〈イベント×ヒーロー=遅刻〉
ころねの大きな不安は払拭され、羽が生えたように気持ちが軽かった。
兄の言葉は、一つもころねを裏切らない。むしろ、ころねが抱く恋心を一層強くさせる。
感情を抑えきれなくなったころねはトイレの個室ひとつを占領し、音姫を流しながら、狂ったように喜びの叫びを上げてしまった。
数分後に、様子を見に来た奈央子には「永い便秘が終わりを告げたんだよ」と一言だけ送り、会場に戻る。
すると、ステージは一変していた。
「なのなのぉ!? ころねちゃん、大変なの! アクダークなのぉ!?」
「あのヘボ小悪党……! タイミングの悪い奴だな!」
ステージ上に、何の冗談かは分からないがアクダークがいる。しかも不細工な部下(着ぐるみ)を引き連れて。
「ふぅははははははははは、呼ばれなくとも現れる男! 悪の超能力者アクダーク、ここに参上!」
仰々しくマントを翻し、アクダークは告げた。
普段から鼻につく仕草にイライラさせられるころねであったが、今は拍車がかかっている。
「ころねちゃん! お兄さんたちと一緒に逃げるの!」
観覧席に行こうとする奈央子に手を取られる。しかし、ころねはその手を振り払った。
「あの野郎、ぶっ殺してやる……!」
「な、なのぅ……?」
戸惑う奈央子を余所に、ころねは踵を返した。
「ころねちゃん、どこ行くのぉ!?」
奈央子の声を無視して、駆けながら鞄を漁る。
ころねの脳内では開戦三秒でアクダークを吹き飛ばすシミュレーションを立てていた……が。
「あれ? あれれ?」
鞄の中にあるはずのスウィートコンパクトが見当たらない。
瞬時にころねは朝の支度光景を思い浮かべた。
「やっべ。ベッドに置きっぱだった」
片手で掴めないほど無駄に大きいコンパクトは、鬱陶しいほどかさばる。身支度をするときに、一度鞄から取り出すことが多く、そのまま忘れてしまうパターンが度々あった。
ころねは奈央子を放置して、トイレに直行する。
幸い、もう一つの魔法道具である小型通信キーホルダーは忘れていない。
パンのチョココロネを模したキーホルダー。
そのデザインはサンド・ウィッチによるものなのだが、茶色のトグロはどう見てもウ○コにしか見えない。ころねは人目を嫌って鞄の奥底に沈めていたことが、今回は功を奏した。
ウ○コもといチョココロネの形をしたキーホルダーに向かって、ころねは囁く。
「もしもーし、クソ犬?」
声は直接サンド・ウィッチの脳に響くようになっている。貰った当初は嫌がらせ道具として悪用していたが、狼少年になりかねないと母に怒られた以降は非常事態にしか使っていない。
「おお! ころねか! タイミングのいい! 丁度こちらのセンサーに、アクダークの反応が出たぞ! 場所はカンミデパートの屋上じゃ! 至急迎え!」
キーホルダーから騒がしい声が響き、ころねは手で覆って音を抑える。
「知ってる知ってる。それでさ……その、コンパクト忘れちゃった、てへっ☆」
『…………』
数秒の間が空いた。その隙に、キーホルダーを強く握って防音処置を行う。
『このぉ! アホタレがぁああああ! これで五度目じゃぞ!? 貴様、魔法少女としての自覚はないのかぁ!? 恥を知れぇ!』
「あー、うるせぇ……」
隣にまで届いているのだろうが、ころねは考えないようにした。
「クソ犬、お母さんは忙しい? 届けてほしいんだけど……」
『家にはおらぬ! 早朝から仕事で出かけたであろうが!』
サンド・ウィッチに言われ、浅深は魔法少女チョココロネのコラボイベントで忙しい身であることを思い出した。
『魔法特急便でどうにかする! 5分待て! まったくっ! 高いんじゃぞ、あれは!』
「5分!? そんなに待てないんだけど!?」
『そもそも、貴様が忘れなければ済む話じゃ! しかも! 浅深に届けさせたら15分はかかるじゃろうが! 貴様が、どうにかせい!』
さすがに自分の責任のため、サンド・ウィッチを責められない。
「アクダーク……お兄ちゃんを傷つけたら、生き地獄ツアーに招待してやる」
ころねは舌打ちをした後、恨めしく呟く。
その次の瞬間、コンコンと扉を叩く音にころねは体をビクリと震わせる。
トイレの個室を占領していることを忘れていた。
ころねは謝ろうと口を開きかけたとき、
「話は聞いたわ」
「……え?」
扉の向こうから浅深の声がする。
「ここはお母さんに任せなさい」
不意に思い出した。魔法少女チョココロネのコラボイベントで、浅深がカンミデパートに来ている。
「お母さん、ナイスタイミング!」
ころねが勢いよく扉を開けた。
「……………………んん?」
そこに浅深の姿はない。
代わりに、プリティだんべるの着ぐるみが突っ立ていた。
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