第47話 とある執事の心の叫び

「ふむ、お前で互角ですか。ご苦労」


 報告を聞き終えたウィスタリア家家宰は顎に手を当て、喉の奥で笑った。


「面白い」


 家宰の口角が僅かに上がる。

 それを目の端に捉えながら、クロフォードは静かに家宰に頭を下げると執務室を退出した。


 夜も白み始めた時間帯、王都の貴族街であれば、使用人はすでに働き始めている頃合であるが、こちらでは早い者ならそろそろ目覚めに差し掛かる頃でもある。屋敷の者らが動き出すのはもう少し先だろう。

「隣人の地」を挟み、ある意味国境の要であるこの辺境領は長閑で領民も少ない。隣国との仲も良好で、国境での小競り合いの心配もない。「隣人」さえ刺激しなければ、概ね平和であるこの領地に軍などというものはなく、農業と兼任しての名ばかりの兵士が欠伸をしながら、決められた場所に案山子よろしく立っているだけである。

 そういった土地柄もあってか、この屋敷は王都の貴族らのそれと比べれば、使用人への規則は随分と緩い。むろん、屋敷勤めの責務と元とはいえ、公爵家の使用人としての意識はきっちりと躾けてあり、締めるところはきっちりと締めている。


 そんな事をつらつらと考えながら、人気ひとけのない廊下をクロフォードは迷いない足取りで進んだ。



 ✳︎


 クロフォードは部屋の前に立ち、そっと扉を開けた。音を立てないように閉めると部屋をぐるり、と見渡した。


(不備はないようですね)


 足音を立てずに寝台の前まで来ると、クロフォードは心の中で一人ごちた。

 この部屋付のメイドはクロフォードがこうしてチェックを入れないと時折部屋の掃除が甘くなる。


 メイド達が密かに彼を「悪魔の小姑」と呼んでいる事はもちろん彼の預かり知る所でもあるが、やる事さえきちんとしていれば、仕事の合間の使用人の愚痴などどうでもいい事である。


 天蓋の布をそっと上げれば、寝台では彼の小さな主が気持ち良さげにスヨスヨと眠っている。

  ふわふわとした猫っ毛の青い髪が白み始めた部屋でキラキラと光るさまにクロフォードは表情を緩めた。


 部屋のあちこちから自分達を、正確にはクロフォードの様子を遠巻きに伺う気配を感じるが、リザレットが深い眠りに入る前までのざらついた気配はなく、部屋自体が澄んだ気配に包まれていた。


 クロフォードの脳裏に深青の精霊紋が閃き、眉をひそめる。


 先日までのざらついた気配の精霊は大陸最強の伝説を持つ「ヴァーミリオン」の名と共に受け継がれてきた曰く付きの精霊だと聞いた。


 中央から退以降、最初の2年程は何の動きも見せないウィスタリアを与し易しと見誤った貴族バカが多かった。更に間もなくして生まれた赤ん坊を攫い、それをネタに脅せば傀儡にできるのではないかと勘違いした阿呆もそこそこいた。


 しかし事態はそう上手く事は運ばず、差し向けた人間はことごとくウィスタリアの伝言けいこくを携えて這々の体で戻って来る。

 戻って来ない時には『ゴっメ〜ン、手加減間違えちゃった★』などといったふざけた内容が雇い主の家に直接届けられる事もあったという。

 どれだけ念入りに経路を隠してもだ。


 流石にそれにはゾッとしたらしい。馬鹿と阿呆の大半は手を引いたが、それでもウィスタリアを理解出来ない大馬鹿者の一人が「ヴァーミリオン」に依頼をかけた。暗殺者に人攫いを依頼するのも見当違いも甚だしかったが、ヴァーミリオンは「ウィスタリア」に興味を持った。


 実際に当時、本人に攫う意思があったかどうかはわからない。

 重要なのは、「ヴァーミリオンがウィスタリアに手を出した」という事実だけだとウィスタリア家当主は貼り付けた笑顔で宣った。


「ヴァーミリオン」を前にした生後半年の小さな主は本能全開で彼の精霊のを解き放った。


 そして「ヴァーミリオン」は何も持たずに戻ってきたのだ。


 それを聞いたある者は「名ばかりが大きくなりすぎた暗殺者」と侮り、唾棄し、ある者は、かの「ヴァーミリオン」ですら失敗せしめたウィスタリアに畏怖を覚えたという。


「ヴァーミリオン」、その名がいつからあるかと問われれば、歴史を紐解けばぽつり、ぽつり、とその名を認める程度には古い。


 長年、名と共に受け継がれた精霊はその名を持つ契約者との結び付きも強い。


 その契約を一瞬で白紙・・に戻すなどという芸当をこなせる人間がいるかと問われれば、誰もが「否」と答えるだろう。


「……ぅゆ……」


 はっと気づけば、主のぼんやりとした目がこちらを見ていた。


「……ほーしゃん……?」


「はい」


 小さな主にクロフォードはにこりと笑う。

 ウィスタリアには祖父クロードクロフォードがいる。


 よく喋るようになったとは言え、まだ2歳のリザレットには発音が難しいらしく、当初は「クロしゃん」と呼んでいたが、9割の確率(仕事をサボって覗きに来る当主の付き添い)で、祖父クロードがしゃしゃり出て来て以降、リザレットはクロフォードの事を「ほー《フォー》しゃん」と呼ぶようになった。

 敬称はいらないと教えるも、どうやらそれで一旦覚えてしまったリザレットには訂正も難しいらしく、ライラを交えた協議の結果、もう少し大きくなってから、という事で落ち着いた。

 因みにライラは「ララ」と呼ばれている。

 そこはリザレットが生まれた時からフォクシーネが「ライラ」と呼んでいるからと、ライラが言葉を覚え始めたリザレットに根気良く注意し続けた結果である。


「【おかり】」


「はい、ただいま戻りました」


 クロフォードは笑顔のまま答える。

 意味はわからないが、ニュアンスでアタリをつけて答えた。

 そういった芸当は学舎時代から身に付いた。


 小さな主は寝ぼけている時や寝言でよく、意味不明な事を口走る。

 それが「言語」であると認識したのは学舎時代の友人の意味不明な数々の発言を思い出したと同時だったか。


 言葉を覚え始めた時、何かに詰まり、よくわからない事を言い直し、ぶつぶつと教えられた単語と交互に口の中で繰り返す、といった事が時折見受けられた。


 当時は上手く口が回らないからだと納得していたのだが、どうやら違うようだと、気付き始めた。


 生まれてこの方、屋敷から一歩も出歩く事もなく、ここで雇った使用人も生まれも育ちもこの土地だと言う。

「外」からの客人も来る事があるが、接点があるのはシャトルーズ公爵夫人のみ。


(それに何より……)


 その「言語」に、リザレットの馴染み深さを感じるのだ。

 そして、その言語を口にした時に精霊達の反応が顕著になる。


「精霊言語」というものがある。

 精霊と意思を交わす時に用いるものだが、「自由な精霊達」と意思を交わしたという人間の話は聞かない。しかし、精霊達がリザレットの意思に反応するのだから、それに近いものだろう、とクロフォードはアタリを付けている。

 したがって、学舎時代の友人の意味不明な言語とは別物である。例え韻の並びや規則性が似ていたとしても別物であると、クロフォードは二度に渡って結論づけた。



 そして、主の視線を感じ辿れば、ぼんやりと焦点の定まらない青い目をじっと一箇所に固定している。

 それに気づいたクロフォードはわずかに首を傾げる。


「……ほーしゃん」


「なんですか、もう少しおやすみなさってても大丈夫ですよ、時間になれば、ちゃんとアンナが起こしに来ますから」


 そう言って布団に手をかけたクロフォードの手が止まる。

 リザレットがクロフォードに向かって両手を前に出した。


「……ほーしゃん、おて……」


「…………」


 クロフォードは笑顔のまま、頭の中で素早く考えを巡らせた。

 それは犬に対するのと同様の意味合いの「お手」だろうか、それとも「おてて」と言い損ねた結果だろうか。

 そう言えば最近、犬か猫が欲しいと旦那様に言っていた気がする。ここは一つ、『ワン』と答えて手を載せるべきだろうか、しかし間違っていた場合、例え寝ぼけていたとしても、機嫌を損ねたお嬢様に手を振り払われたら地味に傷付く。


 そこまで考えた瞬間、リザレットの眉間に皺が寄り、クロフォードは慌てて右手を差し出した。


 それを握ったリザレットの寄った眉が元に戻り、ほっとしたのも束の間、再び眉間に皺が寄る。


「……しょっち……」


 リザレットはぼんやりまなこのまま、右手を離し、クロフォードの左手に小さな手をのばした。


「どうぞ」


 クロフォードは笑顔で左手を差し出す。

 リザレットはしばらくクロフォードの左手を両手でにぎにぎと握る。

 その様子にクロフォードの頬が思わず緩む。


「【た〜いの、た〜いの、とんでけー】」


 その言葉が言い終わると同時にリザレットはぱっと手を離した。

 瞬間、周囲の空気がふわり、と揺れ、クロフォードは大きく目を見開いた。

 リザレットは満足げな顔で再び微睡み始める。


 クロフォードは驚愕に震える唇をキュッと噛みしめると再び笑顔に戻る。


「お嬢様」


「ん〜〜?」


「いまのはなんですか?」


 眠気を促すようなクロフォードの優しい声にリザレットはほにゃり、と顔をゆるませた。


「【お|な(ま)じない】……」


「ありがとうございます。でもお嬢様」


「ん〜〜?」


「この【おなじない】というものは秘密にしましょうね」


 人差し指を自分の口元にあててみせる。


「なんで〜……?」


「なんで、でもです。約束ですよ」


「やくそく〜……」


 ぽんぽんと叩くクロフォードの手の心地良さにリザレットは再び夢の中に旅立った。


 それを見届けたあと、クロフォードは足早に自室に戻り、扉を閉める。


 己の左腕を震えた右手で掴む。

「二番目」と呼ばれた少年の不意打ちを咄嗟に防いだ際に軽く痛めた左腕を。

 クロフォードにとっては痛めた、という程大袈裟なものではない。

 日常生活・・・・に支障が出ない程度のものだ。

 だが、痛みと違和感が消えた。それどころかむしろ、以前より左腕は軽かった。


(僅か2歳にして、精霊紋を持たぬ身で、治癒を行うとは……)


 寝ぼけたまま、クロフォードの左手を握るリザレットの姿が鮮明に蘇る。そして、ほにゃり、と緩んだ笑顔。


「…っ!」


 クロフォードは咄嗟に口元を抑え俯いた。

 ぽたり、と雫が床に落ちた。


「さ……っ」


 くぐもった声が手の隙間から零れ、クロフォードは歯を食いしばって耐えた。


 その場に膝を付き、クズ折れるように床に額を付けたクロフォードは床を叩きながら、声を殺して叫んだ。


「さすがです!お嬢様!!このクロフォード、お嬢様の愛らしさと洞察力とその才能に、改めて完敗いたしました!!!」


 床に落ちた雫は赤かった。

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