15.星空とロボット

 気がつくと日はすっかり沈み、辺りはすでに夜のとばりに包まれていた。

 チカチカと遠くで瞬き始める星たちを見て、オズマは、ふいにこんな事を思った。



 ――あの日も、こんな風にとても綺麗な星の夜で、空は高く澄み渡っていた。



「オズマ! ちょっとこっち!」


 幼い目をきらきらと輝かせた少年――スバルが、飛び跳ねるようにオズマの腕を引く。


「え?しかし今ぼくは食事の用意を……」


「そんなのいいから早く!」


「あ、引っ張らないでください!」


 ずんずんと森の奥へと分け入っていくスバルの後を、オズマは観念したようについて歩いた。


「あの、ご用はすぐに済むのでしょうか? 早く戻らないと皆さんが――」


 スバルはふん、と鼻を鳴らす。


 「大人なんて放っておいていいんだよ。お前が断らないからってこんな仕事させて」


「しかし」


 スバルが歩みを止めた。オズマが顔を上げると、そこは夏の夜風の吹き渡る丘。見渡す限りの銀河の海が広がっている。


「な? 綺麗だろ?」


 スバルは笑う。


「はい……」


 言葉にならなかった。丘の上を埋めつくす静寂と、紺青の空に広がる光の海。それは今まで見た中で一番美しく、壮大な夜空だった。


 スバルは星空を見上げながらオズマに語りかけた。


「ねぇ、オズマが行く星はどの辺にあるの?」


「え?」


「――だからさ、ここからお前が行く星は見えるのかなって……」


 スバルの問いに、オズマは答えた。


「……そうですね。位置の特定は難しいですが、きっと見えることもあるかと思います」


「そっか、なら良かった」


 スバルは納得したように頷いた。


「宇宙に行っちゃったらさ、もう一緒に遊べないだろ?」


 高く、遠く、果てしなく広がる銀河の海。寂しげなスバルの横顔。


「でもこの空のどっかにいるんだって思ったら、少しは寂しくないのかなって」


 スバルの顔が笑みを作って見せる。そして少し笑った後、ふいに真剣な顔に戻ると、まっすぐにオズマを見つめてこう言った。


「……帰ってきて、くれるよな?」

 

 そのあまりにも真剣なまなざしに、一瞬返事に困ったオズマだったが、スバルのその表情を見ているうちに思わず笑みがこぼれた。


「……ふふっ」


「な、なんだよ」


「いえ、なんだかあなたらしくないなって」


 スバルは顔を真っ赤にする。


「お、オレだって、たまにはそーいうおセンチな気分になるんだよっ!」


 オズマは微笑んだ。気持ちを悟られぬよう、精一杯の笑顔で。


「……大丈夫です。ぼくは必ず帰ってきます。スバルにずっと寂しい思いはさせません」


 本当は知っていたのに。その約束は、きっと果たせないことを。


「……うん」


 スバルは素直に頷いた。冷たい夜の風が草木を揺らす。


「じゃあさ……約束してくれるか?」


「約束、ですか?」


「オマエが帰ってきたら、またこの場所に来ようぜ。今度は大人がいないときに!」


 スバルが星空を背景に大きく手を広げる。父親譲りのいたずらっぽい瞳がキラキラと輝く。


「だから、オレの知らない宇宙の話とか、たっくさん持ち帰って来いよ!」


 オズマはその笑顔に誓った。


「……はい。約束します」

 




「着いたぞ」


 カミオカの声で、オズマは顔を上げた。

 オズマはひそかに期待していた。そこにいるのがあの日優しい笑顔を見せた少年であることを。


 だがそこにスバルの姿はなかった。静寂に包まれた丘の上、鈍色のロボットだけが月の光を受けぽつんとそこに佇んでいる。


 オズマが困惑していると、カミオカはうつむき、意を決したように話し始めた。


「戦争が始まってすぐ、スバルは同盟軍に志願した」


 オズマは目を見開いてカミオカを見つめた。


「勿論反対したさ。けど、あいつは聞かなかった。人間と機械が手を取り合う世界を――お前が幸せに生きる世界を、取り戻すんだってな」


 カミオカはぎゅっとこぶしを握る。


「結論から言うなら、あいつはそれを見届けることはできなかった。この国から遠く離れた基地で空襲を受けて……」


 息をのむオズマに、カミオカは続けた。


「研究所を出る時に戦ったロボット、覚えてるか?」


 もちろんオズマは記憶している。あの大きな鉄の塊のような二足歩行のロボット。試作メサイア、とカミオカは呼んだ。


「まさか――」


「メサイアシリーズ……死人の脳組織を電子回路に流用した兵器群だ」


 ロボットや人工知能に関する技術は大幅に進化し、オズマのように、人間の脳を機械で再現することもできるようになった。

 だとするならば、逆に人間の脳を機械のように使うことも可能だということも言える――そんな狂った発想から、メサイアシリーズは誕生した。


 先の大戦で、人工知能を兵器利用することは禁じられ、その代わりに活躍したのが、体の一部、またはすべてを機械化した兵士たちだった。

 それは裏を返せば脳さえ人間であれば、人間とみなされるということ。まさに条約の穴をついたロボットと言えよう。


「あそこにいたのはその試作品。そしてこいつは――」


 たまらなくなって、オズマは叫んだ。もうこれ以上は聞きたくなかった。


「違うッ! 違います! スバルはもっと小さくて暖かかった! こんなのはただの――」


「......戦いが終わった後、こいつは自分の脚で丘のてっぺんまで来たんだ。そしてずっとここにいた。きっと、たった一つだけ覚えていたんだ。お前との約束を……例えこんな姿になっても」


 ひとりぼっちの丘の上、ずっと待ち続けていた一体のロボット。


 星座が周り季節が過ぎ体が錆び付いても、彼はそこにいたのだ。例え待ち人が来なくとも。


「あ......」


 言葉にならなかった。それはオズマにとってあまりにも、あまりにも残酷な事実だった。スバルが自分の為に、ロボットの為に死んだだなんて。


 次々に蘇ってくるつらい記憶。のしかかってくる現実。どうして? こんなつらいものを見せるために、目覚めさせたのか――

 

 オズマは肩を震わせた。軋む情動回路。今にも火花を上げ、ショートしそうになる程に。オズマは必死で耐えた。それでもカミオカは続ける。


「どうしても知ってほしかったんだ。ずっとお前のことを思ってる奴が居たこと。そうでもなきゃ、浮かばれ――」

 

 風が、凪いだ。

 静寂のなか、オズマの情動回路こころは静かに限界を迎える。




「皆さんは、おかしいです」



 吐き出した言葉の強さに、すべてを拒絶するようなオズマの表情に、カミオカは思わず言葉を失う。


「……オズマ」


「ぼくは機械ロボットなんですよ? 人間に従い、人間を守り、人間のために生きる。それがぼくの誇りであり、喜びなんです。それをぼくのために誰かが傷つくなんて」


 それはオズマの本心であった。例えそれがロボットの本能によるものであったとしても、電気回路によって作られたものであったとしても、変わらない本心であった。そして紡がれた言葉は、やがて悲痛な叫びへと変わる。


「どうして? あなた方が望むなら、ぼくは宇宙の塵になって忘れられることだって、喜んで受け入れたのに!」


 哀れなロボットの声は、遠く高く、果てしない夜空に響き渡る。


 カミオカは言葉をかけることさえできずに立ちすくんだ。


 わなわなと震えるオズマの唇。


 そしてオズマは自らの思いを吐き出した。消え入りそうな声で、懇願するように。




「お願いです……ぼくを、ぼく達を、愛したりしないで……」


 

 

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