第45話 とある暗殺者の後継問題

男はテーブルに肘を付き、組んだ手に額を乗せ、深々とため息を付いた。


(厄介な……)



俯き、閉じた瞼を押し上げれば、紅い瞳に疲れの色が滲む。


常の彼を知る者が見れば、我が目を疑うだろう。


「まあ、そう落ち込むなよ!オヤジ!」


からりとした声と共に背中を叩かれ、男は眉間に皺を一つ刻んだ。


「誰のせいだと思っている」


睨んだ先は金の癖毛に緑の瞳をキラキラ輝かせた「一番目」の養い子。

いつになく生き生きした様に僅かな苛立ちを感じる。


「指名を受けて来いと言った筈だが」


きょとり、と「一番目」は目を瞬かせる。


「受けたじゃん、指名」


ほれ、と出された腕に燐光が覚えのある紋を刻む。


それを認めた男の眉間にぐっと二つ目の皺が寄る。


契約精霊それに関しては返して貰ってこいとは言ったが、自分のものにしてこいと言った覚えはない」

「俺のモノじゃねえよ、契約精霊コイツは姫さんのモノだ」


「一番目」がにいっと笑う。


「ま、こうなっちゃ返しようもないよな、モチロン、この俺も」


その色はより深き青であり、より強き青である「深青」。

そこに光の加減でわずかに見える金の燐光が誰のものかは明らかだ。

男の眉間の皺が深さを増した。


「…………」


「2番目」の紋は「無色」だった。

無意味な羅列を思わせるその紋は一見すれば、不相応な精霊との契約に失敗した半端者にしか見えない。


精霊が相手を認めれば、精霊紋は相手の「色」に染まる。


「2番目」の紋から読み取れたのは、意志に従った精霊が拒まれ、「ウィスタリア」に染まる事を小さな姫が許さなかった。それは一方的なもので互いを必要とする契約とは成りえない。

故に無色であり、精霊達はただ、紋を刻むだけで沈黙するしかなかった。


だからこそ、取り戻す事もできる。「二番目」が精霊に認められるのはあくまでも「器」としてであり、契約が可能かはまた別の話だ。


だが、「一番目」の精霊紋(それ)は|ウィスタリア(リザレット)との契約を完了上でそれに抵触しない形の何某かの「契約」が「一番目」との間結ばれている。


それは即ち、他者が最も介入しづらい、厄介なものだ。

契約精霊をよく知る彼ですら、いや、だからこそおいそれと手が出せるものではない。


(手向けに「二番目(アレ)」に契約精霊をくれてやったのはある意味正解だったか……)


男は眉間を指で揉んだ。


(姫に引き渡す前に「2番目アレ」には契約精霊の扱いを…。いや、ならばもう少しか…。まあ、大丈夫だろう)


「2番目」への更なるが決定した瞬間だった。





ウィスタリアの姫に関する依頼は養い子の2人がいい塩梅に熟してきたのを機に後継者について、真剣に考えだした頃である。

とある取るに足らない貴族が寄越した、赤子を攫うという一見すれば取るに足らないものだった。だが、ウィスタリアの赤子という点に興味を惹かれ、引き受けた。

結果、予想外のしっぺ返しをくらったが。


彼自身、この事態を面白いと感じる部分もあった。


翌日、「二番目」が興味を持ったので嗾(けしか)けた。ウィスタリアに目を付けられる可能性は考えたが、まさかその姫にを付けられて帰ってくるとは思わなかった。


だが、まだこの事態を楽しむ余裕はあった。

なぜなら、手元には「一番目」が残っている。幸い契約精霊は無色であったし、「2番目」自身もやわな育て方もしていない。のに問題はなかったが、「二番目」が器としての力を満たせば、よりそれは容易くなる。元々後継の候補としていた片割れだ。名を継ぐ事がなくとも、何かの拍子に何らかの精霊と契約を結ぶ機会もあるやもしれぬと思い立ち、契約精霊はそのままに、「二番目」を仕込み直す事にした。


そして問題の「一番目」である。

ウィスタリアの姫に興味を持ち、「気に入った」と口にした時点で半分以上諦めた。


それでも男の名を継ぐに値するのは現時点で「一番目」か「二番目」しかいなかった。


「一番目」と競わせた養い子は這々の体で帰ってきた。

姫とまみえる前に自由な精霊達エルブズに追い返されたらしい。


その養い子は男の仕込みに耐えはしたが、それ以上の伸び代は望めなかったので、相応の対価と引き換えに後継を欲しがる暗殺者(しりあい)に譲ってやった。



「当分は誰にも名は渡せんか……」


男はポツリと呟いた。


彼の「名」が誰かの下に付いたとなれば、表(・)も裏(・)も平静ではいられないだろう。

しかも、かの「ウィスタリア」の下についたとなれば、尚更だ。


「んな邪魔なのイラネーに決まってんじゃん」


「お前はという奴は……」


知っていた。

勿論知っていた。

この少年の自由さは今更である。


もう一層の事、自分の代で、この「名」を潰えさせてもいいだろうか。


それもいいかもしれない。


一旦、引退に傾いてしまった男の心は止まらなかった。


そんな時である。


コン、コン、


部屋にノックの音が響いた。



男は溜息をあえて飲み込み、「一番目」を目で促す。


『えっ!?いいの?』


と餌を前にした猫のように緑の瞳を煌めかせる少年と、敢えて目を合わせず指で『いけ』と合図する。


「はいはーい!何の用?」


「主人の遣いで参りました。こちらに『ヴァーミリオン』という秘蔵の酒があると伺いました」


品の良い、穏やかな声に「一番目」は更に目を細める。


男は軽く顎をしゃくった。


緑の瞳が細まり、口角がつり上がる。


「ああ、もちろんとも、入って来てくれるかな」


その表情とは裏腹な、何の気なしに放たれた言葉。


「そうですか、


ぎぃ


扉が開いた先には、右手に酒瓶を持った仕立ての良い執事服に身を包んだ青年が立っていた。


「兄さん、酒を仕入れに来たんじゃないのかい?」

「ええ、もちろん。そして我が家の主からの言伝です」


黒い髪の隙間から、怜悧な紫水晶(アメジスト)の瞳がキラリと物騒な光を放つ。


「『ウチのも負けていない』と」


胸に手を当て、流麗な所作で挨拶し、クロフォードはニッコリと笑った。


「ウチのお嬢様の寝込みを襲った糞野郎にお礼をしに参りました」




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