〈呪願機×興味=ゼロ〉

 アクダークには秘密基地がある。

 町外れ、大昔から神田家が所有する山の中。鉱山の坑道を再利用して作られた秘密基地は、蟻の巣に似た構造をしている。

 阿久斗たちが使うには広すぎる基地だが、祖父が開発した装置を置くスペースとして活用できた。

 人の出入りが最も多い作戦会議室に、阿久斗は用があった。正確には、そこで寝泊まりしている父親に。

 30人は囲める円卓に、壁に埋め込まれた巨大モニター、かつて祖父が野心に燃えて使われていた歴戦の設備たち、それらを阿久斗たちが有効に使った試しはない。父親が借りてきた映画を皆で観たときが、一番輝いていただろう。

 阿久斗は両手に提げたスーパーの袋の内、一つを卓上に置く。

「父さん、即席麺は体に悪いぞ」

 玄麻は、作戦会議室の隅にある歪な形をしたトレーニング用具で懸垂をしていた。

「がははははっ!! 悪人が悪いことをするのは当たり前じゃねぇかぁ!!」

 上半身裸の父親、玄麻は風呂上がりかと勘違いするほどの量の汗を掻いている。

 無理は出来ない年齢だが、体を持ち上げる動きに淀みはなく、鍛え抜かれた肉体はプロレスラーを彷彿とさせた。

 ちなみに、トレーニング用具として使っているのは、先週活躍した『ねこあつめ』である。

「おう!! そうだ、阿久斗ぉ!! 悪党連盟からショッピングモールの件で連絡があったぞぉ!! 『もうちょっと頑張れ』だってよぉ!! がははははっ!!!」

 猛虎計画(略称)の結果に自信を持っていた阿久斗にとっては、悩まされる評価だった。

「ふむぅ、どこが悪かったのか……」

「がははははっ!! もっと派手にやれってことだろぉ!! 何なら、父ちゃんが企画したヤツでやるかぁ!?」

 抽象的なアドバイスでは阿久斗は納得できない。しかし、引退した玄麻に頼ることは抵抗があった。

「次の計画はすでに決まっている。カンミデパートの屋上で、アニメイベントがある。そこで声優を誘拐する」

「あにめいべんと? せいゆう? ……まあ、頑張れ頑張れ!!」

 筋骨隆々だが、肉体の衰えを感じた玄麻はアクダークを引退し、サポートに徹している。息子に責任を押しつけてしまったことに負い目を感じているのか、阿久斗たちが行うことに口を挟むことは一度もなかった。

「ところで、阿久斗。本題なんだが……浅深、まだ許してくれてない?」

 懸垂を止め、まるで定時報告を求めるように玄麻は問いかける。

「無理だ。上手い言い訳を考えた方がいい」

「なにぃ!? おまえも父ちゃんを疑ってるのかぁ!? あれは違うんだってぇ!! 父ちゃんがアクダークやってたときの幹部で、美鈴の母親と会ってただけなんだよぉ!! 言っておくが、超優秀なクノイチだったんだぞぉ!?」

 笑い袋の玄麻も家庭のことになると、笑えないらしい。

 不倫騒動(真偽不明)が発覚する前まで、玄麻と浅深の間柄は阿久斗から見てもバランスの取れた理想的な夫婦だと思えた。嫁LOVEの玄麻がボディタッチを毎日のように試み、夫の抱擁をあっさりと躱す浅深の姿は遠い過去のものとなっている。

「ありのままを母さんに言えばいいだろう」

 途端、『ねこあつめ』から降りた玄麻が目を三角にして詰め寄ってくる。

「アクダークがバレちまうだろぉ!!」

「ふむぅ、そうだった」

「ちくしょおぉ!! 借金さえなければなぁ!! どーにかなんねぇかなぁ!! ……無理かっ!! がははははっ!!」

 笑い始めた様子から察するに、家庭の話は一時的に諦めたらしい。

 喜怒がサイコロの目のようにコロコロと変わる玄麻の性格に、阿久斗は辟易する。

「そこにある発明品でも売れば儲かると思うが?」

 スイッチ一つで町中の猫を一点に集められる機械なんて実用性は低いが、その原理の価値は高いだろう。

「がははははっ!! さすがは父ちゃんの息子だぞ、阿久斗ぉ!! だが、それは父ちゃんが通った道だぁ!!」

「特許申請でもしたのか?」

「そのとぉぉぉり!! だけどよぉ、特許とか難しくて断念しちまったぁ!! がははははっ!!」

「ふむぅ、お爺さんはどうやってこの装置を作ったんだろうか……」

 眼前にある『ねこあつめ』を始め、秘密基地内で埃を被っている装置たちはどれもこれも現代の科学では説明が付かない現象を引き起こせる。

 強力な超能力者であり、奇抜な発明家でもあり、極悪な罪人だった祖父。時代が違えば、世界の歴史にその名を刻んでいたかもしれない。大罪人として、だが。

「ふむぅ?」

 何気なく『ねこあつめ』を観察していた阿久斗だったが、装置に下敷きとなっている扉に気づいた。

 床に設けられた扉の存在は、以前から知っている。配線のために作られたものとばかり思っていたが、このとき扉に目を向けた途端に、第六感が何かを訴えかけてきている。

「父さん、そこは何だ?」

 超能力を司る感性が働いているため、自分が抱く感覚を言葉にしにくい。

「ん!? おおっ!! すっかり忘れてたぁ!! この扉はなぁ!! 唯一、オヤジの発明品じゃない発明品を隠してあるんだぞぉ!!」

「発明していない発明品?」

 詰まるところ、祖父ではない誰かが作ったもの。

 しかし玄麻の言い方に引っかかりを覚えた。

「隠すとは、どういうことだ?」

「がははははっ!! 入ってみれば分かるぞぉ!!」

 すでに玄麻は『ねこあつめ』を退かし、扉を開いている。

 開き戸の金具が悲鳴を上げ、更なる地下へと続く縦穴と簡素な梯子が姿を表した。

 玄麻が顎をしゃくり、阿久斗を先に行くように指示を出してくる。

 ホラー映画で井戸の底を覗くような気持ちで、おそるおそる目を向けた。

 しかし阿久斗の不安を余所に、縦穴の底は近かった。

 縦穴の底で通路の非常灯が緑色に発光しているため、梯子に陰影が出来ている。

 阿久斗は錆び付いた梯子を下り、狭い地下通路の先を見て――体温が急激に下がるような感覚に陥った。

「――っ」

 五メートルもない距離の先に、何の変哲もないドアがある。

 そのドアの向こう側から、ただならぬ気配を感じた。

「なんだ、あれは……っ?」

 その気配は、人のものではない。人ならざる者の気配――悪魔や怨霊とでも仮定すればイメージが固まる。

 『それ』がドア越しに、こちらを見ているような気がした。渇望するように、歓迎するように、誘惑するように。

 本能が……否、第六感が警鐘を鳴らし、阿久斗は一歩踏み出すことさえ厭う。

「がははははっ!!」

 背後から聞こえる玄麻の哄笑に、阿久斗は体を震わせた。

 いつのまにか梯子を下りてきていた玄麻は、ドッキリが成功したことに満足したようでニマニマと笑っている。

「ビビりすぎだぞぅ、阿久斗ぉ!!」

「しかし父さん、あれは一体何だ?」

 今もなお気配は止まず、鳥肌が全身に伝播している。

「がははははっ!! ビビるなビビるなぁ!! あそこには誰もいねぇからぁ!!」

 玄麻も同じ感覚を味わっていることを理解し、阿久斗は平常心を取り戻す。

 頬を伝う汗を拭い、ドアを睨んだ。

「酷く、気分が悪いな……」

「『あれ』を感じ取れるって事は、おまえも優秀な超能力者だってことだぁ!! オヤジでさえ、あの部屋に長居することはなかったぞぉ!!」

 そう言って玄麻が阿久斗の背を押す。半ば叩き出されるように阿久斗は前に進むと、気配の密度は一層色濃くなった。

 引き下がろうにも背には玄麻が待ちかまえている。注射器に押し出される薬の気分だった。

 行く先は、真っ当なところではない。

 悪寒が酷くなり、吐き気さえ抱く。

 牛歩でありながらもドアまでたどり着いた阿久斗は、恐怖と戦いつつ、ドアの開閉ボタンを押した。

 ドアの向こう側。

 そこには、支柱のように立つ巨大な円柱状の水槽があった。

 常軌を逸脱した光景に、阿久斗は言葉を失う。

 水槽の中身は、この世のものとは思えないほど巨大な華のつぼみ。

 人の体よりも太い茎から葉が数枚生える。そのつぼみは、水槽の半ばまでしか入っていない培養液を避けるように、天を仰いでいた。

 ラベンダーよりも鮮やかな紫色の培養液は、素直に綺麗とは認識できず、むしろ毒々しく見える。

「何なんだ、これは」

 阿久斗は、おとぎの国にでも迷い込んでしまったかのように頭の整理がつかない。

呪願機じゅがんき、オヤジはそう呼んでたなぁ!!」

「じゅがん、き?」

「あの液体が水槽を満たしたら、華が咲くんだとよぉ!!」

「それで、どうなる?」

 玄麻は心底楽しそうに笑い、そして酷く退屈そうに真顔で言った。

「んーまあ、いかなる願いも一つだけ叶えてくれるんだとよ」

「……そんな馬鹿げた話があってたまるか」

「がははははっ!! 父ちゃんも信じてないぞぉ!! だけどオヤジは、この華を咲かせたから超能力を手に入れられたんだぁ!!」

「そんなこと……」

 阿久斗の否定は、現実の拒絶でしかなかった。

 現に、阿久斗はSF顔負けの超能力を自在に扱えている。超能力の原理は、脳の使用率が人並み外れている説がポピュラーであるが、実際に人工的な超能力は大きな成果を残していない。

 認めたくないが、認めなくてはならない。

 たった一つの理由だけで、阿久斗の疑心は確信に変わっている。

「父さんの嘘は、僕でも分かる……」

 玄麻が、ここまで巧妙に人を騙せるとは思えない。

 自分の不倫疑惑さえ払拭できない人間に、ワールドワイドな嘘を平然とつけるはずがなかった。

「なんだぁ!? 父ちゃん、そんなに顔に出やすいのかぁ!?」

「顔よりも、嘘の言葉が出ないことが原因だ」

 誠実というよりも頭の回転が鈍いだけかもしれない。

「ふむぅ」

 阿久斗は冷静を取り戻していた。

 禍々しい気配はまだ感じるが、順応しつつある。見えないものに対する恐怖心が、嫌悪感を増長させていたのかもしれない。

 正面、作戦会議室よりも狭い部屋に佇む水槽と華――呪願機。それを前にしても思慮できるほどの余裕は出来ていた。

「父さん、華はいつ咲く?」

「さあなぁ!! そりゃあ、おまえの度量次第だぁ!!」

「どういうことだ?」

 玄麻は水槽を指さす。

「紫色の液体、あれなんだと思うっ!?」

「培養液ではないのか?」

 玄麻の口が弓を作る。


「人の絶望だよ」


 今まで一番の悪寒が背筋を走った。

「絶望、だと?」

「がははははっ!! オヤジが言ってただけだから、父ちゃんもどうも分からねぇことが多いんだけどよぅ!! 十年前にでっけぇ災害があっただろぉ? 何十万人も死んだヤツだぁ!! あのとき、この部屋の様子を見てきたら、僅かだが液体の水かさが増えていたんだぞぉ!!」

 玄麻は他にも例を挙げていく。

 致死性の高いウィルスが流行した時期、世界的なテロが起きた時期、戦争が起きた時期、世界を担う偉人を失った時期――世界の絶望が、この大きくも小さな水槽に注がれていた。

「オヤジがアクダークになったのも、これが目的だったのかもしれないなぁ!!」

 いかなる願いも、絶望という糧を払うことで叶う。

 アクダークというルーツは、呪願機にあった。

「まっ!! この調子だとおまえが爺さんになる頃には溜まるんじゃないかぁ!?」

 玄麻が観察していた中でも、水かさが増加量は十センチにも満たないらしい。

「もしくは全世界が一度に恐怖に染まったときくらいかっ!! がははははっ!!」

 あまりにも規模の大きい話だったため、阿久斗には実感が湧かなかった。

 必然成就の呪願機、それを前にして阿久斗が抱く感想は、

「僕には必要のないものだな」

 その程度だった。

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