農協おくりびと (109)和太鼓の響き
ド~ンという音が突然、闇の中から降りてきた。
聞こえてきたのは、和太鼓の音。
貴舟川のほとりから本殿へ続く石段を、のぼりはじめた時のことだ。
見上げれば灯篭が連なる石段の先に、山門が見える。
屋根におおいかぶさるように、樹齢400年の桂の木が枝をひろげている。
きれいに熟れた金色の葉を振り落とすような勢いで、太鼓の連打がはじまった。
(和太鼓の音です。境内で、和太鼓のイベントでもはじまったのかしら・・・)
乾いた連打が山門を越えて、闇の中へひろがっていく。
ちひろが耳を傾けた瞬間。和太鼓の連打が一瞬止まった。
(あら。変ですねぇ、もう、演奏が終わってしまったのかしら?・・・)
数秒後。静まり返った闇の中を、甲高い篠笛の音が流れてきた。
(神楽でもはじまったのかしら?。なんだか気になる篠笛の音色です)
篠笛の優雅な旋律が30秒ほど流れたあと、ふたたび和太鼓の連打がはじまった。
太鼓と篠笛の掛け合いが耳に届いてきた瞬間、2人の足に変化が起こる。
石段を踏んでいる足に、力がこもる。
手をつないでいた2人が急かされるように、石段の頂点まで駆け上がる。
拝殿の庭に、にわかつくりの舞台がつくられている。
寒くないのか。腹巻だけを身に着けた若者たちが、太鼓にバチを打ち付けている。
篠笛を吹く女性も、薄い衣装をまとっているだけだ。
(うわぁ~寒くないのかしら。凄いわねぇホントに、若さって・・・)
寒気を覚えたちひろが、ふたたび山崎の背中へ身体を寄せる。
貴舟神社の拝殿は、貴船山と貴船川に挟まれた狭い一角に建っている。
川の向こうは鞍馬山。
予想よりはるかに小さな境内が。2人の目にとびこんでくる。
近すぎるために、太鼓を叩く青年たちの息使いが、此処まではっきり聞こえてくる。
叩くたびに隆起していく筋肉が、見るからに頼もしい。
和太鼓の響きを聞くと、こころが踊り出すのはなぜだろう。
勇壮で華麗。魂を揺るがすダイナミックな音。太鼓に音階は無い。あるのは強弱のリズムだけ。
だが不思議なことに、聞く人の心の奥まで太鼓はひびいてくる。
音の聞こえない聴覚障碍者にも、和太鼓は音だけは、はっきりきこえるという。
身体の奥底まで響いてくる音色。それが和太鼓の音だ。
演奏に見入っているのは、ちひろと山崎だけではなかった。
2人が立ち尽くしている場所の少し前方。立ち見客たちの肩越しに
見覚えのある背中が見える。
仲良く寄り添いながら、うっとりと演奏に聞き入っている先輩女子と
ナス農家の荒牧だ。
先輩女子の右手がいつの間にか、荒牧の肩に置かれている。
確認は出来ないがナス農家の荒牧の手も、先輩の腰に回されている気配が有る。
(お熱い光景を見つけましたねぇ。いい雰囲気ですねぇ2人とも。あら・・・)
最前列にもうひと組。松島と圭子の仲の良い背中姿を発見した。
太鼓のリズムに乗って、左右に仲良く2人の頭が揺れていく。
ちひろの目の前で密着している先輩たちの様子とは対照的に、最前列の2人は
何故か微妙に距離をおいている。
和太鼓の演奏は、10分あまりで終わりをつげた。
「ふぅ~」という短いため息が漏れたあと、聴衆からパチパチと拍手が巻き起こる。
次の瞬間。アンコールの声が湧き上がる。
腹巻の若者がアンコールの声に応えて、ふたたびバチを天空にかざす。
また、和太鼓の激しい連打がはじまった。
若者たちのバチが左右に揺れるたび、立ち止まった場内の聴衆たちもまた、
波動に応えて、左右に揺れる。
(圭子ちゃんと松島クン。先輩女子と荒牧クン。
2組とも、見るからに上手くいきそうな雰囲気が漂っています。
それに比べてわたしは、これからいったい、どうなるのでしょう・・・)
気付かれないように、ちひろがそっと山崎の横顔を盗み見る。
(110)へつづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます