3.星空の見える丘

11.いつかの夏休み

 階段を上がると、眩しい光とともに地上に出た。

 眼前に広がる森。柔らかい腐葉土を踏みしめると、懐かしい木の匂いがした。


「こっちだ」


 ずんずんと歩いていくカミオカの背中を、オズマは黙って追いかけた。


「ここは……」


 辺りを見回すオズマ。土地のほとんどが荒廃してしまった今では、こんなに緑が残っている場所は珍しい。

 研究所があった山も、枯れ木が殆どでこんなに青々とした木は残っていなかった。


「懐かしいだろ」


 背中越しに、カミオカが語り掛ける。


「チームの皆でここに登ってバーベキューと洒落こんだのを覚えてるか? あの日はスバルも夏休みで――」


 草木をかき分けながら進むカミオカが、不意に遠い目をする。


「でもお前は、飯の支度やら酒の用意やらでかかりっきりだったよな。全く、お手伝いロボじゃないってのに」


「……いえ」


 首を振るオズマ。


「……ぼくの、何よりも大切な思い出です」

「そっか、ならよかった」


 オズマは立ち止まった。風が二人の間を吹き抜け、木の葉が衣擦れめいた微かな音を立てる。


「カミオカさん。もしかして、僕を待っている人というのは」


 カミオカはわずかに目を伏せた。


「……会えばわかるさ。……きっと、な」


 オズマは空を見上げた。遠い記憶が、次々と蘇ってくる――





 遠い記憶の中、オズマは一人の女性のことを思い出していた。

 

「それじゃあ、改めて――はじめましてオズマ、私たちの本拠地へようこそ」


 オズマに語り掛ける、優しく懐かしい声。目じりを下げ、優しく微笑んだ髪の長い女性。その笑顔は、なんだか菩薩様みたいで、オズマは一目で彼女を気に入った。


 彼女の名はマユ。髪が長く、穏やかな顔をした優しげな女性だ。オズマにとってはカミオカ以上に付き合いの長く、母親のような存在だった。


「ところで、そちらの方は……」


「ほら、聞かれていますよ。早く自己紹介してください、リーダー」


「うるせぇな、分かってるよ」


 マユに促され、カミオカが立ち上がる。


「俺はカミオカ。このクドリャフカ計画の開発担当主任だ。お前の使命は……もうわかっているよな?」


 冷たい視線を送るカミオカ。この頃彼はまだ三十代で、仕事熱心ではあったが、今よりずっと愛想も悪く、いつも不機嫌そうだった。


 オズマは、この不愛想な挨拶を吹き飛ばすように元気よく返事をした。


「はい、もちろんですっ!」


 オズマの心の中には、夢や希望、そんな淡いきらきらしたものが沢山溢れていた。色々とつらい訓練や実験を繰り返してはいたが、思えばこの頃が一番楽しかったのかもしれない。楽しくて、幸せな、大事な記憶。


 マユは可笑しそうに笑う。


「ふふ、どうやらオズマのほうが、少し大人みたいですね」


「うるせー」


 拗ねるカミオカ。


「ほらほら、オズマがお土産にお菓子を持って来てくれましたよ。食べないんですか?」


「食べる」


 マユはカミオカの扱いをよく心得ていた。


 カミオカのように目立つタイプでは無かったけれど、縁の下の力持ち、とでも言うのだろうか、思慮深く賢い女性だった。


 彼女はオズマに沢山のことを教えてくれた。


 カミオカの機嫌を治すには食べ物が一番だということ。紅茶にジャムを入れると美味しいということ。雨が降った後の星空が綺麗に見えるということ。かつて夜空に散った、クドリャフカという犬がいたことも。

 


     * * *




 オズマとカミオカは、しばらく無言のまま登山道を道なりに歩んだ。


 3合目まできたあたりで、カミオカが足を止め、ぽつりと呟いた。


「これは……汚染物質が散乱しているのか」


 カミオカの視線の先には、黒く濁った沼。かつて魚や虫が住み、美しかったそこは、黒光りするタールに覆われていた。


「気を付けろ、オズマ、いくらお前でも触ったらただじゃすまないぜ」


「……はい」


 オズマは、複雑な顔で視線を落とし、真っ黒に染まった落ち葉を踏みしめた。



     * * *



 オズマはカミオカやマユといったプロジェクトメンバーに支えられ、数ヶ月後もの辛い訓練に耐えた。

 そして宇宙船に乗り、遠い星へと旅立っていった。


 色々とトラブルもあった。夢物語だと嘲り、罵る人もいた。


 それでもオズマたちは確かな結果を示し、オズマが無事地球に帰ってくると、世間やマスコミはこぞってオズマをもてはやした。

 使命を果たしたロボットの帰還を告げる感動的なニュースが世間を騒がせ、オズマは一躍「英雄」となったのだ。



 しかし、異変が起こりだしたのは、それからしばらくしてからだった。


 鳥は落ち、家畜は血を吐いて倒れ、元気に走り回っていた子供が突然痙攣して動かなくなった。


 拡大を続ける未知の病。その原因についての様々な仮説や噂がヒステリックに世間を騒がせ、人々はパニック状態となった。


 医師や科学者たちは必死にこの未知の病の原因を探ろうと奮闘したが、成果は中々得られなかった。


 無理もない。この病の病原体は細菌でもウイルスでもなく、この地球に存在しない未知の物質だったのだから。


 瑶か遠い宇宙からもたらされた未知の物質。それを運んで来たのは、他ならぬオズマだった。


 この事が明らかになったころには、もう世界は滅茶苦茶だった。


 もともとオズマは地球に帰還する手筈では無かった。オズマは宇宙への片道切符を持って遠い空へと旅立ったはずだった。かつてのあの小さな犬のように。


 それでもマユは、カミオカは、プロジェクトのメンバーたちは皆、望んでしまった。オズマが帰ってきてくれることを。


 「異変」の原因と、その原因であるプロジェクトの変更が明らかになると、オズマは勿論のこと、ロボットに情を移し、計画を変更したプロジェクトメンバーへの非難が噴出した。


 多くの者が殺され、報復が起き、血で血を争う戦いが繰り広げられ、それは瞬く間に各地に飛び火した。


 争いの下地は昔からあった。


 労働力として、もしくは愛玩用として、ロボットを普段から身近な存在としてきた人たちにとっては、ロボットというのは、けなげで正直で、人間たちに尽くし愛してくれる大事な存在だった。


 だが一方で、ロボットに職を奪われた人々や、自分たちと違う物への排斥感情を持つ人々、そしてロボットがいつか反逆し人間を支配するのではという恐怖を抱く人々は多く、両者の溝は決して埋まらないものとなっていた。


 両者の溝は、この事件をきっかけに一気に深まり、アンドロイドの扱いをめぐる人々の対立はさらに深刻化、過激化し、そして――




 この美しい星は真っ二つになった。



 

 

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