〈元気×お薬=辛いもの〉
「ぐすっ」
日が落ち、ころねの部屋は夜の暗闇に包まれた。
ベッドの上で毛布に包まるころねの姿は芋虫に似ている。
部屋が暗くなろうと、ころねには構わなかった。外が明るかろうが毛布の中に光は届かないのだ。
そしてころねの心も深い闇に包まれている。
「いいもん、いいもん。お兄ちゃんの知らなかったところを知れたから良いもん」
呪文のように、自分を納得させる言葉を繰り返す。
だが中々気持ちが切り替わらない。
「ショックじゃないもん。もんもんもんっ!」
この気持ちを容易く解決させる方法は知っている。
魔法だ。魔法なら人の気持ちを操ることが出来る。
だが、ころねはそれを絶対に許さない。阿久斗との間に魔法などという無粋な非条理を用いたら、二人の関係が醜く汚されるような気がする。
「うぅ……やっぱりショックだよ、お兄ちゃん……」
時間が経って、自分の心の整理がついてきた。
知らなかったことがショックだった。正確には、隠されていたことがショックだった。
拒絶されたようで、距離を置かれるようで、壁を作られるようで――嫌だ。
「おにぃちゃぁん……」
枕を抱きしめ、涙で濡らす。
ころねが心の傷を必死に塞ごうとしている中、部屋の外から声が聞こえてきた。
「ほらほら、どうした、小娘ぇ! 悔しいかろぅ悔しいかろぅ! 貴様の兄は女児向けアニメを愛でることが大好きな変態じゃぞ!? 格好が悪いのぅ! 気色悪いのぅ! ぬわはははは! ざまぁみろ!!」
悪魔のような魔女の声が、人の傷心に塩を塗りたくってくる。
「あいつ、ころす」
明確な殺意が芽生えた。
「お兄ちゃんを悪く言うヤツは、塵にしてやる」
魔法少女チョココロネの変身道具である『スウィートコンパクト』を手に取る。
犬畜生は命の危険に気づかずに、扉をリズミカルに引っ掻いていた。
「阿久斗はHENTAI♪」カリッカリカリ!
「ころねもHENTAI♪」カリッカリッ!
「二人はHENTAI♪」カリカリカリカリ!
ころねが、扉越しにお星さま☆フルバーストをお見舞いしようとした矢先。
「ぶっ! ぬひゃひゃひゃ! 我ながら酷い作詞じゃのぅ! ……ハッ!? あ、浅深!? こ、これは違う! や、やめ――きゃひーん!」
扉の向かい側で肉を穿つ音がして、魔女の呪詛が途切れた。
「サンド。阿久斗が帰ってきたんだから、静かにしなさい」
浅深が扉を開けながら、廊下で痙攣するサンド・ウィッチに告げる。
「お母さん……」
ころねは腫れた目に気づかれないよう顔を背け、スウィートコンパクトをベッドの上に放り投げる。
「クソ犬、駆除してくれてありがと」
コンビニのレジ袋を片手に、浅深は扉をゆっくりと締める。
「何があったかは聞かないわ。お母さんも、あなたと同じくらいのときは色々と大変だったから」
家に帰ってきたばかりだというのに、浅深にはすべてお見通しのようだった。
「いいの、もう済んだことだから」
人に話して、解決できるわけではない。そもそも母に話せる内容でもないが。
「そう。なら元気になりなさい」
会話はそれで終わりかと思っていたが、浅深は部屋から出ようとしなかった。
レジ袋から新品のタバコを取り出し、火を付けることなく弄んでいる。
「もし……」
目線をこちらに向けず、浅深は言う。
「魔法少女が辛いなら、お母さんが頑張るわ」
思わぬ発言に、ころねは目を丸めた。
突拍子もなく魔法少女の話を振ってこられたが、心当たりがある。
「違うよ、お母さん。魔法少女なんて簡単だもん。いま落ち込んでるのは、それとは全然関係ないことだから」
無意識ではあろうが、タバコを持つ浅深の手は、下腹部に置かれている。そこは浅深が倒れたときに出来た傷の場所だった。
「お母さんが二度と体を壊さないために、わたしがやるの」
魔法少女を受け継ぐまで、浅深は一人で戦っていた。
家族に嘘を吐いて悪を討ち、仕事に追われながら悪を追う。
魔法少女(ヒーロー)として血の吐くような苦難を乗り越えてきた浅深の心身は、夫の裏切りによって意図も容易く砕け散った。
「悪いお母さんで、ごめんね」
「悪いのはクソ親父だよ」
「そうね……お父さんも悪いわ」
「いつ離婚するの? お母さんがフリーになるのを待っている人、沢山いるよ?」
ころねは本気で父親との縁を切りたがっていたが、浅深の反応は曖昧で「それは嬉しいことね」と答えただけだった。
「えー、まだ、あのヒゲモジャ筋肉だるまに未練あるのー?」
「さあ。夕飯の時間よ」
ころねの言葉を聞き流し、浅深は扉を開けた。
「……っと、忘れてたわ」
不意に浅深は立ち止まった。
レジ袋から、辛揚げナゲットを差し出してくる。
「夕飯前だけど特別よ」
「やった! お母さん、ありがとぉ!!」
「私ではなくて、お兄ちゃんからよ」
そう言って、浅深はレジ袋を持ち上げる。
「顔には出てなかったけど、すごく心配してたわ」
受け取った辛揚げナゲットの容器に、緑色の付箋が張り付いていた。
ころねは付箋に書かれた文字に目を通す。
『食べると元気になる薬(過剰接種に注意)』
「……ずるいよ、お兄ちゃん」
一口サイズの辛揚げナゲットを摘み取る。
ぱくりと、頬張った。
――辛いけど幸せ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます