魔術談義


「あんたってさ、凄いんかい?」

 さんざん泣いたが、ようやく涙もおさまり、女児が彼に尋ねる。


 お粥(かゆ)もおかわりして食った。むろん、冷ましてからだ。

 味付けが薄いと不平をいい、塩気を強くし鍋を空にした。

 喉が渇いてがばがば水を呑み、孕(はら)んだように腹がふくれている。


「知において我に優(まさ)れる者なし。世の始まりから終わりまでに、七人の大いなる賢者、或いは魔法使いが現れるとされており、我は中興の祖とかいうものらしい。

 後世に我は不世出の魔術師と呼ばれ、様々な物語に様々な外見で登場する。大抵(たいてい)は謎めいた予言をしたり、悪賢く人を騙したりする、狂言回しのような役所(やくどころ)だ。我は常に真実を語り、その言葉で常に欺くといわれる。

 そして、このような冗談が人々の口にのぼるようになる。“知らざる者なき魔術師ローランの知れる者なき物語”とな。

 吟遊詩人へのからかい、有耶無耶(うやむや)になったこと、河童(サギハン)の屁といったような意味だ」

 魔術師はどうでもよさそうに答えた。


「へぇー」

 女児は感心したように、ブヒッと屁をこいた。

 いっしょに尻の穴から、ビヂュッと褐色の液体が出た。

「うひっ?」

 慌てて抑えたが指の隙間から垂れる。

 チチッと、股間からも温たかい水が迸(ほとばし)る。

「いぇっ!」

 女児は前と後ろを抑え内股になる。

 穴に指を入れて栓をし、塞ごうとするも詮なし。

「おわ~」

 女児は呻きながらしばらくしゃがんでいる。

 恥ずかしいらしく、また涙目になっていた。


 しおわった後、女児は気まずげに穴を掘って土をかけた。

 借りてきた猫のように隅っこで、いじいじと大人しくなっている。

 どういう判断基準かわからないが、わざとするのは平気でも、うっかりとしてしまうのは、自尊心が傷つくらしい。


「とはいえ、力やら技やら何やかやとなると、匹敵したり上の者がわんさといるな。せいぜいそんなところだ」

 魔術師はさきほど中断から、何ごともなかったように続けた。

 野良猫が餌を食い散らかしたあげく粗相(そそう)しても、呆れたのか寛大なのか追求しないようだ。どうでもいいのかもしれない。


 女児はパァッと笑んで顔を上げ、

「? それ、威張ってんの、謙遜してんの」

 それから、首を傾(かし)げた。


「早くいえば、力押しではなく搦(から)め手を好む」

 魔術師はつまらんこときくなという様子で鼻を鳴らす。

「なんかしょぼい気がしてきた」

 女児は肩をおとした。


「お前に教えるのが我の役だ。そなたに最適の師ではないか。

 しごくだけはしごいてやる。あとは己がなんとかしろ」

 魔術師が嫌な薄ら笑いを浮かべる。

「うぇ~っ、あんたの根性ババ色。

 妖術師だろ、黒魔道師(あくのまどーし)なんだろ。

 いかにも胡散臭くて邪悪そうな見かけしてる」

 女児がなじる。


「まあ、そんなところさ」

 黒衣の魔術師はにやりと笑った。



「ねえ、妖術師。あんたは杖とか使わないの?

 魔法使う奴はみんな何かかんかもってんでしょ」

 女児は妖術師と呼ぶことに決めたようだ。


「我にはいらぬ故、使わぬ。汝とて必要とせぬであろう」

 妖術師はこともなげにいい切る。


「そりゃそうだけどさ」

 普通、人間は魔力が弱いために、魔法発動に時間がかかるし、それのもたらす効果も低い。

 だから、杖かそれに代わる物に力を蓄えたり、発動や増幅の術式を組み込むことになる。

「あたいだって、この数珠(じゅず)使ってるよ。なくたってすませれても、あったほうが楽できるし」

 女児は一応うなずいてから、言い分をつけ足した。


「うむ、なんであれ力は力であるから、利用しうるものは利用すればよい、というのは一面において真実ではある」

 妖魔や精霊は存在そのものが魔法だから、彼らは道具に頼らなくてもいいわけだが、術理とか究めてその道具を用いる魔術師には及ばなかったりもする。そうやって召喚(よびだ)され従わされたのが使い魔というわけだ。


「されど、魔術師の杖は戦士の剣などより個別化されたものだ。すなわち、己の力を分け与えることにより強力なものとする。本体の力が弱まることと引き換えに総体の力を上げるわけだ。したがって、杖の喪失は致命的な結果を招きかねん。

 戦士は剣が折れても別の剣が使えるし、なければないなりに棒切れで戦える。だが、己の知識と力を委ねた杖をなくした魔術師は惨めなものだぞ」

 そういった者達を散々知っているかのごとく唇に酷薄な笑みが浮かぶ。或いは、妖術師自身が彼らの杖を圧(へ)し折ってきたのであるかもしれない。


「何もかも女に貢いで尻(けつ)の毛まで抜かれたあげく、袖にされちまった男みたいなもん?」

 ぽんと、女児は手を打つ。どうやら得心したらしい。

「そうだな、よい喩えだといえよう」

 妖術師はいかにも大真面目なふうに誉めた。



「故に、杖への依存を我は好まぬが、我は我自身と世界そのものを道具とするともいえなくはない。

 我の躰(からだ)は呪文だ。魔術によって解体し、最適化して再構成している。ここを含むもろもろの世界からなる世界樹が我の杖だ」

 

 ふいを打つ幻視に囚われて、女児は身動きがとれない。

 炎に包まれ崩壊する世界、時空系の集合体である巨大な世界樹が燃えながら傾く。

“燃える炎の枝(レーヴァテイン)”、かつて世界を焼き滅ぼした究極の魔法(ルーン)。

 暗黒の衣のような闇に覆われた星辰の中で、邪悪な文様のような魔術師の痣(あざ)が蠢(うごめ)き明滅する。

 それは神々すらもたやすく凌駕し、創世にありし星の乙女達に等しき、神魔の姿だった。


「さて、我を召喚(よびだ)した汝は、何が望みだ」

 色のない透明な眼が女児をみる。


 女児は、またしても己が従属させえぬものを召喚してしまったことを悟った。

 

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