分岐点
咲部眞歩
ナンブ・オートマタ
小さな雪がちらつく寒風の日だったが空は不思議と晴れていて、リカコは雪がどこから来るのか雲を探しながら、今日という日が手紙をあけるのにふさわしいと一人うなずいた。
大好きだった祖母が亡くなったのはリカコが高校一年生の冬。祖母は死ぬ間際に一通の手紙をリカコに残しこう言った。
「十年経つまで決してこの手紙を開けるんじゃない。もし開けたらこれは途端に意味のないものになるからね。いいかいリカコ、わたしの最愛の孫。どうか約束を守ってちょうだいね」
リカコは約束を守った。そして祖母が亡くなってから十年後の今日、机の引き出しに大切にしまっておいた手紙を開封したのだ。
手紙を開封するとき、日常のせいで忘れていた祖母のことを思いだした。亡くなる前、誰もが祖母ことを、「ボケている」と言った。でもリカコはそうは思わなかった。リカコが小さいときから祖母は不思議な話をたくさんしてくれた。晩年の祖母の話はそれらとなんの変わりもなかったからだ。
だから開封した手紙には一言、
「ナンブ・オートマタに行きなさい」
と書かれていてもたいして不思議には思わずすぐにコートを来て家を出た。
もちろん、リカコは祖母の話をすべて信じていたわけではないし、二十五歳になったいま、祖母の話に対して昔ほど心躍らせているわけではない。ただ祖母がこの手紙の開封を十年待たせたことにはなんらかの意味があるということは核心していた。
ナンブ・オートマタは商店街に昔からある人形店だ。ショーウィンドウには古今東西の人形が所せましと並べられていて不気味な雰囲気を演出している。ドアガラス越しに中をみても薄暗く店内の様子はよくわからない。リカコはお店の存在を知っていても中に入ったことはなかったし、誰かがこのお店に入っていくのを見たことはなかった。
「こんにちは」
ドアを開けるとカウベルが鳴り、リカコは人気のない店内に向かって言った。そのまま中に入っていいかもわからなかったので入り口のところで待っていると、流木かなにかをそのまま使ったような杖をついた老婆が奥から出てきた。皺だらけでこの薄暗さの中でも老婆の肌が浅黒いのが見てとれた。
「いらっしゃい。誰の使いで来たんだい? お嬢さん」
老婆からすると自分はまだ“お嬢さん”か、とリカコは笑った。
「よくわたしがお使いで来たとわかりましたね」
そう言ってリカコが祖母の名前を伝えると老婆の目がすっと細められた。そして彼女の全身を観察するように眺めた。
「あの婆さんはもうだいぶ前に死んでいるだろう。いまになっていったいどういう了見だい?」
「祖母が亡くなってから十年後に開けるようにと手紙を預かりました。その手紙にこちらを来るよう書かれていたのですが」
リカコは人一人が歩ける通路を慎重に進んで老婆に手紙を渡した。レジカウンタから眼鏡を取り出し、老婆はその手紙を読む。
「なるほど。確かにあの婆さんの字だ。死んでから十年経っていて封筒の蝋は柘榴色。グレゴリオ暦置換法を試そうとしているのか……。婆さんが死んだのは詳しくはいつなんだい?」
リカコが祖母の命日を伝えると、老婆は戸棚から薄汚れた手帳を取り出し、そこに書かれているなにかと戸棚を比較し始めた。そして、老婆の手に握られたのは、ぜんまいのついた小さな人形だった。それをリカコに差し出してくる。
「あんた。間違いなくこの手紙は今日開けたんだね?」
「はい、そうです」
「婆さんからは特になにも聞いてはいないんだね?」
「はい、きいてません」
「いいだろう。これをあんたにやろう。背中のぜんまいを回すと瞬きをするオートマタだ。これは、あんたにとってとても大切なものになる。だけどこれに固執してはいけない。婆さんは大人のあんたにこれを託した。その意味をよく考えるんだね」
老婆の目には不思議な光が漂っていた。さすがに少しだけ不気味になったリカコは、「お代はいらない」という老婆に礼を言い、人形を握り締めて店を出た。
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