第4話 ロールプレイング その一
1
「おはようございます、ご主人様」
心地よい声があたしの鼓膜を震わせる。
あたしが目を開けると、メイドカチューシャを頭に載せた碧眼へきがんの少女が笑顔でこちらを見下ろしていた。
「おはよう、シャロ」
寝起きの極限まで低いテンションで言う。
「日真理酷い顔してるぅ」
あたしは無言で美少女の額にチョップを繰り出す。
「いたぁい」
シャロはやっぱり笑顔で額を押さえていた。
あたしが連れ込んだ少女、真壁・シャロット・グレンフェルはやはり記憶喪失のようだ。
あの後あたしは彼女に様々な質問を投げかけてみた。しかし彼女から返ってきたのは、「ぼくは真っ白な部屋に住んでいた」とか、「ぼくのお父さんはとても優しかった」とか彼女の素姓を知るには必要のないことばかりだった。
彼女はこの部屋に来たばかりの時、外に出たのは初めてという実に意味深なことを言っていたが、それも「あんまり覚えてない」とはぐらかされる一方であった。
結局のところ、あたしが彼女について理解したことは、シャロという名前と、もしかしたらあたし並みかそれ以上の引きこもり(そんなレベルの話ではないけど)だったかもしれないことと、彼女がメイドコスが似合う超絶美少女であるということだけだった。
ところで、あたしは彼女を拾ってどうするつもりなのだろうか?
彼女を連れ込んだまではいい。問題はその後だ。
うちの家計ははっきり言えば火の車だった。飲んだくれのアル中親父とこのあたしを養うため、義母である唯さんだけがまともに働いていた。
ちなみに親父は工事現場で働いている。でもよくサボるせいでしょっちゅうクビになっている。
趣味は酒、パチンコ、競馬。実に、絵に描いたようなダメ男である。
一方唯さんは区役所で働いている。彼女は綺麗で真面目だ。
まあ、あたしはあの人のことは好きではないけれどね。
二人が再婚する際には、周りから大反対されたらしい。そりゃそうだ。あたしが親なら絶対にあんなのとの結婚など破談にする。
駄目な男好きな人というのは本当にいるものだ。あれだけ使えない親父に対して文句も言わずに働く唯さんには頭が下がる。
まあ、あたしはあの人のことは好きではないけれどね。
そんな彼女に対して、この美少女をこの家で住まわせたいと言ったらどうなるだろうか?
正直結果なんて考えるまでもない。彼女は疲れた顔で、「あなたには私の苦労が分からないの?」と言われるのがオチだ。好き好んでこの役割を選んだくせに随分な言い様だなと思っても仕方が無い。
結局のところ家ではご飯を作れる人間が一番偉く、絶対なのだ。あたしが何か言ったところで状況が拗れるだけでいいことなど一つもない。だからこそあたしは引きこもってる。この世の法則と闘うために、唯さんの小言から逃れるために。
「日真理、いつまで休む気なの!? もういい加減学校に行きなさい!」
今日も今日とて、唯さんは懲りずに向こうから激しくあたしの部屋のドアを叩いている。
唯さんはあたしを"日真理"と呼ぶ。仮にも娘を呼ぶのが呼び捨てなのは当然だ。そして本来ならばあたしはあの人のことを”お母さん”と呼ぶべきなのだろうが、あたしはあの人のことは終始”唯さん”と呼んでいた。
「行かない」
あたしはシャロの口を押さえながらスパッと言った。
「あなたいい加減にしなさいよ! 何かあったなら言えばいいのに何も言わない。そのくせそうやってすぐに引きこもる。もういい加減にしてよ! あなたはどうして私の気持ちを分かってくれないの!?」
ヒステリックな義理の母がドアを絶え間なく叩く。
「ひま、り……?」
シャロが珍しく怯えた顔であたしに擦り寄る。
あたしは無言を貫く。何も言ってやらない。ドアをどれだけ叩かれようが、怒声を浴びせられようが黙り続ける。
暫くして、諦めたのか呆れたのか見捨てたのか分からないけど、唯さんの足音が扉から遠ざかっていった。そしてそのすぐ後に、玄関の扉が開き、唯さんが外に出たのが分かった。
あたしはその音を聞くとサッと制服に着替え、シャロにコートを着せ、彼女の手を引き急いで家を飛び出した。
制服を着たのは何日ぶりだろうか?
冬休みの前から行かなくなったから恐らく二ヶ月くらいか。
正直もう二度と着ないかと思ってた。コスプレ用に改造しちゃおうかと思ったくらいだ。にも関わらず、あたしは部屋を飛び出した。
どういうつもりなのか? 実のところあたしにも分からなかった。もしかしたら、昨日出会ったばかりの美少女にこれ以上あんなヒステリック唯さんを見せたくなくかったのかもしれない。
あたしは手を引くシャロを見る。シャロは満面の笑顔だった。
それにしても、勢いとは怖いものだ。
あたしはこの子を学校に連れていく気なのだろうか……?
自問自答をしていると、横のシャロが言った。
「鬼ババアがドアを壊そうとした!」
「あれあたしの家族」
「あれがぁ? 日真理はとても可哀想だね」
シャロは笑って言った。
笑っていたんだ。彼女にはそれはいつもの話し言葉と違う意味合いなどないのだ。
しかし彼女のその言葉は、あたしの心に深く突き刺さっていた。
あたしはシャロを馴染みの相談室の先生に預けた。「海外から友人が来た」と適当な嘘で誤魔化して。
メイド服に関しては、「趣味です」と言っておいた。思いっきり不審がられていたが、それは気にしない方向で。
あたしは一人、自分の教室を目指した。
「あっ」
廊下の途中で足を引っかけられ、あたしは思い切り転倒する。
「引きこもり」
馬鹿女たちが囃はやし立てる。憐れみと優越感が合わさったような周りの人間の視線があたしに降りかかる。
――可哀想だね。
そうだ。あたしは可哀想だ。こんなことをされているからじゃない。そんな役回りに生まれてしまったからだ。
武内日真理に生まれてしまったことが、あたしにとって最大の不幸なのだ。
今ので膝を擦りむいたようだ。ヒリヒリして思わず顔をしかめる。
あたしは痛みに顔を歪めながら教室のドアに手を掛ける。
クラスは廊下にいても分かるくらい賑やかだ。昔、あたしはあの喧騒けんそうの中にいた。あの中で自然に笑っていた。たったの数ヶ月前までは。
ドアを開ける。
恐るべき静寂が舞い降りた。クマにでも遭遇した時みたいに、誰も声を発しなかった。
席はあった。一番左後ろ。落書きをされている様子はない。
教室を横切るあたしに、クラスメートは遠巻きに噂話をするだけだ。誰一人声をかけてくる者はいない。
でも構わない。それが、この人たちの役割なのだから。
「ねえ」
気付くと、あたしはすっかり囲まれていた。
教室の角で、まさに四面楚歌だ。
「なんで学校来てんの? 人の男奪っといてどのツラ下げて生きてんの?」
女共の内の一人、見るからに馬鹿そうなメイクに品の無い茶髪のブス。
目立つ存在に媚びるしか生きる術の無い憐れな女。
そんなあたしの気持ちが伝わってしまったのか、その女は「なにガンつけてんだよ!」と怒鳴り声をあげた。
あたしは何も言葉を返さず、黙って鞄を担ぎ上げた。
それを見て、女共は一斉に笑い出す。あたしはそのまま教室の外に出ようとする。
そこで目が合った。
ブラウンがかったロングヘアーにまん丸に大きな目の美少女、吉岡夏海と。
夏海はあたしを驚きに満ちた顔で見つめていた。
その顔は心なしか喜んでいるようにも見えた。またあたしを追い詰める楽しみでもできたと思っているのだろうか?
あたしは鞄を持ったまま彼女に近づく。
あたしの席にいた取り巻きが近づいてくる。あたしはそれ以上は寄らず、机二つ分ほど離れた位置から言った。
「これで満足?」
夏海はなぜか傷付いたかのように表情を崩した。
「ちょっとま……」
何かを言いかける彼女に踵を返し、あたしは今度こそ教室を飛び出した。
「おお武内! よく来てくれたな! 学校に来られるようになったんだな!」
教室の外に担任の中林先生がいた。新任の能天気教師。ただ彼は一生懸命だった。あたしの相談にも乗ろうとしてくれた。でも、それがあたしにとっては限りなく鬱陶しい。
「ん」
あたしは鞄を見せつけ、スタスタと歩き始めた。
「ちょっと待てよ武内! 折角来たのにこんな時間に帰るなんて。お、おい!」
ぐじぐじ言う彼を残し、あたしは無人の廊下を進んだ。
「日真理ぃ」
突然後ろから抱きつかれた。同時に少女の甘い匂いがあたしの鼻腔をくすぐった。
「どうしたの? じゅぎょうには出ないの?」
シャロは屈託もなく聞く。
「帰る」
あたしは素っ気なく言った。
「じゃあぼくも帰るー」
シャロはあたしの横で楽しそうにそう言った。
あたしたちは学校を出る。そしてこんな朝っぱらから、二人並んで下校したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます