距離

「何してんの」と母が怒りながら、彼の部屋に置いたままだった教科書とお菓子を持ってきた。顔を合わせ辛くて、彼が部活をしている時間帯に家を出入りした。


 そんな夏休みの終わり頃、母が言った。


「今年の花火大会は私達行かないから」


「え?」


 彼の父が当日仕事ということで、お互いに話し合って決めたとのこと。ここで私はあの約束を思い出した。


『花火大会行かない?』


 そう言えばそんな約束もしたっけ。でも、それも無しかな。


 そう思って麦茶の入ったグラスを持つと部屋に戻った。




 宿題も程々にベッドでゴロゴロしていると、携帯が震える。


『今、部屋?』


 その彼から届いた久しぶりのメールに『うん』とだけそっけなく返す。送ってすぐに携帯は着信を知らせる。


「もしもし」


「あのさ・・・」


「うん」


「この前ごめん」


「・・・こっちもごめん」


「前の約束覚えてる?」


「うん・・・でも今年は行かないってお母さんが」


「よかったら、2人で行かない?」


「え・・・」


「嫌ならいいんだけど」


「・・・」


「ごめん、忘れて。嫌だよな、俺と2人とか」


「やじゃない」


「え?」


「いいよ、行こ」


 これを夏の、彼との思い出にしてきれいさっぱり区切りをつけよう。そう思い私は返事をした。これでまた前のような、私が気持ちに気付く前の2人に戻れる。そう思ったら淋しいし辛い気持ちもあったけれど、前に進める気がして嫌じゃなかった。


「浴衣・・・」


 電話を切った私は麦茶を飲み干すと、リビングに居る母の元へ向かうのだった。




 あっという間に花火大会の日はやってきた。


 毎年、夏休みの最後の週にある地元の花火大会。

 そんなに規模の大きな花火大会ではないけれど、夏休み最後の思い出を作ろうと大勢の人が集まる。




 母に浴衣を着せてもらい、普段下ろしている髪を結い上げる。


「誰と行くの?」


 帯を締めながら母が笑みを浮かべて聞いてくる。


「内緒」


「ふ~ん」


 準備をして下駄を履くと少し早めに家を出る。


 家を出たところで鉢合わせするのを気まずく感じたのと、慣れない下駄に浴衣でいつもの半分ほどしか開かない歩幅に間に合うか不安になったのだ。

 家は真横だと言うのに、わざわざ駅前で待ち合わせをした。


 少し傾いた太陽はまだジリジリと暑い。公園の横を通ると、蝉の鳴き声と遊ぶ子供達の声。その姿を横目に駅へと向かう。


 花火大会まではあと1時間。駅前には待ち合わせだろうか浴衣を着た男女が目立つ。


 ドキドキと高鳴る鼓動を深呼吸をして落ち着かせる。

 思ったよりも早く着いてしまった。どこか腰掛けられないかと空いているベンチを探すけれど、どこも先客でいっぱいだ。仕方なく邪魔にならない場所を探していると名前を呼ばれた。


 振り向くと手を振りながら走ってくる彼の姿があった。息を切らせて私の元へ来ると、驚いた顔をする。


「どうしたの?」


「あ、いや・・・早かったな」


 彼は目をそらす。

 少し日は沈み雲の隙間から漏れる光はオレンジ。それでもこの年に多かったゲリラ豪雨を思わせる嫌な雲が遠くの空を覆っていた。


 少し歩くと出店のカラフルな光や音に視覚も聴覚も刺激される。

 会場が近くなるにつれて人は多くなり、彼の背中を見失いそうになる。慣れない下駄で必死にあの見慣れた後姿を追いかけた。


 花火の見える川沿いはすっかり人で埋め尽くされていて、座れそうにもなかった。


「どおりで毎年場所取りするはずだな」


 毎年何気なく家族で観ていたけれど、座って観られていたのは父達の苦労のおかげなのだと思い知らされた。花火の時間が近付くにつれて人がさらに多くなってきた。人に押されてふら付く私の腕をぎゅっと彼が掴む。


「お前、危ない」


 こちらを見ずにそう言った彼は身体を引き寄せて、ぎゅうぎゅうと押し合う人から守るように私のスペースを作ってくれる。


「ありがと」


「うん」


 いつもより近い彼、あの日の彼の距離と同じで心臓が音を立てる。


 花火まであと数分。


 皆がまだかまだかと待つ中、ポツポツと雨が降り始めた。周りの皆のざわつく声もすぐに雨音に消される。土砂降りになった雨から逃げるように皆は出店の軒下に避難する。


「まじか・・・」


 彼はそう言うと私の手を取り走り出す。


「大丈夫?」


「うん」


 すでに出店の軒下は人でいっぱいで入れそうにない。

 手を引かれて土手を降りると少し離れた橋の下に入る。他にも何人か避難してきた人達がいる。雨をしのげた頃にはすっかり髪も浴衣もベタベタになってしまっていた。


「せっかく着付けてもらったのに」


 ぐっしょり濡れた袖を絞りながら呟くと頭が重くなる。

 視線を上げようとすると、頭に乗せられた手に力が入ってそれを阻止してくる。


「あのさ・・・」


「重いって」


「浴衣・・・可愛かった」


 そうボソッと言う彼の顔を確かめたくて顔を上げようとするけれど、いまだに乗った手がそれを許してくれない。普段とは違う彼の様子に私まで恥ずかしくなる。


「・・・ありがと」


 しばらく雨は降り続いて、プツンと音を立てたスピーカーから放送が流れる。

『本日予定しておりました花火大会は・・・』


 皆の口からため息が漏れる。


 花火大会は中止になってしまった。


「どうする?」


「まだ止みそうにないな」


 段々と身体が冷えてきた。


 くしゅん


 肩をさすりながら鼻をすすり、空を見上げる。

 彼が一歩近付いたかと思ったら、肩を抱かれた。


「ごめん、これくらいしかできなくて」


「ううん・・・あったかい」


 肩に添えられた手は、人混みでは余裕がなくて気付かなかったけれど、とても大きくて暖かくて優しかった。


 それからどれくらい経っただろう。


「もう上がるかな?」


「残念だったな・・・花火」


「うん、でも屋台とかは見れたし夏って感じはしたかな」


「花より団子だもんな」


 そう言って彼は横で顔をくしゃくしゃにして笑う。


「うるさい」


「帰ろっか」


「うん」


 少し乾き始めた髪のうねりが気になる。

 隣で何も言わずに歩いていた彼が、いつもはまっすぐ行く道をそれて公園に入っていく。


「あれ?」


「ちょっといい」


「・・・うん?」


 花火大会が中止になって、まだ時間には余裕があった。

 雨に濡れて遊具たちがキラキラととても綺麗だった。


「あのさ」


 前を行く彼が立ち止まる。


「何?」


「小さい頃から一緒に学校行ったり、遊んだりして楽しかった。でも俺いつからかお前のこと友達だと思えなくなってて。」


「・・・え?」


「俺の好きな人ってお前なんだ」


 まだ残った雨のにおいの中、車の音も虫の鳴き声もすべてが無になる。


 思いもよらぬ言葉に後ずさりすると、目頭がじんわりと熱い。

 振り返った彼は私の顔を見て驚く。


「な、なんで泣く!?」


「いやぁ・・・びっくりして」


「ごめん、いきなり」


 彼は申し訳なさそうにそう言って歩き出すと、こちらを見ずに言った。


「俺のことなんて何とも思ってないかもだけど、ちょっと考えといて」


 嬉しさと驚きで涙が止まらない私は彼の少し後ろを歩く。

 本当は今すぐにでも返事をしたかったけれど、ちゃんと気持ちを伝えたかった。


「大丈夫か?」


 彼は笑いながら私の頭が撫でると「親には顔見せらんないや」と言った私に嬉しそうな顔をしてまた笑う。


「じゃあ、この顔は俺しか知らないってことか」


「・・・ずるい」


「ん?」


 ぼそっと漏らした私の声は彼には聞こえなかったようだ。ちょっとした仕草や言葉が気になってしまうのは、彼のことが好きだからじゃなく、きっとその前から。その一挙手一投足に私は惹かれて、こんなにも彼を恋しいと大切だと想うようになったんだと思う。


「じゃあね」


「おやすみ」


 手を振ってお互いの家に入る。


 ずっと不安だった私の居場所。私が『うん』と言えば彼の隣が私の隣になる。

 あの彼女が、他の誰かが並ぶと思っていた場所が私の場所になる。

 そう思ったら一人でにやけてしまった。

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