第9話 親友 その二

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 今あたしたちは家の近くのファストフード店にいる。

 あたしはこんな場所で同級生に鉢合わせしないために、二階の喫煙席を選んだ。


「この部屋くさーい、ケホッ、ケホッ」


 シャロがわざとらしく咳き込む仕草を見せるのを華麗にスルーし、空いている四人がけの席に腰を下ろした。

 正面が空いているにも関わらず、シャロはあたしの隣の席に座った。


 タバコの臭いは嫌い。

 あたしが喘息持ちというのもあるけど、それ以上に、それが死んだ母親がよく身体から漂わせていた臭いだからなんだと思う。

 あの人に寄りつく男どもは、例外なく愛煙家だった。例えその男と別れたとしても、煙の臭いは、あの女に絡みついて離れなかった。

 あたしはそれを敏感に感じ取り、あの女に絶対に近づかなかった。そして、気付いたら母親は死んでいた。あの冷たい死体にも、タバコの臭いはこびりついていた。


 もちろん、飲んだくれの親父も愛煙家だ。でも唯さんが来てからは吸っていない。恐らく極度に煙を嫌う彼女に止められているのだろう。

 煙はいんらんの香り。そんなイメージを小さい頃から醸成してきたせいで、あたしはタバコのある場所をことごとく忌避してきた。

 でもあたしは敢えて喫煙席を選んだ。それほどまでに、クラスメイトと顔合わせるのを嫌がったのだ。


 席が混んでいれば、煙があるといえどもこっちに来る人もいるだろう。でも平日の四時ごろに、これだけガラガラな席の中から喫煙席をわざわざ選ぶような女子中学生はそうそういない。今ここにいるのは、文庫本を読んでいる大学生くらいの男性と、メイクの濃ゆい二十代の女性、そしてパソコンをいじりながらタバコを吸っている四十代くらいのサラリーマンだけだ。この程度ならあたしが発作を起こすことはないだろう。


 ところで、シャロがあたしの部屋にいることは未だに唯さんには秘密にしている。

 だからあたしは彼女にご飯を食べさせるために、こうしてほぼ毎日外食に連れ出さなければならなかったのだ。

 隠さなければならないという精神的な疲労もあるけど、痛いのはやはり金銭的な負担だった。でも裸で倒れていたこの子にお金を期待しても仕方がないので、記憶が戻り次第お金は請求してやろうと思っている。


「ここじゃなくて下の階に行こうよぉ」

 シャロが甘い声で言う。

「二階に行ってもしクラスの子たちがいたらあたしは酷い目に遭うけど、それでもいい?」

 あたしはわざと意地悪く言う。

「それはダメ! 日真理はぼくと一緒に楽しくご飯をしないとダメなの!」

 シャロは頬を膨らます。

「だったらこっちで我慢して」

「うー……。わかったよぉ」

 シャロは少しむすっとしながらも素直にその場に座り、ストローから息を吹き込んでコーラを泡立てていた。


 特に意味はないけど、あたしはそんなシャロの頭を撫でてやった。

「えへへ」

 シャロは機嫌を直して、満面の笑みをあたしに向けてくれた。


「あ、そうだ。今日はぼくがお金出すからね」


 シャロがハンバーガーをかじりながら唐突に言った。


「出すって言ったって、あんたお金持ってないじゃない」


 あたしがそう言うと、シャロは食べかけのハンバーガーを放り出して鞄をあさり始めた。


「じゃーん! 見て見て!」


 シャロが取り出したのは、オレンジ色の可愛らしい長財布だった。ブランドものではないようだが、決して安物には見えない。


「どうしたのそれ?」

「お金持ってないって言ったら江村先生がくれたんだ!」

「ええ!? そんなのもらっちゃまずいんじゃ……」

「いいのいいの。ぼくのお父さんと江村先生は仲が良いから、ぼくとも仲がいいの。だからお金ならいつか返してくれれば大丈夫って言ってくれたしね」


 そう言ってシャロは楽しそうにオレンジ色の財布を眺め回していた。


「相変わらずあんたのお父さんは謎だらけね……」


 江村先生と知り合いなら、やっぱりシャロが外に出たことがないという話は冗談なのだろう。

 だってそんなことを校長先生である彼が許すはずがないんだから。

 恐らくシャロはまだ記憶が混乱しているせいで、有る事無い事をごちゃ混ぜに言ってしまっているのだろう。

 存外、彼女の記憶喪失は深刻かもしれない。あたしももう少しあの子の記憶喪失とちゃんと向き合った方がよさそうだ。


 そんなことを考えていると、不意にテーブルの上のケータイが震え出した。あたしはもう三年以上使っている傷だらけのガラケーを片手だけで開いた。


「誰からメール?」


 シャロはあたしのケータイを覗き込みながら尋ねた。

「電脳世界の友人から」

「へー、日真理って友達いたんだ?」

「馬鹿にしてるのかおのれは」


 あたしはツッコミという名のチョップをシャロの額に食らわせる。シャロは無邪気に「痛いですぅ」と言っていた。


 メールの相手はSNSのコスプレオフ会で知り合った人だった。

 彼女と初めて直接会ったのは去年の夏ぐらいで、場所はコスプレ大会の会場だった。

 コスプレ中は本名は名乗らない約束だからあたしはあの人の本名は知らないけど、メアドだけは交換したせいで彼女はよくあたしをコスプレ大会に誘ってきた。

 でも、正直言って今のあたしはあの姿を世間に晒すためにコスプレをやってる訳じゃない。それに今のこんな状態でそんな案内を送られてきてもはっきり言って鬱陶しいだけだ。


「コ、ス、プ、レ、大、会?」


 シャロがメールの文面を指で追いながら言う。


「そうみたいね。今週の日曜日に秋葉原でやるらしい」


 あたしはケータイを閉じながら興味なさげに言った。


「コスプレ大会って、日真理やぼくみたいな格好をした人が集まるの?」

「まぁそんなところ。でも、今そんなの言われたって、あたしは参加なんてするわけ……」

「出ようよ日真理! ぼくたちもその大会に参加しようよ!」


 シャロは立ち上がって爛々に輝いた瞳をあたしに向けながら言った。その目は未知なるものへの好奇心で溢れていた。


「い、嫌だよ。今はそういう気分じゃないし、別に人に見せるためにコスプレしてる訳でもないし……」

「えー! 日真理のフェイラちゃんは似合ってるんだからみんなに見せた方がいいって!」

「え? に、似合ってるって?」

「そうだよ! あんなに可愛くてカッコいいんだから絶対出た方がいいって!」

「あ、あたしは、それほどでもないって……。それより、あんたの方がよっぽどコスプレ似合ってるんだから、あんたが1人で出た方がいいんじゃない?」


 あたしは俯きがちにシェイクを吸いながら言う。


「ダメだよぉ! ぼくは日真理と一緒に出たいの! 日真理がいないんじゃ面白くないの! だからぁ、一緒に出ようよぉ」


 シャロはあたしの腕をガッチリ掴んでおねだりしてくる。意識しているわけじゃないのだろうが、豊かすぎる胸が当たりまくって意識が飛びそうになる。


 銀髪碧眼の美少女が猫のようにじゃれる姿は、そこにいた人たちにはさぞ奇妙な光景に映ったことだろう。

 気づくと時間も四時半近くなっていて、客足も少しずつ増え始めていた。

 煙を吸いすぎると発作を起こす可能性があったからあたしは席を立ちたかったが、シャロはまるでデパートで欲しいものをおねだりする子供のようにテコでもそこから動こうとはしなかった。

 その間、あたしの腕には童顔少女の大きなおっぱいが押し付けられ続けていた。

 正直これ以上は勘弁して欲しかった。これ以上正気を保っていられる自信がなかった。だからあたしは、やっぱりヤケになって叫んだ。


「わ、分かったって! 出るよ! 出ればいいんでしょ! もう、いつもこうなんだから……」


 あたしは左の肩に鞄を下げて立ち上がり、右腕にまとわり付くシャロを引っ張り上げた。


「やったー! 絶対だよ、日真理ぃ!」


 シャロはそれからいつまでも嬉しそうにあたしに絡みついていた。

 夕暮れの中、シャロにくっつかれたまま、あたしはクラスメイトや唯さんに見つからないよう注意深く帰り道を急いだ。

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