第21話 三つ編みとメガネをやめたあの日から その六

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 冬休みが明けても、ひまは帰ってこなかった。

 わたしの周りの人たちは、ひまに制裁を加えられたことに満足しているようだった。その人たち自身は、ひまに何の恨みもないはずなのに。


 ひまをいじめた人の多くが、信念も何もなく、ただ徒党を組んでいる方が自分を強く見せられると思っている小さな人間たちだった。

 そして残りは、自分たちに火の粉が降りかからないように無関心を装っている人たちだった。


 隣のクラスの直樹は、徹底的にわたしたちのクラスの人間を避けた。わたしにも、あれから一度も話しかけてはこなかった。当然、ひまとも会っている様子はなさそうだった。

 ただ、わたしは彼が他の女子と楽しそうに歩いているのを何度か見かけた。別にわたしとは別れたのだから誰と会おうと彼の勝手だろうけど、その相手が毎回違う人だったのなら話は別だ。

 しかも、話によると、彼はわたしにあの話をする前からわたし以外の女の子と遊ぶようになっていたらしい。

 実際、サッカー部のレギュラーを務めている彼のことを好きな女子も多いらしく、わたしがいなくなったところで彼にはさしたる影響はないのかもしれなかった。


 もしかしたら、ひまは直樹のそういった事情に振り回されていたのかもしれない。直樹がわたしに飽きて、ひまに乗り換えようとしている。ひまにその気はなくとも二人の仲の良さを考えれば、彼を狙う人たちの嫉妬を招いたとしてもなんらおかしくはない。


 ひまはただ、わたしを想って直樹とプレゼントを買いに行ってくれていただけなのに……。

 どんな事情があろうとも、わたしはただ、ひまのために何ら行動を起こせなかった自身の不甲斐なさを呪うより他になかった。


 わたしは、終業式のあと、ひまにどうしても謝りたくてメールをした。

 でも、アドレスが変わっていて、わたしのメールは戻ってきてしまった。多分、嫌がらせのメールを恐れてのことだろう。

 電話も同じだった。わたしには、連絡する手段がなくなってしまった。

 直接会いにいくことも考えた。でも、どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。

 もちろん、ひまと会っているのを見られたら、報復を受けるんじゃないかという恐怖もあったのは否定しないけど。


 あれこれ悩んでいる内に、一月が終ろうとしていた。悩んでいる場合じゃないと思って、わたしはついにひまの家を訪ねることにした。

 放課後、わたしはひまの住むアパートを訪ねた。


「ごめんね、日真理、自分の部屋から出てこないのよ……」


 ひまのお母さんは困り切った様子だった。多分、ひまは学校でのことは言っていないのだと思った。

 話せなかった。わたしのせいでひまが不登校になってしまったことを伝える勇気はわたしにはなかった。無理やりにでもひまに会おうとする勇気をわたしは持ち合わせていなかった。


 結局わたしは、何一つ果たせないまま、ひまのアパートを後にした。



 二月になった。

 ひまが、何の前触れもなく、学校にやってきた。

 ひまは少しやつれていて、教室に入ってくるなり、誰とも目を合わさずに自分の席についた。

 わたしは、ひまとどうしても話をしたくて、友達との会話を中断させてまでひまの元へ向かおうとした。


「なんで学校来てんの? 人の男奪っといてどのツラ下げて生きてんの?」


 わたしとはそれほど仲の良くない茶髪の女子生徒が、いきなりそんなことを言っていた。

 胃がキリキリして、胃液が逆流しそうだった。

 感じたことのない邪悪で黒い感情が、わたしの心を支配しかける。


「なにガンつけてんだよ!」


 その子が怒鳴る。

 もうやめてほしいと、心の底から思った。

 すると、なんとひまはまだ来たばかりだというのに、鞄を持ち上げて教室から出て行こうとした。


 待って!

 ここで帰ってしまったら、ホントにもう会えない。そんな気がして、わたしはあの子の元へと走り出そうとする。

 でも、その時だった。


 ひまが、鞄を肩に提げたままわたしを見ていた。

 最大限にわたしを睨んで、敵意をむき出しにしていた。


 絶対変だと思われるだろうけど、その時わたしは、ひまをどうしようもなく愛おしいと思ってしまった。

 睨んでるのに、すんごく怖い顔してるのに、その時わたしは、ひまと絶対親友に戻りたいって、心の底から思ったんだ。


 わたしに近づいてきたあの子は、吐き捨てるようにこう言った。


「これで満足?」


 あの時と同じ言葉。

 ひまがわたしを友達だとは思ってないことを嫌でも思い知らされた。

 わかってたよ、そんなこと。でも、こうやって事実を突きつけられるのはなかなかにきついものがある。

 わたしはどんな顔をしていたのかな? 泣いてはいない。でも今にも泣きそうな、そんな顔だったと思う。

 ちょっと待って、と言おうとしたわたしから目を逸らして、ひまが離れていく。

 泣きそうになる。でも諦めない。そう、わたしは思った。



「日真理」


 翌日、わたしはようやくあの子に話しかけることができた。

 でもそこで、思わぬことが起こった。


「彼女のスターライティング・ブレイカーに巻き込まれますよ!」


 転校生の真壁さんは、なぜかメイド服で、なぜかフェイラちゃんの必殺技を口に出していた。

 わけがわからない内に、わたしは教室の隅の方まで押し切られてしまった。


 その時、わたしはひまの涙を初めて見た。

 辛くても決して泣かなかったひまの涙。

 それがわたしに与えた衝撃は計り知れない。

 不登校になっても、なぜかひまは強くて気高いままだと思ってた。決して壊れない、不屈の心を持っているんだと思ってた。

 だってひまはわたしにとってのヒーローだったから。お父さんが出ていって、泣いているわたしを闇から救いだしてくれたんだから。


 でも、そんなのはわたしの幻想だった。

 ひまは普通の女の子で、わたしと同じように傷付き、辛くて涙を流すんだ。

 わたしは、勝手にあの子をヒーローに仕立て上げていたのかもしれない。

 わたしはもしかしたら、その時初めてひまが受けてきた苦痛と、悲しみの大きさを知ったのかもしれない。


 そうしたら、急に堪えきれなくなってしまった。

 知らずに涙が出てきて、止めようがなかった。

 どこにこんなに水分があるんだと思えるほど涙が出て、授業どころではなくなってしまった。

 だから、わたしは翌日から学校を休んだ。


 コスプレのバイトは、知り合いのコスプレイヤーから聞いて何度かやっていた。

 学校を休んだ木曜日、ケータイに電話が掛かってきて、今度のイベントでナオの役をやってほしいと言われた。わたしは、根拠もなくひまが現れてくれるんじゃないかと思った。

 だから、すぐにでも泣いてしまいそうな気持ちを抑えて、わたしは秋葉原に向かった。



 そして今、わたしはここにいる。ひまはわたしの目の前にいる。


 この話を聞いて、どう思うかはひま次第。

 でもせめて、わたしの本当の気持ちだけは知っていてほしかった。

 それだけのために、わたしは今日この場所に来たのだから。

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