第3話 逢魔が時の猫1
その少年に初めて会ったのは 冬になりかけの秋で 自分は駅のホームに坐って明日のことを考えていた
その時に不意に視線を感じて目をあげた
今にも沈みそうな太陽に逆光になっていたせいでその姿はよく見えなかった
一旬泥濘のように曇った中から、まっすぐに進んで来る姿が大きくなると、ここは見慣れたあわただしく埃っぽい駅ではなく
水水しい樹木に覆われた山中にいるように思われた
それほどに姿のいい少年は見たことがなかった
単に容姿がいいというだけでなく何か浮世離れした清涼な雰囲気が、幻想的な気分にさせた
それがつかつかと歩を緩めずに自分に向かって歩いてくる
そして言った 「先生、天職についたんだね」そう言って嬉しそうに笑った
一旬 すがすがしい空気に抱きしめられたように感じて少し狼狽した
「君は、私の患者だったかな」と言うと、少し落胆したように見えて、何か自分が酷く悪いことをしたように感じた
それから「忘れるのは当たり前なんだ」と自分に言い聞かすように言った
表情には四分の三の落胆が残っていたが、四分の一のいたずらっぽさがあってそれが広がった
「でも思い出すかも」また独り言のように言った
それから「じゃね」と笑って走って行った、そしてその姿はあっという間に見えなくなった 次の日には そんなことは、すっかり脳裏から消え失せていた
その日も手術があったからだ
周りは緊張した顔をしている、その中を堂々と進んだ
今まで数えきれないくらい手術は経験していたが、緊張したことはない
いつも、どういうわけか無事に切り抜けられるはずだという自信があった
実際、その通りになった、確率はどうあれいったん集中してしまうと躊躇はなかった
ためらわずメスをいれると、組織や筋肉のつながりがじかに感じられる
生まれつき体力にも恵まれていたので長時間の手術も苦にならなかった
この病院でまぎれもなく天才だとみんなに認められながら、自分によってくるものはいなかった
口下手で無口で仕事しか能がない 周りはそんな陰口をたたいていたのは承知していたが、なんとも思わなかった
昼食は病院の食堂で取り、たまに一人背中を丸めて、酒を飲んだり単調で質素な生活だったが、別に不満もなかった
その間も仕事のことを考えた
自分が普通の医者違っているとすれば、自己犠牲とか憐憫などの感情的な思考が全くなかった
芸術家のような鋭い観察力で体の組織をみとおし、つないだり切断したりする
それでも助からないものはもうどうしょうもない それだけだ病院の近くに家を借りた そのほうが効率的だからだ 今までの選択肢もすべてそれが基準だった
その結果今の自分がいる それに不満はなかった 面倒くさい付き合いもない、人と付き合うのは昔から苦手だった
大学病院と言うのは政治のようなものがある、一般企業もそうだろうが、大学教授と掛け持ちしたり、
嬉々として付き合い酒をして上司の機嫌を取ったりするものの気持ちがわからない、そういうことは苦痛でしかなく
断ってばかりいた たまに誘われても話は続かないし、むっつりと飲んでいるだけなので自然に誘われなくなった
陰では、出世欲がないとか、診療内科に言ったほうがいいとか酒の肴に言われているのは知っているがかえってありがた
かった、その分仕事に集中できたしその面だけは
周りも一っ歩引いて尊敬のまなざしで見た2度目にあったのはその自宅に帰る時だった やはり日暮れ時で何か目線を感じるとこの間の少年がいた
それから嬉しそうに近寄ってきた
その時なじみのない感覚をおぼえた、迷信や想像力とは無縁だったがなぜか昔あったことのあるような気がした
「また会ったね」 言いながら笑ったがこの前より覇気がなく、何かしおれたような表情がこの間より少年を大人びて見せて「何か、困ったことでもあるのかい?」思わず聞いていた、それからそんな自分に驚いた
答えを聞いて それからもっと驚くことがあった
「おなかがすいてるんだ、でもお財布を落としちゃって」 思いつめた顔で言った
自分の口から自然に笑い声が出たのを聞いた、もっと自然に言葉が出た
「じゃあ、おごってあげるよ、何がいい?」
尋ねると瞳がパッと輝いた そして 「肉」 周りが振り返るほどの大声で言った 確かこの辺にステーキハウスがあったはずだ、自分はまだ言ったことがないが・・・
「じゃあ、近くでいいかな」
「いいの?」 自分を見上げる目がキラキラしている
「ああ」 言いながら歩きだした、ファミレスみたいなステーキハウスに入った中は暖かく、いい匂いがした
少年はスンスンと嬉しそうに目をとじてその匂いを味わっているようなしぐさをしたそれだけなのにこっち嬉しくなるような
愛くるしさがある
自分と目が合うとにっこりした 水を持って気たウエイトレスがぎょっとしたようにそれを見た、同じような笑顔を向けられると
その顔にも笑みが広がった
水がおかれるとこっぷを掴んで一気に飲んだ まるで砂漠で遭難したような人が飲むような飲み方で、「これももらっていい」
自分の分の水まで飲んだ、慌てて持ってこられた替えのコップも飲んでしまった
でもここは砂漠じゃないのに何でこんな飲み方をするのだろう
メニューをのぞき込んだ真剣に覗き込んでいる姿を見ながら思った
水がおかれるとこっぷを掴んで一気に飲んだ まるで砂漠で遭難したような人が飲むような飲み方で、「これももらっていい」
自分の分の水まで飲んだ、慌てて持ってこられた替えのコップも飲んでしまった
でもここは砂漠じゃないのに何でこんな飲み方をするのだろう
メニューをのぞき込んだ真剣に覗き込んでいる姿を見ながら思った 他人と食事をしたのはもう何年前かもわからない 食事はいつも一人なのに久しぶりに他人と外食をしている
しかも相手は親子ほども年の離れた全く見知らぬ少年、名前も年も住んでいるところも・・・・・
大体いくらおなかがすいてるからと言って勝手に食事をさせたりしていいのだろうか、この子にだって親がいるだろう
そして周りがらの視線を感じて余計以後ごちが悪くなった、おまけにこの子は掛け値なく綺麗だ
自分はステーキで子供だます犯罪者に見えるのではないかと思うと落ち着かなくなった
「 先生」 少年が大きな声で言った
「先生には、命を助けてもらったんだ、なのに忘れるなんてひどいよ」 すいている店内にその声が響き渡った
「ああ、手術は毎日だから」 ステーキハウスにはふさわしい会話ではなかったがそれで周りの空気が変わったような気が
する
病院の近くでもあるので、医者だと認識されたようだ
医者と患者、位置づけはできた
少なくとも変質者に間違えられる可能性は減ったようだ
そういえば名前はなんというのだろう
そうすると少年は心を読んだように言った
「こま、僕はコマだよ先生、思い出した?」
そういってまた笑った「なんか猫みたいだね」
「よく言われる」 そこにステーキが運ばれてきた
「すげぇ」
ウェイトレスがクスッと笑った
「いっぱい食べな」 「ありがとう先生」 言ってフォークとナイフを取って真剣な顔で肉を切り始めた
その手つきがあまりにぎこちなかったので、「切ってあげよう」と言って手を伸ばした
さっきのウエイトレスが飛んできて、お切りしましょう と言って皿を持って行った
「すまないねこの子はちょっとまだ手が・・・・」
またしても自然に言葉が出た、というか自然に嘘をついた自分にびっくりした
「まあ」ウェイトレスが痛ましそうな表情になって皿を運んですぐに戻ってきた
肉はカットされている
少年は夢中になって食べだした
何日も食べてないような食べ方で大きなステーキをぺろりと食べてしまった
それかやっと自分にきずいたようだ
「ふう」 「息をついてから「おなかいっぱい、ありがとう」と言って惚れ惚れするような明るい笑顔を向けた
「よく食べたね」
「僕の田舎ではこんなおいしいものないもの」
「田舎からきたの どこから」 「九州」
「親戚のところにきたの、でも財布を無くして、場所もよくわからなくなって困ってたら先生がいたんだ」また隣のテーブルをかたずけていたウェイトレスがちらりとこちらを見た
その時、ふと釈然としない気持ちを持った
少年はウエイトレスが近くに来た時に説明するように声が少しだけ大きくなる
それからごく自然に嘘をついた 自分にも・・・・・・・
でもにこにこ笑って自分を見る顔を見ているとそんな違和感を持つこと
事態がおかしいと思った
自分の立場は確実によくなっているし きっと慣れない場所で慣れない食事をしたせいだろう
だから思考がちょっとショートしただけだ年は13歳だと言った
もっと幼く見える 小学生かと思ったというと酷いやと言ってふくれっ面になった
やっと普通に話ができるようになった、もう誘拐犯に見られることもないし相手は子供だ
親戚の住所はというと財布と一緒に亡くしたといった
警察に連れていくしかないと思ったが、こういう場合どういう対応を受けるのだろう
なにを食べさせるのか?
もちろんただの迷子だが、質問攻めにされる姿は哀れな感じがした
店を出てからどうしようと思った
その時、少年が言った「部屋の隅でいいからとめてくれない、すごく疲れたんだ」
思わず顔を見た 世事に疎い自分でもそういう種類の少年がいるのは知っている
でもその顔は本当に困り切っている
頭を振ったそんはずはない 「汚いけどよかったら・・・」また自然に言葉が出た
パッと顔が輝いて笑った つられて笑って歩き出した
それから自分の中のなじみのない感情にきずいた
自分は喜んでいる 確かに嬉しかった
もちろん他意はないし一晩くらいならいいかもしれないいつもは寝に変えるだけの あの寒々しい家も役に立つこともある
少し休ませたら、親に連絡を取ろう
そう思いながら歩き出したいつもの慣れた道を歩く
小雨が降りはしめた 自分は少年がひどく薄着であるのに築き「もう少しだからね」
そのうちに霧が出てきた (なんでと思った) 「先生急ごう」少年が言った
何かにおびえているようにみえる
道は左右に右曲して爪さき上がりになるはずなのに足元がちゃんと地面を踏んでいる感覚がないのでひどく頼りない
気分になる
その間にも霧はどんどん濃くなる 周りには人は誰もいない
少年の顔を見ると今にも泣きそうにみえる
振り返るとむくむくとわく煙の中に黒い影が見える 冷たい風がさあっと音を立てて走って行った
そのうちまわりが真っ白になってしまった
こんなバカなと思うが、世にあるものは白い霧と冷たい風だけで、自分の手を握っている
少年の手だけが暖かい
「先生、走ろう」 少年は泣きそうなまま自分の手を引いて走った
自分にも何か尋常な事態でないのはわかるが、どうしていいかわからないので手を引かれたまま走った
そのうちにザクザクという重苦しい足音が響いてきた
それも一つではない 携帯を取り出して見ると圏外にすらなっていない
画面は真っ暗でどこを押してもそのままだ
足音は一つではなく確実に自分たちを追ってくる
ガチャガチャという何か金属的な音もする
もうとにかく走るしか手はない 少年を抱えるようにして全力で走った
大きな黒い人影が目の前に立ちはだかった
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