其の十二 【インガメ】
その日は、朝から雲行きが怪しかった。
空を見れば、暗雲がグルグルと今にも襲い掛かってきそうで身震いを一つする。
今日のところは、商売は難しそうだ。
しかも、商売道具の卵のほうも、あと2~3個と心もとない。
逢魔が時、稼ぎ時にも関わらず、店をたたもうとしていたその時だった。
「くださいなー。」
どこからともなく、歌うような声がした。
「誰だい?今日はもう店じまいだよ。」
面倒くさそうにそう言うと、その声に背を向けた。
「えー、ざーんねん。」
思った通りその声の主は厄介な奴であった。
「あたしゃ、こっち側の人とは、取引しないんだ。」
そういうと、聞こえよがしにし舌打ちをしてみせた。
ふん、どうせ卵が目的ではないのだろう。その小娘をねめつけた。
「最近、悪さが過ぎる狭間人が居るらしくってさあ。そのパトロールにきたら、偶然ここに来ちゃった。」
チャラチャラしたミニスカートをヒラヒラさせながらその娘は舌を出した。
白々しい。
「アンタ、矢田の者かい。矢田の者にとやかく言われる謂れはないね。アンタらだって、同じ穴の狢じゃあないか。」
そう言うと、その小娘は眉間にしわを寄せた。
「嫌だわ、あなたみたいな蠱毒師と一緒にしないでよ。あんなキモい蟲を使役して。穢れを餌にして、その卵を産ませてるんだよね?」
見下すような目で見られたので、反論した。
「穢れを食べさせて何が悪いのさ。そうしないと、世の中は穢れで溢れてしまうじゃないか。」
すると、小娘は、フンと鼻を鳴らした。
「穢れをたべさせて、また穢れを産んで人に悪さしているくせに。ねえ、物部(もののべ)の犬神のお姫様。」
「その名前で、あたしを呼ぶんじゃないよ!」
そう叫んで電光石火のシキを飛ばすと、ふっとその少女の姿は消えた。
「あたしにそういうの無駄だってー。」
そう少女は笑うと、トンとふざけた玩具の魔法ステッキでそれの肩を突くと、それは崩れ落ち、右肩から下を失った。
それは、ギリギリと歯ぎしりをして、ひざまずいて天空より逆さにぶら下がっている少女を睨んだ。
「あたしたちは、次元の狭間人でしょ。お互いの次元に干渉することはできないけど、あたしにはそれができるんだなあ。」
その少女は得意げに、貧相な胸をはってみせた。
「卵屋さん、あなたを上の命で解きにきましたよぉ。」
少女はくるくるとステッキを器用に回すと、えいっとこちらに向けてウィンクをした。
「自分だって、あこぎなことをしているじゃないか。アンタ、現世(うつしよ)の人間をカエルに変えちまったっていうじゃないか。」
そう言うと、少女は無表情に済まして言った。
「あら、自分で阿漕なことをしている自覚あるって認めた。言っておくけど、あたしの場合は、その男が強欲だったから仕方ない結果だったのよ?アリアドネは悪くないモン!」
矢田アリアドネ。次元の狭間人、矢田一族の娘。
「式神ごときが。偉そうにするな。」
挑発しても、まったくその少女は表情一つ変えない。
矢田一族の長男のクロードには多少、情があるようだが、この娘にはまったくそれがない。
非情のアリアドネ。どうやら、あたしももはやこれまでのようだと、それは感じた。
「しかし、なんで物部の美しいお姫様が、誰にも姿がわからないような形で表れているの?やはり身バレは困るんだ。あたしがあなただったら、その美しい姿で惑わせて卵を渡すけどなあ。」
そう言って、速く始末すればいいものを、もったいつけてステッキをもてあそんでいる。
「人というものは、そんなにバカじゃあないのさ。美しいものにはとげがある。うまい話には裏がある。あたしは、この因果目(インガメ)を使って、自分の姿を曖昧にして人の目を欺くのさ。」
現世にいるころには、この目を使って、いろんな者を操ってきた。
ただ、一人を除いて。
愛しい人。だが、その者も同じ犬神の筋の者だとは知らなかった。
裏切られ呪詛を受けてこの身は現世で滅んだ。
その時に誓ったのだ。
もう何も信じる者はない。あたしの永遠の苦しみを、穢れを、この現世に溢れさせてみせる。
そして、曖昧な愛はすべて穢れに変えてみせる。
あたしは、除夜の鐘とともに放たれた穢れを蟲に食べさせて、そしてまた穢れを産み落とす。
産み落とされた穢れはまた、現世にはびこり、除夜の鐘では間に合わないほどに、現世にあふれさせてみせる。
しかし、もうそれもかなわない願いとなったようだ。
「覚えておいで、矢田の小娘よ。あたしが滅びようとも、きっとまた穢れを利用する輩は現れるよ。蠱毒使いは必ず、現れる。」
やはり無表情な少女は一言
「さようなら」
というと、ステッキをくるくる回し、その卵屋の体は一本の糸に解けると、空を渡った。
どんな姿になろうとも、あたしの恨みは千年万年続くよ。
いつかまた、どこかの町で村で呪詛を吐き続ける。
この世に穢れがある限りね。
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