第十一章 王女脱出 7月 3日 午前11時
ソレイユはジリジリと間合いをつめて来る。
「美咲、王女を守って! こいつは私一人で食い止める!」
「はい!」
美咲はダッと寝室へ走った。ソレイユはけたたましく笑い、
「そうか、ファラはそこか!」
美咲を追おうとした。すると葵がソレイユの前に立ちはだかった。
「あんたはここで私の相手をするのよ!」
「私は金にならん戦いはしない!」
「あんたがしたくなくても、私がしたいのよ!」
「ムッ……」
ソレイユは葵のすさまじい気に気づき、後ろへ飛び退いた。葵はスーツをバッと脱ぎ捨て、忍び装束になった。とは言え、時代がかった物ではない。ハイテク満載のバトルスーツである。
「ほォ。面白い。私を止められるものなら、止めてみよ!」
ソレイユの動きが急に速くなった。
「何!?」
葵はソレイユの突きをかわした。ソレイユはしかし、続けて後ろ回し蹴りを放った。それも葵はかわした。ところがすぐにソレイユの次の突きが葵の顔面に向かって来た。
「くっ!」
葵はその突きを蹴り上げ、後ろへと飛んだ。
( 何、今の連続技は? )
「さすがだ、女ニンジャ。今の私の攻撃を全てかわしたのは、お前が初めてだ。後は皆、後ろ回し蹴りで首が飛んでいる」
ソレイユは愉快そうに言った。葵も作り笑いをして、
「へェ、それじゃあ私は運がいいのね、かなり」
そう言いながらも、葵は時間を稼ごうとしていた。
( 早く、寝室の奥の隠し部屋から王女を逃がしてよ、美咲、茜! )
「何を企んでいる? 時間を稼ごうとしているのか?」
「……」
葵の額に汗がにじむ。ソレイユは満足そうに笑って、
「通らせてもらおう!」
突進して来た。葵は身構えてソレイユを止めようとした。
「えっ?」
ソレイユはサッと身を屈めると、葵の脚の間をすり抜け、寝室へと駆け込んだ。
「こら、レディーの股下通るな!」
葵はソレイユを追った。
( もう脱出しているわよね? )
彼女も寝室に飛び込んだ。案の定、中にはソレイユしかいなかった。
「ファラをどこに隠した!?」
ソレイユがすさまじい形相で叫んだ。葵はホッとして、
「教えられる訳ないでしょ」
と壁のボタンを押した。すると部屋全体が巨大な檻となり、ソレイユを閉じ込めた。
「何だと!?」
ソレイユは仰天していた。一本の太さが五センチほどもある鉄格子が何十本と降りて来たのだ。ソレイユにも脱出はできない。しかも、床と天井も鉄板入りで、破ることは不可能。葵はわざとソレイユを寝室に入らせたのだ。
「見事に引っ掛かってくれたわね。王女はもうとっくに脱出して、このマンションにはいないわ。あんたはここで、警察が来るまでおとなしくしてなさい」
葵は携帯を取り出した。
「まさしくニンジャ屋敷だったというわけか。しかし、この程度でこの私を捕えたと思うなよ」
ソレイユが言うと、葵は携帯をしまって、
「何強がり言ってるのよ。無理よ。鉄格子を曲げることも、鉄板を破ることもね」
「それはどうかな」
「何よ、どうするつもり?」
ソレイユはフッと笑い、スーツの内ポケットから小ビンを取り出した。そして、
「こうするのさ!」
と床に放り投げた。小ビンが床に落ちて割れた途端、凄まじい爆発が起こった。
「ニ、ニトログリセリン?」
葵が仰天する番だった。床には大きな穴が開いていた。ソレイユは葵に手を振り、
「また会おう、女ニンジャ」
そう言い残すと、穴の中に飛び込んだ。
「しまった!」
葵はすぐさま鉄格子を上げ、ソレイユを追って穴に飛び込んだ。
一方美咲と茜は、ファラを連れてマンションの地下駐車場から葵の車で走り出していた。見た目はごく普通のミニバンだが、やはりこれもハイテク満載の忍び仕様だ。スピードなら、250km/hは出る。
「しまった!」
美咲は通りに出ようとして叫んだ。大渋滞していたのだ。彼女はカーナビを作動させ、すいている道を検索すると、ミニバンを急速後退させて、Uターンし、反対側の出口に向かった。地下の駐車場内に、タイヤが軋む音が鳴り響いた。
「美咲さん、もっと安全運転して!」
茜は王女をかばいながら叫んだ。しかし美咲は真顔で、
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
と言い返した。
その頃、ソレイユは一つ下の部屋に降り立っていた。そこは空き部屋になっており、人のいる気配はなかった。
( 何だ、ここは? )
しかし彼は、その部屋の不自然さに気づいていた。そこへ葵が降りて来た。
「脱出したつもりでしょうけど、まだよ。このマンションそのものが、あんたの言う忍者屋敷なんだから」
「なるほど」
ソレイユは葵を見た。何故か葵が斜めに見える。実はソレイユが立っている床が傾いているのだが、部屋全体が黒いので、それがわからない。その上、葵が何人も現れた。
「何? バカな!?」
葵はソレイユの前後左右上下、あらゆるところに立っていた。
「ニンジャめ! 目くらましを!」
ソレイユは周りにいる葵を振り払おうと動き回った。しかし、「葵達」は、スッととそれをかわし、逆に蹴りや拳でソレイユに反撃して来た。
「うおっ!」
ソレイユは獣のような雄叫びを上げ、元来た穴へと飛び上がった。
「あっ!」
葵は虚を突かれた感じになった。
( 鉄格子は上げてしまったんだ。まさか戻るとは……)
葵は他の「葵達」( 実は一族の者の変装 )に目配せし、ソレイユを追った。
美咲の載るミニバンは、ようやく大通りに出て、葵の事務所に向かっていた。
「何あれ?」
大通りから一本入った脇道の先に、一人の男が立っているのを茜が見つけ、呟いた。見た目でわかるが、2m以上ある黒人の男だった。
「味方には見えないわね」
美咲が言った。茜は頷いて、
「美咲さん、私が引き受けます。王女を頼みますね」
「ええ」
茜は制服を脱ぐと、忍び装束になり、びっくりしているファラを尻目に、
「では王女、ご無事で」
「は、はい」
茜はサンルーフから飛び出し、大男の前に降り立った。ミニバンはその手前を右折した。
「何の御用なの?」
茜は大男にニッコリ笑って尋ねた。大男は全く無表情のままで、
「お前のような子供に用はない。俺が用があるのは、ファラ王女だ」
と茜を無視して、その巨体に似合わない速さで、ミニバンを追いかけ始めた。茜はムッとして、
「子供ってどういう意味よ!? 待ちなさいよ!」
大男を追いかけた。
葵が寝室に戻ると、ソレイユの姿はすでになかった。
「ちっ!」
葵は舌打ちをし、寝室を飛び出した。その瞬間、ソレイユの蹴りが葵の脇腹に決まった。
「ぐっ!」
葵はそのままリヴィングルームまで飛ばされ、転げた。ソレイユはそれを満足そうに見てからスーツの襟を正し、
「そこで寝ていろ。貴様には後でタップリと礼をしてやる!」
そう言い捨て、玄関から飛び出して行ってしまった。葵は脇腹を押さえて立ち上がり、
「この装束を着ていなければ、完全に気を失っていた……。しくじったわ……」
と呟いた。
ソレイユは外廊下に出ると、何人もの葵が待っているのに気づき、苛立ちを募らせた。
「ええい、まだその目くらましを使う気か?」
ソレイユはそう言うと、バッと地上へ飛び降りた。葵達は驚いて下を見た。ソレイユはスーツを羽のように広げて、空中を飛び、地上に降りた。
「車を借りるぞ」
ソレイユはそばに停車していた若い男女の乗る四輪駆動車を奪い取り、美咲達を追い始めた。しかし、彼は美咲達がどこに向かっているのか、知っているのだろうか?
「遅かったか!」
葵も地上に飛び降りたが、ソレイユの四駆車は走り去った後だった。
「お嬢様!」
一人の葵の影がモトクロス用のバイクを乗り付けた。葵はヘルメットを受け取り、バイクに跨がった。
「逃がしゃしないわよ、ソレイユ! この脇腹の痛み、何倍にもして返してあげるわ!」
葵のバイクは凄まじい加速でソレイユを追いかけた。
美咲の運転するミニバンは、もう少しで葵の事務所というところまで来ていた。
「ビルが見えた!」
美咲が呟いた時、ドスンとミニバンのルーフに何かが落ちて来た。
「えっ?」
美咲はサンルーフ越しに上を見た。するとそこには、背中まで伸ばした金髪を振り乱し、大きく開いた口からダラダラと涎をたらした、目が完全にイッてしまっている、白人の男がいた。上はタンクトップ、下は薄汚れたジーパン。美咲はすぐさまハンドルを切って、男を振り落としにかかった。
「ケーケッケ!」
男は奇声を上げ、ルーフにしがみつき、振り落とされないようにへばりついた。
「きゃっ!」
ファラが後部座席で転げ回る。美咲は前を見たまま、
「王女様、少しの間、我慢して下さい!」
蛇行運転を続けた。周囲の車は美咲の車をかわして停止したり、歩道に逃げ込んだりしていた。
「じゃあ、これならどう?」
美咲が右手奥にあるレバーを引くと、サンルーフが跳ね上がり、白人の男は後ろに飛ばされ、転げ落ちた。
「よし!」
美咲はそれを見届けると、事務所のあるビルの地下へとミニバンを進ませた。
「ケーケッケッ!」
白人の男は、美咲達を走って追いかけ始めた。
「待ちなさい!」
茜はバッと飛び上がると、スライディングで大男の脚を払った。
「ぬおっ!」
大男はバランスを失って、仰向けに転んだ。茜はすかさず大男の首に肘鉄を叩き込んだ。
「決まった!」
茜が喜んでいると、大男の右手が彼女をつまみ上げた。
「ええっ?」
茜は手を振り払おうとしたが、どうにもならない。
「どけ、邪魔だ!」
茜はブワンと振り回されると、上空へ投げられた。大男はそのままそこから歩き去った。
「ああっ!」
茜はアスファルトの地面に叩き付けられる直前に、誰かの手で受け止められた。
「大丈夫か、茜ちゃん?」
「あっ!」
それは大原だった。彼はスーツ姿ではなく、上下スポーツウェアだった。茜は赤くなって、
「あ、ありがとう、大原さん」
「間に合って良かったよ。篠原さんからの連絡で、君達をサポートしてくれって言われてね」
大原は茜を地面に立たせて答えた。そして、
「取り敢えず、君を猫扱いしたあの
「気をつけて、大原さん! あいつ、普通の人間じゃないわ!」
茜が叫んだ。しかし大原はニッコリして、
「大丈夫。茜ちゃんが見ていてくれれば、格闘技の世界チャンプにだって負けないよ」
茜はその言葉にちょっとだけ引いてしまった。
白人男が地下の駐車場に飛び込むと、男の鼻先を銃弾が掠めた。
「こ、この銃声は……?」
白人男の額に汗が伝わった。
「覚えていたようね。案外記憶力いいんじゃないの、ジェフリー・ジョーンズ?」
銃を構えて現れたのは、シャーロットだった。いつもの彼女と違い、とても真剣な表情である。
「やっぱりあんたか、シャーロット・ホームズ。今のはW&SのオートマチックマークⅠだな。口径が世界で一番大きい銃の音は、一度聞いたら忘れられないぜ」
シャーロットはフッと笑って、
「あんたは必ず来ると思っていたわ。イスバハンの王女を殺れば百万ドルなんていうおいしい仕事を、金に汚いあんたが見逃すはずはないと思って、待ったかいがあったわ」
ジェフリーもニヤリとして、
「そうか。あんた、まだあの事件のこと、恨んでいるのか。確かあんたの同僚だったよな、俺が頂いて、殺して、また頂いたのはよ」
「忘れようと思っても、忘れられないわよ。私のミスで、同僚のジェニーがあんたに捕まって……。殺されただけじゃなくて、暴行までされて!」
シャーロットの目に、涙が浮かんでいた。ジェフリーはそれを見てせせら笑い、
「へっへっへ、そんな感傷的なことでデカが勤まるとは、ヤードも先が見えたな。結局あの事件は証拠不十分で俺は不起訴だったんだ。もう終わってるんだよ、法的にな」
「法律がなんだろうが、そんなことは関係ないわ。私には私のけじめがある!」
シャーロットはマークⅠの銃口をジェフリーに向けた。
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