第23話 その風景が、また日常になる その二

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 秋葉原から戻ったあたしは、部屋に着くなりベッドに飛び込み顔を埋めていた。


 夏海の告白が脳裏をよぎる。

 道を違えたはずの彼女の心からの謝罪。

 あの子の心は、決してあたしから離れていなかったことを知った。


 もし、一度……たったの一度だけでも、あたしに声をかけていてくれていたら、あたしの心はここまで傷付かずに済んだかもしれない。

 そう思うと、どうしてもやり切れない思いがこみ上げてきてしまう。

 あの子を許したい気持ちもある。けれども、どうしても、あたしの中の凍りついた部分が、それを簡単には許さない。


 だから、最後のあれは、そんなあたしの最大限の抵抗だったのかもしれない。


--あんたの、吉岡夏海の役割を捨てなさい。


 我ながら無茶なことを言ったと思う。

 普通の人間なら自分の保身を考えるのが普通なんだ。

 もし夏海があたしの言葉を守らなかったとしても、あたしは怒りもしないし、恨みもしない。

 元々違えたのなら、このまま平行線上に生きればいいだけの話だ。


 脅して、無理やりやらせたことに何の意味があるのか?

 もう一度友達になってあげるから、他の人たちは捨てなさい。

 さっきの言葉はほとんどそれと同義だ。


「馬鹿なこと、言っちゃったな……」


 思わずそんな言葉が漏れる。


「素直に、仲直りしよう! って言えば良かったのにぃ」


 さっきまで履いていたオレンジの下着を脱ぎ、今度は白のフリルのついたショーツを履きながら、シャロは言った。

 どうやら、またいつものメイド服に着替えるらしい。


「謝られたって、そんな簡単に許せるようなことじゃないよ……」


 着替え中のシャロを横目に見ながら、あたしはベットの上でうな垂れる。


「日真理は意地っ張りだねぇ。話を聞いた感じだと、吉岡夏海はいじめっ子じゃなかったんでしょ?」

「まぁ、ね……」

「じゃあそれでいいじゃん! はい、かいけつぅ!」

「それで済ますなおのれは……」


 いつしかシャロは完全にミニスカメイドになっていた。

 エプロンドレスをなびかせ、ヒラヒラと舞ってみせる。

 スカートの間からショーツがチラチラ見える。あたしは、何も言わずにシャロのスカートを手で押さえた。


 シャロの銀髪ツインテからは、柔らかい香りがした。シャンプーはあたしと同じなのに、香りはこうも違うかと、あたしは軽く絶望する。

 匂いに誘われベッドから飛び起きると、あたしはなんとなくあたしより小さなその身体をギュッと抱きしめてみた。


「急にどうしたの?」


 顔が近いせいか、シャロの碧眼が一段と大きく見える。どこまでも澄んでいて、その向こう側に行けそうな気がしてしまうほどに。


「特に、意味はない……」


 そういえば、あの子も時々こんな風にあたしに抱きついてきていた。

 身長差は違うけど、あの子がこうしたかった気持ちがちょっとだけ分かった気がする。


「そうなの? まぁいいけど、明日は学校行こうね」

「……う、うん」


 思わず頷いてしまった。

 シャロの体温と香りに心地良くなっていたのが原因かもしれない。

 何やってんだ、あたしは……。


 そんなこんなで、あたしは月曜日にあの教室に行くことになってしまった。

 あの子の下す決断が怖くて仕方なかったけど、シャロの温かさと、遠い記憶の、あの子の体温を思い出すと、僅かにではあるけど恐怖が和らいでいくような気がした。


 次の日、あたしたちが学校の教室に着くと、シャロはあたしの周りをガッチリガードしてくれた。

 いやむしろ近過ぎて鬱陶しくなるくらい、近くにいた。

 彼女はあたしから五十センチほど離れた位置で、コンパスで半円を描くように引っ切り無しに動いている。

 彼女の怖さを知る生徒は恐ろしがって近寄らず、あたしに暴力を振るう女共は、面倒くさがって遠巻きに馬鹿にしたようにニヤつくだけだった。


 時刻は八時四十五分。そろそろ教室にいないと、八時五十分に始まるホームルームに間に合わなくなる。

 夏海の姿はまだなかった。

 正直なところ、あたしは、このままあの子がここに来なくていいと思っていた。


 いつもの彼女がいるならば、それは、彼女があたしを拒絶したということ。

 とっくに諦めていた中で、微かな光を見せられ、また奈落に落とされるくらいなら、最初から地べたを這いつくばっているままでよかった。希望をちらつかせて、その希望を打ち砕くことほど残酷なことはない。

 これからそんな残酷なことが起こるかもしれないと考えると、あたしはいても立ってもいられない。

 でも、今すぐここを出ようにも、シャロが邪魔で席を立つことができない……。


 その間にもどんどん時間は進んでいく。

 九を指していた長針が、刻一刻と終わりの時を告げようとする。

 時刻は四十八分。

 そして、あっという間にあと一分になる。


 ガラッと扉が開き、熱血教師ことうちのクラスの担任、中林先生が現れる。

 中林先生は、あたしの姿を見つけるなり、一気に表情をパアッと明るくした。

 途端に帰りたくなる。

 でも、その時だった……


 人影が、中林先生の後に続く。

 それは見覚えのあるシルエット。

 でも、いつもとは様子が違う。


「あっ……」


 あたしは、彼女のその姿を見て、思わず息を飲んだ。


 長くて美しいブラウンのロングヘアーが、そこにはない。

 爛々に輝かせていたはずの大きな目も、今は目つき悪く前方を見つめているだけだ。


 クラス中がざわつく。

 それもそうだろう、1年までの彼女を知らなければ、こんなにダサイ女には心当たりがないだろうから。

 ホントに、あんなにダサイ女は、あの子くらいしかいない。


 肩ぐらいの長さの、三つ編みのお下げ。

 そして、分厚くて四角いメタルフレームのメガネ。

 見間違えるはずがない。あれは、あたしがもう何年も見てきた彼女の姿。

 懐かしく、ホッとするような彼女の姿。

 でも、その笑顔だけはどこまでも素敵で、彼女の素朴な魅力に敵う人間なんて、やっぱりいないんだなとも思う。


「……もしかして、夏海?」「え、嘘?」「夏海どうしたの!?」


 彼女を取り巻いていた女子たちが、担任がいるにも関わらず大声をあげる。

 あたしは、その様子を黙って見つめる。

 彼女に近づく取り巻きたち。だが、夏海は彼女らと言葉を交わすことなく、机の間を横切る。

 そして……


「おはよ。ひまっ」


 左右の三つ編みを揺らし、メガネが目立つその顔を、最大限に笑顔にして、あたしに言葉をかけた。


「お、おはよう、夏海……」


 あたしは何とか返答をよこす。


「ねぇ、ひま」


 彼女が言う。


「……なに?」

「チューしよっか?」


 とんでもないことを。


「はあ!? あんた、何言って……っ!?」


 気付くと、身体がガッチリと固定されていた。

 そして遅れて、温かさがあたしに染み渡ってくる。


「よ、吉岡ぁ!? お、お前、教室で何やってんだぁ!?」

「うるさいよ! 変態センセー!」

「誰が変態だ!?」


 中林先生とシャロのコントをスルーし(というか反応できない)、あたしは夏海の方に神経を集中させる。

 彼女は震えていた。張り裂けそうになるほど心臓を鼓動させ、決死の覚悟であたしの元までやって来た。

 あたしは、そんな夏海の身体を、優しく抱きしめ返してやった。


「ごめんね、辛い目に遭わせて」


 震えさせたのは、あたしのせいだから。


「これくらい、ひまの辛さに比べればなんてことないよ……。でも不思議。この髪型とメガネの方が、やっぱりシックリくる」


 震えた声で言ったって説得力がない。でも、今だけはそういうことにしといてあげる。


「そうだね……。あの、そろそろ離れてもらってもいい? みんな、見てるし……」

「あ、ごめん」


 弾かれたように、夏海の身体があたしから離れる。

 その顔は、本当に晴れ晴れとしたものだった。


「じゃあ、1時間目休みにね」


 そう言って、彼女は手を振る。


「ちょっと待った」


 あたしは自分の席に戻る夏海を呼び止めた。


「なにー?」

「おつり、あとでね!」

「え!? もう忘れたかと思ったのに……」

「あんたが返すって言ったんじゃない。ほら、いいから席付きな。みんな待ってる」

「う、うん!」


 意気揚々と夏海は自分の席へと戻る。


「なんかよく分からんがいい加減にホームルーム始めるぞ! 今日は二十五日だから、出席番号二十五の人……と見せかけて、朝からお熱いものを見せてくれた吉岡! お前がやれ!」

「え!? は、はい!」


 指された夏海があたふたしながら号令をかける。

 取り巻きたちは不貞腐れた様子だったけど、ほとんどのクラスメイトは、いつもと同じようにそれに従った。


 あたしは窓の外を見る。青空が綺麗だ。こんな些細なことを感じられることが、今はただ、嬉しかった。

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