第53話  ひとりでできるもん実施中

「中々決まりませんねー」


 むー、と難しい顔で鏡と私を交互に見るアンナ。


 常に動き回っていないと落ちつかない年頃の私はそろそろじっとしているのも限界である。


「あんにゃ……」

「もう少しだけ我慢してくださいね」


 そう言ってアンナは広いクローゼットの中をゴソゴソとかき分けながら、あーでもない、こーでもないと呟いている。


 そこへふわり、と風が舞い、緩く結ばれた臙脂のリボンが解けた。


 またか……。


 見上げれば、ニマニマと嗤う緑の瞳とぶつかった。


「ちぇしゃ」


 こちらに気付いた様子のないアンナに聞こえないように咎めれば、今度ははらり、と別のリボンが頭に降ってきた。


 そちらを見れば、今度は紅い瞳とかち合った。


「まーち?」


 私は首を傾げた。

 普段、仕事に真面目な彼にしては珍しい。


「ソッチのが似合うと思うぜ」


 チェシャの台詞にマーチがこくり、と頷いた。


 頭に掛かったそれを手に取って見れば、幅広のレースの付いた明るいピンク色のリボンだった。

 それをそっと髪の結び目に掛けてみる。


 似合うじゃないか。


 鏡の前で緩みそうになる頬を私は慌てて引き締めた。いつの間に降り立ったのか、その背後に映る少年2人と鏡越しに目が合った。


 後ろへ向けて見上げれば、ニマニマ笑うチェシャと満足げなマーチがこちらを見下ろすように覗き込んできた。途轍もない気恥ずかしさに頬を押さえて俯いた。


子供ガキは素直に喜んどけよ」


 頭に交互に私より大きな手が降りてきたかと思うと2人の姿が消える。ばさり、という音と同時にアンナが数着のドレスを片手に戻ってきた。


「あら、お嬢様、おリボンが」

「あんにゃ、あね、こがいいの」

「あら、あらあら、でしたらそちらのドレスにぴったりですわね」


 そうして程なくして、私はお着替えからようやく解放されたのだ。


 ✳︎


 着替えが終わり、迎えに来たクロフォード君に「そのリボン、よくお似合いですよ」という褒め言葉を頂いて、ちょっと嬉しくなった。

 チェシャとマーチのチョイスである事は秘密である。


「いいですか、お嬢様。今日はお嬢様が3歳になられたお祝いのパーティーです。お客様にはきちんとご挨拶、そして、今日は『ほーしゃん』は禁止です」


 そしてクロフォード君の指導が始まった。


「ほー?」

「はい。それで十分です。「しゃん」は禁止ですからね」

「あい!」


 私は良い子のお返事を返した。


 これでやっと解放か、と安心したのも束の間、私はクロフォード君にひょいと抱き上げられた。


「ほー……」


 言い掛けて口を噤む。


「今日はその調子ですよ。この後、旦那様と奥様がお嬢様にお話があるそうです」


 私はがっくりうなだれた。


 ✳︎


「はめまして。りじゅれっとれしゅ」


 私は初めてのお客様を前に精一杯のご挨拶をした。

 物陰からの父とクロフォード君の視線が痛い。


 今日は何を隠そう、「3歳になったら一人でできるもん」を実行中である。


 実行委員は言わずもがな父と母、バックアップはライラとクロフォード君である。


 しかし、3歳児に求められる「一人でできるもん」のハードルが些か高い気がするのだが、気のせいだろうか。

 この場合、両親同伴の上でのご挨拶ではなかろうか。

 お金持ちの家の3歳児としてはこれが標準なのか、ネット環境があれば、すぐさま検索にかけているところである。


「あらあら、初めまして。この度はお招きありがとうございます。メディア・カーディナルですわ。エミリアの事は何て呼んでいるのかしら?」


 最初のお客様は子連れの優しそうな女の人だった。

 台詞が長く、言ってる事は辛うじてご挨拶だとは判ったが、比較的ゆとりな環境で育った為か、名前も内容も3歳児には覚えきれない。って言うか、クロフォード君やライラと散々練習して頭に詰め込んだ内容がかすりもしてないんだけど、ドウイウコトデスカネ……?


 辛うじて理解出来たのは、ご挨拶、自己紹介、エミリア様の3点のみである。


 あれ?なんでエミリア様?今ここにいないよね?


「エミしゃま?」


 私はお客様を見つめたまま思わず首をかしげる。


「あらそう。じゃあ、私の事はメディと呼んでくださる?」


 うん?


「奥様、多分今のは何でここでエミリア様が出てくるの?って事だと思いますよ」


 お客様のお付きのお兄さんが私の意見を代弁してくれた。


「あら、そうなの?」


 とりあえず、現時点で私が理解出来た事は、名前は長いから、「メディ」でいいわよ。という事だけである。なので、早速呼んでみることにした。


「め……めり……しゃま?」


 途端、メディさんが固まり、その顔にみるみる朱がのぼり、口元が戦慄わなないた。


 あ、コレヤバイ。


 こちらに倒れこまんばかりのその気配に危険を感じたが遅かった。


「かんわいいいいいいい!!!!!!」

「むぎょ!」


 感極まった女性の加減なしの抱擁を舐めてはいけない。

 それはもう、生まれて3年の間で学んだ事である。


「お、おおお奥様!?」


 お付きのお兄さんが慌てふためき、メディさんのお子さん(仮)がぽかん、と間抜け面を晒し……失礼、呆気に取られていた。


「やっぱり、娘よね!息子も可愛いけど、娘もいいわよね!ねっ!アランも可愛い妹が欲しいわよね!!」


「は、ははうえ?」


 メディさん、アラン君も多分、付いて行けてませんよ。


 しかし、途轍もないデジャヴュである。

 状況も台詞も全く違うのにデジャヴュである。


 そろそろ意識が遠い何処かへ旅立とうとしていた時だった。


「そのくらいにしておいてくれるかな?メディア」


 颯爽と現れた父。

 一言言って良いなら「遅い!」である。

 ずっとタイミング見計らってたの知ってるんだからね!

 クロフォード君とどっちが先に出て行くか揉めてたのも知ってるんだからね!!


 家の恥になるから言わないけどね!


「あら、ギル、おひさしぶりね!シーネはお元気?」

「奥で待ってるよ、それより、リズを離してくれるかな?」


 メディさんは私をじっと見つめると、しぶしぶ解放してくれた。


 私はふらふらと馴染んだ気配に向かって歩き出す。ぼすり、と抱き留めた腕に安堵する。

 何か文句を言ってやろうかと口を開きかけた時だった。


「子供を抱き留めた……だと?」


 うん?


 ちらりと見れば、さっきのお付きのお兄さんがクロフォード君を凝視していた。


「今のは9点です。お名前は正しく」


 うえ?

 クロフォード君の普段通りの態度と言葉に咄嗟に何を言われたかわからず、必死に頭を回転させ、ピコーン!と思い当たった。


 あ!あれか!


「り、りじゃれっと、れしゅ!」

「はい、よくできました」


 どうやら正解だったらしい。


 クロフォード君に何を言おうとしたかもすっかり忘れた私は彼が向ける視線に気づき、それを追いかける。


 すでに歩き出してるメディさんにも気づかない様子で棒立ちになってクロフォード君を見ているお兄さん。


 クロフォード君が立ち上がる。


「ほーしゃん……?」


 どうしたの?と言う言外の意味も込めて声をかけたら、お付きのお兄さんの方が更にビックリした顔で私とクロフォード君を見る。

 クロフォード君はお兄さんをスルーして私の前に屈み込む。

 その目は幼稚園児に対する保父さん的な目だ。

 うん、お仕事大事だもんね。


「今のも1点なくしましょう。私のお名前は?」

「ほー」

「はい、よくできました」

「いいのかよ!!!」


 予想外のツッコミに、私の肩がびくん!と跳ね、同時にクロフォード君の眉が僅かに動いた。


「久しぶりだな。煩いぞ、ユート」


 全然久しぶりって思ってない久しぶりって初めて聞いたわぁ……。


 ユートさんを振り仰ぎ立ち上がったクロフォード君の顔は見えない。

 けど怒ってるのは分かる。


「ユート、先に行ってるわね」


 軽やかなメディさんの声に我に帰ったらしいユートさん。


「お、奥様!申し訳……」

「いいから、ゆっくりしていらっしゃいな」


 軽やかな笑い声が遠ざかっていく。


「奥様!」


 狼狽えるユートさんを残して扉の閉まる音が無情に響いた。


 え?コレいいの?首を傾げた私をクロフォード君が抱き上げてユートさんを目で指し示す。


「いいですか、お嬢様、あれが無能な使用人の例です」

「むのー?」

「はい」

「ちょっ!お前、何教えちゃってんの!?」


 すかさず突っ込むお兄さん。

 そして「むのー」ってなんだっけ?と更に首を傾げる私。


「煩いぞ、お嬢様の前でその口の利き方、初等科からやり直して来い。そして2度とお嬢様の目に触れるな」


 クロフォード君……。

 知り合いとは言え、他家の使用人さん相手でもその容赦の無さにブレはない。


「え?何言ってんの?本当にお前、クロフォード?あの子供ぎ……」

 こどもぎ?


 すぱーん!


「ほーしゃん!?」


 本当に何やってんの!?

 派手な音を立ててユートさんの顔面にクロフォード君の裏拳が炸裂した。


「ああ、手が滑った」


 その声の不穏さに、私は思わず目を逸らした。

 人間、知らない方がいい事もあるものである。

 しかし、さっきの「こどもぎ」?って何だ?


「お嬢様」


「?」


 振り返れば笑顔のクロフォード君がいた。


「もう1点なくしましょうね」


 しまった!!


 ガーン!


 失言に気付いた私は思わず両手で頭を押さえた。


 0点になった時のお勉強コースが脳裏を埋める。


 あとお客様って、何人だっけ?

 加点はあるんだろうか。

 そもそも今何点だ?


 私の頭の中はもはやそれだけでいっぱいだった。


「こどもぎ」という謎の言葉は一瞬にして私の中から消去されたのだった。


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