〈高校生活×神田阿久斗=変わり者〉

 阿久斗の妹、神田ころねは彼が知る中でも非常に良く出来た妹だ。

 愛らしい笑顔を絶やさず、周囲の人々に優しさを分け与えている。品行方正で、しっかりと芯がある考えを以て行動する。齢14にしていつ嫁に出しても問題ない。年齢的には不可能だが。

「それじゃあ、お兄ちゃん、勉強がんばってね!」

 朝の通学路。通学路の分岐点である丁字路に突き当たる。

「ああ。そっちもな」

 阿久斗はころねの後ろ姿を見送った後、歩き出す。

 学校に近づくに連れ、同じ制服を着る生徒が増えていく。その中の一人が阿久斗の顔を見た途端、破顔した。

「よう、阿久斗。今日も辛気くさい顔してんな」

 周囲の学生が何人か振り返るほど、良く通る声を発する男子。

 顔の彫りは深く、気立ての強さを表すギラギラした目。仄かに赤く染髪された髪は、彼が規律に従わない生徒であることを説明していた。

「戸崎、おはよう」

 クラスメイトの戸崎隆夫とさきたかおに挨拶をし、阿久斗は思案するように腕を組む。

「ふむぅ、やはり笑った方がいいか?」

「あぁ? やっぱりって?」

 質問を返される形となったが、阿久斗は答える。

「以前の話だが、妹が僕の笑顔は最高にキュートだと言っていた」

 家族の色目があるかもしれないが、ころねの鑑識眼は確かなものだと阿久斗は思う。

「ったく、てめぇんトコの妹は正真正銘のブラコンだな」

「違うな。ころねは甘えたがりなだけだ」

 阿久斗には思い当たる節がある。

「母は忙しいからな。ころねは僕に甘えるしかない」

 父親は不倫騒動で別居中、母親は仕事で多忙な身。近親で頼れる人間は順当に考えれば、兄である阿久斗しかいない。

 そう断言すると、戸崎の笑みが薄まる。

「んじゃあ、週に一回、一緒に寝てんのも甘えてぇからなのかよ?」

「それには語弊がある。正確には、ころねが僕のベッドに潜り込んでいるだけだ。僕が快諾して妹と寝ているわけではないぞ」

 語尾を強くして言うと、戸崎よりも周囲の生徒たちが目を剥いてこちらを見た。皆、まるで朝から猥談を吹聴する不埒な輩を目撃してしまったかのような表情だった。

「あぁ、そうかい。んで、最近はどんな甘え方をしてんだよ?」

 呆れつつも、戸崎はどこか楽しむように質問を投げかける。

「最近は……そうだな。僕を困らせて楽しんでいる節がある」

「ふぅん、たとえば?」

「つい昨日のことなんだが、オムライスを作って一緒に食べたんだ。それで途中から僕のオムライスが食べたいと、せがんできてな。しかも……なんだ、その、所謂『あーん』というヤツで、だ」

「まさか、やったのか?」

「ああ」

 戸崎は、アメリカのコメディドラマのようにオーバーリアクションで肩をすくめた。

「困ったことに、スプーンをくわえて離さなかったな」

 あの時のころねは、お気に入りの人形を奪われまいと必死に食らいつく犬に、よく似ていた。

「……そりゃあ、困るわ。つうか、引くわ」

「ああ。スプーンをくわえられたままでは、僕は一向に食べられない」

「んにゃ、それこそ、妹の狙いは……まあいいか。そんで? 妹の唾液ベトベトスプーンで、てめぇは食事を続けたのか?」

「それが、どうかしたか?」

 戸崎は自分の額をパーンッと叩いて、「とんでもねぇ兄妹だ」と呟いた。

「ふむぅ? 何が言いたい?」

「なんでもねぇよ。いつか、おまえが気づいてくれるのを俺は願うだけだよ」

 不可解な戸崎の言い回しに、阿久斗は小首を傾げる。

 戸崎が新しい話題を持ち出してきたところで、阿久斗と戸崎が通う学校が見えてきた。

 学校を囲む金網フェンスに沿うように歩く。何気ない会話をしていた阿久斗と戸崎だったが、校門を抜けたところで二人の意識は、花が散ったばかりの桜木に集中した。

 一本の桜木を中心に人集りが出来ている。

「なんだぁ?」

 皆、喉を晒すように桜木を眺め、不安を色濃くしていた。

「服部ぃ! 危ないから、そこを動くな! 脚立持ってくるから、じっとしてろ!」

 人集りに混じる教師が一人、叫ぶ。

「拙者に任せるでござるよ! 木登りは小さい頃から得意でござる!」

 桜木の太い枝に、中腰で立つポニーテールの少女が答えた。

「服部じゃねぇか。なにしてんだ? みんなにパンツ見せつけて、お色気忍術でも身につけようって魂胆か?」

「いや……猫だな」

 ポニーテールの少女、服部美鈴はっとりみすずと対峙する子猫の存在に、阿久斗は気付いていた。

 細かい経緯は分からないが、木から降りられなくなった子猫を助けようとしていることは想像するに難しくない。

 桜木の上。ふかーっ!と威嚇する子猫を相手に、美鈴は手で猫耳を象って同族アピールをし始めた。

「にゃーん、でござる! 猫殿、拙者は貴殿を助けに参った猫娘でござるよ! ささ、こちらに来るでござる! にゃーん、でござる!」

 阿久斗は心の底から感心した。

「ふむぅ、美鈴も考えたな。同じ猫だと思わせて、警戒心を解かせる作戦か」

「てめぇら、馬鹿だろ」

「ふむぅ?」

 戸崎に馬鹿呼ばわりされるときは、大抵阿久斗の見識が間違っている。

 心の中では、美鈴の作戦に賛美の言葉を贈りたかったが、阿久斗は大人しく彼女の行動を見守ることにした。

『ふかーっ!!!』

 美鈴は猫の手で手招きするが、子猫の威嚇は更に強くなる。

「にゃにゃ!? 猫殿! 落ち着かれるでござる! あぁ、下がってはダメでござる!」

 子猫が後ずさり、追うために美鈴が前に出る。結果的に、それは悪手となった。

 枝がしなり、足を震わせていた子猫は後ろ足を滑らせた。前足で爪を引っかけようにも踏ん張りが効かずに、小さな体は宙に放り出された。

 幾重の悲鳴。

 そこからの美鈴に、躊躇う素振りは一切なかった。

 枝を掴み、コウモリの姿勢を取って逆さまになる。タイトロープである枝から自ら手を離し、子猫に飛びつくために枝を蹴った。

 着地など一切考えていない。

 だが、その結果として自由落下する子猫に手が届いた。

 子猫を包むように抱え、体をひねる。背中から落ちようと考えているのだろう。が、間に合わない。

 傍観を決め込んでいた阿久斗だったが、とっさに一つの決断をする。

 右手を翳し、『能力』を行使。

 次の瞬間、地面に叩きつけられるはずだった美鈴の体は、不可視の水面に着水するように減速し、緩やかな速度で地面に落ちた。

 ――念動力サイコキネシス、代表的な超能力による成果だった。

 先ほどまで悲鳴で満たされていた空間が、一瞬にして静寂に押しつぶされる。まるで、ここが本当に海底に変わってしまったようだった。

 美鈴が助けた子猫が逃げ出すことで、静止した時間が動き出す。

 真空に空気が流れ込むように、様々な声が湧いた。

「馬鹿がっ! こんなところで『使う』やつがいるか!」

 ざわめきに紛れる程度の音量で、戸崎が阿久斗を罵倒する。

 戸崎の怒りは当然のものだった。

 人々が抱く超能力のイメージは、悪の超能力者アクダークと直結してしまう。

 阿久斗の正体を知っている戸崎が、怒るのも無理はない。

「すまない。アドリブはどうも苦手でな……。もっと自然にやればよかったな」

「そういうことを言いたいんじゃねぇよ! どう収拾つけるつもりだ!?」

「ふむぅ」

 奇々怪々な光景を目の当たりにして、教師でさえ美鈴に近づこうとしない。

 当の美鈴は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしつつも、まっすぐに阿久斗に目を向けている。そんな状態が数秒続いた後、彼女は立ち上がった。

「ふふふっ、成功でござるよ!!」

 奇怪な言葉と共に。

「美鈴忍法【ゼロ・グラビティ】! 拙者、幼少から麻を飛び越えておったゆえ、重力もそれとなく操れるようになったでござる!」

 二度目の静寂が訪れた。今度は困惑よりも、彼女に対する憐れみが強い。

「むむっ、皆の衆、信じてくれないのでござるか!? ならば、もう一度!」

「誰か、あの馬鹿を捕まえろー!」

 再び桜木によじ登ろうとする美鈴を、教師と生徒が止めに入る。

 彼女はあっさりと拘束され、教師たちに囲まれながら保健室へと運び込まれていく。

 阿久斗の脇を通り過ぎる間際、美鈴から意味ありげなウィンクを送られた。

「ふむぅ。戸崎、今のはどういうメッセージだと思う?」

 美鈴を見送りながら阿久斗は問う。

「てめぇはどうしようもねぇ大馬鹿野郎だっていう意味だよ」

「なるほど」

 戸崎の深いため息の意味も、阿久斗には分からなかった。

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