マフラー

 外は寒かったがこれからどうしたものかと、リカコは公園のベンチに座って考えた。手には老婆が手にしていた手帳と同様に薄汚れたぜんまい仕掛けの人形がある。

 老婆の態度は祖母がこの人形を直接リカコに残したわけではないということを物語っていた。老婆の言っていたグレゴリなんとかという言葉の意味を考えようとしても、リカコはすでにその言葉を忘れていた。

 ふとリカコは自分の現状を思い返した。美大を卒業して売れない絵描きの自分。画廊でアルバイトをしながらどうにか生計を立てている毎日。祖母の手紙はそんな現状をなにか変えてくれるんじゃないかと、内心リカコは期待していた。だがやはり現実はそんなに甘くない。朝早く起きて、寒空の下公園のベンチで、手には古い人形だけ。この人形を題材に絵を描いてみようか。なにかインスピレーションがわくかもしれない。

「あら、随分懐かしいものをお持ちね」

 声をかけられ、リカコは顔をあげた。ナンブ・オートマタの老婆とは対照的な、上品な雰囲気の老婆だった。服装も上等なものに見え、今日は老婆に縁がある日だとリカコは思った。

「ええ。祖母から譲り受けたものなんです……数分前に」

 リカコは自分で面白いだろうと思って言ったが、老婆のユーモアには響かなかったらしい。「お隣いいかしら」と言われたのでリカコは少し横にずれた。

「懐かしいわ。わたしが子どものころはこういう人形で遊んだものよ。ぜんまい、回してみてもいいかしら?」

 どうぞ、と手渡しリカコは老婆の見た目から子どものころの年代を予測した。そのころにこういった人形を持っていたということは、やはり裕福な家柄だったのだろうな、と思った。

 老婆は瞬きをする人形を見て幸せそうに微笑んでいる。老婆のその顔をみて、リカコはふと思った。もしかしてこういうことなんじゃないかと思った。

「あの、よろしければこの人形、差し上げましょうか」

「そんな、いただけないわ。おばあさまから譲り受けたものなんでしょう? いやだわたし、そんなもの欲しそうな顔をしていたなんて。はしたないわね」

 リカコはそれを否定した。

「そういうことじゃないんです。正直、わたしはなぜ祖母がこの人形をわたしにくれたかわからないんです。そしてこれをどうしようかと思っていたときにあなたが現れました。祖母は多くの大切なことを教えてくれましたが、その中に、人が喜ぶことをしなさい、という教えがあります。なのでこれはぜひ、あなたにもらってもらえればと思ったんです」

 それを聞いて老婆は子どものように喜んだ。そして、マフラーをはずすとリカコにそれを渡した。

「あなたみたいな人に出会えて、今日はとても幸せよ。素敵なものまでいただいてしまって。だから、わたしからもお礼をさせてちょうだい。こんな年寄りのものなんて嫌かもしれないけれど、とても暖かいから。あなたに風邪をひかせたら、おばあさまに怒られてしまいますもの」

 上品な臙脂色のマフラをリカコは遠慮なくもらった。断るのも失礼だと思ったし、なによりそのマフラは本当に暖かかった。

 そのあと老婆と少しだけ身の上話をして別れた。「あなたみたいな人が描く絵はきっと優しさに溢れているのでしょうね」という言葉はリカコの胸に刺さった。祖母を通して得た自分の印象を絵に体現できているだろうかとリカコは考えた。それができていなければ、自分は祖母からもらったものをないがしろにしているのではないかと思った。

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