いて行こうって!」

「いえ、あのね? 藤宮さん」

「だから私が絶対課長を社長にしてみせます! その為に色々経験を積んで来ましたので、私が来たからには大船に乗った気分でいて下さいねっ!」

「……どうも、ありがとう」

 もう何を言っても無駄だと判断した真澄は、取り敢えず頷いて話を終わらせる事にした。そんな二人に、室内のあちこちから生温かい視線が注がれる。


(うわ、柏木課長フリークかよ)

(そうだよな……、あの二課に普通の子が入る筈が無かったか)

(城崎係長、また問題社員を抱えて気の毒に)

 女性二人とは別に、もう一人も同様の視線を受ける羽目になった。そして美幸の話が一通り済んだ事で、谷山が中断したミーティングを続行させる。

 そんな風に波乱に満ちた打ち合わせが終わり、部屋を出て隣接する自分達の仕事場に戻った面々は、美幸にチラチラと興味深い視線を送りつつ、自分の机に着いた。

 真澄は流石に頭痛を覚えていたものの、それは面には出さずに二課のスペースまで引き連れて来た美幸に、一つの机を指し示す。


「それでは藤宮さんは、ここの机を使ってください。ロッカーはあの壁際の、一番右側になるわ」

「はいっ! 皆さん、宜しくお願いします」

「こちらこそ」

「頑張って」

「分からない事は何でも聞きなさい」

 真澄の説明に明るく返事をしてから、美幸は二課の面々に向かって頭を下げた。周囲の四十代から五十代の男性達が揃って美幸に穏やかな笑みを向ける中、真澄が些か決まり悪げに言い出す。


「私はこれから管理職会議に出向きます。城崎さん。打ち合わせ通り、藤宮さんに一通り業務の説明を宜しく」

「分かりました」

 それを聞いた瞬間の美幸の顔を見た城崎は、思わず真澄に目で訴えた。


(課長、何だか露骨にガッカリされているんですが?)

(気にしないで。後を宜しくね)

 真澄が資料を抱え、そそくさと逃げ出すようにその場を後にした。その背中を名残惜しげに見送っていた美幸に、二課係長である城崎が声をかける。


「さて、それでは始めましょうか、藤宮さん。私は係長の城崎義行きのさきよしゆきです。宜しく」

「はい、こちらこそ宜しくお願いします」

 気持ちを切り替えて素直に頭を下げた美幸に、城崎が僅かに口元を緩める。


「それではこちらから順に全員の名前を紹介してから、取り敢えずあなたにやって貰う、比較的簡単な業務を説明します。追々、他の仕事も任せていきますので。メモを取って構いませんし、分からない事があったらそのままにしないで、すぐ聞いて下さい」

「お願いします」

 真剣そのものの表情で頷いた美幸に、城崎も周りで様子を窺っていた二課の面々も内心密かに安堵する。そんな調子で、美幸の二課での生活が幕を開けた。

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