クラフター

AM 2:30 


 日本という国に限ったわけでは無いが、何か事件を起こすのであればやはり夜が望ましいといえるだろう。

 深夜の二時から三時の間あたりはその中でもピークの時間帯だ。終電を逃したサラリーマンや深夜を爆走するトラックの運ちゃんも仮眠をとっているだろうし、ちょっとやんちゃな不良少年達もそろそろ帰ろうという気分になる。つまり人目を避けたい悪人にとっては最高の時間帯なのだ。

 ただでさえ近頃物騒な世の中になってきているのだ。無暗に深夜を出歩く者は少ない。犯罪に巻き込まれてからでは遅いのだから。

 とはいえ、皆誰しも特に根拠も無く、自分だけはそういった事件とは無縁だと思い込むものだ。

 銀行強盗に遭遇しても、実際に銃を向けられるまで死を身近に感じる者は少ないと言う。

 危機感に欠けているとも言えるが、人間とは得てしてそういうものなのだ。特に日本という国は、世界的に見ても安全な国として見られているのだから、最低限の自己管理さえなっていれば深夜であっても事件に巻き込まれることはそうそう起きない――はずなのだが。


「はあ、はあ、いつからこの国はこんなに物騒になったんだ……」


 吐き出すような小声で愚痴っぽくつぶやく。

 売り出された空き地の土管の中という、怪しすぎて逆に盲点となる場所で逆木匠真さかきたくまはため息をついた。

 背もたれにしている土管の内側はひんやりと冷たく、走り続けて火照った身体をゆっくりと確実に冷ましていく。

 荒い息を抑えるように胸に手を置こうとして、そこにあった後頭部をうっかり触ってしまう。その髪の柔らかさに思わず手を離すと、匠真の胸の上で抱き着くようにすうすうと寝息を立てる小さな存在は小さく身動ぎをして、再び深い眠りに戻った。


「――ったく、どうすっかなぁ」


 自分とこの少女が置かれている状況を整理しながら、再び溜息を吐く。

 肌に染みる寒さに、再びぶるっと震える。

 それも当然、今は十一月に入り、もはや秋とも呼べず、冬の入り口に差し掛かった季節といえる。そんな中を、近所のコンビニに行くだけだからすぐ戻ると高をくくってジャージにパーカーだけで来たのだ。

 匠真もまさかこんな事態に陥るとは思っていなかったのだから仕方ないといえば仕方ないが、一所でじっとしていては身体が冷え切ってしまう。

 何より、胸の上で眠るこの少女まで風邪をひいてしまっては心苦しい。

 いつまでもこの土管の中にいるわけにもいくまい。


 カラン


「……っ!」


 移動するか否かを考えていたところで、ここに来るまでに何度も聞いたその音がまた耳を打つ。

 

――まだ追ってくるのかよ


 冷や汗とともに、まだ見つかっていないかもしれないという、わずかな可能性に懸けて息をひそめる。

 しかし期待空しく、その音は段々と近づいてくると、空き地の入り口あたりで止まった。


――覚悟を決めるしかないか。


 匠真は一度胸に抱きかかえた少女をそっと下ろすと、顔が見えない程度にパーカーのフードを深くかぶり、土管から這い出た。

 同時に寒さとは別の、全身にのしかかるような嫌な空気が身を包む。土管の中の少女にはこの空気が届いていないことを祈るばかりだ。

 目の前、空き地の入り口には煤けたコートを羽織った細見の男。路上の街灯に薄く照らされてその顔が見える。鋭く暗い瞳に真一文字に結んだ口元。匠真よりは年上だろうが、まだ若さを残す顔つき。

 正直、昼間の町中を歩けばモデルと勘違いしていたかもしれない美形だった。

 ただしその表情はモデルと呼ぶにはあまりにも暗く、重かった。

 そして何よりが、男の持つ危うさをこれでもかという程に表していた。先ほどから聞こえていたカランという音は、その刀身がコンクリートに触れて奏でた音に間違いないだろう。

 切っ先が地面と触れ合うほどに刀身の長い日本刀を下へと向け、男はこちらを睨んでいる。


「少年。その少女と関わり合いに成らない方がいい。他言しないと誓ってくれるのであれば、君は見逃すつもりだ」


 男は匠真の姿を目にとらえると、静かに口を開いた。決して大きくはないその声は、静寂な夜の空気をゾワリとなでるように匠真へと届く。

 

「……信用できないね」


 匠真の視線が刀に向かっていることに気が付き、男は得心が行ったように一人うなずいた。


「……む、成程この刀か。ならばこれでどうだ」


 男は右手に持った刀を何もないところで無造作に振った。

 すると、まるで元から何もなかったかのように刃渡り一〇〇センチはあろうかという刀が姿を消した。

 目の前で見せられた手品のような芸当に、匠真はフードの奥で冷や汗をかく。それは驚いて言葉を失ったからではなく、今の出来事で確証が得られたからだ。

 

――クラフター。


 その存在が噂され始めたのは、今からおよそ五年ほど前からだ。

 何も無いところから何かを生みだす異能者。それは、ハサミや箸のような日用品から銃や剣に至る武器まで様々だ。

 しかし所詮は噂。実際には人々には半信半疑の存在として受け取られている。そもそもSNS全盛のこの時代、そんな特異な存在がいるのであれば、すぐに世間に露見しているはずなのだ。

 よってクラフターとは、実在こそしないが都市伝説として有名なもの、というのが世間一般の認識である。

 しかし目の前の男は現に手品のように刀を空間から取り出し、消した。もちろん本当に手品という疑念も晴れないが、匠真はその動作が、クラフターなら誰しも行う動作だということを知っていた。

 緊張を押し沈め、つばをごくりと飲み込むと、匠真は男の言葉に頷いた。


「……ああ、わかったよ。信じる」


「わかってくれたか。では少女を引き渡してくれ」


 男がゆっくりと近づいてくる。

 そして匠真の横を通り過ぎようとしたとき、匠真は右手にありったけの力を込めた。

 全身の血流が一点に集中するかのような感覚と共に、匠真は動いた。


「むっ!?」


 男は匠真の様子が変化したことに気が付くが、距離が近すぎたために僅かに出遅れる。

 匠真の右こぶしが、男の側頭部へと迫る。男は地を蹴り、俊敏な身のこなしで頭を後方に引いて寸でのところで拳を躱す。

 しかし完全にはかわし切れず、こめかみが鋭い刃物で切られたかのように一筋の傷が走り、鮮血があふれ出した。

 

「ぐっ……少年……まさか君も……」


 男はそこまで言うと、その目の焦点がぐらりと揺れる。

 一瞬耐えようと片膝になるが、すぐに耐えきれずうつ伏せになる形で地面に倒れこんだ。

 その様子を見届け、匠真はふーっと大きく息を吐いた。掠めた程度では確信は持てなかったが、狙い通り脳震盪を引き起こすことができたようだ。呼吸が大分落ち着いた後、自信の右手のそれを再確認する。

 そこには包帯のように白い革紐がきつく巻き付けられていた。

 先ほどまでなかったモノ。

 自身がクラフターであることの証である革紐セスタス

 額を切った時に滲んだ男の血が、まるで革紐に吸収されるかのように消えていく。

 やがて純白を取り戻すと、革紐からはもう終わりか、まだまだ殴り足りないぞと言わんばかりの熱が発せられ、それに合わせて匠真の内面までもが僅かに高揚していくのがわかる。どうにもこれを出すと好戦的になっていけない。

 およそ半年ぶりに『出現』させたそれを忌々しそうに見つめ、右手を振るう。

 すると、右腕に巻き付いていた革紐は跡形も無く消失した。

 匠真はポケットから携帯を取り出し、アドレスからなじみの番号を呼び出す。


『……お前今何時だと思ってるんだ』


 三コール目で電話の相手が不機嫌そうな声で出た。考えるまでもなく寝起きなのだろう。

  

「悪い仙司、急ぎなんだ。今から言う住所に何人か回してくれないか?」


『なんだ、随分疲れた声しているな……まさか能力を使ったのか?』


「ああ、ちょっと事件に巻き込まれて仕方なくな。悪いけど今から言う住所まで人員送ってくれ。住所は――――」


 匠真が電柱で確認した住所を、そのまま伝える。


『――わかった。そこならば十五分ほどで到着するだろう。手の空いている者を向かわせることにする』


「悪いな。いつも迷惑をかける」


『全くだ。誰かさんが勝手に部署を抜けた所為でこっちは火の車だというのに』


 呆れたような相手の言葉に、匠真はははっと渇いた笑いを上げる。


「悪かったって。今度飯でも食いに行こう」


『お前今無職だろ。俺に奢らせる気満々なくせに』


「バレたか。まあ貯金はあるから多少は大丈夫だよ」


 向こうもフフっと笑いを漏らし、一転静かな語り口調になる。


『……なあ逆木。お前、こっちに戻ってくる気は――――』


「……すまん」


 もはや何度目かの繰り返しとなった掛け合いに、同じ答えを返す。

 

『そうか……いや、何度も済まない。また気が変わったらいつでも言ってくれ。角野さんに言って席空けておくから。それじゃあそろそろ切るぞ。あと電話はいつでもかけてきて構わないが、深夜はなるべくやめろ』


「了解、善処する」


 不満の声出そうとした仙司の言葉を無視して通話を終了する。もうすぐここに顔なじみの研究員がやってくるだろう。挨拶しようかと一瞬悩むが、いい顔はされないだろうしやめておく。

 

「さて、と……」


 土管に戻り、すやすやと眠り続ける少女を見る。

 正直、面倒を嫌うならこの少女も研究員に預けてしまったほうがいい。これ以上の厄介ごとに巻き込まれることも無いだろう。

 しかし彼らに全てを任せると、少なくとも研究と称して色々と煩わしい協力をさせられるはずだ。

 少女から微かに漏れ出ている感覚。

 クラフターであることを証明する無臭の匂いは、間違えようも無かった。


「ぶぇっくしょいっ! ……取り合えず家に戻るか」


 少女を背負い、倒れた男の横を通りすぎて帰路に着く。

 少なくとも空が白くなってきた今考えることではない。家に帰って寝て起きたら、もう一度考えることにしよう。

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