〈魔法少女×視線=空へ〉

 二年前に潰れたショッピングモール。その駐車場には、巨大な魔法陣が赤色のインクで描かれた。

 魔法陣の中心には、理科の実験で使われていた三脚台を大型化させたような装置が置かれる。三脚台に乗せられているのは、薄いガラス。こちらにも駐車場とは異なる魔法陣がある。

 三脚台の下で、ころねは魔法少女の姿で待機していた。

 片手に空飛ぶ箒を握り、腰には改造されたスウィートステッキが差してある。

『通信機の最終チェックじゃ、ころね。聞こえとるか?』

 眼前にいるサンド・ウィッチが声を発すると、耳元から聞こえてきた。

 ころねの耳元には、イヤリング型の通信機が装着されている。

「ゲロみたいな声が聞こえる」

『貴様の耳は腐っておるようじゃのぅ。このワシのビューティフルヴォイスがゲロじゃと? 耳鼻科に行くが良い』

 サンド・ウィッチとの罵り合いは挨拶と代わりがなかった。

 普段よりも大人しい挨拶を交わしつつ、ころねは空に蓋をするガラスに目を移す。

「あれは何なの?」

「転移魔法の式じゃ。宇宙仕様の空飛ぶ箒で突き破れば、目的地である小惑星の近くに飛べるようになっておる」

「転移魔法……ねぇ」

 転移という言葉を聞いて、ふとアクダークの存在を思い出す。あの男は、さすがに遠く離れた宇宙までは行けないだろう。

「ってかよ、クソ犬。隕石って移動してるけど、そこんとこ大丈夫なのかよ? 着いた瞬間、目の前通り過ぎて作戦失敗、とか笑えないんだけど」

「今回、魔法の加護に対象との移動速度を等速にする項目を追加しておる。細かいことを気にするではない」

「ふぅん……。あと帰りは? 自力で帰ってきたら、みんなが寿命で死んでる、とか笑えないんだけど」

「抜かりはないわい」

 自信満々の様子でサンド・ウィッチが笑みを作ると、牙が見えてくる。

「魔法の言葉を唱えれば、一瞬にして戻ってこれるんじゃ」

「なんて言うのさ?」

 サンド・ウィッチは一度大きく息を吸い、そして、

「かえるぴょこぴょこみぴょこぴょこ! 合わせてぴょこぴょこむぴょこぴょこ! すうぃーとぱわーで、かえるんるん! ……ハァハァ! そう唱えよ!」

「…………」

 ぜえぜえと息を切らせるサンド・ウィッチに、ころねは冷たい眼差しを向けるだけだった。

「ちなみに、一度でも噛んだら即死じゃ」

「うっそぉ!?」

「うむ、嘘じゃ。……きゃひん!」

「サンド……笑えないわよ、その冗談」

 サンド・ウィッチの頭を叩いたのは、浅深だった。追い打ちをかけるように、サンド・ウィッチの胴長の腹をぐりぐりと靴のつま先で圧迫する。

「いだだだだだっ! すまなかった! じゃから、そこはやめてくれぇ!」

 魔法界から派遣された人々が、ざわざわと騒ぎ出す。

「聞いたか? あの砂の魔女が謝ってるぞ!?」「嘘でしょ? プライドの塊だった魔女が、あんな惨めな……。あぁ、犬にはなりたくないわね」「あの魔女を屈服させるなんて、あの元魔法少女やるなぁ」

 浅深は深いため息を吐き、足を退ける。

 痛みから解放されたサンド・ウィッチは、生まれたての子鹿のように足をプルプルと震えさせつつ、立ち上がった。

「うぐぅ……こ、ころね。それともう一つ、伝えなければならんことがある。何かしらのアクシデントで貴様が気を失った場合、家に強制送還される加護を加えておいたぞ」

「はっ。そんなことは、ぜってぇねぇから安心しろよ」

「そうか。頼むぞ、ころね」

「うっせー、クソ犬。てめぇなんかに頼まれなくてもわたしは守んだよ」

「……やっぱり駄目よ。これは、私がやるわ」

 神妙な面もちで浅深が言い出した。

 ころねは、徐に首を振るう。

「お母さん、知ってる? お母さんよりも、わたしの方が魔法少女の適正があるんだよ? クソ犬から聞いたんだけど、わたしの魔力って普通の人間の100万倍もあるんだって。凄いでしょ?」

 だから、ところねは続けた。

「これは、わたしだけの役目なの」

「……」

 答えは沈黙だった。浅深は血が滲むほど唇を噛みしめている。

「お母さん、絶対に成功させるから」

 ころねの真摯な瞳に打ち負けるように、深呼吸を一つ。

「……無茶は駄目よ」

「大丈夫、クソ犬の魔法があるもん」

「愛してるわ」

 浅深が優しく抱きしめてくる。

「やめてよ、まるで死んじゃうみたい」

 母の胸に顔を押しつけながら、ころねはくすぐったそうに身を捩らせる。

 一年ぶりの抱擁だった。

 芳香剤とタバコの臭いが混じった母の香り。ころねはこの匂いが好きだった。

 どんなときよりも、心が安らぐ。

 何も語らず、互いの存在を体全体の触感だけで確かめた。

「それじゃあ……お母さん、行ってくるね」

 いつまでも甘えてはいられない。

 自ら体を引き剥がし、ころねは魔法陣の中心へと移動した。

 見送る浅深は、今にも泣き崩れそうだった。

 行かない、と言ってしまえばあの顔はどれだけ休まるのだろうか、そんなことを考えつつ、ころねは浅深に手を振る。

「クソ犬! 準備は!?」

「もう終わっておる! さっさと世界を救ってこい!」

「言われなくとも、あんな石ころの一つや二つ、ぶっ壊してやる」

 ころねはガラス越しに天を上げた。

 すると、魔法陣のインクが強い光を放ち始める。

「空間固定・重力因子切断完了」

 ふわりと水中に漂うように、ころねの体が宙に浮く。

 最初は無重力状態に戸惑ったころねだったが、数秒もしない内に箒に跨がり、ガラスの魔法陣に柄の先を向けた。

「魔法式の作動、すべて順調に起動。加速器の完全駆動まで残り30秒」

 カウントダウンが始まる。

 ころねは魔法陣を睨みつけた。

 10、9、8、7、6、5、4、3、2、1――

「――――――――!」

 加速、終了。

 箒から魔法の粒子が溢れ、加速は一瞬だった。

 目に見える世界が流れて崩れる。

 ころねが知覚できた唯一の感覚は、ガラスの割れる音だけだった。

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