第11話 取引

 三学期が始まった初日、エリコが何枚か写真を持ってきた。

 知り合いの地元のフリーペーパーのカメラマンが清海神社の初詣の写真を撮りに来てて、ちょうど私たちがいたから何枚か撮ったんだって。それを4人分現像してくれて、

「特に写りがいいこの一枚を、フリーペーパーの一面に使わせてほしいって頼まれたんだけど、どうする?」って相談された。

 晴れ着で4人組だから、きっと目立ってたんだろうな。

「みんなの意見も聞かないといけないからって保留にしてあるんだけど、OKならすぐにでも印刷にかけるって。みんなの意見聞くっていうか、許可が貰いたいんだって。使われても大丈夫?」

 その一枚は、みんなでおみくじを覗きこんで、はしゃいで笑いあってる写真。カメラを意識してないからみんな自然体しぜんたいで、晴れやかな、いい顔してる。卒業したらもう一緒にいられなくなると思うと、ちょっと切なくなる。

「いいんじゃない?お化粧してるし、私たちだってわかんないでしょ。」

「そうだね。」

「ちょっとはずかしいけど、みんながそれでいいなら。」


 エリコが写真を持ってきた3日後に発行されたフリーペーパーで、私たちは一面を飾ることになった。

 ただ、次の号までの半月の間、この子達かわいいねと話題には上ったけど、意外にも、学校の子で私たちだと気付いた子はほとんどいなかった。それはそれでちょっと複雑。


 ちなみにその写真は、咲のおばあちゃんの美容院の中に、大きく引き伸ばしてパネルにして飾られることになった。おばあちゃんもうれしかったんだな。


 ◇ ◇ ◇


 こんな騒動があったけど、高校生活も残り僅か。本格的な受験シーズンにになったら授業はなくなるから、授業がある日はもう残り十日もない。卒業式までは、まだ二ヶ月くらいあるんだけどね。

 そんなある日の休み時間、小郡おごおりくんがやけに真剣そうな表情で、私に近づいてきた。

 気にしている人はいなさそうだ。

 小郡くんが夜伽巫女よとぎみこの男版だと私に暗に打ち明けた後も、私は小郡くんと殆ど話すことはなかったから、かなり意外。

「明日の放課後、ちょっと付き合ってくれないか?」

 小郡くんはそう一言私に伝えて、すぐに立ち去った。

 ちょっと付き合って、って何なのよ。


 何だろう? と考えごとを始めてしまう私。

 何の話だろう。

 夜伽巫女関係の話かな。

 むしろ、これくらいしか接点ないよね。

 小郡くん、明らかに私が夜伽巫女なのを知ってる。。

 いや、最初からずっと知っていたとしか思えないよね?

 何でずっと私に粘着するんだろう?

 それも、積極的に動かず、消極的に見てるだけ。


 知らないうちに考え込んだ顔をしてたのか、さきが声をかけてきた。

「ねえ、綾音あやね、最近ほんとに変だよ?

 授業中に上の空だったりするし、休み時間も考え事してることあるし。

 受験勉強で疲れてるにしては、ちょっと違うんだよね。

 他の子と何か雰囲気違うし。

 まさか、本当に告白されて、あの、…………されたの?

 それとも、振られてショックなの?

 もしかして、に、妊娠しちゃったとか?」

 小郡くんといえば、修学旅行から帰ってきた直後。ヒカル様にお嫁さんにしていただいて有頂天の私が、授業中にもかかわらずにやけてたところを先生から突っ込まれて、みんなにヤジ飛ばされたときだ。

 あの時も小郡くんが助けてくれたんだった。

「ホントに何でもないんだよ、ちょっと考え事してただけ。」

「そうなの? 悩み事あったら、ちゃんと言ってよ?

 できることなら力になるし、話聞くだけでも綾音の気持ちが軽くなるなら、いつでも話してね?

 3年間の付き合いだもん、エリコもチサも同じ気持ちだからね?

 私は受験無いからそっちの相談は無理だけど、心の支えにはなれると思うの。」

「うん、ありがと。でも、ホントに何もないんだよ、ちょっと進路のこと考えてただけ。

 私もみんなと会えてよかったよ。みんな大好きだからね。」

 3人と出会えたことは本当にうれしいし、きっと一生の友達になると思う。

 でも、これは私が自分で考えなきゃいけないことなんだ。

 他の人には明かせないような内容なんだから。

 そして、これ以上周囲の人に怪しまれないよう、ポーカーフェースを貫かないと。


 ◇ ◇ ◇


 家に帰った後、自室で悶々もんもんと考える。やっぱり、気になってしょうがない。

 今までも私に対し不思議な行動を繰り返してきた、小郡晴人はるとという男。

 私にいったい何の用なんだろう?

 ほとんど話してなかったのに、急に思いつめた、真剣な顔で話しかけてきたのが変だよね。

「ちょっと付き合ってくれないか?」

 って疑問形で言ってたけど、異論は認めないような、有無を言わさないような言い方。

 少なくても、どうでもいい話をしたいわけではないと思う。


「まあ、悪い話じゃないと思うぜ?」

 ヒカル様が話しかけてくる。

「考えてみろよ。彩佳あやかにとって都合が悪い話だったら、悪影響が最小限になるように俺が処理してると思わないか?」

 そうなんだよ。だから、余計、要件が気になるんだよね。

「そうだ。明日は勝負下着つけて学校行けよ。」

 はぁ? ヒカル様、いきなり何言ってるの? そんなこと、できるわけないでしょ?

「男と二人っきりで話すんだ。それくらいするのが礼儀ってもんだろ。」

 そうだ。頭からすっぽり抜け落ちてたけど、二人っきりで話をするために男の人に呼び出されたんだ。


 男の人と二人っきり。

 これって、もしかして、もしかして……!!


 でも、学校に勝負下着なんて、無理だよぅ!

「言うほど無茶な話じゃないぜ。

 色気がないから冬服は嫌いだが、冬服は厚着ができる、という特徴がある。明日は体育がないから着替える必要が無いし、ショーツが見えるのが嫌なら、透けない厚めのストッキングを履けばいい。なんなら、ストッキング二重に履いてもいいんだぜ?

 いずれにせよ、明日はスリリングな一日が楽しめていいじゃないか。

 悪いことにならないのは俺が保証するよ。」

 でも……。

「へぇー。彩佳のくせに俺に逆らおうっていうんだ。

 俺がせっかく彩佳のためにいろいろ頑張ってるのに、それを全部、台無しにするのかい?

 チャンスは明日しかない、というのに。」

 やばっ。ヒカル様が怒っちゃった。

「俺の努力が無駄になったら、繁華街で全裸外出夜伽にしようかな? 彩佳がどんなに泣いても許さないんだ。」

 わ、わかった。わかりました。明日は勝負下着を学校に履いていくことをお許し下さい。

「わかればいいんだ、彩佳。

 言い忘れてた、巫女セットじゃないほうにしてくれ。」

 もう、明日は何があるっていうのよ?


 ◇ ◇ ◇


「おやすみなさ―い!」

 忘れないように勝負下着を私の箪笥の下着入れの一番上においておく。

 学校に勝負下着とか、手遅れなくらい、いやらしい子になっちゃった気がする。

 このまま、どんどん変態になって、手遅れな子になっちゃうのかな、私。

 そういえば、今日は、勝負下着つけた夜伽なのかな?

 変に期待しながら布団に入る。


「お約束をやるのもいいけど、たまには意表をついたこともやらないとね。」

 私とヒカル様は、二人で無人の放課後の教室にいる。

「他に人はいないので安心して欲しい。」

 よかった。

 で? 今日は何やるの?

「彩佳が緊張で固まってるからな。少しリラックスしてもらおうと思って。」

 えー? ヒカル様が優しいよ! 絶対、何かおかしいよ!

「意外性があるのも、たまにはいいだろ?」

 よけい、緊張するじゃない。

 裏があるのかと思って。


「俺との夜伽だったら、無理やりディープキスして、心をいじって落ち着かせるということもできるんだがな。」

 そうだ。ヒカル様はこんな反則技が使えるんだ。

 私も最初にやられた。ヒカル様とディープキスして、唾を飲まされると、不思議と気持ちが落ち着いたり、変わったりする。

 私も酔っ払って暴れたヒカル様を正気に戻すときに使ったから、でたらめなことを言っているわけじゃないことを知っている。

「仮に、このキスが使えなかったらどうする?」


 うーん、どうしよう?

 よく聞くのは、話をちゃんと聞いてあげるとか。それか、

「落ち着いて?」

 とか、

「だいじょうぶだよ?」

 って言葉で言うのもありかと。他に何かあるかなあ?


 ヒカル様が黙る。

 そして、私を急襲する。

「ちょ!」

 何か言おうとしたら、ヒカル様に捕まっちゃった。

 すごい緊張する。


 そのまま、ヒカル様に抱きしめられた。

 ヒカル様というか、男の人の体の感覚ってよくわからないけど、硬めの枕というか、布団みたいかな? って勝手に考えてる。だから、今は硬めの枕に体を押し当ててる感じ。

 ヒカル様は私を強くだきしめたまま、優しく頭をなでてくれる。

 優しく、なでなで。なでなで。なでなで。


 なでなでが続くと、不思議な事に、抵抗しようという感じがなくなり、心が落ち着いてきた。

「自分が好意を持っている相手に包み込まれる感覚って、落ち着くでしょ? 時間をかけて、優しく。全てを受け入れるように、抱きしめて、頭をなでるんだ。時間をかけるのがポイントだ。急いで落ち着かせようとしてはだめだ。」

 なんか、ふんわりしてきた。

 ヒカル様が欲しくなってきちゃった。

 って、はしたない私。

「そんなに俺が欲しいなら、俺の頭を抱え込んで、俺を押し倒しちゃってもいいんだよ? 私の体で慰めてあげる、って。」

 正気に戻る。

 そこまで私はえっちじゃありません!


「他にも、こうやって、後ろから抱きしめるのもいいんだけどね。」

 ヒカル様が後ろから私を抱きしめる。

「でも、落ち着くよりドキドキするほうが強いから、落ち着かせるというより、落ち込んだ人を励ますときにやったほうがいい。」

 ああ。確かにそうだ。


「そして、彩佳が自分を落ち着かせるにはどうすればいいと思う?」

 リラックスする、ってことだよね。

 音楽聞くとか、温かい飲み物飲むとか、ストレッチする、とか?

「深呼吸を忘れてるぞ。鼻から息をゆっくり吸って、口から息をゆっくり吐くんだ。」

 ヒカル様が何か意地悪な笑みをしている。

「そして、心の許せる人がいたら、おもいっきり甘えてみるのもいいかもしれない。その人に微笑みかけたり、手を握ってみたり、いっそのこと抱きついてみたりするのもありだ。

 さっそくだから甘えてみてよ。」

 無理。無理だって。

「何事も練習が大事だぞー。」

 ヒカル様の右手を、私の両手で包んでみた。

 そして、ヒカル様の顔をみつめる。

 意外と悪くないかも。


「まあ、明日はいろいろあるだろうから、今日はゆっくり寝なよ。」

 ねえ?

 ずっと、もったいぶって何も言ってくれないけど、何が起きるのよ?

 勝負下着を着ていけとか、何を隠してるのよ?

「申し訳ないが、今ネタバレするわけにはいかないんだ。彩佳にとって都合が悪くない話であることは保証する。

 最後におもいっきり激しい、おやすみのキスをしてくれないか?」

 学校の教室で、ヒカル様と濃厚なキスって、かなり背徳的。


 おやすみなさい、ヒカル様。

 明日がいい日でありますように。


 ◇ ◇ ◇


 学校についたら、机の中にメモが入っていた。

「授業終わったら1時間後、ジョルトに来て。小郡。」

 ジョルトって、駅前にある、あのファミレスか。席数が比較的少なくて、値段が激安というわけはなく、その上、学校と逆の出口にあるから、うちの学校の人はあまり行かない。

 小郡くんを見つけて、目があったところで頷いて、了解の意を伝える。

 面倒だから他の人には詮索されたくない。


 ◇ ◇ ◇


 ジョルトでは、小郡くんが先に座っていた。うちの学校の制服の子は他に誰もいない。

 入り口の店員に「彼と相席です」と伝え、案内してもらう。


 長椅子に2人ずつ、あわせて4人座れるテーブル。小郡くんは、長椅子の真ん中に座っている。ドリンクバーのオニオンスープを飲んでいるが、なかなかのセンスである。

 私は、逆側の長椅子の左側、壁の隣になるように座る。右側が空いている。

「注文どうする?」

 小郡くんがメニューを渡してくれる。

 私は店員を呼び、ホットサンドセットとドリンクバーを注文する。ドリンクバーしか注文してなかった小郡くんはサラミピザを追加注文。


 しばらく、飲み物を飲みながら、無言でお互いを見る。

 沈黙を破ったのは私。

「要件を教えてくれない?」


 十秒ぐらい、迷った表情の小郡くん。そして、私の方に頭を寄せ、私にだけ聞こえるような、小さい声で話しだした。

「須藤さん、今年の春から変わったでしょ?」

 やっぱりそれか!

 知ってるよ、ってメッセージは何回かあった。

 でも、改めて直球で言われると、やはり戸惑う。

 私の顔が凍ったのが、小郡くんにわかったと思う。

「思い違いじゃなかったようだね。

 安心して、俺も、須藤さんと同じような状況だから。」

 頭の位置を戻す小郡くん。

「ちょっと長くなるかもしれないけど、俺の話を聞いてほしいんだ。

 須藤さんなら、俺が何を言ってるのか、わかってくれると思うから。」

 たぶん、これが要件なのね。

 いいよ、と言う私。


 ◇ ◇ ◇


 端的に言うと、やはり小郡くんは清海きよみ神社の夜伽巫よとぎかんなぎ、つまり夜伽巫女の男版だった。

 一代で急成長したけど、5年前に詐欺と脱税で摘発され、青天の霹靂へきれきのように消滅した会社。あまりの不自然さに「清海神社の神罰」として噂されていたあの会社の会長は、実は小郡くんの親戚だった。その人が清海神社の先代の夜伽巫女だったらしい。

 そして、その人が神様への感謝を忘れ、私は会長だから何をやっても許される、と言ってわがまま放題に暴れるようになったから、神罰として人生を破滅させられたとのこと。


 一族がギスギスして、皆、気分が荒み、小郡くんも両親に八つ当たりされる毎日。

 中学3年の夏、受験を控えていた小郡くんが清海神社を訪れたとき、

「人生、変えてみない?」

 という声がしたらしい。

 今から考えると、あれは悪魔の囁きでしかなかった、と小郡くんは悔しそうな顔で言っていた。気がついたら、清海神社の神使の夜伽巫に任命されていた。清海神社は夜伽巫や夜伽巫女を小郡くんの一族から任命することになっているみたいだけど、本家に限るわけでもないようで、先代から見て遠い親戚になることもあるらしい。近すぎず、遠すぎず。あからさますぎないように、目立ちにくいように。


 つまり、さきの言っていた清海神社の噂は本当だった、というわけだ。

 ヒカル様が、状況によっては私を処分せざるを得なくなるって言ってたのは、こういうことだったんだ。


 ヤケになって囁きを受け入れてしまった小郡くんの人生は大きく変わった。難しいと思われていた高校受験もあっさり合格。他にも、人生で大きく不自由することはなくなった。親から嫌味を言われることはあるけど、もう心を痛めることはやめた。だって、もう一線を越えちゃった、他の人間とは違う存在になっちゃったから。もう他人と価値観を共有できないから。

 気持ち悪いくらい順調になった、今の人生が恐くて怖くてたまらない、と怯える小郡くん。


「須藤さんも似たような境遇なんでしょ? 少し、教えてもらえない?」

 小郡くんのこの一言を合図に、次は私のターンになった。


 人生が全然うまくいってなかった18歳の誕生日の春の日に、樫払かしはら神社で「人生を変えたい!」と願ったら神使の声がした、と話したら、小郡くんが右手を頭に当て、「あいたたた」って感じの表情をした。

 普段は念話で話してるけど、夜寝る前に目を閉じると、姿を見せること。

 現れた男の神使が舌を入れるディープキスをしてきて、そしたら逆らえなくなったこと。

 彼が人払いとか、確率いじるとか、変な力を持ってると主張すること。

 そして、私の服装に異様にうるさく、私の服の上からいちゃつくのに執着していること。

 夜伽巫女になったら、補習と無縁になったこと。

 それどころか、成績をあげることで親からボーナスお小遣いを巻き上げて、そのお金で彼好みの服を買わせたこと。


 いろいろ話したけど、小郡くんはずっと納得したというか、心当たりあるというか、そしてちょっと悲しそうな、そんな複雑な表情をしてた。少なくても、私は嘘をついていなさそうだと思っているみたい。

 そうそう、さすがにヒカル様のお嫁さんになった話はしなかった。

 もちろん、ヒカル様の名前も出していない。「ヒカル」と「彩佳」の名前は、他の人には絶対に話さないという約束だから。


「やっぱり、夢じゃなかったんだ。

 俺一人だけじゃなかったんだ。」

 ほっとしたような、そして何か諦めたような表情をする小郡くん。


「須藤さんが今話したことは、常識的には信じられないだろうけど、俺は信じるよ。少なくても、俺は実感をもって理解できる。」

 小郡くんがため息をついて、数秒待って宣告した。

「須藤さん、薄々わかってると思うけど、俺達、もう人間であって人間じゃないんだよ。そりゃ、肉体は人間だ。でも、他の人間とは、完全に違う存在なんだよ。良い言い方をしたら、神様のお友達。悪い言い方をしたら、神様のペットだ。

 苦労と不確実性だらけの人間社会で、一人だけ神様に守られている安全地帯にいる、卑怯な、ずるい存在なんだ。

 だから、何も知らない他の人間と心から分かりあって、気持ちを共有して一緒に笑って、一緒に泣くなんて、もう一生無理なんだよ。

 神様が一緒にいてくれると言ってるけど、俺達は一生、孤独なんだよ。厳密には孤独じゃないけどね。神様とは一緒だから。

 誰にも言えない秘密を抱えて、それでも秘密の関係を死ぬまで続けなきゃいけない。

 俺達は一見、幸せに見えるかもしれないけど、取り返しの付かない代償を払ってるんだ。

 須藤すどうさん、それでも、こうなっちゃったこと、後悔してない?」


 こう言われると、多少たじろいでしまう。

 これ、小郡くんの心の悲鳴だよね。

 ずっと、こんな悲しい思いしてたんだ。

 延々とこの3年間、悩んでたんだ。


 ……でも、私はヒカル様のお嫁さん。

 お嫁さんになって、一生添い遂げるって決めたんだ。

 悲しむなんて、もったいないよ。

 せっかくのチャンスなのに!

 悩んでる時間、もったいないよ!


 ちょっと考え、小郡くんの顔をしっかり見て、私はこう答えた。

「私は、後ろを向くことはしないよ。」


 上を向いて十数秒ほど考える小郡くん。


「いい答えだね。

 ありがとう、須藤さん。少し気が楽になったよ。

 そうだよね。幸せにならないといけないよね。それが、俺達の仕事だから。」

 小郡くんが、今日はじめて、心からほっとしたような笑顔で言った。


 夜伽巫になってから三年くらい、ずっと一人で延々と悩んでいたのかな。

 これでよかったのかな、間違った選択をしちゃったのかな、って。

 誰にも相談できなくて、辛かっただろうな。

 今日、はじめて人に打ち明けられたんだ。

 私、小郡くんの役に立てたかな。


 そして、笑顔から急にまじめな顔になる小郡くん。

 左右をきょろきょろ見てる。私もまわり見回すけど、知ってる人は誰もいない。


「こんな話した後で、これまた急な話で訳ないけど。

 須藤さん、僕と付き合ってくれないかい?」


 !!!!!


 え?

「付き合いって、彼氏彼女のお付き合い?」

 左右を見る小郡くん。

「……うん。」

 照れくさそうに肯定する小郡くん。


 右隣の空席をみると、ヒカル様のような何かがいた。

 狼男とか人狼とか、毛がフサフサの人型の怪物で、頭から上だけが狼になっているのが、フィクションではよく登場する。今、隣りにいるのは狐男だ。頭が銀狐、首から下が人型で銀色の毛がフサフサだ。それが、器用に人間向けの長椅子に座り、私の皿のポテトを指さし、

「おい、このポテトうまいなあ、もっと食ってくれよ?」

 と気さくなしゃべり方をする。

 私にはわかる。ここに見える狐男は幻影で、実体がないこと。シリアスな場面になってきたから、ヒカル様が昼間なのに姿を表しているのね。

 狐男の姿をとり、私をこうやっておちょくるヒカル様。何がしたいんだ?


「一人で秘密を抱えて生きていくのって大変でしょ?」

 小郡くんがそう言って、心配そうに私の回答を待つ。

 ああ、小郡くんも大変なんだ。


 気付いたら、無意識の内に、私の口からこんな言葉が出ていた。

「いいよ、小郡くんの彼女になるよ。

 よろしくね、晴人。」

 慌てる私。

 え? もしかして、私、誰かに喋らされた? 脳をいじられた?

 それに、いきなり呼び捨てにしちゃったよう。いいのかな?


 右側を見ても、場違いな格好の狐男はこっちを見てくれない。

 むしろ、ビールを飲んで「ぶはーっ」ってジョッキを机に置く演技をしてる。

 もちろん、ビールジョッキなんてここにはない。かっこつけてるだけみたい。


 いつのまにか承諾しちゃってたけど、もう取り消す理由はない。

 まあ、これでいいか。


「……断られないことは知っていたけど、さすがに緊張したよ。

 こちらこそよろしく、綾音」


 これから私たちはカップルなのね、って感慨にふけろうと思ったけど、ちょっと、今の一言は聞き捨てならない。

「ねえ。断られなかったことは知ってた、って、どういうことよ。

 今日、最初から私に告白するつもりだったの?」

「あちゃー。綾音の方は知らされてなかったのか。

 もうわかってると思うけど、夜伽巫、綾音の場合は夜伽巫女か、選ばれちゃうと、人生は不自然なくらい上手く行ってしまうんだよ。失敗して嫌な思いをすることが将来の糧になる場合は別として、人生の選択は必ず失敗しないのが俺達なんだ。神様に逆らって消される時は徹底的に破滅させられるけど。

 俺達の役割は、神様にいっぱい幸せをプレゼントすることだって、綾音も聞かされてるよね? 俺達が嫌な思いをしたら、神様が幸せになれないでしょ?

 少なくても、夜伽巫として神様に認められている間は、基本的に、なんとかなっちゃうんだ。

 告白して振られるかどうか、神様には既にわかってるんだよね。

 俺達は所詮、神様が脚本を書いた茶番劇の役者なんだよ。言われたとおりに芸をやる、操り人形なんだよ。自由に生きているようで、全部、監視されて、誘導されてるんだ。

 ふざけた話だろ? 嘘だと思うだろ? 狂ってるだろ? でも、逆らうことが許されない。これが俺達の現実なんだよ。綾音も心当たりあるでしょ?

 俺の言ってること、おかしいと思う?」

 今日の予定、何も知らされてなかったのは私一人だったのね? なんかむかつく。

「常識的に考えると非常識にしか聞こえないけど、まあ、そういうことなんだよね。

 私は納得するよ。

 とにかく、私は告白されるなんて聞かされてなかったよ?」

「綾音の神様の方で、何か思うところがあったんだと思うよ。」

 あの狐男、絶対に、私の揺れ動く感情を楽しみたかったんだと思う。

「ごちそうさま、彩佳。さすが俺の嫁、俺の期待を裏切らなかったぜ。」

 もう、ヒカル様! 酷すぎます!

 でも、ヒカル様を喜ばすことができたのは、お嫁さん合格だよね。


「改めて、これからもよろしくな、綾音。」

 テーブルの上に右手を伸ばす晴人くん。

「こちらこそよろしくね、晴人。」

 私も右手を伸ばし、固い握手をする。

 取引成立、といった感じで。


「で、ここもそろそろ使えなくなるみたいだし、急で申し訳ないけど、もしよかったら俺の家に来てくれないかな? ほかの人にどうしても聞かれたくない話もしたいし、両親も、今日は職場のパーティーで一日かかるから帰ってこないし、俺のほかには誰もいないんだ。」

 ちら、ちら、と左右を気にする晴人くん。さっきから、どうしたんだろう。周りの目が気になるの? 女子と二人でいるのが恥ずかしいのかな。

 カップル成立でいきなり家に来ないか、とか、ガンガン攻めてくる晴人くん。

 私も右隣を見る。

「まあ、俺も最後にドリンクバーでメロンソーダとレモンライムをハーフアンドハーフにしたものが欲しかったけど、諦めるか。マジで時間なさそうだし。」

 さっさと撤収しろ、以外に何が言いたいのか、私にどうしてほしいのかはっきり言わない狐男。

 そういえば、今日は親が帰るのが遅い。せっかくだから誘いに乗ろう。

「じゃあ、あの交差点に十分後。俺がここは払っとくから、綾音は自転車を適当なところに置いてきて、歩いてきて。」

「私が自転車通学って、よく知ってたね?」

「ごめん。綾音のことは、しばらく見てたから。それにしても、ほんと時間ないから、先行っててくれ。」

 さっさと店を出る私。スパイごっこじゃないんだし、この流れ、どうにかならないのかな?

 ちょ、うちの学校の子が何人かこっち来てる! 誰か「ジョルトいこうよー。」とか言ってるし。うわぁ、こういうことだったのかよ。ひぃ。


 ◇ ◇ ◇


 交差点で落ち合って、すぐ近くのマンションに入る私達。

 晴人くんは駅まで徒歩で、そこからバス通学だったのね。

 晴人くんがドアをあけて、

「入って左の部屋ね。」

 と言う。カップルなのに、こそこそしているのが何か変な感じ。


 ◇ ◇ ◇


「ブレザー脱ぎなよ、ゆっくりできるでしょ。」

 紳士的にハンガーを渡してくれる晴人くん。

「コーヒーでいい? 紅茶? ペットボトルの緑茶でもいいけど。」

「あ、紅茶……をいただきます。」

「わかった。ちょっと待っててね。その辺にある雑誌とか見といていいから。」


 彼の部屋でひとりっきりになる私。何か勢いで来ちゃったけど、よかったのかなあ。

 きちんと整頓された部屋。性格が出てるんだろうな。

 机の前に座ってみる。パソコンの横に、何冊か雑誌が積んである。バイクの雑誌?

 私、晴人くんのこと全然知らないんだな。まだちょっと距離があるけど、お互いを知るところから始めればいいか。

 お見合いって、こんな感じで関係が始まるのかな。


 ん? 雑誌の一番下に埋もれてるのが、他の雑誌とは違う感じ。……どれどれ?


「……うわぁーっ。」

 思わず声が出ちゃった。私の声にびっくりして晴人くんが戻ってきた。

「どうした、何かあった?」

 私の手元を見る晴人くん。

「くそっ、普段は何もしないのに、こういうときだけ余計なことを……。」

 と呟くのを私は聞き逃さなかった。

「あの、これって……?」

「ちょっと待ってて、今紅茶持ってくるから、飲みながらゆっくり話そう。」

 すぐに晴人くんが紅茶を手に戻って来る。マグカップだけどゴメンねって言いながら。

 そんなこと気にしないのに。

 私は机の前に、晴人くんはベッドの上に腰掛けて、ちょっと沈黙。


「……幻滅した?」

「ううん、ごめんね、びっくりしただけ。お兄ちゃんがいるから、こういうことには耐性があるの。でも、晴人くんもこんな雑誌見るんだってびっくりしちゃっただけで。幻滅なんかしてないよ。

 ……でも、この雑誌、晴人くんの?」

「ああ、それ、クラスの男子で回し読みしてるやつ。」

「回し読み?」

遠藤えんどうの奴が、たまにスポーツ新聞と一緒に買ってくるんだ。」

「ああ、いつも意味不明なことを言って騒いでる、デカいやつね。」

「そこから何か回し読みするのが慣例になっててさ、今俺の番。」

「へぇ。晴人くんも男の子らしいことにするのね。次は誰に回すの?」

「次は樺山かばやまだな。で、遠藤に戻る。奴がコレクションを貸し出してるんだよ。」

「小郡くんも絡んでたなんて、全然知らなかったよ。変なところで団結力あるんだね。」

「俺は腐れ縁に巻き込まれて付き合わされてるだけだよ。それに、俺はエロ話を大声でする趣味はない。女子にモロばれでやったって嬉しくないだろ、男子なりに羞恥心もあるんだぞ?」

 ほんのちょっとだけ、晴人くんを知れた気がする。

 ほんのちょっとだけでも知れた分、うれしく感じる。

 そしてほんのちょっとだけ、意地悪したくなっちゃった。

「ねね、私でそういうこと想像したことある?」


 沈黙する晴人くん。

「ねえ、どうなの? ほんとに怒らないから。」

「……授業中とか、綾音が近くにいる時はすることもあるけど、家ではあまりしないんだ。」

「へぇー。そうなの? 自分では魅力ないと思うんだけどな。」

「そんなことないよ。」

 二人とも、黙っちゃう。


「はぁ。まあ、いつまでも隠しててもしょうがないし、許可でたから話すね。」

 誰の許可なんだろう? いや、言わなくていいけど。なんとなくわかるけど。

「俺が仕えてる神様は、女のかたが二柱。最初は一柱だったけど、途中から増えたんだ。」

「複数の神様にお仕えするって、そんなことあるんだ。増えることもあるんだね。」

 私の方も、ヒカル様以外に増えること、あるのかな?

「俺さ、一人っ子で、さっき言ったけど、あの一件以来、親との関係がものすごい悪いんだ。家で顔を合わせると絶対にいいことにはならない。だから、家族が嫌いになったんだ。」

 頷く私。家族が嫌いってのはよくない話だけど、その状況なら私でもそうなる。

「そのときに、最初の一柱が来たんだ。『お姉ちゃんになってあげる』、って。」

 うわぁ。いきなりお姉ちゃんができちゃうとか、ちょっと引いちゃうような話だけど、晴人くんは食いついたのね。

「俺もその時イライラしてて、ヤケ起こしててさ、それを承諾しちゃったんだよ。

 そうしたら、ものすごーく甘え声で、『これからは私のことを、本物のお姉ちゃんのように思ってね?』って言うんだ。

 そして、『私をお姉ちゃんって呼んでね?』って要求してきたんだよね。

 もちろん、その前に自分で名乗って、俺の名前もつけてくれたんだけどね。まあ、俺の頭に流し込まれた音を拾うんだけどさ。」

「あ、やっぱり! 私も名前で同じことやった!」

「名前、そういうものなのか。

 それにしても、あの強烈な出会いは絶対に忘れられないよ。

 考えてみたら酷い話だよ。名前をつける、ってことは、名前をつけた人のモノになっちゃう、ってことだよね。

 俺さ、その『お姉ちゃん』の所有物になっちゃったんだよ?」

 そういう考え方もあったのか!

 私、最初からヒカル様のモノになってたのね!

 ……結局、お嫁さんになっちゃったけど。

 さすがに彼氏の晴人くんでも、お嫁さんにされちゃったとは言えないよ。

 少なくても、今言うべきことではない。


「でも、いいんじゃない? 晴人くんは、その時納得してたんでしょ?」

「まあそうなんだけどさ。

 ちょっとしたら、最後に音符かハートをつけるイメージで、『お姉ちゃんっ』って言わせるんだよ。愛らしさというか、かわいらしさが足りないと、『もう一回!』とかピシャっと言われるの。納得するまで言い直させるんだよ? さすがに脳が痛くなるって。

『お姉さま』、『〜おねえ』、『おねえたま』でもいいけど、『姉上』や『姉貴』は生意気に聞こえるからダメなんだって。」

「うわぁ。すごいこだわり。

 私の方も、私の服装に対する強いこだわりがあるんだけどね。ふんわり、ゆったり、かわいらしく、森ガールっぽい格好をさせたがるの。私が日焼けするのを嫌がるんだ。」

「はぁ。やっぱりそういうものなのかな。付き合わされる方は大変なんだけどね。

 そして、『お姉ちゃん』は、『姉と弟の禁断の関係がいいんじゃない! 血がつながってないから問題ないんだよ! 魂はずっとつながってるけどね!』って感じで、いっつも力説してるんだよね。『姉弟の絆は最も強い絆だ!』とか、マジわけわからないって。

 そし、俺が『お姉ちゃん?』と少し頬を赤くして、ちょっと上目遣いで何かを期待しているような口調で言うとすごい喜んでくれるんだ。

 こんなことやっていていいのかな、って、自己嫌悪に陥っちゃうよ。」

「晴人くんって、『お姉ちゃん』が大好きなんだね。

 のろけてるときの晴人、ちょっと幸せそうだよ?」

「俺、そんな顔してた?」

 焦る晴人くん。頷く私。


「その後、俺が高2になった直後だ。

 相変わらず家庭環境は最悪だったけど、『今日から家族が一人増えるから』、って『お姉ちゃん』に言われて。

 そうして、新しい神使とのお付き合いが始まったんだ。

 また、名前当てさせられたんだよね。その後、その神使が

『今日から妹になりますので、可愛がってくださいね?』

 って満面の笑みで言い出すんだ。

『妹なの?』と聞くと、『妹です!』とこれまた有無を言わさない強い口調で言うんだ。

『私は妹なんだから、名前で呼んでください!!』って、ものすごく頑固なんだ。

 神様を呼び捨てにするなんて、心が痛いだろ?

 それに、どう考えても……なのに妹と呼ばせるなんて、どんな変態なんだよ。」


 あれ? 急に怯えた顔になる晴人くん。さては年齢の話したから「妹」に怒られたな。


 ちょっとしたら、晴人くんの表情が元に戻った。そして、ため息をついた。

「妹」のご機嫌を取るのに、ろくでもないことを要求されて、それを呑んだんだな。

「その日以来、俺の家族は俺と『姉妹』の三きょうだいになったんだ。

 毎晩、俺を中心に川の字に寝てると思って? って『姉妹』に言われてさ。

 俺が『お姉ちゃんも妹も好きで好きでたまらなくて愛してます。』的なことを言うのが毎晩の儀式で、その後に嬉しそうな『姉妹』が俺といちゃつくんだよね。

 きょうだいなのか、恋人なのか、わかんなくなっちゃうけど、『どっちでもいいじゃない!』だって。」

「うひゃー。羨ましいのか大変なのか、いまいちわからないよね。」

「そうでしょ? で、綾音のところはどう?」

「私の場合、男の神様が一柱なんだけど、『俺の夜伽巫女』とか、『俺の嫁』みたいなキザなことをいっつも言ってるんだよね。照れくさくて顔が真っ赤になりそうだけど、そこで負けちゃダメなんだよね。恥じらいながらもしっかり心を開かないと。だって、心の底からから神様を受け入れて、好きだよ、って笑顔で言うのが夜伽巫女の務めだもの。」

「やっぱり神様って、変な方向に強い癖がある方々ばっかりなんだね。」

「世の中の人が知ったらドン引きするよねー。」

「でも、そういうものだと受け入れないといけないんだよね。」

「だよね。こっちも悪い気はしないし、つい、そのノリに引き込まれるんだよね。喜んでもらいたいし。」


「それにしても何で俺が『姉妹』、というか、お仕えしている神様の話してるんだろう。せっかく綾音が彼女になってくれたのに、他の女の人の話で盛り上がるなんて。」

「私も同じようなことやってるし、気にしなくていいよ。

 あと、無駄に気を使うのも大変だから、お互い遠慮するの、やめよう?

 心の読み合いとか、面倒だし。

 私達、自分の心に素直に生きるのに慣れちゃったでしょ?

 もっと気楽な関係を築いていきたいけど、どう?」

「そうだね。賛成だよ。」


「そうそう、神様が私の彼氏を調達するみたいなことを言ってたけど、相手が晴人だったなんて、ついさっきまで知らなかったよ。彼氏を調達とか、なにそれ? って感じだけど、こうなっちゃったんだよね。」

「はぁ。

 調達、ねえ。

 酷いけど的確な言い方だな。

 手配、といってもいいかもね。

 まあ、これが俺達の人生だよ。

 わかったでしょ? 俺達の日常が、どれだけ他の人にとっては非常識か。

 でも、この非日常を日常として、笑いながら生きていかないとダメなんだよね。」

 悟りきった顔をする晴人くん。


「それにしても綾音は、夜伽どうやってるんだ?

 といっても、言い出しっぺの俺から話すのが筋か。」

 聞きたい、という意味で頷く。

「俺にとっての夜伽は、現実に起きていることの拡張なんだ。」

 間をとる晴人くん。

「自分の感覚を、違うものと勘違いするんだ。

 たとえば、枕を抱くとするだろ? それを、神様に抱きついている、と勘違いすることにする。そうすると、何もない状態で神様を抱いているときに比べ、少しはイメージしやすいでしょ?」

 そりゃそうだ、と頷く私。


「あまりこれは言いたくないけど、言わなきゃいけないよね。」

 左右をみる晴人くん。また、諦めたような顔をする。

「だから、夜伽をするとき、自分で自分を愛撫することも多いんだよね。神様に抱かれているイメージがしっかりできるように。できる限り、似ている五感を発生させ、夜伽の世界の感覚の精度をあげるんだ。」

 うつむき気味に、顔を赤らめて言う晴人くん。

「そういえば気になっていたけど、晴人くんが今日、よく左右を見ていたのって……」

「『姉妹』だよ。眼鏡のレンズにぼやっと描かれた絵のように、『姉妹』が隣に見えるんだよ。普段は目を閉じてイメージしないかぎり声だけなんだけど、今日は『姉妹』も本気だから、目を閉じてなくても、ここぞという時はぼんやりとだけど姿を現してるんだよね。振り向くと見えるんだよ。俺の両側に、一柱ずつ。『逃げられないよ?』って両脇を固められている。」

「そうなの? 今も?」

「そう。『お姉ちゃん』、右側にいるんだけどさ、今日は、スーツに、だて眼鏡かけてるんだよ。で、すました顔で、足組んでるんだ。ミニスカートなのに。」

「スーツ姿に眼鏡なの?」

「形から入りたがるんだよ。その時々によってブームがあって、最近は教師がブームらしいんだ。

 黒いスーツの胸元がけっこう開いてて、鎖骨とか谷間とか見えそうでさ、耳元で綺麗な青の涙型のピアスが揺れてるんだよ。

 で、それに気を取られて気もそぞろな男子生徒役の俺を、なぜかペンギンがついてる指示棒で指して、

『そこ、ちゃんと聞いてるの!?』とか付き合わされるんだよね。

 髪も後ろできっちりまとめて、なりきってビシビシやられるんだよ?」

 眼鏡の形や耳元のピアスの大きさ、お姉ちゃんの仕草なんかを身振り手振りで説明してくれる。

 へえ、頭のキレるカッコイイ女性って感じ。黒いスーツの胸元から見える、開きの広い白いブラウス。赤い唇で、細めの眼鏡をかけて、耳には青いピアス。できる女を絵に描いたようなイメージがある。きっと似合うんだろうな。

 そうだ、今日は珍しく、ヒカル様の姿も見えてたっけ。晴人くんの方も本気なんだ。


「きょうだい仲いいんだね。私も女のきょうだい欲しかったの。いるのは兄貴だけど。

 女の子、いいよね?」

「『妹』も、今も側にいるんだけど、長い髪をくるくるに巻いて、頭にレースの飾り付けて、黒いワンピース着てるんだけど、ワンピースにも白いレースの飾りがいっぱいついてるんだよね。スカートも、よく仕組みはわからないけど膨らんでるし、靴下もレースの飾りがついてるし、靴も、黒くて小さい子が履くようなペッタンコの靴なんだ。」

「妹さんは、ひらひらふわふわが好きなんだね。」

「かわいい格好が好きみたいだよ。日によって白とかピンクとか、黒とか。ごてごてしてて、スカートがこれでもかって膨らんでるんだ。

 でも、いつも首飾りは外さないんだよね。綾音はわかるかな、カワセミって鳥。あんな色の、丸くて、鏡みたいに綺麗に磨かれた石の首飾り。」

 今度は、手で石の大きさ、丸い形を教えてくれる。

 あ、翡翠の色だね。カワセミの色なら、綺麗な、混じり気のない翡翠色。

 ロリータな服でも、その首飾りは外さないんだね。頭の中で描いてみる。どんな色の服でも、いいアクセントになりそう。

「装飾過剰じゃないかなぁ……。」


 ちょっと。その一言は聞き捨てならない! 女子の心をわかってない!

「あのね。女の子はね、かわいい格好がしたいものなの! 特にロリータは、ウエスト絞らないといけないから大変なんだよ? 肋骨のところからぎゅうぎゅうに締めて、ウエスト細―くしなきゃいけないの。」

「そんなものなのか。」

「そういうものなの。そうやってでも、かわいくなりたい女心はわかってほしいな。

 それにしても、本当にきょうだい仲いいんだね。やっぱり、女の子、好きでしょ?」

 晴人くんがちょっと考える。


「真ん中に男一人だと、結構気も使うんだよ。

 でも、『お姉ちゃん』にこっぴどくやられると、『妹』が出てきて慰めてくれるんだ。『妹』がわがままを言うと、『お姉ちゃん』が諌めてくれる。二人でバランスを取ってくれてるんじゃないかな。

 それにしてもさ、『妹』が、ひざ枕して慰めてくれながら、『ねえ、女の子っていいでしょ?』っていうんだよね。」

「ひざ枕!?」

 晴人くんの口から、思いもかけない言葉が出てきた。


「そう。ひざ枕とか、抱き着いてくれたりとか、頭なでてくれたり、添い寝してくれたり。で、何となく『妹』の服のフリルとかいじってると、『女の子っていいでしょ?』って。」

「へえ、ロリータの服って、フリル多いもんね。ヘッドドレスもそうだし、襟元とか、袖とか、スカートの裾とか。

 それで、妹さんのフリルをニギニギしちゃったりするの?」

 ちょっと晴人くんの言葉が止まる。そして、ちょっと恥ずかしそうに答える。


「まあ……そうなんだよね。レースのフリルが手触りいいからさ、目についたレースのところ握っちゃって、よく愚痴られるんだ。『ああ、またレースがヨレヨレ……』って。

 でも、『妹』も、『お姉ちゃん』に怒られたら、甘えに来るんだ。頭ぽんぽんしたり、抱っこして揺らしてやったり、甘えて来るとかわいいよ。それに、俺が疲れてる時も、何も言わずに、ぎゅってしてくれるんだ。お互いを受け入れるのが自然になっちゃった。

 仲のいい家族って、こんなものなのかもなって思うこともある。」

「え? 違うの? お姉さんと妹さんは、晴人の家族じゃないの? きょうだいなんでしょ?」

 私は、ヒカル様のお嫁さん。晴人くんは、3人きょうだいの真ん中。それって、家族じゃないの?


「家族、とはちょっと違うかな。あくまでもお仕えしている神様だから、それは忘れないようにしようと思って。だから、そこまで気持ちが踏み込めないでいるんだ。俺の人生、このままでいいのかって考えることもあるよ。」

「いいじゃない、家族で。だって、せっかくの出会いでしょ?

 割りきって、精一杯仲良くなっちゃえば、もっと幸せになれると思うよ? 

 晴人にしかできないことなんだもん、自信持たなきゃ。

 そんな、不安そうな、心ここに非ずみたいな目してちゃダメだよ。」

 晴人くんに力説する。

 晴人くんにはもっと、生き生きした顔をしてもらいたい。


「そういえば、『彼』も今日は姿が見えたっけ。日中に見えるの、今日が3回めかな?

 稲荷の神使なんだけど、今日は狼男の狐バージョン。けっこうシュールだよ。」

「狐男か……なんとも言えない、どうコメントしていいかわからないキャラだな。

 そういえば、綾音はどんな感じで夜伽やるの?」

「私って、こう見えても入賞歴の多いエリート美術部員だったから、頭のなかで絵というか構図を描くのが得意なんだ。だから、リラックスして、布団に入って、目を閉じて、空想の世界に旅立つの。」

「うわぁ。綾音すげえ。俺よりずっとすげえ。」

 褒められた。ちょっと顔が赤くなる。

「空想の綾音とリアルの綾音、五感が近くなるともっと盛り上がれると思うぞ?」

「試してみるよ。」

「それにしても、綾音も布団の中に潜ってから始めるんだね。」

「それが一番リラックスできるからかな? 寝落ちしても問題ないし。」

「あと、変な刺激が少ないのもいいんだろうな。光、音、臭いが変わることもないし、触覚も変化が殆ど無い。」

「それに、布団に抱きしめられている感じもするから、心が落ち着くんだよね。」

「あ、それ重要かも。

 そうだ綾音。毛布を丸めたのとか、枕を布団に持ち込むと、もうちょっとリアリティ出るかもよ? 小道具として使うこともできるし、場合によっては神様の体に見立てることもできるし。」

「いいアイディアだね。丸めた毛布か。こんど試してみるよ。

 神様の依代が毛布とか、失礼な感じもするけど、文句言われることはないよね。」


 少しの沈黙の後、晴人くんが話題を変える。

「綾音、頭のなかでそうとう酷いことをやってたでしょ?」

「否定はしないけど、楽しいこともいっぱいやったよ。

 リアルじゃできないことも、結構やったし、あの犯罪的なキスはやっぱりすごいよ。」

「神様ハーレムって、いいことばかりじゃないよ。疲れるし、二柱がかりで襲われることもある。辛いプレイも結構多いけど、楽しいプレイもあるし、いろいろといい思いもしてるから、やっぱり俺は幸せだと思わないといけないんだよね。」

「今の私は幸せだよ。

 晴人も幸せになりなよ。

 開き直っちゃいなよ。

 せっかくなんだから、どんどん幸せになったほうが良いって。」


 晴人くんが左右を何度も見ながら、急にもじもじする。

「どうしたの?」

「あの……『お姉ちゃん』にこれを用意するよう強く言われたんだけど……だめ?

 だめならだめで、文句言わないし、全然気にしないから。」

 晴人くんが引っ張りだしたのは……

 避妊具!!!!


 頭が特大ハンマーでぶん殴られたような気がする。

 そういえば、私の今日の下着、勝負下着だったよ!

 くそっ、こういうことだったのか! あのエロ狐!

 狐男を探すと、悠長に部屋の窓から外を見ていた。


「はぁ。どうやら、私の方も、『嫌だ!』というわけにはいかないみたい。」

 安堵と驚きが混じった表情を見せる晴人くん。

「理由はもうちょっとしたらわかると思うよ。

 まずは私にキスする? それとも、私の服を脱がす?」

「……じゃあ、キスで。」

 ベッドで隣同士に座る私達。

 おずおずと私のほうに体を近づける晴人くん。

 私を抱きしめて、恥ずかしそうに目を閉じて唇を突き出す晴人くん。

 勇気をふりしぼる私。

 私は晴人くんの体に腕をまわす。

 晴人くんの唇の位置を確認して目を閉じる。

 晴人くんの唇に私の唇を優しく重ねる。

 ドキドキする私の心臓。

 しばらく触れ合う、二人の唇。

 いたずら心半分、照れ隠し半分で、晴人くんの唇に私の舌を差し込んでみる。

 びっくりして目をあける晴人くん。自分が何されたかわかってないだろうな。

 現実を把握できていないだろうけど、何かされたのはわかっていると思う。


 できるかぎり優しい表情をする私。

 晴人くんも、やっと状況がわかったみたい。

 晴人くんは私の舌を受け入れることにした。

 舌と舌を合わせ、絡めあう私達。


 キスの間、緊張して息してなかったのかな?

 息苦しくなって、キスをやめる私達。

 晴人くんの顔は真っ赤。私もたぶん、同じくらい真っ赤。


「次は、服を脱がせないとね。たぶん私のほうが枚数が多いだろうから、まず晴人くんに私の服を脱がせてもらって、あとは一枚ずつ交互に脱がせようか?」

 晴人くんがぎこちなく、私の服を脱がそうとする。そして、その次は私の番。

 お互い、手伝い、助け合いながら、徐々に服の枚数を減らしていく。

 もしかして、二人でやる、最初の共同作業だったりする?


 そして、私のブラをみたとき、晴人くんが凍った。

 ギャザーが入って膨らみが強調されてる、パステルピンクのかわいらしいブラ。

 どう見ても、普段使いに見えないよね。

 そういえば、下はレース素材だけで向こうが透けて見える、パステルピンクの紐パンなんだ。うわー。晴人くん、これもびっくりするだろうな。

「あのね、今日は一番かわいい下着をつけていってね、って言われたの。

 なんで、と聞きたかったけど、教えてくれなかったんだ。こういうことだったのね。」

 晴人くん、納得したみたい。そして、諦めきったというか、参った顔をする。

 晴人くん、落ち込んじゃったのかな。

 それとも、自分が神様に操られていることを痛感しちゃったのかな。

 いや、自分だけでないだろうな。

 私も神様に操られていると実感したことが、悲しいんだろうな。


 そこで、昨日の夜伽が頭に浮かぶ。

 こういうことだったのかよ!

 あの狐男の用意周到さに呆れてしまう。

 意外性云々とか偉そうなことを言ってたけど、このためだったのね。


 勇気を出した私は、晴人くんを抱きしめる。

 そして、彼の頭を抱き、彼の顔を私の胸に押し当てる。

「晴人、おっぱい嫌いじゃないよね? だったら、このままでいて。

 私は晴人の彼女なんだから。晴人の状況を知ってるし、晴人を受け入れるから。

 晴人、落ち着いて。晴人のこと、嫌いじゃないよ。むしろ好きだからね。安心してね。」

 昨日教わったように、晴人くんの頭をなでなでする。

 おっぱいと頭なでなでのコンボで落ちない男なんていないはずだよね。


 ちょっとしたら晴人くんが頭をあげようとする。

 あ、落ち着いた、優しそうな顔になってる。よかった。


 パステルピンクの勝負ブラと勝負ショーツ姿の私。パンツ一丁の晴人くん。

「私の下着、どう? かわいく見える?」

 赤い顔で、すぐにコクコクと頷く晴人くん。よかった。

「ベッドに寝ていい?

 恥ずかしいから布団かぶる? それとも、私をじっくり見たい?」

「布団の中がいいな。」


 ◇ ◇ ◇


 自宅の自室にやっと戻った私。

 それにしても、今日は強烈な一日だった。

 恥ずかしくて両親の顔が見れない。帰りが遅くて助かった。


 初体験は大変だった。

 お互い初めてだったから、もちろん要領がわからない。

 ロマンチックさとか、ムードとか、そんなこと気にしてられない。

 悪戦苦闘して、助け合い、協力しあって、なんとか彼のアレが私に入った。

 びっくりするくらい痛かったし、もう、入ったという達成感を味わうのが限界だった。

 性的な興奮とか、快感を味わうどころじゃなかった。

 代わりに、お互いのことを大切に思いやる、優しい気持ちには満たされていたな。

 最初から体が気持ちいいとか、ありえないから。

 晴人くんも結局、射精できなかったし。

 でも、それでいいんだよね。最初から無理は禁物。

 心は気持ちよくなれたから、これだけでもよかったよね。

 時間はあるんだから、ゆっくり進んでいこう?


 晴人くん、ちゃんと私を気に入ってくれたのかな?

 キスをしたあとの頬を赤くして上気した晴人くん、ちょっとかわいかったな。

 晴人くんは隙あらば私の胸をじろじろ見てたし、おっぱいを喜んでもらえたのかな。

 ちょっといたずらしたくなって、

「私のブラを触って、匂いを楽しんでもいいよ?」

 そう言ってブラを渡したら、一気に大きくなったっけ。

 もちろん、ブラの私の胸にあたっている方に顔を近づけていた。

 正直な人なんだなあ、と晴人くんに好感を持っちゃったのは、問題ないよね。

 女の人の下着で興奮するって、男の子なら普通だよね。きっと。

 紐パンの結び目も、手で触らせてみた。目を丸くして、鼻血だしそうな感じだったな。

「引っ張ってみる?」

 真っ赤になって素直に頷いたから、ご褒美に引っ張らせてあげたんだ。

 可愛かったな。


 ヒカル様の昨日の夜伽、あれ、かなり助かった。

 うまくいかずに焦って結局ダメになったり、緊張で頭がフリーズしないように、落ち着く方法、落ち着かせる方法を教えてくれたヒカル様。

 途中、何度か晴人くんの顔に焦りが見えた時、晴人くんの頭を私の胸に抱き寄せ、黙って優しく頭をなでなでしたら、晴人くん体の緊張がすぐに和らいだのはびっくりした。

 おっぱい好きの晴人くんだから、うまくいったのかな?

 それとも、私のなでなでが上手だったのかな?


「まあ、これで彩佳の願いが一つ、叶ったわけだ。」

 ヒカル様が念話で言う。

「彩佳、彼氏欲しかったんだっけ? おめでとう、彩佳。」

 そうだ。願いが叶ったんだ。

「そうだ、彩佳のはじめての人。長い付き合いになるから、頑張れよ。」

 どれくらい長くなりそうなのかな?

「まあ、特に問題がなければ、そう遠くない内に結婚だろうな。30過ぎまで待たせたあげく、ポイ捨てするようなゲスじゃないだろうし。」

 結婚……マジですか?


「今日はぶっちゃけ、樫払神社と清海神社のお見合いだったわけだ。

 樫払神社に変な噂がないのは、俺達は夜伽巫や夜伽巫女を特定の一族から選んだりしないからだ。そして、俺達が見繕ってきた有能な人の子は、半分くらいは清海神社が選んだ者と結婚させるんだ。

 清海神社は、特定の一族を適性が高い状態に維持しておくことにしている。安定して夜伽巫や夜伽巫女を調達できるようにな。ちなみに、その一族は、神職の一族とは一切関係ない。

 夜伽巫や夜伽巫女の才能は、多少は遺伝する。とはいえ、血を薄めないように一族内で近親婚を繰り返させる、ってのはまずい。

 そこで、俺達、樫払神社の者が探してきた、その一族と血のつながりがない、夜伽巫や夜伽巫女の適性が高い者と結婚してもらう。

 俺達、実はグルだったんだよな。おおっぴらには知られてないし、ばらすつもりもないけど。ばれたら、パニックか、スルーかのどちらかだ。明かすメリットは皆無だよ。

 それに、夜伽巫や夜伽巫女だって、自分の置かれた特異な状況について他に話せる人の子がいたら、気持ちが楽になって、夜伽も捗るだろ? 秘密を抱えたまま生きていくのもストレスが溜まるよなあ。清海神社の先代の夜伽巫女も、実際はそれで潰れたようなものだ。欲に溺れたのもあるがな。

 事実、夜伽巫と夜伽巫女で結婚すると、結婚していない者に比べて、精神状態が安定して、より夜伽巫・夜伽巫女としての覚醒度合いが強くなる傾向があるんだよね。つまり、みんなにとってハッピーなことだよ。

 よかったじゃないか、彩佳。これで結婚相手を探す手間も省けて。」


 ……なにそれ。

 政略結婚みたいなものじゃない。

 お見合いで初めて知った人と、そのまま結婚とか。

 相手に初めて会うのが結婚式とか、昔の話なんでしょ?

 少なくても、現代日本では過去の話だよね?

 今の時代でも、そんなのありなの?

「俺の見立てでは、そこまで相性は悪く無いと思うんだよね。

 樫払神社と清海神社のそれぞれの代表が、慎重に検討して話を進めてきたんだ。

 なにしろ失敗は許されないからねえ。俺達も真剣だ。

 そして、これは俺達が全力で考えた末の、最善の解なんだ。

 理想の相手を延々と探し求めるのは結構だが、結局、どこかで妥協せざるを得ない。

 延々と妥協せずに結婚を先送りすると、年齢的にゲームオーバーだ。

 正直、彼は手を打つにはいい相手だと思うけどなあ。

 どんな出会いだとしても。最終的にうまくいったら、いいじゃないか。

 出会いと結婚生活、どっちが大切だ?」


 ……私の意見、一切聞かなかったよね?

「何言ってるんだ彩佳。彩佳は彼氏がほしくて、結婚生活にも憧れているんだろ? 俺はその願いをちゃんと叶えてやったじゃないか。結婚はまだだけど、視野に入っているんだよ。多くの人の子は、どうしようもないクズに釣られて、酷い恋愛をしたり、ろくな結婚生活ができなかったりするんだ。俺は、そういうことがないことを保証した上で、こうやって出会いをセッティングしてやったんだぜ?

 最初から好意を寄せてくれる相手だと、男女の付き合いも楽だろ? それに彩佳は自分が処女なのを気にしてたから、高校卒業前に処女を卒業できるようにしてあげたし。

 なあ俺、優しいだろ? 彩佳のために必死で頑張ったんだぜ?

 もっと感謝してくれてもいいと思うんだけどなあ。」


 正直、この存在が何を言ってるのかがわからない。

 頭が考えることを拒否している。

 ヒカル様と私では、根本的な価値観が違うのかも。頭が追いついていかない。


「まあ、彩佳が第一志望の高校に受からなかったのは、残念で申し訳ないと思っている。

 でも、結果的には、仲良し4人組で楽しく遊べたし、彼と同じクラスになっただろ?

 セーラー服なんて、今後、コスプレならいくらでも着れるんだから。

 彼も喜んでくれると思うよ。いろいろな意味で。

 セーラー服の高校にこだわりすぎるのはよくないよ。

 つまらないこだわりで、人生を大きく踏み外すことだって多くあることなんだから。」


 そういえば第一志望の高校、A判定で絶対大丈夫ってお墨付きもらってたんだ。当日、どうしても体の調子が悪くて、試験も全然できなかった。健康管理が駄目だったんだって、ものすごく後悔したんだ。自分を責め続けてたんだ。

 第一志望に行ってたら、もっと違う私になってたかもしれないじゃない、って。

 そりゃ、偏差値のレベルは同じだったかもしれないけど、すごくショックでしばらくご飯だって食べられなかった。

 勉強にも身が入らなくって、何度も夏休みの補習受けなきゃいけなかった。

 だから、ちょっと好きだった美術に打ち込んだんだ。自分が自分でいられるように。


「いいか、彩佳。人の子はそうやって、過去を振り返って『たら、れば』の話をしたがる。

 でも、仮に第一志望に受かったからといって、お前が幸せな高校生活を送れたかどうかはわからないだろう?

 お前と仲がいい、いつもの4人組で騒ぐことができなかったのはもちろんだが、ほかにもいじめがあったかも知れない、勉強でスランプがあったかも知れない。

 それに、美術の才能も開花しなかっただろう。

 お前にとって何が一番幸せなのかは、『今の』お前が決めるしかないんだよ。」


 美術の才能って……私を夜伽巫女にする訓練をこうやって密かにやらせてたのね。

 私が夜伽巫女になるの、3年前から既定路線だったのね?

 晴人くんの将来の結婚相手として目をつけ、都合がいい子に育てていた。

 そして、私の人生がうまくいってないように思い込ませて、神社で変なお願いをするように仕向けたの、ヒカル様だったの?


 でも、高校生活をそれなりに楽しませるために、「友達」も用意してくれたんだよね。

 机に目をやると誇らしげに飾ってある、あの初詣の時の4人の写真。みんな晴れ着できれいに映っていて、この上なく楽しそうな、笑顔の写真。大事にしようねって、裏にそれぞれメッセージまで書いた。

 今は、それも儚い夢か幻のように思えてくる。本当に、私はこの子達の友達なんだろうか。でも、ヒカル様が受験に介入してたから、私はこの子達と一緒にいられたんだ。目の前がぼやけて、ぐるぐる回る。私の存在って、いったいどこにあるんだろう。


「俺達だって、徹底的に情報を集め、何度もシミュレーションを繰り返して考えてるんだ。

 人の子は、どうしても何かしたい、とか強い希望を持ってても、それって実はすごく都合の悪い選択肢だったりするんだよね。

 とても限られた情報の中で判断を迫られるから、全体像を見た上での正解と異なる解答を出すことが、すごく多いんだ。

 人生万事塞翁さいおうが馬って言い方があるけど、そのとおりなんだよ。

 悔しい思いを一時的にしても、結局それがよかった、なんてことはすごく多い。ただ、俺達が解に辿り着いたその過程は、人の子は最後まで知らないことも多い。それで俺達が恨まれることが多いんだけど、実に損な役回りだよ。

 いいか、彩佳。入試で失敗したことは悔しいかもしれない。でもその結果、彼女たちと出会い、楽しい時間を過ごすことができた。きっかけはともかく、お前たち4人は確かに3年間同じ時を過ごし、同じ思い出を共有し、互いに信頼関係を築き上げてきた。そのことには嘘も偽りもなく、お前たち自身が、0から作り上げてきたものだ。そこまで俺たちは介入してられないからな。

 彩佳は間違いなくみんなの仲間だし、ほかの3人にとっては、そこにいないといけない存在だ。自信を持っていい。

 人生万事塞翁が馬、というのは、そういうことだ。


 もちろん、自分の人生について考え、何らかの結論を出す過程はとても大切だと思う。

 俺達にすがりっぱなしだったり、なんとかしてもらえると思い、全てを放棄して俺達に丸投げしたりするのは最悪だ。俺達の『お言葉』や『お告げ』を待ち望むバカとか、マジで消えてくれと思う。夜伽巫女がそうなったら、当然廃棄処分も視野に入るよな。

 とはいえ、いくら人の子が考えぬいて、よかれと思って決めた選択でも、俺達から見たら不具合な結末になるのが目に見えていたら、その選択が実現されるのを拒絶し、一見よくない選択肢をとるよう強制せざるを得ない時もある。できるだけ願いは叶えさせてあげたい。だけど、申し訳ないけど、長い目で見ると、一見すると不幸な方向に介入したほうがいいこともあるんだよね。そのへんは理解して欲しい。というか、俺達は異論を認めない。」


 やっぱり、ヒカル様が高校入試で何か仕掛けたんだ。

 でも、そのおかげでみんなと出会えたんだ。

 写真を手にして、じっと見てみる。そうだよね、私、この子達とちゃんと友達やってる。

 人生にいいことも悪いこともあるっていうのは、こういうことだ。


「それにしても、本当に今日がラストチャンスだった。なんとかなってよかったよ。」

 え? 何よそれ。

「明日か明後日から、彩佳はアレだろ?」

 アレって……。直接言わなくてもわかるけど。

「学校があって、二人とも親がいなくて、彩佳がアレでない日は、今日しか残ってなかったんだ。」

 だから、ヒカル様も焦ってたのね。


「俺がいうのも何だけど、彼も大変だよな。

 彩佳との性交で、絶頂に達するのは相当、厳しい。

 彼も苦悩しているだろうから、彩佳も理解してやってくれよ。」

 強引に話を変えるヒカル様。なんで?

「拡張現実って言ってたな。

 あれで、彼は耳年増みみどしまというより、かなり酷い脳年増になってる。

 毎晩のように『姉妹』と激しいことやりまくって、その過激で現実離れしたシチュエーションに溺れながら、自分の手で処理してるんだ。

 そんな爛れた生活が体に染み付いちゃってる。

 ということで、彼は生半可な肉体的な刺激だけだと、全然満足できないんだよ。

 脳をガツンと刺激しないと、もうだめなんだ。」

 うわぁ。壮絶な状況だ。かわいそう、って言っていいのかな。

「そして彩佳、お前も同様な状態になっている。

 彼がお前を満足させられないからって、彼が落ち込んでも、責めてはいけない。

 逆に、お前が彼を満足させられないからといって、お前が落ち込むことはないし、彼が落ち込むことでもない。

 俺達と夜伽を重ねた、そのちょっとした代償みたいなもんだ。

 人の子がよくやるような、体の快楽だけを求める交わりだと、全然楽しめない体になっちゃってる。」

 ……どうしろって言うのよ??

「彼と次に交わるときは、何かハードな萌えるシチュエーションを考えておいてやってくれ。

 体を犯すのではない。脳を、心を犯すんだ。

 心が揺れ動けば揺れ動くほど楽しく盛り上がれるからな。

 俺達の夜伽みたいに、変態的なプレイを楽しめばいいわけだ。」


 ……あーあ、変態にならないといけないのね。

 汚されちゃったわたし。クスン。

 ヒカル様? こうなった以上、責任とってよね? 全部、ヒカル様のせいなんだからね?

「だから、俺がこうやって状況を説明してやってるんだ。俺なりの誠意なんだが?」

 はいはい、わかりました。

 こういうときのヒカル様には、何を言っても無駄です。

 とにかく、私が真人間に戻るには、もう手遅れってことね。

 でも、私は後ろは向かない。そう決めたから。

 毒を食らわば皿までだ。

 ヒカル様に背中は任せたからね。

 お嫁さんを見捨てるヒカル様じゃないよね?


 ◇ ◇ ◇


「おやすみなさーい!」


 今日の夜伽は何だろ?

「じゃ、俺とも初体験といくか?」

 なにそれ?

「シーツの中で、裸で抱き合う。もちろん、俺のアレを彩佳の股に当てて。そのままキスで寝る。どうだ?」

 おとなしめだけど、それでいいか。

 今日はいろいろな事がありすぎて、激しいことをする気がしないし。

 じゃ、目を閉じて始めますか。


 そういえば、私がヒカル様の前で裸になるの、今回がはじめてだ。ヒカル様の裸もはじめて。

 ヒカル様の体から感じるすべすべの手触りが、晴人くんの体から感じた感覚と同じ。

 というか、実際に経験した感覚がヒカル様との夜伽に反映されるって、こういうことなんだ。

 人の肌ってあったかい。全身で誰かの体温を感じるのって、こんなに落ち着くんだね。

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