第5話 誰の隣りに

 さきからメールが来た。

「あさっての夏祭り、エリコが一緒に行かないかって聞いてきたけど。どうする? チサも誘うって。」


 8月27日は清海きよみ神社の例祭と隣の海水浴場での花火大会を一緒にやる、大玉おおたま市の夏祭りの日だった。大玉市で最も盛り上がる夏のイベントで、祭りの屋台をまわりつつ、清海神社におみくじを引きに行くのがお約束。

 そして、これは夏休みの思い出作りのラストチャンス。

 夏祭りが終わったら、宿題ためてる子供は

「お祭り終わったんだからさっさと宿題終わらせなさい!」

 と親に叱られる。学校が始まる数日前ということで、宿題の追い込みに必要なちょうどいい時間が確保されている。そういう狙いもあって大人がこの日に夏祭りをやることにしたと噂されてる。実際のところは知らないけど。


 話を聞いたら、いつもの仲良し女子グループで夏祭りをまわろう、ってことみたい。もちろん、全員、彼氏なし。女子会だ! ナンパ? お断りだよね。

「私、浴衣着てこうと思うけど、綾音はどうするの?」


 誰かさんの目がキランと輝いた気がするけど、やっぱり、有無を言わせずにそういう方向にもっていきたいのね。お約束の展開が目の前に浮かんでしまう自分が嫌だ。

「とりあえず、親に聞いてからにする。買わないといけないし。」


 ◇ ◇ ◇


「浴衣買ってもいいけど、自分で着付けしてね。」

 ヒカル様、親の頭をさっといじったな。

 一瞬の気の迷いと思われたとしても、「いいよ」と親に言わせたらヒカル様の勝ち。

「着付けを覚える授業料だと思えば浴衣代は出せる。」

 こう、取引を成立させた。一度言ってしまった以上、取り消しにくい。

「浴衣は、自分で買いに行ってね?」

 ともいわれたけど、ヒカル様にとっては願ったり叶ったりだろうな。

 どんな浴衣にしようかな。ネット通販サイトで「浴衣」とか検索してみようかな。画像検索もいいな。それに、帯も自分で結ばないといけないんだっけ。結び方覚えないと。


 誰かさんがよだれを垂らして期待してる気がするけど、今日の夜伽では期待しているような浴衣プレイは無理だと思うよ?

 え? 言われなくてもわかってるって?


 ◇ ◇ ◇


 昨日の夜伽は温泉旅行で旅館の浴衣で卓球。

 適当にラリーやって(もちろん、ヒカル様はわざと胸元がはだけるような場所ばかり狙ってくる)疲れたところをお姫様抱っこで布団に運ばれる。

 そして、布団に入ったら抱きしめられて、口移しでお茶飲んで、濃厚なキスでおしまい。

 球を打ち返すたびに、おそろいのダガーモチーフのペンダントが首の下で揺れた。

 やけにソフトなプレイだったけど、無理やり浴衣プレイにするのがすごい。

 それにしても、温泉宿の浴衣って、デザイン性皆無だよね。オッサンと若い女子が両方着れるデザインって限られてるのかな。盗難も怖いし。


 ◇ ◇ ◇


 翌日、三山みつやま駅に向かう。あるビルの催事場で浴衣のバーゲンをやっているので、叩き売られている浴衣を買う予定。

「友達呼ぶなよ!」

 そうヒカル様に言われたけど、もともとそのつもり。俺が選ぶから他の人に口出させるな! とヒカル様は言いたいんだろうけど、私だって、いくら親しい友達といえ、ヒカル様との楽しいショッピングタイムを邪魔されるわけにはいかない。

 女子力高めな、ピンクや紫の生地のコーナーをつい探してしまう。

 花柄とか、キュートでスイートなものばかりに目がいってしまう。


「そのあたりだと、半分しか楽しめないぞ、彩佳あやか。」

 え? 半分って?

「俺の目からしてみたら、これあたりが似合うと思うけどな。」


 ちょっと、これ? マジで?

 生成りに赤紫の縦縞?

 縞の幅はみな、私の腕の太さの半分くらい。まっすぐな縦縞というより、途中で太さが変わってる。ゆらゆらしてて、なんかシマウマの縞みたい。


「正しくは、よろけ縞、だ。

 朝顔色のよろけ縞だし、悪くはないでしょ?」

 昨日の温泉浴衣そっくりというか、縦縞のパジャマに見えなくもない。

「まあ、いいから。こういう時、俺が彩佳に嘘をつくとでも?」


 そういえばそうだ。

 ヒカル様の服のセンスは基本的に間違っていない。

 自分が楽しむためには全力をつくすのがヒカル様。私が照れて恥ずがしがってる姿はともかく、私がセンスの悪い服で嘲笑される姿は、ヒカル様は許さない。

「ヒカル様がそこまで言うならこれにするけど、本当にいいの?」

 セットになっていた濃い赤の帯と淡いピンクのへこ帯、あと赤い鼻緒の黒塗りの下駄をレジに持っていく。


 ◇ ◇ ◇


 家に帰って浴衣の帯結びの練習だ。浴衣セットの説明見てもよくわからないので、インターネットの帯結び動画を延々と見ながら練習。


 えー?

 他の女子も、みんなこれ出来るの?

 かなりややこしいんですけど。

 形をきれいにつくるのも大変。

 文庫結びを延々とトライしたけど、きれいに決まらない。

 次に貝の口結びにチャレンジ。なんとか結び方はわかるけど、バランスがとれない。

 もういい、今日はこれでおしまいにしよっと。一晩寝たら、頭が落ち着くかも。


 ◇ ◇ ◇


 昨日の夜伽は温泉街でのいちゃいちゃ。

 中学の宿泊旅行で行った温泉街。谷間の川にそって道があって、温泉街がある。川の近くにいくと、ゴーーーッと続く川が流れる音がする。

 その音をBGMに浴衣姿でヒカル様とデート。


 私は着ている浴衣は、ほしいけど諦めた濃い紫色で大きな牡丹の花柄の浴衣に、濃いピンクの帯。淡い紫やピンクだと子供っぽく見えるから。濃いめの色。

 夜伽ではちゃんと文庫結びができている私。何で本番では結べないんだろ。

 ヒカル様は残念ながら温泉旅館のダメダメ浴衣。

 おそろいのペンダントがちょっと、じゃなかった、すごくうれしい。


 手を繋いだり、腕にしがみついたりして川沿いを歩く私とヒカル様。

 髪も最近では肩より下まで伸びてきた。お風呂あがりっぽいちょっと濡れた髪を、歩きながらヒカル様がなでなでしてくれた。たまに髪先をいじるヒカル様。頭から肩まで髪をなでられると、幸せな気分。

 たまに目が合うと、ちょっと照れくさいけど幸せな感じがする。

 ずっとデレデレしてた私の頬は、ゆるみっぱなしだったんだろうな。


 最後は部屋で温泉まんじゅうをお互いに「あーん」。細長いお菓子を両側からかじっていくパーティーゲームがあるけど、それをおまんじゅうでやると、すごくドキドキする。

 そのままキスして、後ろからヒカル様に抱かれて、浴衣の胸元に手を入れられて、軽く胸と心をなでなでされておしまい。体の中を直接なでられる快感は強烈だ。


 あれ? 何か大切なプレイをするのを忘れてたかな? でも、

「明日が本番だからな?」

 と言われて、ごまかされた気がする。


 ◇ ◇ ◇


「お待たせー!」

 私が集合場所についたら、既に咲、エリコ、チサがいた。私は5分遅れだったけど、しょうがない。

 実は、浴衣の帯がきれいに決まらなくて、浴衣セットに入っていた淡いピンクのへこ帯にすることにした。これだと簡単に結べるもんね。時間がなかったから、髪もお団子にして赤紫のリボンで簡単にまとめた。浴衣のよろけ縞にできるだけ近い色のリボンを選んでみたんだ。

 人間、妥協とあきらめが大切。彼氏ナシの女子だけで楽しむお祭りで、下手に目立つ理由もない。ヒカル様が

「彩佳、そろそろプランBに移らないと時間がやばいぞ!」

 って言って、私が素直にそれに従って帯をへこ帯にする決断をしたから、5分遅れで済んだんだけど、ヒカル様が注意してなかったらもっと悲惨なことになっていたと思う。ちゃんとヒカル様の忠告を聞いた私も偉い。


 咲は紺色地に白抜きの紫陽花あじさい柄の浴衣。白地の帯を、ちょっと変形した貝の口結びにきりっと結んで、赤い帯締め。髪の毛は編みこみとかんざしでしっかり決めてる。

「おばあちゃんのおさがりだけど、古臭くないかな?」

「そんなこと無いよ、だからこそ新鮮でいいと思うよ。咲がおばあちゃん思いということもわかるし、全然いいと思うよ。」

「よかった。」


 チサは白地にブルー一色で、流水りゅうすい桔梗ききょう撫子なでしこの花が描いてある浴衣。藍色の帯と桐下駄。スラっと高い身長にすごく似合っていて、地味に迫力がある。そして前髪を片方に流してピンで止めてる。髪がそんなに長くないので、飾りは特にない。でも、女の子女の子してなくて、スッキリしてて、大人っぽい。男の人に声かけられちゃうかも。

「チサ、かっこいいね。」

「……フッ。」


 エリコは白地にパステルカラーの大きな朝顔が可愛い浴衣。淡いグリーンのへこ帯に、シフォンの花の飾りが元気な感じを出してる。

綾音あやね、どう? 私、かわいく見える?」

「エリコにぴったりだと思うよ。」

「帯結べなくて、へこ帯にしたけど、道連れがいてよかった。」

 うるさいっ! 人が気にしていることを!

 でも、ちょっと安心した。運動が得意なエリコでも苦手なことがあるなんて。髪の毛をポニーテールにしてシュシュでまとめてるのは髪のセットが面倒だから? と聞いてみたいけど、聞かないであげるのが優しさだと思う。それに、私も突っ込まれたくないし。


 ◇ ◇ ◇


「じゃあ、どこいく?」

「食い歩きー!」

 やけ食いの達人のエリコ、即答。

「焼きそばとたこ焼きは外せないよねー?」

「たこ焼きは普段あまり食べる機会はないけど、焼きそばくらいはあるんじゃない?」

 と聞いたら、

「大量に作る焼きそばはフライパンでちまちま作る焼きそばと味が違う!」

 と叱られた。

 もちろん、歯に青のりがつくのが確定なので、エリコ以外は手を出さない。私だって年頃の女子だ。


 結局、私は唐揚げ、咲はベビーカステラ(というけど、どうみてもカステラじゃないよね? あれ)、チサはかき氷。エリコは焼きイカを追加。焼き物ばかり狙うとは渋いな、エリコ。

 途中、チサがチョコバナナの屋台で立ち止まってた。エリコが焼きイカを頭、にみえるけど頭じゃない三角形の部分をかじりながら

「ん? チサ、チョコバナナ食べたいの?」

 と聞いたら、チサは三つ数えたくらい後に

「いや、別に」

 と言ってた。

「綾音、一緒に食べる?」

 とチサに聞かれたけど、特に食べたかったわけじゃないからパス。


 ◇ ◇ ◇


 一通り食べ物を仕入れたところで、

「綾音、期末テストどうだった?」

 と、エリコに聞かれる。夏休みのお約束、成績暴露大会。

「そういえば綾音、補習で一度も見かけなかったけど、どうしたの?」

「今回は運良くセーフだったよ。」

「マジで?」

 エリコがびっくりしてる。


 何を隠そう、私もびっくりしたんだよね。

 実は、今回の期末で奇跡的に補習を回避できた。普段は何個かやられるのに。

 ほとんどの科目で、上限これくらい、下限これくらいと読んでたところ、ほぼその上限の点数がとれてた。

 数学の応用問題も、普段は諦めてるのに2題もいい線いったし。

 暗記科目も、直前に目を通してた所が結構出題されてた。


 それに、すごいびっくりしたんだけど、試験を受けている時の私の集中力もすごかった。

 不思議な事に、時間の流れ方が遅かったんだよね。一回、

「もう45分くらい経ったかな、時間どうしよう?」

 と時計見たら、実際には40分しか経ってなかった。

 これって、他の人に比べて、自分だけ試験時間がちょっとだけ長く使えるようなものなんだよね。頭の回転がもともと速い子はともかく、私みたいにギリギリ終わらないことが結構多い人にはこの5分はとても貴重。

 期末は何気にもう少しで優秀者ランキング入りだったけど、それはみんなには秘密。次のテストで点が悪かったら恥ずかしいもんね。

「運が良かったんだよ。」

 そうごまかすことにしたけど、偶然にしてはできすぎている。

 理由はなんとなくわかってるし、そしてその理由は気軽に人に言っていいものではないから。


 なお、エリコは半分くらい補習になる、補習の常連。テストが返ってきた時、

「ぬおおおおおうううう」

 と大げさに天を仰ぐか、帰りにソフトクリーム屋に誘われるから一発でわかる。ソフトクリーム屋で3つやけ食いが補習確定で暴れるエリコのお約束。バニラ、チョコ、ミックスの3つを制覇しないと気がすまないそうで。もちろん、私は1つしかつき合わない。

 咲は補習1つひっかかってた。

 チサはいつも優秀者ランキングの上の方に入ってるくらい頭いいから、補習と縁がない。


「そういえばさ、綾音って最近、表情がやさしくなったと思わない?

 普通、受験近づくと不安というかストレスでピリピリして、イラつく人が多くなるでしょ? でも、綾音って不思議な事に逆なんだよね。落ち着いて、温和な感じがするけど、どうしたの? 何かいいことあった?」

 エリコが鋭いことを言う。

 言われてみたらそうだ。最近、ずっと幸せばかり続いている気がする。


「あ、わかった。小郡おごおりくんと進展があったんでしょ。なんかあったら言ってくれるって約束したのに。

 ねえ、どこまで行ったの? もしかして告白されたの? もうキスしちゃったとか?」

 そう。小郡くん。彼、相変わらず私をチラチラ見るんだよね。

 最初から咲にばれてるよ、っていうか、咲が敏感すぎる。

 キスなんて、そんな、ねえ。


「本当になにもないって。」

 私は咲に全部話すなんて一言も言ってない。

 それに言えないよ、ヒカル様とのこと。

 昨日もキスどころか、心を直接抱かれるところまで行ったなんて。

 改めて考えるとすごい進んでるというか、人間相手では無理なことをやってる私。


「不潔。」

 チサが意味不明の一言。

 これでこの話題は終わりにしろ、ってことね。よかった。助かった。


 ◇ ◇ ◇


「よし、金魚すくいで勝負だ! 覚悟しろチサ!」

「金魚飼えないよー。」

 咲がもっともらしい事を言うので、スーパーボールすくいに変更。

 最初に突撃したエリコが特大のボールを狙って、いきなりポイを破く。どう見ても狙いすぎ。結局、小さいの2つ取って、

「ゼロじゃない、ゼロじゃないんだから。」

 と下を向いていじける。


 普通の大きさのボールを狙った私が6個、咲が4個。

 チサは淡々と、着々と少し大きめを20個近く入れていく。冷静な目とよどみない動きで、エリコに「マシーン・チサ」の称号をもらう。

「これ人間じゃなくてマシーンだろ?」

 だって。


 ◇ ◇ ◇


 清海神社の境内に並ぶ出店を一通り楽しんだあとは、おみくじを引いてお守りを買わないと。お守りにもいろいろあって、厄除け、恋愛、健康、安全、学業、商売繁盛、と一通り揃ってる。当分の間、縁はなさそうだけど、子宝や安産なんてのもある。

 人がそれなりに多いので、妙に当たるという噂で有名な、人気があるこの神社のおみくじを引くのは、ちょっと待ちそう。

 ちょうど巫女舞が始まるところで、独特の「みょーん」とか、「ぽわーん」とした雅楽の音がする。鈴を持った、ふわっとした衣装の巫女さんがちょうど登場した所。


「ちょ、やばっ!」

 エリコが慌てる。

「巫女舞始まったってことは、そろそろ花火じゃない! 場所取り行かないと!」

「おみくじどうするのよ?」

 私が聞いたら、

「おみくじは後でいいでしょ! いつでも引けるから。

 それより花火、花火! 早く場所取りしないと!」

 せかされた以上、しょうがない。残念だけど、今回はおみくじとお守りはパス。どんなのが引けるか、見てみたかった気もするけど。


「男の人って巫女さんに憧れる人が多いって聞くけど、どうなのかな?」

 咲の気軽な一言が心を抉る。


 そういえば、私、ヒカル様の夜伽巫女になったんだ。

 その上、夜伽中にカラオケボックスでヒカル様のために歌って踊った。ばっちり巫女舞しちゃったよ、私。

 そして、あの日の夜伽、太ももの間にヒカル様がずっといたよね。何やっちゃってるんだろ、私。


「男は巫女属性に憧れてるだけ。」

 チサが切り捨てる。

「私が巫女のバイトしたら、彼氏に自慢できたりして?」

 無邪気にエリコが言う。


 ……やめて。

 私、何なの?

 みんな、何言ってるの?

 祭りの喧騒がはるか遠くに聞こえる。

 周囲の人が違う世界にいるように感じる。

 何これ? 映画のセットに一人でいるみたい。


「綾音! 何してるの? さっさと行くよ!」

 エリコの一言で我に返る。

 そもそも私にとっての現実ってなんだろう?

 でも、そうだね、行かないと。

 今は私を呼ぶ友達のところへ。


 ◇ ◇ ◇


 花火待ちの間に、首もとを団扇でパタパタ扇ぐエリコ。

「エリコ、袖口から風を入れる感じでゆっくり扇いだ方がいいと思うよ? 強く扇ぐと疲れるだけで全然涼しくならないんだって。

 あと、首もとを扇ぐときは、自分を通り越して、隣の人に風を送る感じで、ゆっくり。」

 咲が詳しくてびっくり。

「咲はよく知ってるな。おばあちゃんからいろいろ聞いたんだな。」

 ヒカル様がぼそっと言ったとおり、袖から扇いだほうが涼しく、そして風流な感じがする。


 え? ヒカル様?

 そういえば、ヒカル様、夏祭り中、ずっと現れなかった。はじめて声がした。


「花火始まったー!」

 エリコが言ったけど、言われなくても私にも花火の音が聞こえてる。


 しばらく花火を見上げてても、私は全然楽しくない。

 去年までは深く考えることなく、楽しめたのに。

 ヒカル様、気を使ってくれてたんだ。今年も私が友達と楽しめるように。

 そうだ、今年も、清海神社であの巫女さんを見るまで楽しかった。でも、なんでだろ。

 今はもう花火はどうでもいい。

 隣の咲も、エリコも、チサも、遠い世界の人間に見えてしまう。

 ちゃんとまわりが見えているのに、手が届かない。プラスチックかガラスの壁を通して、むこうを見てる感じ。

 でも、そんなものは本当はないことくらい、わかってる。

 ちゃんと地に足ついてるし、咲が扇いだ風もこっちに来ている。


 ふと隣を見たら、きれいな銀狐がいた。

 実際は存在しないことがはっきりわかってるのに、でも、はっきりと存在感がある。

 まるで、ガラスの壁に書かれた絵のように。絵じゃなくて立体的。

 こうなると幻影、というべきなのかな。

 私の腰の高さくらいで、神社の狛犬のようにお上品にちょこんと座っている。狛犬じゃなくて、優しい端正な顔立ちの顔の銀狐だけどね。

 私が銀狐を見てると、狐が顔をこっちに向けた。


「この狐、ヒカル様?」

 目を閉じてする夜伽の間でもないのにヒカル様が見える。

 起きている時に姿を見るのは今回がはじめて。それも、狐の姿で。

 私が微笑みかけると、表情は大きく変わらないけど、ヒカル様も私に向かって微笑んだ気がする。

 そうか、私、ヒカル様と一緒に花火を見てるんだ。

 そう思うと、少し心が軽くなった気がした。


 ◇ ◇ ◇


「花火楽しかったー! 来年もこんな感じで、みんなで楽しく花火見れるといいなー。」

 心が痛む。

 そうだ。私、友達と夏祭り回ってたのに。

 最後は、隣の友達ではなく、隣のヒカル様のことばかり考えてた。

 友達とではなく、ヒカル様と花火を見てた。

 友達よりヒカル様を選んじゃった。


 何やってるんだろう、私。

 なんか泣きそうになってきた。


「綾音ちゃん、どうしたの?」

 咲が優しく言ってくれるけど、その優しさが今は辛い。

「ごめんね、下駄の鼻緒はなおが痛くて。」

 そして、適当な嘘をついてごまかすことにした自分が、少し嫌い。

「しょうがないな、今日はこれくらいでおとなしく帰るか。負傷者が出たみたいだし。」

 流してくれてありがとう、エリコ。

 ごめんね、みんな。


 ◇ ◇ ◇


「おやすみなさーい。」


 楽しいはずのお祭りが、最後に大変なことに。落ち込んだ顔をしてるんだろうけど、理由を聞かれたくないので、下駄の鼻緒で足が痛いことにしてごまかした。

 それに、

「なんだ、へこ帯に逃げたのかよ。来年こそはちゃんと帯結べるようになっとけよ?」

 とお小言を言われてしまった。

 浴衣を着る機会はこれからもあるから、次こそはちゃんと帯を結べるようにしよう。

 それにしても、来年、みんなと笑いながら夏祭りにいけるかな。


 ◇ ◇ ◇


 目を閉じたらお約束の夜伽タイム。

 今日は温泉街シリーズでなくて神社のいつもの和室。

 私は今日来ていた浴衣姿、ヒカル様もなんと! 生成りに黒のよろけ縞の、私と色違いの浴衣を着ています!

 昨日の浴衣だと半分だけしか楽しめないと言ってたのは、こういうことだったのね。

 なお、帯の結び目はちょっと練習した貝の口結び。女子は真ん中、男子はちょっとずらして結ぶのが粋らしい。帯の色はヒカル様が黒、私が朱色。室内なので足元は裸足。もちろん、おそろいのペンダントを首から下げている。


「彩佳、俺のために浴衣の着付けを覚えてくれてありがとな。実際に結ぶのは大変だけど、俺を喜ばそうとして何度も練習してくれたの、涙が出そうになったぜ。」

 そうか、私のがんばり、ヒカル様は見ててくれたんだ。

 ヒカル様にかわいい浴衣姿を見せようとした気持ち、しっかり伝わってる。

 でも、お世辞で懐柔される前に、どうしても一つ、聞かないといけないことがある。


「ねえ。ヒカル様。あの銀狐、ヒカル様だよね?」

「何のことかな?」

「とぼけないでよ。夜伽でもないのに出てきたから、びっくりしたじゃない。」

「そこまで彩佳が強く言うなら、俺もごまかすのはやめたほうがいいな。

 本来見えないはずのものが見えちゃったということは、それだけ俺への強い想いがある、ってことだ。

 あれはお前の幻覚ではない。彩佳の脳が俺を強く求めたから見えてしまったんだよ。もちろん、俺もそれを容認したから、出てこれたんだけどね。俺が全力で隠れたかったら、絶対に見えないって。」

「私がヒカル様を求める?」

「あの時、彩佳は俺と花火を見たいと強く願った。だから俺の姿が見えた。お前の願いが叶ったんだよ。」


 そう。こんなに深い関係になってたのね。

 ヒカル様が私のリアルをどんどん侵食する。


「彩佳も、なんだかんだいって、嫌じゃないだろ? 俺が見えたこと。」

「私がヒカル様を受け入れたから、見えたんでしょ? 私が拒絶したら見えない、というならね。」

「彩佳、お前は俺の夜伽巫女として、驚くべき速さで成長している。ものすごい才能だよ。

 彩佳を見つけられて、本当によかった。」

 複雑な話っぽいけど、ほめられたら、悪い気はしないよね。


「さて、今日の浴衣だけど、俺がちょっとおもしろい仕掛けをしたんだよねー。」

 ヒカル様がいつもの様子に戻る。

「帯って普通、何周巻くんだっけ?」

 2周。即答だ。何度もやったから覚えてる。

「実は俺がいたずらして、着付けの時4周巻いちゃいましたー!」

 これは、もしかして、もしかすると、あれ?

「あーれー」って町娘がくるくる周るお遊び。ヒカル様、今日までとっておいたのかな?

「大正解。じゃ、帯の結び目を解いて、」

 どう解かれているか、その感覚がすごくよくわかる。いっぱい練習したから。

「最後は俺がしっかり抱きしめてやるからな。さて、準備はいいか? 

 よいではないか、よいではないか。そーれー」

「あーれー」と言いながら、律儀に4回転する。目が回った感じがする。

 そして、最後はヒカル様がちゃんと抱きしめてくれる。

 ネタを演じてるとわかってても、心が幸せになる。


「そういえば彩佳、最近髪が長くなってきて、うなじを見る機会がないけど、」

 そういえばそうだ。長いほうが巫女っぽいでしょ?

「髪の毛をまとめていると、きれいなうなじが新鮮だよねー。」

 私を抱きしめたまま、ヒカル様がペロペロ舐める。

「ちょっと、恥ずかしいじゃない!」

 次は耳を舐める。

「いつまでも舐めないでよお。もうっ。」


 口へのキスでなくて、顔の他のところへのキスがなぜか新鮮に感じる。いつも、いろいろキスされてるのに、キスといえば口に舌をいれるキスと考えてしまう私がいる。

 それにしても、唇を押し付けてくるだけでなく、ペロペロ舐めるところがヒカル様らしい。

「狐に舐められてる感じがするって?

 ほら、犬だって人の顔を舐めるっていうじゃない。マロンちゃんあの駄犬は顔舐める趣味はないけどね。

 花火の時に銀狐をみたということは、今日は狐ペロペロプレイをしたいという彩佳の潜在意識の現れだよ。」

 意味不明なことをいうヒカル様。人間の言葉がまじめに通じない設定なの?

 抱きしめられながらペロペロとヒカル様になめられてると、恥ずかしいというか、非現実的な感じがしてむずかゆくなる。

 気づいたら布団の隣まで誘導されていた私。気づかなかった。

 そこで、急に、ヒカル様が私を変にひっぱって後ろに倒れる。

「きゃっ!」

 ヒカル様はあぐら座り。そして、私はヒカル様の足の間にお尻がはさまった感じで、座り姫抱っこ。


 最近知ってしまったんだけど、お姫様抱っこって、抱かれる向きによって、感じがぜんぜん違うんだよね。

 ヒカル様の右肩に私の頭が来る抱かれ方だと、利き腕の右腕で何かをつかむことがなかなかできなくて、ヒカル様に逆らえない感じがしてドキドキする。

 一方、左肩に私の頭が来ると、右腕でヒカル様の背中につかまることができて、安心できる。そのまま、ぎゅーっとヒカル様の頭に私の頭を近づけ、顔をしゅりしゅりとこすりつけると、心が落ち着く。

 その上、腕が膝の真下にくるか、少しお尻側にずらすかでも違ってくる。膝の真下だと動きが一気に制限されて、これまたドキドキする。

 ヒカル様はこのあたりをしっかりわかってる。今回はいちばんドキドキするようなお姫様抱っこ。


「さーて、今日はもっといっぱい、彩佳を可愛がらないとねー。」

 ヒカル様がさっと私を上に投げる。

「ふぇっ?」

 びっくりする私を捕まえるヒカル様。

 狐らしい俊敏しゅんびんさで、私の体勢を変える。

 落ち着いて現状を把握すると、とんでもないことになっている私。

 ヒカル様の左腕が、私のお尻を支えている。

 ヒカル様の右腕が、身八つ口(浴衣にもあるんだよね)を通して、私の背中を直接支えている。

 そして、ヒカル様の顔が、私の、む、胸に、直接!!

「今の彩佳は下着なんて野暮なものをつけてないから、彩佳は前を全部はだけてるんだよねー。和装下着プレイというのも、いつかやろうと思うけど。」

 いまさらながら、自分が今置かれている状況で顔を真っ赤になっている。もっと恥ずかしい体勢も何度もやったと思うけど、それでも恥ずかしい。

 そして、狐プレイということは、まさか!?

「彩佳の胸は俺を喜ばすためにあるんだよねー?」

 ヒカル様の顔が私の胸の谷間に。その上、胸をペロペロする。たまに乳首まで舐められる。

 逃げられない私をヒカル様の舌が蹂躙する。

 くすぐったい。

 照れくさい。


「もう、何やってるのよ! 怒るよ! ひぃ、そこはだめー!」

 ヒカル様は許してくれない。そんなに私の胸が好きなの?

 胸を徹底的に舌で攻めるヒカル様。

 なんか、微妙にムカつく。

 私を可愛がるのではなく、胸で遊びたいだけなの?

 ちょっといらつく。なんか今日は気が立ってるみたい。

「ヒカル様? 私より私の胸のほうが好きなのね? ふんっ!」

 ヒカル様が止まった。

「もしかして怒ってる?」

 ヒカル様に聞かれたから、怒ってる顔してやった。


「悪かったな。」

 ヒカル様は素直に私をおろしてくれて、座り姫抱っこに戻る。

「お詫びに膝枕してあげるけど、どっち向く?」

 もう! 今日のヒカル様は嫌いだから背中向ける!


「そんなつれないこと言わないでよ、彩佳。

 俺は、彩佳のかわいい顔を見たいんだ。」

 ……そう言うなら、しょうがないな。体の向きを180度まわす。私の顔がヒカル様の股座のすぐ前に。

 そういえば、ヒカル様にもアレがあるのかな? チサがガン見してたチョコバナナが頭に浮かぶ。

「今日はやりすぎてごめんな。

 でも、彩佳が俺を好きなように、俺も彩佳が好きで、彩佳をすごく可愛がりたいんだ。」

 ヒカル様に背中と頭をなでられてると、幸せな気分になった。

 お世辞で丸め込まれた気がするけど、まあいいか。


 あれ?そういえば、今日はキスなしなの?

 起き上がってキスして、また元の姿勢にもどる。


「なあ彩佳。彩佳が一番大切な人って、誰?」

 ヒカル様が頭を撫でながら囁く。

 誰と言われても、即答できない。家族も大切だし、友達も大切。でも……


「彩佳、素直になってよ。俺にとっては、彩佳が一番、大切なんだけどなあ。」

 いつものように、ずるい言い方をするヒカル様。

 頭なでなでをつづけるヒカル様。


 本当は「ヒカル様」って答えたらだめなんだろうな。

 でも、ヒカル様がいない人生なんて、もう考えられない。


「……やっぱり、ヒカル様かな。」

 ついに言っちゃった。


「いい子だ。好きだよ、彩佳。」

 ヒカル様がもう一つの手を私の背中に押し当てる。

 背中がぽかぽか温かくなって来る。

 あ、何か流し込んでるな。体の中を陵辱するのではなく、私を落ち着かせている。

「俺の大切な夜伽巫女の彩佳。今日は、このまま寝ちゃいなよ。」


 頭をなでなでされ、背中を温められながら幸せいっぱいになる。

 夏なのに、温められても不快になることはない。

 不思議な感じがするけど、これが私にとっての日常。

 暇な時にヒカル様と念話でだべりつつ、一日の終りにヒカル様と夜伽することが人生の楽しみになってる。


 まあいいか。毎日が充実してて、

 楽しく幸せに生活できてるし。

 ヒカル様と出会う前の人生がどんなのか、遠い過去に感じられる。

 もう、いまいち思い出せないや。


 ヒカル様、おやすみなさい。

 また明日もよろしくね。

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