第8話 親友 その一
1
「日真理ぃ、帰ろー」
扉が開かれると同時にシャロの弾んだ声が室内に響き渡る。
「あ、もうこんな時間か……」
「あー、日真理、寝てたでしょ! ほっぺにあとが付いてるし、口の脇にヨダレもついてるよ!」
「こんなとこでやることなんてないんだからいいの」
あたしは例の大号泣事件(自分で言うのはこの上なく恥ずかしいのだけれど)のあと、担任の指示で相談室登校をする羽目になっていた。
相談室は主に学校内のいけてない人達の溜まり場だ。ここでなら普段は迫害されている人間も保護される。
白を基調とした清潔感のある壁紙に、黒の長椅子にガラスのテーブル、そして遊べるスペースとして机が四つほど連結させて並べられており、その上には将棋やオセロやら遊び道具が揃っている。
また、この教室は全体の四分の一ほどある奥のスペースが壁で完全に隔離されており、そこで深刻な悩みを相談員に相談することができる。あたしは授業に出ない代わりに、ひとまずそこで自習をやらされていたのだった。
あたしはあの事件のあと担任とシャロに相談室に連れて行かれた。
中林先生は尋ねた。
「答えづらいとは思うが、単刀直入に聞かせてもらう。お前をいじめているのは、吉岡夏海なんだな?」
それは実に答えづらい質問だった。報復が怖いとかではなく、彼女自身はあたしに危害を加えたことは一度もないのだ。あたしに暴力を働いたり暴言を浴びせてくるのは、彼女の取り巻きの女共だったからだ。
「先生、日真理は答えたくないと思っているんだよ。だから無理に聞いたりしないで」
あたしが困っていると思ったシャロが助け舟を出してくれる。
「しかしこのまま放置するわけには……ってそれより真壁! お前のその服は一体何なんだ!?」
「メイド服も知らないの先生? こういうの好きそうな顔してるのに」
シャロがメイド服の裾をつまみ、顔をニヤつかせながら言う。
「そんなもん好きじゃない! 初日から先生に対して失礼過ぎだぞ! 学校指定の制服があるんだから、ちゃんとそれを着なさい!」
「許可はちゃんと江村先生にとったから大丈夫」
「「江村先生!?」」
あたしと中林先生が同時に驚く。
「江村先生って、なんで校長先生がそんな許可を出したりするんだ?」
江村先生こと江村正樹はこの学校の校長だ。彼は人当たりが良く生徒からの人気は高い。50代なのに隠し芸大会でエレキギターを披露するほど若々しい先生で、まだまだハゲる気配のない白髪交じりの頭髪に、ハンサム顔のナイスミドルなおじさまだ。
「お父さんの知り合いで、ぼくも知り合いだから」
「前から気になってたんだけど、あんたのお父さんって何者なの? あんたを家から出さないくらい過保護なのは知ってるんだけどさ」
出会ったあの日、シャロが外に出たのは初めてと言っていたのを思い出す。
「うーん、よく覚えてない。何かの研究をしてるって言ってたような気がするし、会社を経営しているって言ってたような気もするし……」
シャロは首を捻りながら唸っている。
「ま、まぁなんにせよ、校長先生が許可を出したとしてもこんなんじゃ風紀が乱れ放題だ。すまんが真壁、頼むから学校にいる間だけは制服を着てくれ」
「えー!?」
「えー、じゃない! お前がそんなだと俺が他の先生に怒られるんだよ!」
中林先生の様子があまりにも必死だったので、渋々ながらも、シャロは明日からメイド服を学校では着用しないことを約束した。
「ところで武内、お前また明日から学校に来ないって言うんじゃないだろうな?」
無論あたしはそのつもりだった。あんな失態を晒して学校に来られるほど図太い神経はしていない。
「駄目だよ日真理! せっかくぼくが転入してあげたのに日真理が来ないなんて許さないよ!」
「あたしもまずいけど、あんただってロクな目に遭わないと思うけど……」
あたしと友達であることが分かってしまった以上、シャロがクラスメイトたちから無視されるのは必至だ。
「ぼくは大丈夫。そんなことよりも日真理は絶対学校に来てよ! 絶対絶対来てよ!」
何が大丈夫なのか全く分からないが、とにかくシャロは少しも引いてはくれなかった。
「絶対の絶対の絶対の絶対の絶対の絶対の…………絶対だからね!」
「あーもう! 分かったっての! 行くよ! 行けばいいんでしょ!」
あたしは半ばやけになってそう言っていた。
結局、先生と相談員の提案で、あたしは保健室登校ならぬ相談室登校をすることで落ち着いた。
まぁ唯さんに怒られないで済むからいいといえばいいけど、やっぱりこの状態がこの上なく惨めなことにはかわりがなかった。
でも、シャロの満面の笑顔を見ていると、不思議と怒る気にもなれず、あたしは複雑な気持ちを腹に抱えたまま、その日は帰宅の途についたのだった。
放課後、他の生徒たちが歩かなさそうな道を二人で並んで歩く。
相談室登校も今日で既に三日目であった。
それはつまり、シャロはあたしのいない敵だらけの教室にもう三日通っているということだ。
「シャロ、クラスはどんな感じ?」
あたしは俯きがちに尋ねた。
「楽しいよ! 教室で先生に教えてもらうなんて初めてだからね」
シャロはツインテールを弾ませながら言う。そこに辛そうな様子は見当たらない。
「じゃ、じゃあさ、みんなとはどうなの……? 吉岡夏海に、いじめられたりしてない?」
もしそうだとしたところであたしに出来ることなんて何もないのに、あたしは尋ねずにはいられなかった。
でも、彼女から返ってきたのは実に意外な答えだった。
「吉岡夏海なら、昨日から学校に来てないよ」
「来てない? なに、風邪かなにか?」
夏海が学校を休むなんて珍しい。夏海は小学校の時から健康で、風邪で学校を休むことなどほぼ皆無だったのに。
「先生は特に何も言ってなかったかな。ぼくも少し気になったからクラスの人に聞こうとしたんだけど、みんな全然相手をしてくれないから、気の優しそうな人を何人か見つけてトイレの個室に連れ込んでたら、その内の西野さんって子が色々と教えてくれたよ」
「え!?」
シャロはあくまで無邪気な笑顔を浮かべているが、内容はどう考えても無邪気とは程遠かった。そんなことを全く悪意なくやってのけるんだから、実に末恐ろしい……。
「それで、その子は何て言ってたの?」
あたしはシャロの方に身体を乗り出しながら聞く。
「えっとね、水曜日のことなんだけど、その人は、青い顔をして校舎の裏でしゃがみ込んでる吉岡夏海を、二階の渡り廊下から見たらしいんだ。いつも何人かをはべらせている彼女にしては珍しいから、結構長い間観察してたみたい」
確かによりにもよって校舎裏でしゃがみ込むなんて、華やかな彼女らしくはない。
「体調でも悪かったのかな?」
「うーん、それはちょっと違うかもしれないよ」
シャロにしては珍しく歯切れが悪い。
「どういうこと?」
「その人が言ってたんだけど、吉岡夏海は、しゃがみ込みながら……」
シャロは一度言葉を切り、あたしの顔をそのつぶらな碧眼でジッと見上げて、こう言ったのだった。
「泣いてたらしいよ」
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