第26話 招かれざる者 その二

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「ぼくの、お父さん……?」


 シャロは大きな碧眼をいつも以上に見開いている。


「その人は確かにそう言っていたわ。『私は真壁晃一郎まかべ こういちろうという者なのですが、私の娘をご存知ないですか? 銀髪のロングヘアーに青い目の子なんですが』って聞かれたのよ」


 シャロに父親がいること自体はあたしも知っている。しかし、彼女は父親が今どこにいるのか思い出せないと言っていた。なので、あたしは彼女の父親に関する情報はほとんど持ち合わせていない。

 あたしが知っていることといったら、彼女を家からほとんど外に出さない過剰な保護者精神を持っていたことぐらいだ。

 まぁ、それ自体も真実かどうかは定かじゃないのだけど。


 それにしても、あたしがシャロと出会ってから半月以上経つけど、今まで彼は何をやっていのだろうか?

 もしかしたら、海外に出張にでも行っていて、やっと戻ってきたら娘がいないことに気づいた、なんてことがあったのかもしれない。


 でも、あたしのそんな楽観的な考えとは裏腹に、笹山さんはこんなことを言った。


「そしたら、一緒にいた夏帆が『真壁さんにお父さんはいませんよ。どうしてそんな嘘をつくんですか?』って、かなり厳しい顔で言ったのよ」

「え? シャロにお父さんはいないって、西野さんは言ったの……?」


 そんな話は初耳だった。ちなみに西野夏帆さんはあたしたちと同じクラスで笹山さんとは仲が良い。

 それにしても、なぜそんな話を西野さんは言ったのだろうか?


「そうよ。夏帆によると、真壁さんは、イギリス人のお母さんと、日本人のお父さんを親に持つハーフで、イギリスで暮らしていたんだけど、小さい頃に両親が亡くなって、それ以降はお爺さんに育てられていたの。でも、そのお爺さんも先日亡くなって、それで唯一の肉親がいる日本にやって来たって言っていたそうよ」


 笹山さんはそう言い終わると、「そうでしょ?」とでも言いたげな視線をシャロに向けた。

 どれもこれも聞いたことがない話だった。記憶喪失の彼女は、自身の出自など何も覚えていないはずなんだ。だって、そうだとシャロはずっと言ってきていたんだから。

 それに、彼女はずっと日本に住んでいた。日本の最新のテレビアニメにあれだけ詳しいのだから、海外なんかに住んでいたはずがない。いくらインターネットが発達している世の中だとしてもだ。


 あたしは今の笹山さんの言葉を否定して欲しくて、隣のシャロを見ようとした。でもその時、


「そ、そうだよ! ぼくはイギリスで、おじいちゃんに育ててもらったんだよ! だ、だから、そんな、そんな男の人は知らないよ!」


 あたしの思いとは相反することを、彼女は言ってのけていた。


「しゃ、シャロ、あんた、何言って……」

「Please trust me! My parents were killed in a traffic accident. So, he must be a liar!」(ぼくを信じて! 僕の両親は交通事故で死んだんだ。だから、その人は嘘つきなんだよ!)

「な……!?」


 滑らかな発音。中学から英語を習い始めたあたしなんかじゃ到底聞き取れない言葉を、シャロは発していた。

 あたしは唖然としていた。

 この子は誰なのか? そんな思考すら、あたしの頭を駆け巡る。


「な、なんて言ったのか分からなかったけど、そんなに言うなら本当なのかな……。夏帆も気になってたから、やっぱりあの人は偽者だったって、伝えておくよ」


 笹山さんは少し引きつった表情を浮かべたままそう言い、あたしたちから離れて行った。


 シャロは見たこともないほど険しい表情を浮かべたままなんの言葉も発しない。

 さっきの英語らしき言葉を連発していたのとは打って変わって、ただの一言も口を利かない。


「シャロ?」


 たまりかねて名前を呼んだ。

 でも、シャロは何も言わない。

 聞こえるのは、校庭から響く運動部の掛け声だけだった。


「何か、言ってよ……。ねぇ、どうして黙ってるの? あんたが喋らないなんて、気持ちが、」

「どうしたのかな?」

「え?」


 あたしは思わずシャロを覗き込む。

 シャロは、複雑そうな様子だった。

 自分の心がわからない、とでも言いたげだった。


「どうして、こんなに心がざわつくのかな? 単に、お父さんが、帰ってきただけだって、いうのに……」

「どういうこと? さっきあんた、お父さんなんて知らないって……」

「あいどんのー。ワタシハ、ニホンゴ、ワーカリマセーン」

「おい」

「ご、ごめん……」


 あたしの突き刺すような視線を前に、シャロは鷹に睨まれた小動物みたいに小さくなった。


 夕暮れ、自宅へと向かう閑静な住宅街を歩く中、シャロはクラスメイトに嘘をついていたことを白状した。

 その嘘を言うように仕向けたのは、校長である江村先生であった。

 理由はわからない。ただ、江村先生がそうしなさいと言ったから、それに従っただけだったとシャロは言う。


「じゃあさっきの英語は何なのさ? あんなに堪能なのに、本当に日本に住んでたの?」

「I have learned English from Emura teacher at home. So, I can speak English better than you. I think Himari should study harder, too!」

「なんかよくわからんけど馬鹿にされてる気がするからとりあえず殴る」

「冗談だって! ごーめーんーってばー!」


 あたしが手を上げると、シャロは手で頭を守りながら謝った。


「でもなんだって江村先生はそんなことをシャロにやらせたのかな?」


 あたしは首を捻る。


「うーん、わかんない。何も教えてくれないし、ぼくも何も思い出せないからね」


 シャロはらしくもない難しい顔で言った。

 あたしたちはそれからしばらく、あーでもないこーでもないと話を続けていたけど、だんだん家が近くなってきたので、とりあえずご飯の話をすることにした。


「ご飯どうする?」

「日真理が作ってよ?」

「ええ……。あ、でもそう言えば、今日2人とも帰り遅いって言ってたな」


 あたしは唯さんは残業で、アル中親父は工事現場のバイトで遅くまで働くと言っていたことを思い出した。

 恐らく8時を回らないと2人とも帰ってこないだろう。


「じゃー決まり! お店のよりは劣るだろうけど楽しみにしてるよ!」

「ちょっとは人にものを頼む姿勢ってのを学びやがれ!」


 あたしはポカリと頭を殴る。

 シャロはその場にしゃがみ込んで、目に涙をためて頭を抑えていた。

 あたしはそんなシャロのツインテールをしばらく弄んでいた。


 黄昏の光に、銀髪が橙を帯びる。

 どうか不吉なことは起こらないでほしいと、あたしはシャロとじゃれながら思っていた。

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コスプレ少女は止められない 遠坂 遥 @Himari2657

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