第16話 三つ編みとメガネをやめたあの日から その一
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「ねぇ夏海、あんたそろそろその髪型やめたら?」
朝食のパンを頬張っている時に、丹念にアイメイクをしていたお母さんがいきなり言った。
「きゅ、急にどしたの?」
三つ編みのお下げはわたしのトレードマークの内の一つ。わたしから三つ編みを取るなんて、ヨネスケからしゃもじを奪うのと一緒だよ。
「あとメガネもダサいよねぇ。ナウな中学生ならやっぱコンタクトでしょ」
ナウとか言っている時点で全然ナウくないと思うんだけど……。
それにしても今度はわたしのもう一つのチャームポイントであり同時にウィークポイントでもあるメガネを取れとはどういったご了見なの?
わたしからメガネを取ることは、オリラジの藤森からチャラい要素を取り去るのと同じくらい何も残らないっていうのに……。
「三つ編みもメガネもなかったら、もうわたしじゃないよ……」
正直わたしの顔はそこまで特徴がある方じゃない。お母さんは割と美人だけど、わたしにはあんまりその要素は遺伝していないような気がする。くそぉ。
それに背も平均的だし、成績だってふつうだ。うーん。
そんなわたしがなんとかわたしでいられる大きな要素である三つ編みとメガネを失うなんて、考えるだけでも恐ろしいよ……。
「バカだねあんたは。じゃあもし、日真理ちゃんの髪型が今日からショートカットになってたら、あんたは日真理ちゃんが誰だか分からないの?」
「そ、そんなわけないでしょ! ひまを見間違ったりなんてしないもん!」
ひまのことになると、わたしはつい意地になってしまう。
「ほらね。要はそういうことだって。ちょっとしたイメチェンだって思えばいいの。難しく考えずに、ホントのあたしデビューすりゃいいのよ」
お母さんはケラケラと笑っていた。
多分ただの気まぐれだったんだと思う。
お母さんの構成成分の九割は気まぐれだから。
気まぐれでお父さんと付き合って、気まぐれでわたしを産んで、そして気まぐれでお父さんと別れたんだ……。
わたしはこれからもお母さんの気まぐれに振り回され続けないといけないのかな?
そう考えただけで、わたしの心はどうしようもなく重くなってしまう。
わたしは自分の鬱憤を晴らすように道の小石を蹴飛ばそうとした。でも、見事に空振ってすっ転んでしまった。
仰向けのまま見上げると、グレーの今にも泣き出しそうな空が、同じく泣きそうなわたしを黙って見つめていた。
「世知辛いよ、世界さんや……」
他の生徒が通り過ぎていく横で、わたしは空に向かって愚痴ってみた。
「おはよ。夏海」
廊下ですれ違うひまは、いつもこうやってわたしに明るく話しかけてきてくれる。
親友なんだから当たり前だとは思うけど、クラスが別々になって、他に友達ができても、変わらず声をかけてきてくれるのはわたしにとってやっぱり凄く嬉しいことだった。
「おはよーひま……」
そう言ったまま、わたしは無言でひまの顔を見つめていた。
「ど、どうしたの……?」
「え?」
「いや、夏海がそんなに見るから、何かあたしの顔についてるのかなと思って」
「いや、単純に可愛いなって思って」
「は?」
ひまが露骨に嫌そうな顔をする。
「まぁそうテレるでない」
「殴るよ」
言う前にすでに腕を振りかぶってますよひまさんや。
「すいません、冗談ではないけど冗談です。えっと、そうだ、ひまは、わたしの特徴ってなんだと思う?」
わたしがそんなことを尋ねると、ひまは一瞬キョトンとした顔になってしまった。
「あ、ごめんね。急にそんなこと聞かれても困るよね、アハハ……」
わたしは思わず苦笑いする。でもひまはそんなわたしを馬鹿だとは言わなかった。
ひまは、優しい笑顔で、
「優しくて面白いところだと思うよ」
と、言ってくれた。
それが決め手。
わたしはそうして、翌日から三つ編みとメガネをやめた。
いつだってそう。
いつだって、わたしの道を照らし出してくれるのは、ひまなんだ。
お母さんじゃない。
ひまが、わたしを導いてくれるんだ。
でも、その日から、わたしの日常は狂い出していた。
わたしの自覚しないところで、世界は勝手に回り出していたらしい。
わたしは中心にいたのに、ついぞそのことに気づいていなかった。
これはそんな、優しくなくてつまらない女のお話。
あなたを裏切った、最低の女のお話。
そしてこれは、そんなわたしからの、心からのごめんなさい。
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