第19話 三つ編みとメガネをやめたあの日から その四
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土曜日にあの現場を目撃してから、わたしは誰とも連絡を取らなかった。
直樹からのメールも電話も全部無視したし、友達からの励ましメールにも無反応を貫いた。
この二日間、わたしはただただアニメを見て過ごした。
「魔法少女フェイラ・あいそれーしょん」の二人が思いを告げあう、二人で演じたあの名シーンをエンドレスリピートしていたのだ。
わたしにとってアニメは現実逃避の道具だ。でも今回に関しては、色んな思いがこみ上げてきて、心を落ち着けるはずが余計に心はぐちゃぐちゃになってしまった。
わたしは結局、全く整理されていない心のまま月曜の朝を迎えてしまっていた。
フェイラちゃんの最大必殺技、スターライティングブレイカーで学校を吹き飛ばしたいくらい、とにかく憂鬱だった。
「…………」
昇降口から足を踏み出せない。まるで鉛のように足は重くなり、わたしの力ではどうにもなりそうもなかった。
帰ろうか。そんな思いすら心を掠める頃、見知った友人がわたしの元まで走ってやってきた。
その子は息を切らせながらも、どことなく紅潮した顔を愉快そうに歪めていた。
「どうしたの?」
わたしが尋ねる。
すると彼女は笑顔で「早く来て!」と言いながらわたしの腕を引こうとする。
わたしは急いで上履きを履くと、彼女に手を引かれたまま目的の場所を目指すことになった。
何かを見せたいのだろうことはわかった。
でも、それが何かは検討がつかなかった。
もしかして、傷心しているわたしのために何かプレゼントでも用意してくれたのかな? とも思った。例えばアニメのDVDとか、フェイラちゃんの同人誌とか。
そんなことを考えながら、わたしはただ手をひかれていた。
わたしは、目の前で起こってる光景が理解できなかった。
そこは女子トイレだった。眼前には、見知った女の子が五人輪になって立っていた。足元には三つ水の入ったバケツがある。
その中心には、何が起こっているのかわたし同様に理解できずに、困惑に瞳を揺れさせている、ひまの姿があった。
ひまはトイレの床に倒れこむように膝と手をついていた。
ひまと目があった。ひまは一筋の希望を見つけたカンダタの様に、このわたしに手を伸ばそうとした。
しかしその瞬間、何やら掛け声の様なものが起こり、窓際にいた三人が廊下側に避難し、残りの二人がひまに対して水の入ったバケツを振り下ろした。そして大量の水が彼女に浴びせかけられた。
「あっ!」
思わずわたしは声をあげていた。
何をしているの!? なんで!? どうして!? なぜこんな酷いことをひまに!?
「……」
ひまは放心状態で床を見つめていた。顔から水を滴らせ、制服は上も下もずぶ濡れだった。トイレの窓が開け放たれていて冬の冷たい風が吹き込んでくるせいで、中は異様に冷えていた。そんな濡れた服では、風邪を引いてもおかしくないほどの冷気が、室内を支配していた。
「人の彼氏を奪ったバツだ」
五人の中の一人、怜美が不意にそう言った。
彼氏を奪ったってどういうこと? これはもしかして、わたしのためにやっていることなの?
わたしの彼氏と勝手に買い物に行ったから、ひまはこんな目に遭ってるの?
「な、なに、を……」
声が震える。
そんなわたしの様子に気付かないのか、怜美はわたしに言う。
「夏海のために、今からもっと酷い目に遭わせてやるから」
そう言うと、怜美はびしょ濡れのひまの方に歩み寄り、ひまのトレードマークであるポニーテールを力任せに掴んだ。
「痛い! や、やめ、て……」
「黙ってろ! 夏海の心はもっと痛いんだよ!」
わたしの心って、あなたに一体何がわかるの? どうして自信満々にそんなことが言えるの?
怜美の言葉が、わたしには到底理解できなかった。
「あれ、貸して」
怜美は、メガネの少女、文香にそう言った。
文香はゴソゴソとポケットを漁り、剥き出しの鋭利なハサミを取り出し、怜美に手渡した。
「ちょ、ちょっと、な、何するの?」
「切る。それで反省しろ」
「いや! やめてよ! あ、あたしが何したって言うの!?」
「黙れ。黙んないと殺すよ」
ひまは「ひっ」と小さな叫びを出すと、ブルブルと身体を震わせ始め、ついには過呼吸の様な状態になってしまった。
だけど怜美は、そんな様子には気にもとめず、むしろ勝ち誇った様に笑顔を浮かべた。
悪魔だと思った。
金色の悪魔。
わたしも、恐怖のあまり声を出すことができなかった。
刃物を持って、殺すと言う人間を前に、わたしにできることなんて何もなかった。例えそれが、わたしのために行われているとしても、わたしが止めることなんてできやしなかった。
怜美がハサミを開く。そして掴んだポニーテールに近づける。わたしの大好きなあのモフモフに、無慈悲な金属を突きつける。
そして、二枚の刃物を交差させようとした。しかし、
「うわっ!」
すんでのところで、ひまは怜美を突き飛ばした。しかし、閉じられたハサミは、ひまの髪の先を数センチ切り取ってしまった。
「あ!」
わたしは思わず口を両手で抑えた。
「こ、こいつ!」
怜美が怒気をきかせるが、これ以上は危険と判断したおかっぱ頭の彩乃が、「もう戻りましょう」と冷静な声で言った。
ぐちゃぐちゃにされたひまを残して、五人の女たちがトイレをあとにしようとする。だがその瞬間、バシャ! と、怜美がバケツに入れた水をまた盛大にひまにブチまけたのだ。
完全に虚をつかれたひまは、むせ込んで呼吸すらままならない状態になってしまった。
このままでは危ない。わたしはそう思って、とっさにひまの方に乗り出そうとした。
「……これで、ん、く……?」
絶え絶えの息で、ひまは言った。
「な、なに?」
わたしはひまを見下ろしながら尋ねた。
ひまは荒い息を必死で抑え、わたしを睨んでこう言った。
「これで満足?」
ひまが何を言ってるのか、わたしにはわからなかった。
「お前!」
大人しそうなメガネの文香が激昂して、ひまのお腹を蹴り飛ばした。
「ガハッ」
ひまが声にならない叫びをあげる。
「もうやめておきなさい」
また彩乃がこの場にふさわしくない冷静な声で言った。
文香は、柄にもなく「チッ」と舌打ちをすると、もうひまに構うことなく出て行った。
ひまは倒れたまま痛みに顔を歪め、掠れた声で呟いていた。
「痛い……痛い、よ……。なんで? あたしが、何したって、いうの……?」
わたしは手を伸ばしかける、でもその手は、決してひまに届くことはなかった。
「夏海行くよ」
うんともはいとも言ってないのに、わたしの身体は引っ張られていき、そのままひまの姿が、わたしの視界から完全に外れた。
水浸しのトイレに、苦しむひまを残して、わたしは逃げた。
言い訳はできない。わたしは、親友を見捨てたのだった。
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