第48話 胸騒ぎと既視感

「さ、お嬢様、今日はたくさんお昼寝いたしましょうね」


 丸一日爆睡して2日目、いつものお昼寝タイムより遅い時間。アンナのそんな一言に私は首を傾げた。


「あーにゃ」


「なんですか?」


 アンナはニコニコと答える。


「きょうはたくしゃんするの?」


「ええ、そうですよ」


何でにゃんれ?」


「夜にご用があるそうですよ」


 アンナは困ったように眉尻を下げて答えた。

「ご用」と言うだけのアンナに嫌な予感がした。

 アンナは「ご用」の内容は知らされてないのだろう。

 でなければ、こんな曖昧な表情はしない。


 使用人というのはそういった事情を気どらせてはいけないらしいので、もしここにクロフォード君がいたら注意されるんだろうなぁ…。


 まあ、クロフォード君の主人(仮)は私らしいので、私がお口チャックしてたら問題ないだろう。


「今日は奥様もライラ様もご用事で、クロフォード様もお出かけされてるので、アンナで我慢してくださいね」


 そう言ってアンナは私をベッドに追い立てる。


 みんなおでかけかぁ……。


 と、ちょっと遠い目をしてみる。


 アンナが挙げた三名は私の寝かしつけマスタートップ3だ。


 どれだけ寝付きが悪く、愚図ろうとも、あの3人はあっと言う間に私を眠りの国に誘ってくれる。


 因みに今日は朝からなんだか胸騒ぎがして落ち着かないので眠れる気がしない。

 先に謝っておこう。

 アンナ、ごめん。


 しかし、アンナは今日の私に気付いている筈なのだが、やけに自信満々である。


「う〜ふ〜ふ〜〜」とか笑ってる。


 え?ひょっとして、すぐ寝ると思ってる?分かってるって思ってた私こそが勘違い?それはいけないと私は慌ててベッドから起き上がった。


「あーにゃ、あにょね……」


「ジャジャーン!」


「!?」


 アンナが私の目の前にずずいっと差し出したそれに、私は口を開いたまま固まった。


 それはフワッフワの黄色い毛に緑のお目々がキュートな縞模様の猫の縫いぐるみだった。


「うふふ、にゃーしゃちゃんですよ、お嬢様〜」


 ああ、知っている。知っているとも!!


「あ……、あう……」


 私は言葉にならないまま震える手で『にゃーしゃ』に手をのばす。

 あともう少しで触れる、というところで、すいっとにゃーしゃが上に逃げる。


「にゃーしゃん!」


 黄色いふわもこの影からアンナの笑顔がひょこりと出た。


「お嬢様〜、お昼寝できますよね〜?」


 私はブンブンと首がもげんばかりに縦に降る。


「あーにゃ、あーにゃ、にゃーしゃんとおひうえすゆーー!!」


 もはや己の操る言語の怪しさにすら構う暇はなかった。


「お嬢様〜?、しっぽは?」


「食えちゃらめー!!」


 私はしゅばっと挙手して条件反射の如く叫んだ。


「はい、よくできました〜」


 アンナの言葉と共に懐かしいふわもこが私の腕の中に降臨した。


「にゃーしゃん!!」


「クロフォード様には内緒ですよ?」


 私はにゃーしゃんをギュッと抱きしめながら力いっぱい頷いた。


 私はかつて、戯れた仔虎ちゃんを思い出す。


 このにゃーしゃんは仔虎ちゃんと再会出来ずに不機嫌MAXだった私に父が与えたものだった。


『ほ〜らリズ〜、ニャーシャだよ〜』


 そう言って私の前に差し出されたのは黄色い猫の縫いぐるみだった。

「ニャーシャ」というのは当時私が仔虎ちゃんに向かって手をのばした折にしきりに叫んでいたかららしい。


 しかし、残念ながら当時、私の本能が欲っしたのはなまの虎の感触だった。


 それでも満たされぬ欲求に妥協するべく握った尻尾はどこまでも柔らかい綿の感触だった。

 はむり、と口に咥えてみても噛みごたえのない綿の食感だけだった。


 これではない!と叫ぶ本能とフラストレーション。


 結果、無惨な姿に成り果てた縫いぐるみは、ガチ泣きの父の手により引き取られ、縞模様がついて私の元に帰ってきた。


 それでも満たされず、何度かループした結果、本物には及ばぬものの、抱きしめた触感、特に尻尾にこだわり抜いた逸品が私の手の中に収まったのだ。


 その手触り、抱き心地に私は狂喜し、超お気に入りとなったそれを抱きしめ、尻尾を握り、時には咥え、噛み、私は全力で可愛がり、そしてまた尻尾を咥え、片時も離さなかった。


 ところが、クロフォード君とライラが私の噛み癖を良しとせず、没収とあいなったのだ。

 あの時の私の荒れ様は我がことながら凄まじかったと思う。


 普段の大人な私?

 何言ってるんですか?

 まだまだ本能の強いお年頃ですよ?

 理性?何それ美味しいの?

 結論として、理性なんて何の足しにもなりませんでした。


 そんな本能に忠実な私は母、ライラ、クロフォード君の三人相手でも負けなかった。戦いに戦い抜いた。母の泣き落としにも、ライラの威圧にも、クロフォードくんの無言の圧力にも決して屈しはしなかった。


 結果、引き分けドロー


 尻尾を口に入れない約束と引き換えに無事戻っては来たのだが、正式に私のお世話係になり、私の扱うコツを掴んだらしいクロフォード君によって、あの手この手で引き離され、丸め込まれ、今に至っている。


 クロフォード君、ぱネェ……。


 そして母、ライラ、クロフォード君の居ない今、このにゃーしゃんは私に対する当に虎の子奥の手


 私はあれだけ興奮したにも関わらず、にゃーしゃんの尻尾を握りしめ、あっさり夢の世界に旅立った。


 ✳︎


「お嬢様、お時間ですよ」


「うに……、ほーしゃん……?」


 昼間と違った落ち着いた声に目を押し上げれば、クロフォード君のいつもの笑顔があった。


「おかーりなしゃ……?」


 うん……?


「はい、ただいま戻りました」


 うんんん……?


「どうかしましたか、お嬢様?」


 んんんんんん……?


「ほーしゃん?」


「なんですか?」


「おかーり?」


「はい、ただいま戻りました」


 変わらない笑顔で答えるクロフォード君。


 なんだろう、なんか引っかかる。

 このもやっと感は……。


 既視感デジャヴュ


 何の……?


 ぼんやりとした頭でぼんやりと考える。


 そしてふと、気がついた。


 にゃーしゃんがいない。

 クロフォード君に聞こうとして咄嗟に口を噤む。

 その後ろで人差し指を口にあてたアンナが見えた。その仕草にまたもや言いようのない既視感を感じる。


『クロフォード様には内緒・・ですよ』


 ふいにアンナの言葉が蘇り、何か別の事も内緒の約束をした気がした。しかし、今はそれは脇に置いておく。今の私の優先順位はにゃーしゃんである。

 もしここで別の思考にとらわれ、うっかり口を滑らせ彼に所在を問い正したなら、あの逸品との再会は果たせない気がする。


 何でだ?


「お嬢様、これから大事なご用がありますから、準備致しましょう」


 更に首を傾げる私をクロフォードくんが現実に引き戻し、彼の合図と共にアンナとメリッサが進み出る。


「私も準備がございます。場が整いましたらお迎えに上がりますからね」


 普段と違った質の笑顔に、思わず「何の?」と問いたくなったが、「ささっ、お嬢様!」という、慌てた様子のアンナとメリッサによって引き剥がされた。


 頭が回らないまま、私の「夜のご用」の準備は着々と進んでいった。


 準備が済んだ頃には既視感も朝からの胸騒ぎも、すっかりきれいに忘れ去っていた。

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