必殺セロトニン 第1話 太陽光のサンジ

 その男の八つ当たりは本当にひどいものだった。


 会社に行く時に、折りたたみ傘を忘れた。


 仕事帰りに、必然のような雨、ざぁざぁとアスファルト叩きつける!


 西友で、540円(消費税8%込み)の透明ジャンプ傘を購入して帰ってきた男は、自宅の扉を開くなり、妻に当たり散らした。


「おまえが『傘は持った?』と確認しないから、忘れちまったじゃなぇか! 540円も無駄に使っちまった! ふざけんな! 俺の小遣いが減るだろ! 食費から出しやがれ!」


 そう怒鳴った男は、さっさと風呂に行ってしまった。


 キッチンテーブルには、ラップのかけられた夕餉。


 テーブルの足の下にうずくまり、しくしくと無く嫁。

 涙がエプロンに滴り落ちる。


「うう……」

 嗚咽を抑えきれない嫁は、エプロンのポッケからスマートフォンを取り出し、Twitterに何やら書き込みを始めた。


「たすけて」

 140文字の枠のうち、たった4文字。

 GPS機能による、ツイートへの、位置情報の付加。


 サンジには、それで充分だった。


 ◆


 妻は、泣きつかれて突っ伏した。


 ざあああああ


 ざあああああ


 雨の如く、ユニットバスの底面を叩きつける、暖かなシャワー。


「くそ! 部長も部長だ! 嫁も! あのクソ客も! 目つきの悪い、バイトの女子社員も! どいつもこいつも!」

 シャワーの水滴が発するマイナスイオンですら、男の感情の発露を、抑えることが出来ずにいた。


 しかし――。


 パチリ。


 スイッチ音と共に、狭苦しいバスルームに闇が訪れた。


「おわ! なんだ? 停電か!?」

 その時。二つ折りのユニットバス扉が、キュリリと音を立てて開いた。


「おい! はやく電気つけろよ!」

 妻が入ってきたと、男が思ったのは、まったくもって自然のことだったであろう。


 しかし。そこに現れたのは。


「ちょいとごめんよ?」

 低い、しゃがれた声。

 シャワーを浴びる男には、まったく聞き覚えのない声だった。


「なっ」

 男に一音節しか発声を許さず――。


 ピカアアアアアアアアア!


「うわっ! まぶしっ! 熱っ! なんだお前は!」


 LEDでは不可能な程の出力。

 凄まじい光量を備えた電球は、発熱もまた、常軌を逸する程だった。


「あっしは、サンジと申しヤス。おんしには、太陽を浴びる時間が足りないんでヤスよ」

 

 シャワー中の男に、水ではなく、大量の光を浴びせた彼奴きゃつこそが――。


 ◆


 翌朝。


「あのさ……いつもごめんな。癇癪かんしゃくを起こしたりして……」 

 まるで憑き物の落ちたような、穏やかな表情で、男は言った。


「いいんですよ……」

 妻のエプロンに再びこぼれた水滴は、うれし涙だった。






 人のココロを安定させる『5-ヒドロキシトリプタミン』を操る集団。


 その名は、必殺セロトニン。


 今日も明日も。

 ストレスにまみれた東京の街を、駆けるのだった――。



<続く、かも>

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