〈新藤×カナミ=かなりん〉

『かぁぁぁなぁりーん! 愛してるぅうううう!』


 20歳を越えてもいない少女に、成人男性らの野太いバスが出迎える。

 昼下がりのカンミデパート屋上、イベント会場にて。

 数年前までは駐車場であった場所を改築し、地域活性化のためのイベント会場で予定される『プリティだんべる』のキャラクターショー。その前座として主演声優である新藤カナミのトークショーが開かれていた。

「はいはーい、かなりんでーす!」

 かなりんこと新藤カナミは若さ漲るスマイルで、ファンに挨拶をする。

 喉を枯らすほどの叫びを上げるファン。

 一方、キャラクターショーを目的とした親子は、白々しい目で彼らを見ていた。


『いえぇあああああああああああああ!!』


 会場の中で起きる、寒暖の差。

 それは離れた場所で眺めている阿久斗たちには、直視しにくい光景であった。

 阿久斗を始め全員、凄惨な現実から目を離し、作戦前の最終ミーティングを開く。

「よき戦日より! でござる!」

 第一声は、姫路城がプリントされた服を着ている美鈴だった。

 気持ちの切り替えは彼女が一番早い。本当のところは、会場の異質な空気に気付けていないだけだろう。

「服部、声がでけぇ」

 野暮ったい黒縁眼鏡をかけた戸崎が注意する。

 眼鏡とは無縁の視力ではあるが、『はいしんくん(改)』という祖父の発明品を改良したネット配信用の眼鏡型撮影機で、レオに映像を送信している最中だった。

『にゃーん! 戸崎様、かなりんのお姿をワンモアプリーズにゃあ! 画面越しでも、ペロペロしたいにゃーん!』

 通信機からレオの声が聞こえる。

「会いたきゃ、家から出てこいってんだ、引きこもり野郎」

『にゃにゃ! 戸崎様はイジワルにゃあ! レオにゃんは家から一歩でも出たら、ゲロ巻き散らしちゃうにゃん!』

 呆れてため息を一つ。戸崎は、無言でステージ上にいる新藤カナミの映像を送る。

『にゃーん! かなりん、かわいいにゃあ! ご主人様が誘拐に成功したら、「小森・シュタイナー・レオにゃんのことを世界で一番愛してる」って言ってもらうにゃん!』

「馬鹿か。名前バレて、豚箱行きだぞ」

『にゃんっ! レオにゃんは豚じゃなくて、猫の妖精にゃん!』

「あぁ、くそっ! 相変わらず、めんどくせぇ奴だな!」

 相手にするのが億劫になったのか、戸崎は通信機と『はいしんくん(改)』を強制的に停止させた。

 映像から先に切ったために、阿久斗の通信機にもレオの醜い悲鳴が聞こえてくる。あまりにもうるさいので、全員が通信を切断した。

「……って、阿久斗? てめぇ、さっきから、なんで空を見上げてんだ?」

 阿久斗は自分の名を呼ばれ、ようやく気持ちが宙に浮いていることに気づいた。

「すまない。なんでもない」

「てめぇがボケッとしてるなんて珍しいこともあんだな」

「ふむぅ、最近夢見が悪くてな」

「予知夢でござるか?」

 心配した様子で、美鈴が顔を覗き込んでくる。

「かもしれん。が、どうも内容が思い出せん」

 数日前から同じ夢を見ているのだが、その内容は靄がかかったように思い出せない。

 毎朝、海から打ち上げられたかと思うほどの汗で全身を濡らしている様子から、分かることは一つ。決して良い未来ではない。

「ふむぅ、今は作戦に集中しよう」

 気を張らせるために、普段よりも目を見開く。

 その矢先、

「お兄ちゃん! やっぱりいた!」

 最も予測不可能な因子が飛び込んできた。

 腕にしがみついてくる少女に、阿久斗は眼球が飛び出そうなほど目を剥いた。

「ころね? どうして、ここに?」

「え? えーと……とっ、友達の付き添いで来たの!」

 ころねが指さす方向には、カピバラの愛嬌を移植したような少女がいる。

「初めましてなの、ころねちゃんのお兄さん! あたし、小森奈央子なの!」

「小森……?」

 不通状態ゆえ、レオと同姓の少女の声は届いていない。

 阿久斗と戸崎はとっさに視線を合わせ、阿久斗からテレパシーを送る。

『ふむぅ、もしやレオの妹か?』

『いや、そう珍しい名字じゃねぇだろ。そもそも、だ。こんな可愛らしい子が、あの豚猫の妹だと思うか?』

『そうだな』

『ところでよ。やっぱりいたとか、てめぇの妹が言ってけど、どういう――』

『気のせいだ』

 早々に阿久斗はテレパシーを中断させる。

 わずか一秒にも満たない高速神通信の後、阿久斗は奈央子に目を向けた。

「初めまして、僕は神田阿久斗。こちらは僕の友人の――」

「拙者、服部美鈴でござる!」

「……戸崎隆夫、よろしく」

 奈央子は屈託のない笑顔を浮かべ、「よろしくお願いします!」と快活に言った。

 実のところ阿久斗は、ころねの友達を紹介されたことが初めてだった。

 学校でそれなりに友達がいることを本人から言われていたが、学校帰りや休日に友達と遊びに行く予定は、一度も聞いたことがない。そのため、母が取り決めた門限は風化している。

「ねえ、お兄ちゃん、なんでここにいるの?」

 突然のころねの質問に、阿久斗は冷や汗を掻いた。

 表情を読まれまいと、顔を背ける。この時点で、心のやましさを露呈しているのだが、最小限に抑えるためのコラテラルダメージとして、阿久斗は割り切る。

「それは……だな」

 ころねの勘ぐる視線が痛い。緊張から体温が高くなり、じんわりと汗を掻き始める。

 しかし、助け船は迅速に送られてきた。

「俺が誘ったんだよ。あのアニメの声優、結構演技がうまくてよぉ。ファンなんだ」

 会話に入ってきたのは、戸崎だった。不良生徒がアニメオタクだと自称する様は、中々奇妙な光景となっている。

 ころねは笑顔のまま俯き、

「……チッ、そうきたか。さすがはお兄ちゃんの親友、ヤンキーのくせに頭が回る。いや、もしかしてこいつが引き込んで、お兄ちゃんを? ブツブツ……」

「ころね?」

 早口と小声で呟かれる言葉を、阿久斗はうまく聞き取れなかった。

「あっ、そうなんだね! でもね、わたしはこういうアニメが好きでも構わないんだよ、お兄ちゃん!?」

「ああ、そうか……?」

 なぜ自分に話を振られるのか分からないものの、返事だけはしておく。

「それじゃあ、お兄ちゃん――」

 別れの言葉かと思い、阿久斗は安堵する……が、

「一緒に見ようね!」

「なに?」

 ころねは蛇のように腕を絡めてきた。

「なにって、お兄ちゃん……見に来たんだよね?」

「いや、それは……戸崎であって……」

「お兄ちゃんは、どこかに行くの? わたし、ついてっちゃダメ?」

 有無を言わさぬほどに積極的なころねに、阿久斗はおろか戸崎でさえペースが呑まれる。

「友達はいいのか?」

「大丈夫なの! あたしも、プリティだんべるのショーを見に来てたの!」

 まさかの五里霧中の展開に、絶句する。

 突破口は開けず、なし崩しに阿久斗は観覧席に腰を下ろした。

 ステージのスケジュールでは、トークショーはもう少し続く。しかし、作戦の予定としては、すでに会場の裏手に回って準備を始めなければならない頃合いだった。

 阿久斗は、用意している台本を読み返さなければならない。台本の中には、新藤カナミの個人プロフィールなどの資料も含まれていた。

 時間の余裕がないことを察し、阿久斗は必死に記憶している情報を反芻させる。

「お兄ちゃん、あの人、誰?」

 不意にころねが問いかけてきた。

「新藤カナミだ。18歳。プリティだんべるの声を当てている新人声優。公式プロフィールでは身長154cm、血液型AB、体重だけは非公開。容姿の良さからアイドル声優として売り出されて、最近注目を集めている。好きな食べ物はもんじゃ焼き、好きな言葉は日進月歩。好みのタイプは、ファンのみんな、だそうだ」

「凄いの! ころねのお兄さん、詳しすぎるの!」

「ハッ!?」

 記憶の引き出しを確認している作業に夢中になってしまい、つい言葉に出してしまった。

 周囲の反応を見る。

 戸崎は、今まで見たことのないほど絶望に染まった表情をしていた。

 美鈴は、状況が飲み込めていないどころか、奈央子と一緒に羨望の眼差しを送る。

 そしてころねは――笑顔のまま凍り付いていた。

「詳シイネ、オニーチャン」

「た、たまたまだ」

 痛恨のミステイク。

 新藤カナミに関心が薄いはずの阿久斗が、彼女のことをよりよく知っていた。その情報を持った状態で、もしアクダークが新藤カナミを誘拐した場合、ころねから猜疑の目を向けられる可能性がある。

 もしかして神田阿久斗はアクダークではないのか、と。

『戸崎、助けてくれ。どうすればいい?』

『てめぇ、悪党やめちまえ』

『すまない。それは出来ない』

 阿久斗は最悪の選択――計画の中止――を視野に入れていた。

 アドリブが苦手な阿久斗であったが、必死に脳味噌から歴代悪党の過去の事例を網羅させた。

 一つだけ、解決法を見つける。

 これからの生活に支障が出来るかもしれないが、それでも自分が犯した失敗は自分で何とかしなければならない。

 なにせ、悪党なのだから。

「ころね……僕は嘘を吐いていた」

「嘘……?」

 無意識だが、人差し指と親指をこする。

「僕は、本当は――新藤カナミの大ファンだ」

「え?」

「彼女の演技は素晴らしい。アニメに関心のない僕でさえ、興味が出るほどだ。ああいうのは、天才というのだろう」

 これは、新藤カナミのファンが掲示板で書き綴った言葉だ。下調べをしていなかったら、このような能弁は阿久斗の口から出てこなかっただろう。

「まさか……お兄ちゃん……異性として、好きなの?」

「いや、新藤カナミに恋心を抱くことは絶対に有り得ない。新藤カナミには、もう恋人がいる。僕は他人の幸せを奪いたくない」

 新藤カナミの恋人の情報は、悪党連盟関係の筋から手に入れた。

 どうやらマネージャーと付き合っているらしい。

 阿久斗が、その旨を事細かく伝える。すると、近くにいた何人かのファンが、手製の団扇を落としてゾンビのような足取りで、会場から立ち去っていった。

「じゃ、じゃあ、もし、新藤カナミがマネージャーと別れたら?」

「別れたとしても僕の気持ちは変わらん。僕は彼女の才能を評価しているに過ぎない。そもそもファンというものは、相手の幸せを尊重するものだろう? 新しい恋を僕は応援する――っ!?」

 理屈をこねていた阿久斗は、ぎょっとする。

 先ほどまで苦々しい表情をしていたはずのころねが、ほろほろと涙を流していたのだ。

「ど、どうした!?」

「ううん、大丈夫。ただ、ちょっと……安心しちゃって。わたしの知ってるお兄ちゃんだって……」

「そ、そうか……?」

 不意に、レオの万華鏡発言を思い出し、阿久斗は深く言及しない。しかし彼女の中で涙を流すほどの感情が動いたことに間違いはなかった。

 阿久斗は、ころねの気持ちを落ち着かせようと、その頭を撫でる。すると、まるで猫のように頭で手を押し返して撫でることを求めてきた。

 しばらく撫で続けていると、ころねは普段通りの笑みに戻り、立ち上がった。

「……ちょっと席外すね」

 トイレであることは阿久斗にも理解できた。

「ころねのお兄さん。あたし、ころねちゃんの様子見に行ってくるの」

 一瞬、奈央子を呼び止めようと思ったが、戸崎が腕を引っ張り止めた。

 奈央子の後ろ姿を見届けた後、戸崎に問いかける。

「戸崎、どうして僕を止めた?」

「馬鹿か、てめぇは! 絶好のチャンスだろうが!」

「……チャンス? 何のだ?」

「アクダークに決まってんだろうがっ。この若年性痴呆症!」

「そうか! 戸崎! おまえが仲間で本当に助かった!」

「さすがでござるな、戸崎殿! 技の阿久斗殿に、知略の戸崎殿! 拙者も早く、阿久斗殿のお役に立ちたいでござるよ!」

「ああ、うん。そういうのいいから。さっさと行けっての」

 さも子供の出発を急かす親のように戸崎は言う。

 ころねのことは気になったが、いまは大切な計画を優先なければならない。

 阿久斗は気持ちを切り替え、観覧席を発った。

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