其の六 【ソダテル】

「ねえ、ママ、飼いたい~、飼いたい飼いたい。この子、飼ってもいいでしょう?」

また妹の飼いたい病が始まったと僕は思った。

「だぁめ。うちのマンションは、ペット禁止でしょ。」

「え~、じゃあこの子はどうなっちゃうの?死んじゃうじゃん!」

まだ目も開かない子猫が妹の手の中でにゃーと鳴いた。


確かに、猫はかわいい。

だけど、いくら駄々をこねても、飼えないものは飼えないし、実は母は生き物が苦手だ。

ベランダに鳩が飛んで来ただけでも大騒ぎしているのを見ても、妹にはわからないみたいだ。

困った母は、溜息をつくと、妹を諭す。

「とにかくダメなの。ママも飼ってもらえそうなところを探すから、マユもお友達に飼ってもらえるところがないか聞いて。」

結果はわかりきっているはずなのに、妹のマユの顔が見る見るくしゃくしゃになり、大声で泣き出してしまい、どうにも止まらなくなった。彼女には、友達の家で飼ってもらうという選択肢は無いようだ。

かわいいから自分で飼いたい。

自分のこともままならない妹に、飼えるはずがないのだ。片付けはしない。言いつけは守らない。

わがまま放題。多少の我侭は聞いて、妹に甘い母も、動物となれば別のようだ。

困り果てた母は、僕をチラっと見る。お兄ちゃん、お願い。目がそう訴えてきた。

大人はズルい。僕だって、妹に嫌われるのはいやだ。好きで兄に生まれてきたわけじゃないんだぞ。

そう思いながらも、僕は黙って、いつものことと、妹から子猫を取り上げた。母には触れないのだ。

「やだやだやだあ。マユが飼うのぉ!お兄ちゃんのばかあ!」

ワンワン泣かれながらも、僕は家を後にした。


「ということで、お前、猫飼わない?」

「何が、ということでなんだ?」

僕は、猫を飼っている同級生のコウスケの家をたずねていた。

「いいじゃん、一匹も二匹も変わらないだろ?」

「あのなあ、俺んちだって親、いるんだぞ?俺の勝手な一存でどうにかなるなんてもんじゃ。」

そう唇を尖らせながらも、子猫にメロメロになっているようだ。目を見ればわかる。

「大丈夫だって。お前んち、親が動物大好きじゃん?じゃ、頼んだぞ!」

「あ、おい!」

半ば強引に僕はコウスケに子猫を押し付けた。

あの家族なら優しいから、きっと飼う事を許されるだろう。


家に帰ると、妹は浴衣を着せられていた。

そうか、今日はお祭りの日だった。

普段であれば、ウキウキと楽しい気分になるのだが、マユは僕の姿を確認すると、そっぽを向いた。

すっかり僕は、マユから猫を取り上げた悪者扱いだ。母が手を合わせて、ゴメンと僕に身振りで謝った。

ああ、こんなことならあのまま、コウスケと一緒に出かければよかった。

僕を恨んで不機嫌な妹と母とで祭りに出かけなければならないなんて。

長男は損な性分だ。何かといえば、都合の良いときだけ、親からお兄ちゃんお兄ちゃんと呼ばれる。

僕にだって、ユウキという立派な名前があるのに、妹が生まれた時から僕はお兄ちゃんという名前になった。

「父さんは?」

僕が母にたずねると、残業で一緒に行けないと返事が来た。

唯一、僕を名前で呼んでくれて、男同士、気持ちが通じる同志はまだ会社で戦闘中だ。

仕方なく、僕は、身支度を整えて、母とマユと一緒に、祭り会場に出掛けた。

マユはおてんばで、ちょっと目を離すとどこに行くかわからないから、目を光らせておかなければならない。

母はぼんやりしているところがあるから、すぐにマユは迷子になる。

だから、僕がしっかりしていなければならなくなる。


案の定、マユは僕がちょっと目を離した隙にいなくなってしまった。

「お兄ちゃん、マユをちょっと探してきて。」

そう言いつけられ、待ち合わせ場所を決めて、二人で手分けをしてマユを探した。

大方、マユが行きそうなところならわかってる。

きっと飼えないとわかっていても、金魚すくいをやらせろと言って聞かないのだ。

僕は、金魚すくいの屋台を探した。

金魚すくいの屋台は見つけたが、そこにはマユの姿はなかった。

おかしいな。たいてい、行き着く場所はここのはずなのに。

あとは、綿あめの屋台か、射的のところか。

マユはいつも僕に、射的で賞品をとってくれとねだるけど、あれはズルだからやりたくない。

ばっちり当たっても、的が倒れないから、きっと何かでとめてあるのだ。

射的のところにもマユは居なかった。僕は途方にくれ、神社の灯篭にもたれかかった。

すると、屋台の一番はずれの暗闇に赤い帯の見慣れた浴衣を見つけた。

「マユ!どこ行ってたんだ!」

僕が声をかけると、マユが振り向いた。手には、白い丸いものを握っていた。

「お兄ちゃん、たまご屋の人にもらったんだよ。」

そう言うと嬉しそうに、僕に卵を見せてきた。卵屋?そんな屋台なんて見たことが無い。

「マユ、知らない人から何かもらっちゃダメってママに言われてるだろう?」

僕はそうマユに言いながら、手を差し出して、卵を渡すように促した。

「ダメ!これをあたためたら、ひよこさんが出てくるんだもん!」

そう言って、卵を両手で包んで渡そうとしない。まあ、食べ物だけど、これをマユが生で食べたり、調理したりすることは考えられないので、僕は諦めた。

「持って帰るのはいいけど、割れないようにしなよ?せっかくの浴衣が汚れたら、ママに叱られるぞ。」

そう諭すと、マユはわかったと言い、慎重に卵を自分のお気に入りのウサギのポシェットにしまいこんだ。


その日から、マユは卵をかいがいしく温め続けた。お店で売っている卵から、ひよこがかえる確立なんて、ほんのわずかだ。テレビで、お店で売っている卵は、ほとんどがムセイランと言って、ひながかえることはないって言ってた。まあ、気の済むまでやらせて、かえらないことがわかれば諦めるだろうと思っていた。


ところが、ある日、マユがニコニコしながら、僕の虫かごを差し出してこう言ったのだ。

「ほら、お兄ちゃん、やっと生まれたよ。」

それは空っぽの虫かごだった。

「何も入ってないじゃん。」

「入ってるよ、お兄ちゃん、この子が見えないの?名前はねえ、ピーちゃんにしたの。」

マユの机の上に、卵の殻が二つに割れて置いてあった。中身は無い。

どこへ捨てたのか。

それから、僕の空っぽの虫かごに向かって、マユは、ピーちゃんピーちゃんと話しかけては、時々ごはんだよ、と言いながら、自分のご飯を少し虫かごに入れるようになった。


マユがコワレタ。

僕達家族は、そう思った。

空っぽの虫かごに毎日、話しかけ、餌をやり続けるマユ。

そして、マユはピーちゃんが大きくなったと言って、貯めていたお年玉をはたいて、大きな鳥かごを勝手に買って来た。母親に返すように説得されても、ガンとして受け入れなかった。

「ピーちゃん大きくなっちゃったから、小さな虫かごじゃかわいそう!」

マユは、度々病院に連れて行かれたが、異常は見られず、なんとか障害という、心の病だと診断されたらしい。

「ペットを飼いたい願望が強すぎて、こうなっちゃったのかしら。こんなことなら、私が我慢して、飼ってあげればよかった。」

母はそう言って自分を責めた。

いずれにしても、このマンションに住む限り絶対にかなわないことだった。

両親は、マユのために、引越しも考え始めた。

一戸建てなら、ペットを飼うこともできるし、もっと良い環境の場所に住めば、マユの病気が治ると思ったのだ。

しばらくすると、マユは、せっかく買った鳥かごを捨てた。


「ピーちゃん、大きくなりすぎて、もうカゴに入らなくなっちゃったから、ベランダで飼うね?」

そう母に言ったそうだ。一向に妄想が治らないマユに、家族は疲弊していった。

幼稚園の友人にも、ピーちゃんを見せると言って連れてきても、居るはずもないピーちゃんを居るといい張るマユは、嘘つきだと言って泣かされた。


どうしてこんなことになっちゃったんだろ。

僕達は疲れ果てて、ついに母まで倒れてしまった。

母は入院してしまい、それでもなお、マユはピーちゃんピーちゃんとまるで憑かれたかのように、世話をした。毎日のように、冷蔵庫のものを、ベランダへと運ぶ。

不思議なことだが、その餌と称してベランダに運んだものは、綺麗になくなっていた。

マユが食べているのだろうか。しかし、生肉だったり、生魚だったり、とうてい調理しないと食べれないものまで、綺麗になくなっている。ゴミ箱も見たが、捨ててある形跡は無い。


そして、ある日、僕は見てしまった。

姿の無い、ピーちゃんが、捕食するところを。

その日、マユは体調を崩してしまい、熱を出して、床に臥せっていた。

「お兄ちゃん、ちゃんとピーちゃんに餌、あげてよ?」

そう言われ、もう否定するのも面倒だし、どうせ否定したところで、マユは譲らない。

適当に、わかったよと返事をしておいた。

ベランダがにわかに騒がしくなったので、僕は慌ててベランダに向かった。

どうやら、鳩がベランダに侵入してバタバタしているらしい。

窓辺のカーテンが揺れ、ベランダで鳩がバタバタと暴れているのを見た。

羽毛をそこら中に撒き散らして、まるで何かの罠につかまったようにのたうちまわっていたかと思うと、その姿は吸い込まれるように消えてしまった。

鳩の断末魔の鳴き声。何かがぐちゃぐちゃと咀嚼する音がし、次にバリバリと骨を砕くような音がした。

嘘だろう?いくら目を凝らしても、ベランダには何も無い。ごくごくごく。喉を鳴らす音。あたりがにわかに血なまぐさくなった。

僕は、今まで、マユの言葉を信じなかったが、はじめて何か居ると感じたのだ。

 ピーちゃんの捕食を見てしまった僕は、再三、マユにピーちゃんを捨てることを提言してきたが、いっこうに聞き入れてくれなかった。あれから、マユは熱も下がり、元気になったので、今まで通り変わることなくベランダへ、冷蔵庫の中の肉や、床下収納にある野菜などを与えていた。

マユが幼稚園に行っていたときに、僕がピーちゃんを追い払えばよかったのだろうけど、僕には姿が見えないし、ベランダに近づくのが恐ろしかった。


そして、僕達のいつもと違う夏休みがおとずれた。

その日は、僕らの気持ちのように、どんよりと低い雲が垂れ込めて、今にも泣きそうな空模様だった。

夏休み前から体調を崩していた母の入院は長引いて、僕達は、父の実家に預けられることになった。

ところが、マユがそれを頑なに拒んだのだ。

「マユがいなくなったら、ピーちゃんの面倒は誰が見るの?」

僕は密かに、これはチャンスだと思っていたのだ。ピーちゃんとマユを引き離す、絶好のチャンス。

「マユ、心配するな。ピーちゃんの面倒は父さんが見てくれるから。」

僕は、マユに嘘をついた。それでもなお、ピーちゃんと離ればなれになるのは、嫌だと駄々をこねたが、父も会社に行かなければならない。背に腹は変えられず、渋々マユは頷いた。


「おーい、早くしろー。」

夏休み初日の土曜日、父は車の中で僕とマユを待っていた。

マユは未練たらしく、まだベランダでピーちゃんに何事か話しかけているようだ。

「マユー、もういいだろ?父さん、もう車で待ってるぞー。」

僕がマユに声をかけると、マユがはぁい、ちょっと待ってねーと返事をした。


その直後、叫び声がした。

「ぎゃあああ!お兄ちゃん!」

僕は、ベランダへと走った。

「マユ!どうした!・・・・・!!!」

僕は、我が目を疑った。マユの頭が消えて、ベランダで手と足をジタバタさせていたのだ。

「マユ!マユーーーー!」

僕が叫ぶと、ベランダで物凄い風が起こった。目も開けられないほどの風圧で、バサバサと、何か大きなものが羽ばたくような音がした。あっという間に、マユの胴体、手、足の順に何も無い空間に、その姿は消えてしまった。一瞬、稲光がピカッと光った時に、僕はついに、その姿を見た。

そいつは、まるでライオンのような頭を持った、体は大きな鳥のようであった。

騒ぎを聞きつけて、父が駆けつけた時には、ベランダに、マユの履いていたサンダルの片方のみが残され、羽音は遠ざかっていた。


「どうしたんだ!マユはどこへ行った!」

父が呆然としている僕の肩を揺さぶった。

僕は、今あったことを、父に説明したが、とうてい信じてもらえるはずはない。

父は誘拐として、すぐに警察に捜索願を出した。


マユは助からないかもしれない。


入院先から、まだ完治していない母が急遽帰ってきた。

その日から、警察、町内会による、大捜索が始まった。

僕だけが知っている。マユはあいつに連れ去られたんだ。

必死の捜索にも関わらず、マユは見つからなかった。

母は毎日、泣き暮らし、父はビラ配りに余念がなかった。

僕ら家族の生活は、めちゃくちゃになった。

僕の面倒を見切れない父と母は、やはり僕を父の田舎に預ける決断をした。

「行って来ます。」

僕は、自分の荷物をリュックに詰めて、駅のホームに立っていた。

「ごめんな、ユウキ。」

父さん、そんなに心配そうな顔をしないで。僕は大丈夫だ。

僕は改札で、笑顔で父に手を振った。

父の背中を見送ると、僕は、すぐにリュックの中から、自分の携帯を取り出した。


「ああ、おばあちゃん?僕だよ。ユウキ。今日そっちに向かう予定だったんだけど、ちょっと予定が変わったんだ。一週間後にそっちに向かうから。」

そう告げると、僕は電話を切った。


そうだ。僕しか、あの化け物の正体を知らない。誰も信じてくれるはずが無いから、僕は僕のやり方で妹を探す。

だから、僕は、旅に出る。

あては無かった。だけど、マユがあの卵をもらった日から悲劇は始まったのだ。

あの卵はたぶん、夜店でしか手に入らないものだ。

リュックには、旅支度、お金だって、今まで貯めて来たお年玉がたんまり入っている。たぶん一週間はもつはずだ。あの卵屋を探し出して、手がかりを得る。僕は必ず、マユを取り戻してみせる。


僕は、その日から、近隣のいろんな町の祭りや花火大会、夜店を渡り歩いた。

三日目の朝、電器店のテレビで僕が公開捜査で捜索されていることがわかった。

もうバレたのか。きっと心配した親が、田舎に電話してバレたのだろう。

ごめんね、父さん、母さん。僕にもう少し時間をください。

僕は足早に、帽子を目深に被ると、その場を去った。


その日の夜、僕はついに見つけた。

その店は、屋台の片隅にひっそりと薄暗い灯りを灯していた。

「おや、坊やは、この店が視えるのかい?」

男とも女とも、若いとも老いてるともよくわからない店主が声をかけてきた。

店先には、所狭しと、乱雑に白い卵が置いてある。

卵を差し出してきた店主に要らないと告げると、明らかに嫌な顔をした。

「お代は要らないってのにねえ。」

と残念そうに、口を尖らせた。

「それより、僕の妹がここで卵をもらっただろう?ほら、〇〇神社で。」

するとわざとらしく店主は思案顔を作り、思い出したというふうに答えた。

「ああ~、あの迷子のお嬢ちゃんかい?不安そうにしていたから、卵をあげたのさ。これを持っていると、家族とあえるよ、ってね。」

「あの卵はなんなんだよ。あれから妹はおかしくなった。姿の見えないあの卵から孵ったものを飼いはじめた。」

そう睨むと、その店主は口が耳元まで裂けるかと思うほど満面の笑みをたたえた。

「すごいねえ、あの子。あの卵を孵したんだねえ。やはり卵が選んだだけのことはあるねえ。」

「妹は、そいつにさらわれたんだ。」

そう告げると、店主は驚いた顔をした。

「その卵から孵ったものは、どんな姿だったんだい?坊やは見たのかい?」

そう聞くので、僕は答えた。

「頭がライオンで、体が鳥の形をしていた。妹を飲み込んで、どこかに飛んでいってしまった。」

そう伝えると、店主はどこか焦点の合わない視線を空に這わせた。

「そうかい。あの卵は、ズーの卵だったんだねえ。」

そう呟いた。

「ズー?」

僕がたずねると、店主は視線を僕に戻すと答えた。

「そうだよ。悪魔さ。ヤツは狡猾で、幻術を使うから、きっとあの子は騙されたんだろうねえ。」

人事のように話す店主に怒りが沸いてきた。なんでそんな恐ろしい卵を妹に渡したのか。

「妹を返せ!」

僕が叫ぶと、店主は不敵にニヤリと笑った。

「あたしも、あれが何になる卵かまではわからないからねえ。妹に会いたいのかい?」

「どこにいるのか、知ってるのか?」

「どうしても、会いたいのかい?」

「僕は必ず、妹を連れ戻す!知っているのなら案内してくれ。」


店主はしばらく考えると口を開いた。

「お嬢ちゃんを連れ戻すのは、かなり難しいと思うよ。よほどの覚悟がないと無理だよ?」

僕がなんとしても連れ帰る意思が変わらないことを告げると

「仕方がないねえ。こっちに来な。」

と席を立った。

罠かもしれない。そう思ったけど、妹を、マユを連れて帰るためだったら何だって怖くない。

僕が臆病風に吹かれて、あのベランダのピーちゃんを追い払わなかったことにも責任があるのだ。


「ここさ。」

神社の裏山に小さなお堂があり、そこの扉が開いていた。

そこから、小さな手が出ていた。

(お兄ちゃん、助けて)

脳に直接、マユの声が助けを求めてきた。

「マユ!マユ!今助ける!」

僕は、お堂の扉から出た、小さな手を掴んだ。

その途端、手に激しい痛みが走った。

手の甲を見ると、何かカギ爪のようなもので引っかかれたような跡が三本残っていて、そこからダクダクと血が流れた。それでも、僕は、マユの手を離さなかった。凄い力で、マユの手を誰かが引っ張っているような気がした。マユの力ではない何か。思いっきり引っ張ると、マユの頭が出てきた。

「お兄ちゃん!」

マユが叫んだ。

「もう少しだ。今、助ける!」

僕は渾身の力で、マユの両手を引っ張ると、ズルリとマユの体がこちらに抜けた。

マユがワンワン泣き出した。

「マユ!マユ!良かった!助かった!」

僕も泣いていた。しばらく、僕とマユは抱き合って泣いた。

ここに案内した卵屋の姿はあとかたもなく消えていて、卵屋の屋台も消えていた。

あれは何だったんだろう。

神隠し。僕の頭をその言葉がよぎった。

僕はすぐに、携帯で父に連絡をとり、僕とマユは無事家に帰ることができた。


そして僕らに元通りの平和な生活がおとずれた。

マユは、ピーちゃんのことも、自分が化け物にさらわれたことも、一切忘れていた。

元通りの生活に戻り、僕は普通の生活がいかに幸せに満ち溢れているかを実感した。


「マユ、ユウキ、ご飯よ。」

母の優しげな声と、白いご飯の湯気。

僕は今、幸せをかみ締めて、いただきますと手を合わせた。

お皿には、色とりどりの野菜が並んでいて、そこにはトマトも乗っていた。

マユはトマトが嫌いだ。

「マユ、好き嫌いしないで、ちゃんと食べるのよ。」

母はマユを甘やかしすぎたことを反省して、これからは嫌いなものも食べさせる方針のようだ。


でも、僕はせっかく帰ってきたマユが嫌いなものを食べさせられるのがかわいそうになった。

だから、小さな声で、マユに耳打ちした。

「マユ、お兄ちゃんが食べてやろうか?」

そう言って、箸をつけようとすると、僕の右手の甲に痛みが走った。

手の甲には、三本の爪あとが残り、薄っすらと血が滲んだ。

僕は、信じられない面持ちでマユを見た。

「がるるるるる」

マユが低く唸り、トマトに箸を刺すと、口に放り込んでぐちゃぐちゃと咀嚼した。

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