第十二章 三つの戦い  7月 3日  午後12時

「待てよ、デカブツ。レディを投げておいて、そのまま行くつもりか?」

 大原が大男に声をかけた。大男はゆっくりと振り向き、

「何だ、貴様? 邪魔すると、殺すぞ」

「どうかな、それは」

「何ィッ!」

 大男が大原に突進した。大原はそれを素早くかわして大男の後ろに回り込むと、タックルをした。

「うおわっ!」

 大男はそのまま前に倒れ、顔を地面で強打し、鼻血を滴らせた。

「貴様ァッ!」

 大男は鼻血を拭い、大原を睨んだ。大原はフッと笑って、

「かかって来い、デカブツ。レディを物扱いした罰は、そんなものじゃすまないぞ」

と挑発した。


 ソレイユの駆る四駆車は、あらゆる交通規制を無視し、対向車をスピンさせ、先行車に追突し、ガードレールに激突させた。本来なら、暗殺者はここまで目立っては命取りなのだが、彼の高過ぎるプライドが、今はその制御装置をオフにしていた。

「いた!」

 葵のバイクがソレイユに追いついた。彼女はまるで戦場のような道路の惨状に驚いていた。

「あいつ、絶対ぶちのめしてやる!」

 葵はウィリーをしたまま、ソレイユの四駆車を追いかけた。

「あのバイク、女ニンジャか?」

 ソレイユもルームミラーとサイドミラーで、葵の追跡を確認していた。

「邪魔はさせん!」

 ソレイユはアクセルを踏み込み、車線を変更しないで右折した。当然対向車は仰天し、歩道に乗り上げたり、中央分離帯に突っ込んだりした。

「あいつ、何故美咲達の行く先がわかるの?」

 葵はその時ふとそう思った。

( 誰かが教えているの? 一体誰が? 何のために? )

 葵は停止している車の間をすり抜けて、ソレイユを追跡した。


「銃で俺を殺せると思っているのか? 俺は悪魔と呼ばれた男だぜ。そんなものじゃ、俺は殺せねえよ」

 ジェフリーはシャーロットを指差して笑った。シャーロットは銃をホルスターに戻すと、

「そうだったわね。あんたは直接私のこの拳でぶちのめすわ!」

 ジェフリーに向かった。

「俺は強いぜ、シャーロット。覚悟しとけ!」

 ジェフリーは涎を垂らしながら叫んだ。シャーロットはそれには答えず、ジェフリーに右正拳を放った。

「おっと!」

 ジェフリーはそれを左手で受け、右手でシャーロットの右手首を持ち、合気道のように彼女を投げ飛ばした。

「ムッ!」

 シャーロットは空中で一回転して着地した。ジェフリーは蹴りを見舞った。しかしシャーロットはすでにそこにはいなかった。

「はァッ!」

 ジェフリーは空振りし、バランスを崩した。シャーロットはジェフリーの上にいた。

「何!?」

 シャーロットの渾身の踵落としが、ジェフリーの脳天に炸裂した。

「ぐはァッ!!」

 ジェフリーは血を吐きながらそのまま後ろに倒れた。シャーロットは着地し、ジェフリーを見下ろした。

「立ちな、ジェフリー。あんたをそれくらいで眠らせやしない」

「くそ……」

 ジェフリーは血の混じった唾を吐き出し、唇を舐め回して、

「お前もよく見ると、いい女だよなァ。やっぱり、殺す前に頂くか?」

 シャーロットに向かって来た。


 大原は思った以上に苦戦していた。大男はいくら殴っても蹴っても、倒れはするが、気を失ったり、動けなくなったりする様子がない。

「こいつ、化け物か……?」

 大原の額に汗が噴き出した。すると茜が、

「大原さん、選手交替よ。今度は私が戦う!」

「だめだ、茜ちゃん。君に勝てる相手じゃない」

 大原が言うと、茜はニコッとして、

「大丈夫よ。私、案外強いんだから」

「……」

 茜は大原をよけて、大男の前に立った。そして、

「さァ、もう一度私が相手よ。今度は容赦しないわ。男だからってね」

「何を言っているのかわかってるのか? お前は俺の半分くらいしか身体の大きさがないのだ。何をしても無駄! そっちの男の攻撃すら、俺には通用しなかったのだぞ」

 大男は高笑いした。茜も負けずに甲高い声で笑い、

「だから言ったでしょ、男だからって容赦しないって!」

 走り出した。大男は、

「バカめ! 今度は確実に地面に叩きつけてやる!」

 茜を捕まえようと両手を前に出した。しかし茜はそれよりも早く、大男の懐に飛び込んでいた。

「食らえっ!」

 茜の後ろ回し蹴りが、大男の股間に炸裂した。

「ぬぐおおおおおっ!」

 大男の顔中から、脂汗が流れ出た。大原は唖然としていた。

「次はここ!」

 茜は逆立ちをし、反動を利用して倒れかけた大男の顎を両足で蹴り上げた。

「ぐはァッ!」

 大男は口から涎と血の混じった物を吐きながら、仰向けに倒れた。

「まだまだ!」

 茜は飛び上がり、大男の鳩尾に両手で突きを入れた。

「ゲボォッ!」

 今度は大男は、胃液を吐き出した。そしてついに白目を剥き、失神した。

「すごいな、茜ちゃん。僕の方が守られちゃったね」

 大原が感心して言うと、茜は真っ赤になって、

「や、やだ、大原さんがいること忘れて、私ったら……」

 もじもじした。大原はニッコリして、

「それにしても、茜ちゃんの急所蹴りはすごかったなァ」

 茜は爆発しそうなくらい赤くなり、

「やだァッ!」

 大原の背中を叩いた。大原は危うくダウンしかけた。するとそこへ、猛スピードで走って来るソレイユの四駆車が現れた。

「危ない!」

 大原はギリギリのところで茜を庇いながら、ソレイユの四駆車をかわした。

「今のは……?」

 大原は茜と顔を見合わせた。茜はハッとして、

「ソレイユです! ファラ王女を追っているんです。追わないと!」

 走り出した。大原もすぐに茜を追った。


「茜、大原君、どいて!」

 葵が大声で叫びながらバイクで二人を追い越した。

「所長!」

「水無月さん!」

 ソレイユの車は、葵の事務所のあるグランドビルワンの地下駐車場に入って行った。葵のバイクがそれを追いかけた。


 シャーロットとジェフリーの戦いは、壮絶だった。シャーロットはタンクトップのあちこちを引き千切られ、身体中傷だらけだ。対するジェフリーも、タンクトップはすでにボロボロになって上半身はほとんど裸同然、ジーパンもあちこち破れて血がにじんでいた。

「おい、もうそろそろ降参しろよ、ホームズ。それ以上ブサンクになっちまったら、さすがの俺でもその気になれないぜ」

 ジェフリーが言った。シャーロットは血の混じった額の汗を右手の甲で拭い、

「あんたこそもう倒れなさいよ。ただでさえブサイクな顔が、もっとブサイクになってるわよ」

と言い返した。

「ムッ?」

 ジェフリーは自分に向かって来る車に気づいた。シャーロットもそれに気づいた。

「何だ?」

 ジェフリーは慌ててその車をかわした。シャーロットは葵のバイクをスッとかわした。

「葵!」

「シャーロット、話は後で!」

 葵はそのままソレイユを追いかけた。ソレイユは車を乗り捨てると、非常階段を昇り始めた。

「待て!」

 葵もバイクを乗り捨て、非常階段を駆け上がった。

「油断大敵だぜ、ホームズ!」

 シャーロットがほんの一瞬、葵に気を取られたのを見逃さず、ジェフリーはシャーロットに飛びかかった。

「キャッ!」

 シャーロットはそのまま地面に倒れた。ジェフリーの右手がシャーロットの喉にかかった。

「くっ!」

 シャーロットは抵抗しようとしたが、ジェフリーは両膝で彼女の両腕を押さえつけ、身動き取れない状態にしていた。

「このまま、天国に行きな、ホームズ」

 ジェフリーの両手がシャーロットの首にかかった。ググッとその指に力が入って行く。

「ううっ!」

 シャーロットは頭を動かして何とか抜け出そうとしたが、ジェフリーの両膝が彼女の腕と腰をしっかりと押さえ込んでおり、全く抜け出すことができない。

「ほらよ。だんだん気持ちよくなって来るぜ。それが死ぬ寸前の快感て奴だ。どうだ、意識が朦朧として来ただろう?」

「……」

 シャーロットはすでにジェフリーの言葉も聞こえなくなっていた。ジェフリーはニヤリとして、

「死ぬ寸前に、もっと気持ち良くしてやるよ、ホームズ」

 もう抵抗する力もないシャーロットから離れ、ファスナーを下ろし、ジーパンを脱ぎ始めた。シャーロットは、ジェフリーがこれから何をしようとしているのかくらいは認識できたが、身体を動かすことができなかった。

「さァ、ホームズ、最高に気持ち良くしてやるぜ!」

 ジェフリーがシャーロットにのしかかろうとした時だった。

「うげっ!」

 ジェフリーは後頭部を殴られ、そのまま仰向けに倒れた。下半身丸出しの彼は、何ともみっともない格好だった。

「うん?」

 シャーロットは朦朧とする意識の中で、目の前に立っている人物に焦点を合わせた。それは、茜だった。

「大丈夫、デカ乳女さん?」

「あっ……」

 シャーロットは頭を振りながら、ゆっくりと起き上がった。茜はそれをジッと見つめて、

「何か言い忘れてるんじゃないのォ?」

 シャーロットはカチンと来たが、

「あ、ありがとう、発育不良さん」

「それって、全然お礼に聞こえないんだけどなァ」

 茜は悪乗りしていた。シャーロットは作り笑いをして、

「ありがとう、茜さん。助かったわ」

「そうそう」

 シャーロットは茜に見えないようにベーッと舌を出した。茜は、

「あっ、そうだ、こんなことしてる場合じゃなかった! ソレイユを追わなくちゃ!」

 駆け出した。シャーロットはビクッとして、

「ソレイユですって!?」

 茜を見たが、

「う、うーん……」

 目を覚ましかけたジェフリーに気づき、

「まだ寝てろ!」

 顔面に蹴りを入れた。ジェフリーはまた気絶した。

「取り敢えず、貴女の仇は討てたわよ、ジェニー」

 シャーロットはそう呟いて涙を拭った。そして、

「葵達なら、ソレイユでも勝てるか」

 葵達が走り去った方を見た。


 事務所の中では、美咲がファラを周囲が全て壁のロッカールームに隠れさせ、ドアの近くに忍び装束に着替えて立った。

「来た!」

 美咲は半歩退き、ソレイユが入って来るのを待ち構えた。次の瞬間、ドスンとドアに何かが当たる音がした。

「えっ?」

 美咲は携帯が鳴ったのに驚いて、出た。

「所長……。えっ、ニトログリセリン?」

 美咲は咄嗟にドアから離れた。今度は轟音と共にドアがバラバラに砕け散り、煙が事務所に立ち込めた。

「ファラはどこにいる?」

 ソレイユが煙の中から現れた。美咲は身構えて、

「そんなこと、教えられる訳ないでしょう!」

「ならば、この中をくまなく探すまでだ」

 ソレイユは美咲に近づいた。美咲はソレイユを誘導しようと、わざとロッカールームから離れ、給湯室へと下がった。ソレイユは美咲の行動を不審に思ったのか、

「俺をおびき寄せているのか? 何を企んでいる?」

 美咲はビクッとしたが、

「王女に手は出させないわ。今、所長と、もう一人の仲間が来たから」

 ソレイユは入り口に目を転じた。そこには葵と茜が立っていた。

「マンションだけじゃなく、事務所までこんなにしてくれて! もう、絶対許さないわよ、ソレイユ!」

 葵が指差すと、ソレイユはせせら笑って、

「許さない? どうするというのだ?」

「ぶっ飛ばす!」

 葵は言うと、風のような速さでソレイユに向かった。

「うっ!」

 ソレイユは葵の速さが予測を超えていたので、彼女の右正拳をまともに顔面に喰らい、仰向けに倒れた。

「くっ!」

 ソレイユは鼻血を滴らせて葵を睨んだ。葵はズンと右足を踏み出し、

「こんなもんじゃ、まだ脇腹への蹴りの分にもならないわ! あと九十九発はぶん殴る!」

 拳を前に突き出した。

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