第46話 とある執事のお礼参り
如何にも良家の執事らしい礼から青年は顔をあげると、ごくごく、軽い調子で右手に下げた酒瓶を男に向けて放った。
「どうぞ」
男はそれを迷いなく受け取った。
それが合図だった。
ぎゃりぃ……んん!!!
とても場違いで、物騒な金属音が室内に響いた。
室内に踏み込みざまに抜き放った刃を瞬時に距離を詰めた「一番目」の刃がぶつかるように受け止めた。
「はっ!偉く御大層な土産じゃねぇか!」
受け止めた刃を跳ね返しざまに勢いよく振り上げた「一番目」の刃を執事服の青年は無表情で迎え打つ。
「ええ、今回の取引先には随分世話になったので、お礼はたっぷりと。と、主より言い遣っておりますので」
ぎぎゃん!!
それはわざわざ言葉にせずともよくわかった。こちらの所業に対する礼の熱心さは金属音からも伝わってくる。殺し屋を本気で殺しに来る執事など、そうそういるものではない。しかもその技量は大陸に名を馳せる「ヴァーミリオン」の後継第一候補と技量が拮抗しているなど、洒落にならない。
振り抜いた刃を留めるように一番目の刃がぶつけられ、ギリギリと鈍い音が上がり、何度目かの刃が跳ね上がる。
青年と少年の渾身の打ち合いはお互いを跳ね飛ばし、距離が開く事で止まった。
少年の口角が更につり上がり、開かれた緑の瞳はギラギラと輝きを増す。
「お……んもしれぇ!!やっぱアイツに付いて正解だったわ、オヤジ!……」
ガキュっ
「一番目」の言葉が途切れ、癖のある金の髪がはらりと落ちた。
男が見やれば、壁にはナイフが深く刺さっている。深く刺さりすぎて柄しか見えない。
「一番目」が緑の瞳を向ければ、ナイフを投擲した腕はそのままに青年が品の良い笑顔のまま小さく首を傾げる。
「『アイツ』、とは、誰を指して事でしょうか?」
「そんなの……」
少年の口がにぃっと吊り上がる。
「アンタんトコの大事なお嬢様に決まってってんじゃん」
「一番目」の発した言葉に場の温度が下がる。笑顔の執事の瞳の温度も下がった。
「尊きお嬢様をアイツ呼ばわりするか。万死に値する。ってか死ね」
今度は一見無防備とも言える「一番目」の眼前に青年、クロフォードの顔とナイフが迫る。
「一番目」の瞳が何かを狙い済ましたように細くなる。
クロフォードの腕が振り下ろされた瞬間、ナイフを紙一重で躱した「一番目」は青年の首に貫手を放った。
「にっし」
「!」
クロフォードは咄嗟に重心を変え、済んでところで貫手を躱す。
「ザぁ〜〜ンネン」
クロフォードは表情を変えずに襟元に手を当てる。
(……ない)
そこに隠していた筈のモノは「一番目」の指間で鈍く反射していた。
「イロイロ隠し持ってるねぇ、お陰で助かったわ」
「一番目」はクロフォードの襟元から抜きとった剃刀の刃をひらひらと振って見せる。
「随分と、手癖の悪い」
袖からすとん、と青年の手の中に落ちた得物を捉え、「一番目」は目を細める。
「アンタは偉くブッソウだ。執事ってのは嘘で、本業は暗殺者ってオチ?」
「まさか、執事が本業ですよ。
クロフォードはにこり、と笑う。
「言葉遣いが崩れてきてるぜ。執事サン。
しかし、さっすが!アイツ……っと、リーの周りは違うねえ」
「一番目」は面白いとばかりに目の前の執事の「大事なお嬢さま」から教えられた呼び方を強調して何でもないかのように囃し立てる。クロフォードの笑顔がぴくり、と動いた。
「……リー……?」
「あのちっこい姫さんが俺にそう呼べって言ったぜ」
嘘ではないが、本当でもない。あの小さなご主人様が少年に対してそう名乗った。
そして彼はそう呼べと、少女の言葉を受け取った。
完全に煽りに入った「一番目」に男は面倒な事になりそうだな、とは思ったが、何も言わなかった。言ったところで無駄な事だと理解しているからだ。
「それに、さ」
「一番目」はここまでで一番の笑みを見せた。
少年の腕に「深青」の精霊紋が浮かぶ。
それを目にしたクロフォードの周囲から魔力が立ち上り、景色が陽炎のように揺らめいた。
「……てめえか、ウチの大事なお嬢様に不埒な真似働いたのは」
「フラチも何も、俺はただ、首輪を貰いに行っただけだぜ」
そこに散る別の色を認めたクロフォードの紫水晶(ひとみ)からスッと感情(おんど)が消えた。
「黙れ。飼い主から首輪を騙し奪(と)るような駄猫(クズ)はお嬢様のお姿を拝する資格もない」
「言うねぇ」
並の者なら触れただけで悲鳴を上げて逃げ出すであろう、青年の殺気を愉しみながら、少年は精霊紋を収める。
「ま、首輪を騙し奪った事は否定はしねーよ?」
「……殺す」
クロフォードから笑顔が消え、瞳の闇(イロ)一つで見る者をゾッとさせるソレへと変容する。
「一番目」の背をゾクゾクと戦慄が駆け上がる。
嗚呼、愉シイ……。
それはリザレットを相手にした時とはまた種類の違った歓喜。
「アンタ、
少年のどこからか抜き放ったダガ―を青年の片刃の得物が受け止める。
「しかも偉く珍しいモン持ってんじゃねえか、知ってるぜ、ソレ、カタナだろう」
ギチギチとお互いの得物を押し合う中、青年は綺麗な笑みを口元に掃いた。
「『短刀』と言うそうです……」
クロフォードは少年を外へと蹴り飛ばした。「一番目」はクルリと回転し、衝撃を殺して手近に生えていた木の幹に着地する。それに迫るクロフォードに「一番目」は更に取り出した小型のナイフを投擲し、ダガーを素早く構えた。
「そこまでだ」
「!」
「げっ!」
「一番目」とクロフォードはそれぞれ別方向から来た刃を同時に受け止めた。
「礼は十分受け取ったとお伝え願う、執事殿。ここが民家から離れた場所にあると言っても流石に過ぎる」
男の刃を受け止めた「一番目」が口を開く。
「オヤ……!」
「黙れ」
鈍い音と共に「一番目」が地に沈んだ。
クロフォードは背後からの刃を受け止めたまま、軽く目を開く。
「「二番目」、引け」
男の声にクロフォードに刃を振り下ろした黒髪の少年がするりと身を引き、細身の剣を鞘に仕舞う。
「二番目」と呼ばれた少年のそれを見届けたクロフォードは軽く息を吐くと短刀を袖に仕舞う。
「ウィスタリアの当主に話を通したが、こいつと」
男は伸びている少年の襟首を猫を扱うかのように掴んで持ち上げる。
少年はだらり、とぶら下がったまま反応がない。
「それとコレをウィスタリアの姫の手駒に差し出そう」
男に
クロフォードは黒髪の少年を見た後に男の手にだらしなくぶら下げられた少年を見て眉間に皺を寄せる。
「言いたい事はよくわかる」
男は軽く息を吐いた。
クロフォードの眉尻が僅かに上がる。
「どちらも『ヴァーミリオン』の後継に相応しい、特にコレは、正直手放し難い」
性根に難はあるが、と金色の少年を片手に苦笑を漏らす。
「つまりは、
「その通りだ」
しばし男と見つめ合った後、クロフォードは諦めを含んだ溜息を吐いた。
「それで、此度は許していただけるか」
「誠心誠意、全力で礼を尽くせ、との事でした。きっちり息の根を止めたいところですが、それは主の意向とはまた違ったものでしょうから」
「感謝する」
「それと旦那様よりの書状でございます」
クロフォードから差し出された手紙を受け取り、ざっと目を通した男の眉尻が僅かに上がり、次いで目元を押さえた。
相変わらずの目に優しくない
「『今回|迄(・)は勘弁してやる。但し、三度目はないと思え』との事です」
大陸最強の暗殺者相手に随分なものの言いようである。が、それを成す力がウィスタリアにはある。
「因みに三度目には当家の家宰が
クロフォードの言葉に溜息が漏れた。
「
「はい。
「……」
「……」
その場に沈黙が訪れた。
「わかった」
「用向きは以上でございます。お嬢様との顔合わせは後日、追って連絡致します。それまでに」
スッとクロフォードの目が冷たさを増した。
「そこの糞猫をお嬢様に失礼の無いよう、しっかり躾け直しておいて下さい」
「……努力は、しよう……」
クロフォードは優雅な礼を残して去って行った。
✴︎
「親父殿」
「何だ」
遠く消えゆく執事の背を見送りながら「二番目」がぽつりと呟いた。
「無理だろう」
「…………」
何を、とは言わないし何が、とは男も聞かない。
両者の間ではそれだけで十分だった。
「戻るぞ」
『ヴァーミリオン』は敢えて返答を避けた。
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