第十章 殺し屋ソレイユ  7月 3日 午前10時

 ファラは話を続けた。

「ソレイユは、私達王族が存在しない殺し屋を利用してフランス軍を撤退させた時、我が国を助けてくれたフランスの外人部隊の一人で、セシオとも面識がある男です。彼はその後、自分が活躍したはずなのに、ファヴールなどという存在しない者のおかげとした王家の人間を憎むようになりました。そして、王族を狙うようになったのです」

「それではソレイユは私怨で殺しをしているということですか?」

 葵が尋ねた。ファラは小さく頷き、

「そうです。ソレイユは他の殺し屋達と違って、私を全く怨みを晴らすためだけに狙っているのです」

「では何故浴室で貴女が他の殺し屋に襲われた時、他の殺し屋を殺して貴女を助けたのですか?」

 葵はさらに質問した。コーヒーを入れて戻って来た茜も、話に聞き入っていた。

「ソレイユは他の殺し屋に私を殺させたくないらしいのです」

「他の殺し屋を始末した後、貴女を殺せたのではないのですか?」

「その時貴女が入って来たのでしょう。貴女が入って来るのがもう少し遅ければ、私も殺されていたかも知れません」

ファラは蒼ざめた顔で言った。葵は頷いて、

「わかりました。ソレイユに対して、私達は徹底警戒します。それで王女?」

「はい?」

「セシオさんがソレイユと面識があるのですよね?」

「はい」

「では、セシオさんに協力してもらって、ソレイユの顔を再現してみましょう」

「ええ、そうですね」

 ファラはあまり乗り気ではないようだ。葵は不審に思い、

「どうしたんですか? 何か不都合なことでも?」

「いえ……。ソレイユは顔を変えているらしいのです。しかも、変装の名人らしくて、今どんな顔なのか、まずわからないのではないかと……」

「……」

 葵は茜と顔を見合わせた。


 大原は公安調査庁で予想通り門前払いを食い、警察庁へ戻り始めていた。

( 思った通り、中にも入れてくれなかったな。連中、ますます水無月さん達への監視を強くするだろう……)

 大原は法務省の建物を見上げた。

「やはり、内閣官房が動いているようだ。水無月さんに伝えないと」

 彼は携帯を取り出し、葵に連絡した。


 美咲は葵のマンションに戻り、神戸から聞いたことを全て葵に話した。葵もファラから得た情報を美咲に話した。互いに相手の話は衝撃的だった。その時、葵の携帯が鳴った。

「大原君からだわ」

 葵が携帯に出る。何故か茜はムッとして聞き耳を立てた。どうして私のところにかけて来ないのよ、と言いたそうである。

「そう。やっぱりね。ありがとう。また何かわかったら連絡ちょうだい」

 葵は携帯を切った。茜はジトーッと葵を見ている。葵はそんな茜の視線に気づかず、

「今の話、王女には内緒ね。動揺するでしょうから」

 美咲に耳打ちした。美咲は黙って頷いた。そこへファラがバスルームから戻って来た。

「日本は水がいくらでも使えて、羨ましいです。我が国は水源が乏しく、水はとても貴重なのです」

「そうなんですか」

 いつもまさしく「湯水のごとく」シャワーを浴びまくっている葵と茜は、耳が痛かった。

「王女様、ソレイユについてなのですが、他に何かご存じのことはありますか?」

 葵はファラを見て尋ねた。ファラは濡れた髪をタオルでまとめてから、

「いえ。ただ、ソレイユはプロ中のプロです。割に合わない仕事は決してしません。今回もし動いているのだとしたら、百万ドルが目当てでしょう。もちろん、イスバハン王家に復讐することも考えているでしょうが」

「なるほど」

 葵は美咲を見た。そして、

「外務省との連絡はそのまま続けて。無理が出て来たら連絡して。私が何とかする」

「はい」

「茜」

 葵は茜に目を向けた。茜はピクンとして、

「はい!」

「大原君からの情報も貴重だわ。随時連絡を取って」

「はい!」

 茜は嬉しそうに答えた。葵はそんな茜の様子を不思議に思ったが、

「王女様、セシオさんに連絡取れますか?」

「はい、とれます」

「ではこちらに来るように伝えていただけますか?」

「わかりました」

 ファラは大きく頷いた。その時また、葵の携帯が鳴った。

「はい」

 葵は妙に不機嫌そうに応えた。相手はどうやら篠原らしい。

「わかったわ。待ってて、すぐ行くから」

 葵は携帯をスーツの内ポケットに入れると、

「ちょっと出かけて来ます」

とファラに告げた。

「はい。いってらっしゃい」

 葵は美咲と茜を見て、

「王女様をお願いね」

「はい、所長」

 葵はスッと玄関に向かい、外へと出て行った。

「デートですか?」

 茜が美咲に尋ねた。美咲は、

「違うわよ。篠原さん、何か情報を得たのよ」

「じゃ、どうしてここに来ないんですか?」

「来られない訳があるんでしょ」

「フーン……」

 ファラは、美咲と茜のやり取りをびっくりしたような表情で見ていた。


 葵のマンションの前の大通りの反対側にある、別のマンションの屋上に、殺し屋達が何人も集まっていた。どこで情報を入手したのか、葵のマンションの場所を突き止め、ファラ暗殺を決行するために集合したのだ。

「いいな。怨みっこなしだ。王女を仕留めた奴が、取り分を一番多くする。いいな?」

「了解だ」

 殺し屋達はニヤリと笑い、葵のマンションを見下ろした。すると、

「お前らが賞金の分け前の心配をする必要はない」

とどこかから声がした。殺し屋達はムッとして、辺りを見回した。

「何だと? どこのどいつだ、つまらねえこと言いやがるのは?」

 一人が怒鳴った。すると、屋上の出入り口の上にある給水タンクの後ろから、黒スーツに黒い仮面を着けた金髪の男が現れた。

「誰だ、てめえは?」

 もう一人が言った。その金髪の男は、サッと飛び降りて来て、

「我が名はソレイユ。賞金は俺のものだ」

「ソ、ソレイユ?」

 殺し屋達は皆動揺した。誰も彼も、その世界で彼の名を知らない者はない。

「慌てるな。いくらソレイユが強くても、この人数相手に勝てる訳がねえ。やっちまうんだ!」

「おーっ!」

 殺し屋達は一斉にソレイユに向かった。

「愚かな……」

 ソレイユは素早い身のこなしで、二十人ほどいた殺し屋達を全員、ほんの数十秒で皆殺してしまった。

「貴様らはもとより眼中にない。俺の目的は、あの日本の女ニンジャ。俺の気配をドア越しに感じ取り、他の連中と戦いながらも、俺に常に注意を払い続けた、あの女だ」

 そう、ホテルで葵がドア越しに感じた殺し屋は、ソレイユだったのだ。

「百万ドルとファラの命は俺が頂く。そして、あの女ニンジャも……」

 ソレイユはスッと姿を消してしまった。


 その頃葵は、近くの公園のベンチで篠原と並んで座っていた。

「あんたにまで圧力かけて来るとは、やっぱり黒幕は内閣官房ね。大原君もそう言ってたし」

「ああ、他に考えられない。神戸にもそのうち、圧力がかけられるだろう。美咲ちゃんにも気をつけさせろよ」

 篠原が言うと、葵は、

「言われるまでもないわ。こうなったら、あの人に動いてもらうしかないわね」

「ジイさんか。ま、政治家が黒幕なら、それでOKだな」

 篠原は葵の肩を抱いた。

「ちょっと、何するのよ!?」

「恋人同士がイチャイチャするのは、当たり前だろ?」

「もう!」

 葵はムッとして篠原を睨んだ。すると篠原は、

「俺はマークされている。尾行もされてる。このままにしていろ」

 耳元で囁いた。葵がハッとして辺りに気を配っていると、篠原はさらに身体を密着して来た。

「ホントに尾行されてるの?」

 葵は篠原から離れた。篠原は苦笑いをして、

「ホントさ」

「私はあんたの恋人じゃないのよ。勘違いしないで」

「そんな冷たいこと言うなよ、葵」

 葵は篠原に小声で、

「反対側のベンチと、あの大きな木のそばにいるカップルらしき男女が、尾行ね?」

「ご名答。連中、尾行はプロでも、この公園の常識は知らないらしい。あんな不自然なカップルはいないぜ」

「そうね」

 葵が言うと、篠原は、

「俺達も自然なカップルになろうか?」

 顔を近づけて来た。葵は両手で篠原の顔を押し止めて、

「調子に乗らないで! そういうのを職権乱用って言うのよ!」

「ハハハ」

 しかし、そんなやり取りは、返って恋人同士の痴話喧嘩に見えなくもなかった。二人は葵がどう思おうと、息の合ったコンビなのだ。

「つれないなァ、葵ちゃん」

 篠原が言うと、葵は立ち上がって、

「私、戻るわね」

 言い終わるかどうかというタイミングで、篠原の唇に軽い、触れる程度のキスをした。篠原は意表を突かれて、呆然として葵を見上げた。

「これから頑張ってもらうための、前金よ」

 葵は照れ臭そうに笑い、歩き去った。篠原は、唇に指を当て、信じられないような目で葵を見送った。

「自分からする時は何ともなかったけど、不意にあいつからされると、こんな子供みたいなキスでもドキドキするんだな」

 篠原は苦笑いした。そして、

( 尾行の連中、いなくなったか。葵をマークしているのか? )

 辺りを見渡してからベンチから立ち上がり、葵と反対方向に歩き出した。

「あのオジさんに聞いてみるとするか」

 篠原は呟いた。


 美咲と茜は、ファラと一緒にリヴィングルームで葵の帰りを待っていた。

「所長、遅いですね」

 茜が言った。美咲は茜を見て、

「そうね。どうしたのかしらね?」

「ホテル、行っちゃったんですかね?」

 茜がアッケラカンとした顔でもう一度尋ねる。すると美咲は自分のことではないのに真っ赤になり、

「茜ちゃん、バカなこと言わないで!」

「ハハハ、どうして美咲さんが赤くなってるんですか? 何か想像しちゃいました?」

 茜が美咲を指差して笑った時、ドアフォンが鳴った。

「えっ?」

 二人は顔を見合わせた。葵が戻ったのなら、鍵を開けて入って来るはず。来客の予定はない。セシオはさっきファラの携帯に連絡があり、あと30分で到着する予定だ。

「招かれざる客ですかね?」

「そうかもね」

 茜は王女を寝室に誘導し、美咲は身構えてドアに近づいた。再びドアフォンが鳴った。

「……」

 美咲はドアの向こうの気配を探った。しかし人の存在を感じることができない。

( 何? どういうこと? そこにいないの? )


 葵は茜から何者かがマンションのドアの前にいることをメールで知らされていた。

( 一体何者が? )

 葵は全速力で走った。まさしく忍びの走りだった。風の葵。それは彼女の速さを表す名である。

 葵はマンションの前に辿り着くと、エントランスを使わず、壁を素早くよじ登った。

( ? )

 葵は自分の部屋がある階の外廊下に着いたが、どこにも人影はない。しかも気配も感じられない。

( どこ? )

 美咲が葵の到着を感じ取って、ドアを開いた。

「どこにもいないわよ、美咲」

 葵はドアに近づいて美咲に言った。その時、二人は同時にハッとなった。

「窓へ?」

 二人は素早く部屋を駆け抜け、リヴィングルームに行った。そこには、窓ガラスの破片が散らばり、風が吹き込んでいた。そしてそこには、あのソレイユが立っていた。

「誰、あんた?」

 葵は無作法な侵入者に尋ねた。ソレイユはニヤリとして、

「やっと会えたな、女ニンジャ。我が名はソレイユ。世界最強の殺し屋だ」

「何ですって!?」

 葵と美咲は、異口同音に叫んだ。ソレイユは不敵な笑みを浮かべたまま、

「ファラ王女はどこだ? 百万ドルの賞金首はどこにいる?」

と尋ねた。

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