初恋(?)編〜私の中の少女

 小学校6年生の時、小松左京の『復活の日』を読んでいました。

 当時は感動したんですけど、今内容を思い出すとフェミニズム的というか人道的観点から重版・復刊は難しいでしょうね。


 小6の一時期、私は一部の女子から今で言ういじめ的なことをされていました。

 私はいわゆるイケメンではないけれど、クラスの中ではそれなりのポジションにいたので、そんな私でも標的になるっていう事自体にまず驚いていたのかな、と今では分析してますが。

 一部の女子っていうのは、今どきのスクールカーストで言ったら二軍クラス。

 特に美人ってわけでもないし、リーダーシップを取ったりスポーツや勉強ができるとかでもない、おとなしめな女子たちでしたよ。

 たぶん、私がその場で怒って叩くとかしたらおさまったんじゃないかと後から考えると思うんですけど、当時の私は「女の子に手を上げるのはいけないこと」と金科玉条のように思っていたので(今でも基本的にそう思ってますけど、おかげで自衛権の発動ってことも覚えました)黙って耐え忍んでいて、それがまた彼女らの嗜虐心をそそったのでしょうね。

 その状況に気づいたイケてる友人が「一発殴ってやろうか」と言ってくれて、それは固辞したのですが、きっと彼が何か言ってくれたのでしょうね、しばらくして何もされなくなりました。


 と、長い前フリが続いたところで何が言いたかったかというと、『復活の日』で南極大陸で生まれた子供たちのひとりの名前がいじめグループの首謀者の名前と一緒で、卒業する頃までには別に仲良くなったわけではないけれど「この本にキミと同じ名前の子供が出てくるんだよ」という話をできるくらいには普通の同級生に戻ったわけです、それだけの話。

 別に何かのフラグが立ったわけじゃありません、あしからず。


 とはいえこの一件はトラウマになっていて、普通の女子でもっていうか、普通の女子だからこそ怖いって思うようになりましたね。

 自分のスペック的にはちょうど釣り合うような子たちが怖くなってしまった。

 いっそイケてる子たちの方が精神的にというか人間的に安定しているというか、成熟していて付き合いやすかったですね、友達的に。


 閑話休題


 中学に入り、SF好きな友人もできました。

 時々彼と一緒に学校帰りに本屋巡り(当時はあの田舎街でも中心街に4、5軒の書店がありました)をしたり。


 そして、いつ、どんなきっかけだったかは定かには思い出せません。

 しかし、巡り合ってしまったのです!


 新井素子作品に…。


 昭和の時代の男子中学生ですよ?

 どうしてコバルト文庫を手に取ったのか、さっぱり記憶にありません。

 SFアドベンチャーで見た可能性が大ですけど、もう記憶にないし検証不能。

 でもって『あたしの中の…』と『星へ行く船』とどっちが先だったかも憶えてません。


 とにかく新井素子の文章は衝撃的でした。

 自分も小説書けちゃうんじゃね? って思っちゃうくらいに。


 たぶん日本中で同じことを思っちゃった人は大勢いたのでしょう、誰だか忘れましたけど、何かの文学賞の選考委員とかしてる作家だったか評論家だったかがエッセイの中で「冒頭で女性一人称で自己紹介を兼ねて状況説明をしていいのは新井素子さんだけです」(大意)みたいなことを書いていたのを憶えています。


 最近(おじさん的な時間感覚での「最近」ですよ)のラノベ界隈で西尾維新もどきの文体が溢れかえっているのと同じような状況だったのでしょうね。

 ちなみに私の黒歴史ノートは処分済みですから、この点は安心して死ねます。


 一方、大原まり子作品との出会いは、SFマガジンだったと記憶しています。

「和製サイバーパンク」なんて言われてましたね、『一人で歩いていった猫』。

 衝撃的でした。

 何より、カッコよかった。


 こんな本格的にカッコいいSFを書く一方で、まだBL小説が「やおい本」と呼ばれて超日陰ものだった時代に「イル&クラムジー」シリーズなんてBL要素満載のやっぱりカッコいいライトなSFを書き、『処女少女マンガ家の念力』とか今読んでもSF寄りのラノベだろ? みたいな作品も書いて…。


 私の中では伊藤計劃と同じくらいっていうか、当時はティーンエイジャーだった分、それ以上のインパクトをもって受け止めましたよ。


 あ、突然ですが、イクラシリーズの中の会話で「『ビールをちびちび飲む男は信用できない』ってフィリップ・マーローが言ってたよ」「それ誰?」みたいな会話があったのを今思い出しました。


※調べたら、ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズでした

 お詫びして訂正いたします(2017/08/09)


 というわけで、私は大原まり子と新井素子(の作品)に出会ってしまったのです。

 たしか中学生の頃、たぶん高校に入る前。

 今で言う中二病真っ盛りの年頃。

 いや、大原まり子のイクラシリーズとか『処女少女マンガ家〜』とかは高校生か大学生になってから読んだはずですけど、と・に・か・く!


 たぶんこの頃からです、私の心(正確には読書傾向)の中に少女が棲みついたのは。


 現物が手元にないので記憶がちょっと曖昧ですが、『武士道シックスティーン』の解説で有川浩さんが「 誉田哲也は心に少女を飼っている」とおっしゃっていましたが、うん、私の心には少女が棲みついています、おっさんになった今でも。




 また今度、高校〜大学時代のことを書こうと思いますが、マンガも読まずほぼSFばかり読みふけっていたような中学時代なのに、硬派なSF者にはならずにラブコメ的なラノベや少女小説(今はTL系って呼ぶんですか?)への耐性をつけたのは、間違いなく大原まり子作品と新井素子作品の影響ですね。


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 全然関係ないけど、大学を出て東京で働き始めるにあたり、アパートを上石神井で決めたのは『いつか猫になる日まで』の舞台だったからです。

『処女少女マンガ家の念力』の三軒茶屋は家賃の相場が高くてムリでした。


 ところでこのおふたり、どちらも結婚なさってから私好みの小説を書いてくれなくなったのですが、リア充になると何かが変わっちゃうんですかねぇ?

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