其の十一 【カラスのヤタ】

悔しい。

私は率直にそう思った。


 ひとみは外見もかわいいばかりではなく、屈託がなく誰からも愛される。その彼女が当然のように私の憧れるS先輩と付き合い始めた。私は中学の頃からずっと知り合いで、割と話も合い、自分でも少し、いい感じではないかな、と勘違いしていたのだ。


 あっさりしたもんだ。やっぱりかわいい人は意図も簡単に、人の心を奪うことができる。

今まで先輩に嫌われないように、優しさをさりげなくアピールしたり、おしゃれをしたりして、自然に友達から恋人になることを夢見ていた私がバカみたい。

 でもいくら私が思っても、先輩が好きなのは、どうしたって彼女なのだ。

私はその夜、枕を濡らした。


 そんなある日、私のクラスに転校生が来た。この時期に、わざわざ他所の高校から転校してくるとは珍しい。

「矢田クロードです。」

漆黒、それが彼を表現するにふさわしいと思った。

ハーフらしいが、髪の毛は漆黒、瞳も漆黒。そして、対比して抜けるように白い肌。

その肌は彼の黒をより際立たせるためにあるような存在感。

大きく切れ上がった目、鼻柱は細く尖り、唇は薄く、これまた横に大きく切れ上がっている。

そのエキゾチックな容姿に、女子全員が魅了された。


 休み時間になると、あっという間に彼の周りには女子が群れた。

だが、彼は実にクールだった。愛想笑いするわけでもなく、黙って本を読んでいた。

女子のほうも、相手にされないとなると、あれほど容姿に熱狂していたにも関わらず、陰口を叩くようになったのだ。

「ちょっとカッコいいと思って、スカしてる。」

相手にされない。憎い。実に短絡思考である。

本当は、興味津々のくせに。

 私は、彼に関して全く興味がないというわけではないが、少なくとも他の女子とは違う感情を抱いていた。


 何と言ったらいいだろう。


「違和感」

彼は、人間ばなれしていると思ったのだ。


 私が彼にあまり興味がないのは、やはりいまだに、叶わぬ想いに身を焦がしているからである。

ひとみはずるい。私はずっと、何年間もS先輩を思い続けて、良い関係を続けてきたというのに。ほんの高校に入学して数ヶ月で彼女の座についた。人よりかわいいというだけで。先輩の何がわかってるっていうの?


 私は知ってる。先輩が足が速いのは、才能だと思われてるけど、実は毎日血の滲むような練習をしていることを。人知れず、怪我をした鳩の面倒を見ていたことを。部活で遅くなった私を、家が同じ方向だからと、まったく別の方向にも関わらず、送ってくれたことを。ひとみなんか、先輩の顔しか見てないくせに。

「S先輩の顔ってめっちゃタイプ。」

そう言われた時の私の憤りを彼女は知らない。

悪気は無いのだ。現に先輩はカッコいいのだから。でも、それだけじゃあないんだから。

あんたなんて、先輩のこと、何も知らないくせに。


「黒いね。」

私は、耳元のすぐ後ろで囁かれて飛び上がった。

驚いて振り向くと、そこには、矢田君が立っていた。

笑っている。初めて見た。

私が意味がわからず、立ちすくんでいると、もう一度彼は言った。


「君は、黒い。」

誰よりも黒く見える矢田君にそんなことを言われ戸惑った。

私が?黒い?肌の色は白い方だ。


夕日が二人の影を長く伸ばしている。

私の影より、さらに色濃い彼の長い影に違和感を感じた。


足が、三本ある?嘘っ。

私は目を疑った。

彼が長い腕を大きく広げた。

影が翼を持ったように見えた。


八咫烏。

私の脳裏に浮かんだ。


「黒いって。何が?」

私は、彼に疑問を投げかけた。


先ほど見た影は幻か。いつの間にか、細く長い彼のシルエットでしかなくなっていた。

「君から黒い念が流れてくる。」

彼はそう言うと、また笑った。


「はあ?意味わかんない。」

私は不快になった。確かに、今私は、先輩とひとみのことを考えてはいたが、彼に何がわかる。

適当なことを言って、私をからかっているのだろう。

そうは思ったものの、やはり私の感じた違和感は本物で、彼は薄気味悪い存在でしかない。

私は薄笑いを浮かべる彼を無視して、夕闇せまる校庭を後にした。


海辺の風が頬を刺す。凍える手に息を吐きかけながら、ぼんやりと歩いていると、公園のベンチに見知った二人の姿を見た。

先輩、ひとみ。

私は何故か、公園の手前の木陰に身を隠してしまった。心臓がキリキリとしめつけられ、叫びだしそう。

二人の影が、重なりあった。

その瞬間、私は世界に、一人取り残された。そんなどうしようもない絶望。

いつの間にか、走り出していた。先ほどまでの、夕焼けが嘘のように掻き曇り、空が泣いた。

夕立。


悔しい、悔しい、悔しい。

死ねばいい、死ねばいい、ひとみなんて、死ねばいい!


びしょ濡れになったおかげで、私の涙は、雨粒にしか見えない。

そう思うと、おもいっきり泣けた。

私は、見知らぬ家の軒先で、オンオンと声を上げて泣いた。


「どうしたの?」

ガラリと古い引き戸が開いたときには、息が止まりそうになった。

しまった。声を上げすぎて、中の人が出てきてしまった。

そして、さらに出てきた人を見て、驚いた。

「や、矢田、くん?」

気付かなかったが、大きなお屋敷だ。

こんなお屋敷、こんなところにあったっけ?

「ここ、僕んち。」

そう言われ、自分が泣いていたことを思い出し、あわてて涙をぬぐった。

「ご、ごめんなさい。すぐ帰るから。」

私は顔を背けた。

「あがれば?」

矢田くんが、引き戸を開けて中に招く。

こんな顔を人に見られるなんて嫌だ。

「だ、大丈夫!」

私がさらに、言うと、

「風邪引くよ。タオルで拭いた方がいい。」

と、私を手招いた。

今時珍しい、土間から上がり框を上がると、彼は古めかしい箪笥からタオルを出してきて、私に渡してきた。

「あ、ありがとう。」

見かけによらず、優しいのね。でも、すごい無表情。

私はタオルで体を拭きながら、家の中をキョロキョロと伺ってしまった。

上がり框をあがれば、すぐに囲炉裏が見えた。かなり古い屋敷だ。

「乾かしていきなよ。」

そう言うと、彼は囲炉裏に火をおこした。

暖かかった。体もだけど、今の荒んだ私の気持ちもすこしだけ和んだ。

「いろいろありがとう。もう乾いたから大丈夫。」

私はそうお礼を言って立ち去ろうとした。

やはり、矢田くんは苦手。彼は綺麗なお人形のよう。

「君にいいものを見せてあげるよ。」

そう矢田くんが言い、奥の部屋に来るように促された。

帰りたいのだが、お世話になったので邪険にはできない。

家は廊下で回廊のようになっており、中央に一箇所だけ入り口があり、その入り口の重々しいドアを開けると、そこは大きな吹き抜けのようになっていた。

その中央には祭壇のようなものがあり、御簾の向こうに何かが祀ってあった。

まるで神社みたい。

「ご神体の鏡。これは、島根のある神社に祀られている鏡と同じ鏡で、双子の鏡の片方なんだ。」

そう言うと、矢田君は、御簾を捲り上げた。

「矢田君ちって、神社なの?」

私がそう言うと、矢田君は何も答えなかった。

「覗いてみる?」

そう言われ、私は、仕方なく祭壇に上り、鏡を覗いてみた。

「私が二人?」

鏡には私が二重に映っていた。確かに両方私だが、後ろの私が異常に黒い。

「ね?言っただろ?君は黒いんだ。」

矢田君にそう言われ、私は恐ろしくなった。

「こんなの、鏡が古いんでしょ?聞いたことあるわ。古い鏡は、鏡面の下地に問題があって、そう見えるんだって。」

「じゃあ、もう一度見てみなよ。」

矢田君が促した。

私は、恐る恐る、もう一度鏡を見た。

すると、二重に映っていた私の後ろの黒い影が私と一つに重なった。

「ひっ」

私は思わず、息を飲んだ。

「君は、魅入られてしまったようだね。」

そう言うと、矢田君は私を見て笑ったのだ。


私の感じた「違和感」は彼の目にあった。

彼の目は、光を映さない。人間の目が光を映さないなどということは、物理的にあり得ない。だが、まるで、彼の瞳は暗い穴の中を覗いているような黒さ。人より瞳の色素が濃いのかもしれない。


家に帰るとやはり、私は、先輩のことばかり考えてしまう。

私は先輩に告白もできなかった意気地なし。ひとみは私が先輩を好きなことすら知らなかったのだから、ひとみには何の落ち度も無い。それなのに、わたしの聞き分けの無い心が騒ぐのだ。

私はその夜、枕を濡らした。


いつの間にか眠ってしまった私は夢を見た。

私は、まだ幼い子供で、かごめかごめをしている。

「かーごめ、かごめー。かーごのなーかのとーりーはー

いーついーつでーやーるぅ」

周りの人の顔がぼんやりと見えてきた。

先輩?ひとみ?

「よーあーけーのばーんに、つーるとかーめがすーべった。

うしろのしょーめんだーあれ?」

「先輩?」

私が目を覆い隠した手を離して振り向くと、そこには私がいた。

「うしろのしょーめん、わーたし。」

もう一人の私がそう言うと不気味に笑った。

私はそこで目がさめた。


「ゆ、夢?」

そう言ったとたんに、体がずしりと重くなった。

金縛り!

私の上に何かがのしかかっている。

月明かりに照らされた顔は、私自身。

もう一人の私は、私に触ると、みかんの皮を剥くように、ペリペリと私の皮を剥きだした。

た、助けて!体が動かない。

私は、ベッドの上で血まみれの無惨な姿になった。

痛い、痛いよ!体中が痛い!

「いやあああああああああ!」

私は叫びながら目を覚ました。

全身から玉のような汗が噴出していた。

夢の中で悪夢を見るなんて。

外は明るくなり、朝を迎えたようだ。

ほとんど眠れなかった。だるいからだを起こし、仕方なく支度をし、学校へ向かった。


「おはよう。最近どうしたの?なんか元気ないね。」

後ろから、声をかけられ、振り向くとひとみが居た。

私は、先輩とひとみが付き合いだしてから、ひとみを避けていた。

平常心で居られない気がしたのだ。

「ううん、何でもないよ。」

私は作り笑いをした。

「おーい、ひとみー。」

後ろから、絶対に聞き間違えようのない声がした。先輩。

ひとみは、人前で、あからさまに先輩と腕を絡めた。


「先、行ってるね?」

私は慌てて、校門へ走った。

「あ、おい!」

先輩が後ろから呼び止める。

私は動揺して、校門で盛大にコケてしまった。

「だ、大丈夫か?」

先輩が私を支えた。

「大丈夫です。」

「血が出てるぞ?」

「平気ですから。」

そう言って立ち去ろうとすると先輩に引き止められた。

「ダメダメ、すぐに洗い流さなきゃ。」

そう言い、私を支えて、水道のあるところまでつれて行き蛇口を捻って私の膝を洗った。

私の目から大粒の涙が溢れ出した。

「だ、大丈夫?痛むの?」

ひとみが心配そうな声で言う。

「す」

「え?なに?」

「す・・・きで・・・す。す・・・きすき、せんぱい。」

私の口から言葉が溢れ出た。まさかこのタイミングでの告白。

みっともない。

「ずっと、ずっと、すき・・・でした。」

私は嗚咽しながら言った。

水道の水が流れる音だけが大きく響いている。

何も言えずに、私達は立ちすくんでいた。


私はその日から学校を休んだ。

保健室で手当てをしたあと、気分が悪いと学校を休んで今日で3日目。

心配したひとみからメールが何件も入っている。

「ごめん。私、先輩のこと好きだったなんて、知らなくて。」

私はそれを見て、携帯を投げつけた。

謝らないでよ!私が惨めになるじゃん!

会って話したい?何を話すっていうのよ。

もうどの面下げてあんたに会えばいいのかこっちがわからないよ。

放っておいてよ。

どうせ、私に何も出来ないくせに。友達面するんじゃないよ。

私に先輩をくれるとでもいうの?

ひとみなんて、居なくなればいい!

私は3日間ろくろく何も食べていなくて、不思議なもので、人間はどんなに辛くても、命を繋ぐためかおなかがすくらしい。両親が心配して、食事をとるようにすすめていたけど、頑なに自室に閉じこもっていたのだ。

4日目の朝、私はのろのろと着替えて、近くのコンビニに出掛けた。

サンドイッチくらいなら食べれるかな。


「いけないねえ、学校をサボっちゃ。」

後ろから声をかけられ、振り向くと矢田君が立っていた。

「放っておいてよ。」

私は前を向くと、再び歩き出した。

「ひとみが怪我をしたよ。」

「え?」

「昨日、自転車にはねられたんだ。」

それで昨日はメールがなかったのか。

「お見舞い、行かなくていいの?」

「入院したの?」

「ああ、骨折程度らしいけどね。」

私は矢田君から病院の名前を聞き出して、病院へ向かった。

何故か矢田くんが、私についてきた。

「やっぱり、君は、黒いね。黒い、黒い。」

そう言いながら後ろでクツクツ笑う。

気持ち悪いヤツ。

小さな花を買って、ひとみの病室を訪れた。

するとやはり先輩が側についていた。

最高に気まずい。

「大丈夫?」

私はそう言うと小さなアレンジメントの花かごを渡した。

「うん、大丈夫。ちょっと小指の骨が折れたくらいだから。」

「そっか。メール、返事しなくてごめんね。明日からちゃんと学校行く。」

私はそう言うのが精一杯でいたたまれなくなり、病室を後にした。

先輩は気まずそうに俯いていた。それが答えだ。


「消しちゃえば?邪魔なら。」

病室の外で待っていた矢田君が耳元で囁いた。

私は驚いて矢田君の顔を見上げた。

「何を言ってるの?」

私がそう言うと、くるりと背を向けて、歌いだした。

「かーごめ、かごめー。かーごのなーかのとーりーはぁ。

いーついーつでーやーるー。」

私はその歌を聞いて、ゾクリとした。


「あなた、いったい何者なの?」

私が震える声で矢田君に聞くと、彼は振り返って言った。

「黄泉先案内人。」

そう言って笑った。

「君たちがあの世と言っている場所は、たとえば別の次元だと考えられない?

近年寿命が長くなりすぎて、あの世とこの世のバランスが崩れてきている。」

「何の話?」

「なんでもない。独り言。」

矢田クロード、何者なの?何故私の見た夢のことを知っているの?

単なる偶然?


次の日から私は学校に復帰したが、ひとみはいつまで経っても退院しなかった。

私は何度か見舞いに行ったが、ひとみは日に日にやつれていった。

原因不明の高熱が出たりして、病名はまったくわからないらしい。

軽い骨折で入院したにも関わらず、病状は思わしくなく、なかなか退院できなかった。

先輩は死ぬほど心配して、ほぼひとみにつきっきりだった。

私はその期におよんでも、ひとみに嫉妬していた。


ずるい、ずるい、ずるい。先輩を独り占めにするなんて。

先輩の心はもうひとみでいっぱい。


ようやく、ひとみが退院し、私達はまた元の学校生活に戻った。

だけどもう以前のように、一緒に学校に行ったりということは無くなった。

お互いが気まずく、ひとみとは徐々に疎遠になっていった。


そんなある日、駅のホームでひとみを見かけた。

ああ、同じ電車か・・・。

気付いていたけど、私は声をかけなかった。私、いやな女だ。

ひとみの後ろに、何か違和感を感じた。女が居る。

それは私だ。夢の中でみたもう一人の私。何故!

もう一人の私はこちらを見てゆっくりと口を動かした。


「う・し・ろ・の・しょ・う・め・ん・・・・・・・」


私は次の行動が予測できた。

「ダメッ!!!」


私が叫んだのも空しく、もう一人の私は「だぁれ・・・・・」と言いながら、ひとみの背中を押した。

ちょうどホームに電車が入ってきた。

ひとみの体がスローモーションのように宙に浮き、あっと言う間に電車の急停止音と共に消えた。


ホームに悲鳴が響いた。

私はあわてて駆け寄った。

線路に彼女の首が転がっていた。なんてことを。


彼女の死は事故死として扱われた。

背中を押したのを見たのは私だけ。

でももう一人の私が背中を押したなんて誰に言っても信じてはもらえないだろう。

S先輩は悲しみに暮れた。

見ていられないほどの憔悴だった。

もうどんなにがんばったって、死人にはかなわないのだ。

私は、ひとみが生きていても死んでいても、彼女にはかなわないのだ。


私は自分を鏡に映してみた。

後ろの正面に薄気味悪く笑う私がいる。

それが本当の私なんだ。


「君は凄いね。ちゃんと邪魔者を消せた。」

矢田クロード。

「なんなの、アンタ。」

私の言葉は虚無に満ちている。

もうどうでも良い。この世の中なんて。先輩も。みんなどうでもいい。

私はその夜、浴槽の中で手首を切った。


黒いんだ、血って。

そうだよ。血は黒いんだ。

クロウ。

大きく切れ上がった口の中は赤。

さあ、おいで。僕らの世界に。

私の背中から、漆黒の羽が生えた。

凄いね、飛べるんだ、私。

矢田君は、足がなんで三本あるの?

だって僕は黄泉先案内人だから。

二羽のカラスが、漆黒の闇に溶けて行った。


「母様、これでまた少し、世のバランスが戻りましたよ。」

二重鏡に向かい、矢田が笑う。

鏡は怪しい光を放ち、矢田の闇よりも深い黒の瞳に映った。


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