それぞれのはじまり

「この力さえあれば私は――全てを手にする事が出来る」

一人の青年が明りの暗室の中、モニターに映るデータを自らの腕に注射器を突き立てながら眺めていた。

 それは様々なFHセルの持つオーヴァードのデータ、その項目には"シスター"と呼ばれるものがあった。

 記録上では死亡したことになっているそれの足跡を彼は確かに見つけだした。

 「……これだけでは足りない」

 必要なデータを全て目に通せば、男は注射器を投げ捨てる、同時にモニターの明りが消え、部屋は闇に包まれた。後には廃墟となった研究所だけが残された。

 彼の名はエヴァン=ウィルセイジ。"支配者の眷属"《フィンガーオブロード》のコードネームを持つFHエージェントだった。



 


 季節は夏。気温は30度を超え、蒸し暑い中の蝉時雨がより一層暑さを感じさせるそんな、サービスエリアのベンチに樫吏一二三はいた。

 特徴的な銀髪はカチューシャ留められたオールバックに半そでのTシャツにジーパンに手首にブレスレットというどこにいる若者の姿だ。

 一二三は電話を片手に冷や汗を流しながら通話を続けていた。

 『そういうわけだ。"銀色の守護者"と合流して。そこらにいるフェイスロードの配下と思われる者の排除がそれが今回の仕事だ』

 「はい、とりあえずいつも通りがんばります」

 『他の支部に先を越されると吸血姫騒動の事を持ちだされんとも限らん。しっかり頼むぜ』

 それだけ伝えれば支部長からの連絡が切れた。緊張感から解放されては大きくため息をついてスマートフォンの画面を見る時刻は昼過ぎを示していた。

 「面倒くせえ……」

 うなだれるがどうしようもない。今、自分は夏休みであり、金欠であり、なによりもあの事件の渦中にいたのだ。

 ――ほっとくわけにもいかないんだよなー

 その辺り不器用と思いながら再びためいきをついた。

 ――横浜を騒がせた事件も収束した。

 一二三はいつも通り日常を取り戻していた。特にあれから大きな事件もなく時折オーヴァード犯罪者を叩きつぶすぐらいのもので苦労というほどのものはない。

 オーヴァード犯罪とは無関係な支部長の孫娘とのトラブルが頭を抱えるところではあるがそれは別の話だ。今、思うところはかつて横浜の街を駆けた仲間達の事だ。

 カリア、須賀井碌、心、クリス。どちらかといえばFH寄りの彼らだが、敵とはどうしても思えない彼らはどうしているのか。

 「樫吏。何ぼーっとしてるの?」

 不意に声をかけられればそこには一二三と同じ立場でUGNイリーガルとして協力する、浅見千恵の姿があった。

 いつものようにライダージャケットに身を包んだ姿だ。

 これはこれで趣があって良い、と一二三は思うがたまには他の恰好もみたいとも思うわけだ。女の子女の子している姿で恥ずかしがったり、そういうのを具体的には見たい。

 しかし、彼女にとっては「これが仕事着」と言い切られているため諦めている。

 「いや、皆、何してんのかなって」

 「須賀井さん達の事? それなら心配ないんじゃない? あんたよりはしっかりしてるし」

 「うっ……確かにそうだけどもさ」

 「とにかく、任務に集中して。今日の任務は下手をすればあの時以上のものかもしれないから」

 「そんなにやばいの? 俺今聞いたんだけど」

 「言ったら逃げだすとも限らないからね」

 「そりゃあ、まあ、ね」

 そんなつもりはないがそうとも言い切れずぎこちなく視線を逸らした。その様子に千恵はため息をついて。

 「とにかく、急ぐわよ」

 「待って待って、せめてどういうことになっているのか説明してよ!」

 「まあ……聞けば逃げられなくなるし。口は固いし、いざとなったら消して――」

 「あのー千恵ちゃん? その物騒な方向はなしでお願いします」

 思考する間があって千恵はまあ、いっかと割り切った。

 ――その割り切りは物騒な方向でもまあいっかというものでないことを願いたい。

 そんな胸中を知る由もなく千恵は話し始めた。

 「敵の事は聞いているわね? あの横浜を災厄に包んだフェイスロードの配下」

 「うん、それは聞いた。そいつが何をしようとしているのさ」

 「……ちょっと特別なレネゲイトビーイングに接触しようとしているのよ。詳細はあまり言えないけども……私にとって特別な人なの」

 「その千恵ちゃんの彼氏的な……いだっ?!」

 「殴るわよ?」

 「殴ってから言わないでよ!! えーっと、とにかくそのレネゲイトビーイングさんのところに行く前にどうにかしろってことだよね?」

 「そういうこと……まあ変に詮索されてもあれだし。話しておくわ、女の子に関しては口は固いでしょうし、ね」

 言って千恵は一二三の首根っこをつかんでバイクまで連れて行った。行く先には暗雲が見える。

 「雨降らないといいな」

 そんな事を思いながら一二三は引きずられながら呟いた。



 夏の昼過ぎ、北軽井沢、山中にあるリゾートマンション。そこにいる夏休みというシーズンにも関わらず利用されているのはゲストルームのみ。

 いつも通りの変わらない日常を暁充は過ごしていた。

 「天気大丈夫かな。買い物行こうと思ったんだけど」

 窓を見ながら嘆息し、部屋を見渡せば視界に入るのは二人の人物だ。

 一人は洗濯物を畳んでいる少女、シス。そして未だソファーで寝ている根津沼リンダだ。

 「先輩、いいかげん起きてくださいよ」

 「……それぐらいで起きれば苦労はないよ。暁」

 やれやれとシスは肩をすくめて立ち上がる。

 買い物前という事で白のシフォンワンピースにシュシュで髪を束ねた本人なりにおしゃれな姿だ。

 そしてそのおしゃれな姿でスリッパを手に取るとリンダの頭に勢いよく放る。

 すぱあん! と心地良い音が室内に響いた。

 むくりと、気だるげにリンダが身を起こすとシスは自らの腰に手を当てて誇らしげな表情を浮かべていた。

 「これぐらいはやらないと」

 「いや、シス。やりすぎ」

 最近、浅見に毒されてきたのだろうか。どんどん過激にならないだろうか、いやそれとも自分が甘やかしてきたせいだろうか、今後の教育方針についても誰かに相談した方がいいのかもしれないと不安が充の頭を過ぎった。

 リンダは頭を掻きながら部屋を出て行く、その表情は無理やり起こされたためか不機嫌だ。

 「あ、先輩どこへ?」

 「ゲーセン」

 さびれたリゾートマンションではあるが一応レトロな筺体の揃ったゲームコーナーがある、リンダが言っているゲーセンとはそこのことだ。いまいち、楽しみが分からないがリンダは割と気にいっているようだった。

 「……その、俺達買い物あるんで。留守お願いします」

 返事をせずリンダは部屋を出て行くが。充は大丈夫だろうと思う。リンダはいつもぶっきらぼうだがやることはやってくれる。

 「それじゃあ、行こうか。雨が降る前に」

 「そうだね、急がないと」

 レネゲイトウィルスを鎮静化させる力を持つシスを巡る戦いから半年が経った。

 公式の記録では暁達の存在は死んだものなり、このリゾートマンションに身をひそめる事になった。以来、大きな戦闘もなく穏やかな生活を過ごす事が出来ていた。

 時折、リンダとシスが喧嘩(といってもシスが一方的に怒るだけだが)することもあるが概ね穏やかだ。シスの成長も著しく人間の女の子らしくなってきていた。

 ――このままの生活が続くと思っていた。

 戦わず、何も起こらず、閉じた世界の中で静かに過ごす。

 そう、思おうとしていた。現実はそんな甘くはないということに目を逸らしていた。

 ゲストルームを出ると空気が違う事に暁は気付いた。同時に頭を刺すような感覚が走る。

 それはオーヴァードの誰もが持つワーディングと呼ばれるエフェクト。

 特殊な力場によってオーヴァードでない人間を無効化するものだ。

 シスもそれを探知して視線を送ってくる。それはどうするかのを判断を求めるものだ。

 「逃げるぞ」

 その声は壁から出てきたリンダの言葉だ。領域を操作する能力を持つオルクス、その力を使っての移動。この半年でリンダのオルクスの能力はリゾートマンション敷地内全てが領域にするまでに至っていた。

 尤も、任務のためというよりはもっぱら自分が怠惰に過ごすために結果的にそうなっただけだが。今はそれが意味を成す時だ。

 「こんなところかぎつけるやつだからな、まともじゃねえ」

 「そうですね……」

 轟音が響いた。次いで銃声、ここを守るエージェント達との交戦がはじまったということだ。

 シスを守るために配備されたエージェントは一般のそれを凌ぐ、並の相手であれば問題はない。

 だが、ここに至るまでに身を潜めたのか、無力化してここまで来たのであればそれは並の相手ではない。

 「急ぐぞ」

 リンダが手を合わせると壁から地下へと即席の道を作りだした。

 「とりあえず下までだ。浅見に連絡しとけ」

 「分かりました」

 明りもない道だが領域を支配するリンダはどこかにぶつかることなくリゾートマンションの敷地の外まで充達を導く、そこでリンダは舌を打った。

 雨の降る山中に一人の人影がある。それがワーディングを放っている、とすれば答えは一つだ。

 ――敵だ。

 「これは、これは実に運がいい……こうして目標が直に目の前に来てくれるとは」

 恍惚の表情を浮かべるのは銀髪碧眼の青年だ。

 その長身痩躯は黒衣に身を包み見える体の部分は影のように黒くなっている上に両腕が異様に長い。

 発せられる重圧は強敵のそれを感じさせた。

 「――私は"フィンガーオブロード"。シスター、お前を迎えに来た」

 その言葉にシスは一歩下がり、充が一歩前へと出て構えた。

 「……通してください。怪我じゃすみませんよ?」

 「邪魔をするのであれば消えてもらうぞ?」

 言葉で退く相手ではない。レネゲイトウィルスに侵され人間としてもどれなくなったジャームと呼ばれる存在はただただ己の欲望のために動く化物だ。

 止めるには力を行使するしかない。

 充は意を決して、リンダとシスへと視線を送った。

 ――一撃で突破する。

 シスの安全確保を最優先。ここで仕留められれば一番だが敵の戦力は未知数、数がいる以上長居は無用という判断だ。

 即座に充は前に出て、腕を振るうと掌から砂が発せられ、自らの身長を超える長弓を作り出す、モルフェウスの能力である物質を精製する能力だ。

そこに番えるのはエンジェルハイロゥの能力で作られた光の矢。

 リンダが領域を強化していたように充もまた、守るための力を得ていた。撃たれる前に撃つための速度と破壊力だ。

 さらにリンダが灰色の領域を展開することでより一層光の矢が大きく強い輝きを帯びる。

 充の"超浸蝕"を使えばさらに威力を高める事が出来るがそれは――

 ――環境を変えかねない。

 それだけの威力がある、故に今回は使わない。

 瞳は標的を捉え、両の足、背を以てその身を支え、流れるような動きを以て光の矢が放たれた。

 巨大な光の矢は、一直線に"フィンガーオブロード"へと至るその全身を包みこみ後には何も残らない。

 「急ごう!!」

 三人、駆けだしてその場から離脱しようと動く。

 いつ追撃が来るとも限らない。

 「そう、急ぐこともないだろう……だが、君らがそれを望むのであれば、止めざるを得ないな」

 不意の声に充たちは振り返ると少し離れた位置にフィンガーオブロードがいた、異様に長い腕が槍へと変わり充を貫かんとする。

 同時に充がリンダに突き飛ばされる、そうすることによってリンダが代わりに槍を肩で受け止めた。

 「リンダ!」

 シスがその力を行使する。オルクスとソラリスのクロスブリードを基本とした「古代種」、その力によってレネゲイトウィルスはその動きを抑制される。

 今はまだその力の一端しか引き出せないが並のオーヴァードであれば一時的にその力を弱める事が出来るというものだ。

 「止まって!!」

 シスの声と共に漆黒の領域が展開、そこから立体化した影、それは充を模したものだ。 それら三体が一斉に構え、矢を放ちそれは"フィンガーオブロード"へと突き刺さった。

 そして、リンダが槍に貫かれながらも自らの領域を展開、灰色の障壁を展開し、"フィンガーオブロード"の槍を折ると同時に閉じ込めた。

 肩を貸そうとするがリンダは構わず先へと動く、向かう先は"フィンガーオブロード"と逆方向。

 撤退という判断だ。

 充の一撃を受けた上にリンダの領域の探知にもかからずに反撃を加えた。

 危険な相手、そう判断しての動きだった。

 「一体何が起きているんだ……」

 充の困惑の声に答える声はない、だが代わりにと目の前の空間が歪む。そこから出てくるのは浅見と一二三だ。ディメンジョンゲートと呼ばれる空間を繋げるエフェクトを介してここまで来たようだ。

 「こっちだ!!」

 千恵に促されるがままに、充たちはその場から離脱した。

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