農協おくりびと (107)ライトアップされた紅葉


 「うっ・・・やっぱり寒い!」ちひろが悲鳴を上げる。

毛糸の帽子。ふかふかのマフラー。旅館で借りた綿入れの半纏(はんてん)。

それでも足元から、寒気が這い上がって来る。


 5分ほど真っ暗な道を歩いたあと。ようやく貴舟川沿いのライトアップが見えてきた。

昼間見たときとはまったく別の紅葉が、ライトの中で揺れている。


 川の真ん中に、小さな噴水が見える。

このあたりから歩道の上に、灯篭が並び始める。

灯篭のあわい光が歩いていく人たちの足元を、照らし出す。

先に歩き始めた松島と圭子、先輩と荒牧の2組のカップルは何処を見ても見当たらない。

視界のどこにも姿が見えなくなった。

マフラーに首を埋めていたちひろが、3歩遅れて着いてくる山崎を振り返る。


 「ねぇ。電話で言っていた、あの話の続きを聞かせてよ。

 例の、群馬のもみじのかたき討ちという話。」


 「あ・・・覚えていたんですか、俺がうっかり口走った、あの独り言を」


 「独り言だったの?、あれは?。へぇぇ。

 はっきり聞こえたわ。それに、京都に着いたら説明しますと明言していたもの。

 男らしくないわ。言いなさい、いったいどんな話なの?」


 「信ぴょう性は有りません。不確かな噂話です。

 ちひろさんは、秋の夕日に照る山もみじ、ではじまる童謡『もみじ』を知っていますか」


 「知ってるわよ。

 濃いも薄いも数ある中に 松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は

 山のふもとの裾模樣(すそもよう)という童謡でしょ。

 2番は、溪(たに)の流に散り浮くもみじ 波にゆられて はなれて寄って

 赤や黄色の色さまざまに 水の上にも織る錦(にしき)とつづきます。

 作詞した高野辰之は今では走っていないけど、碓氷峠にある信越本線の熊ノ平駅から

 紅葉の美しさに惹かれ、この詞を書いたのよ」


 「さすがです。

 碓氷峠や、近くにそびえている妙義山は、昔から紅葉の名所として知られています。

 妙義の麓で、碓氷川のほとりに雀のお宿で知られる磯部温泉があります。

 そこの名物、磯部せんべいを焼いている店主から聞いた、紅葉買い占めの噂話です」


 「磯部温泉で、紅葉の買占め?。初耳です、そんな話は」


 「いまから20年くらい前だそうです。

 京都からいろんな寺院が札束を持って、手当たり次第に碓氷のもみじを

 買いあさったそうです。

 おかげで磯部周辺の植木屋たちは、たいそう儲かったと言います。

 大金を手にした植木屋たちが、夜ごと磯部温泉でどんちゃん騒ぎをしたそうです。

 モミジのバブルが数年の間、磯部の周辺で続いたそうです。

 京都の紅葉は20年ほど前に、群馬で買い占められたモミジが主役になっている。

 景気の良かった昔をしのんで、せんべい屋の店主がそんな風に言っていました」


 「へぇぇ。紅葉の名所から、たくさんのモミジを買いあさって来たのですか・・・

 まんざら嘘でもなさそうです。

 妙義や碓氷の山麓と言えば、京都とよく似た盆地の気候を持っています。

 秋から冬にかけて、急速に冷え込みが厳しくなる点もよく似ています。

 群馬からたくさんのモミジが、京都へ嫁に来たのですか・・・

 女の生き方も、群馬からやって来たモミジも、なんだかよく似ていますねぇ」


 「えっ、群馬からやって来たモミジと、女性の生き方に共通点が有るのですか?」

 

 「似ているような気がする、と言っただけです。

 妙義のすそ野を染めていたモミジが、数年後に京都の秋を美しく飾りたてる。

 女は生まれ育った地を離れ、新しい環境になじんで生きる。

 あたらしい土地に馴染んで、前よりももっと美しく自分を誇示する。

 たくましく生きていく女の心根を、垣間見たような気がしますねぇ。うっふっふ」


 ちひろが、暗い川面を覗き込む。

暗すぎて貴舟川の水面は見えない。

ライトアップされた紅葉が、ときどき、ふわりと風に揺れていく。

(ホント。紅葉が綺麗です。誘われて此処へやって来て、本当によかった。

でも、今頃になってから、わたしの胸がチクチクと痛くなってきました・・・

あのままバスに乗っていたら、今頃わたしはきっと、声を殺して泣いていたでしょう。

たぶん・・・おそらく・・・間違いなく)



(108)へつづく

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