第6話 父と娘と
・
「旦那様」
「どうした、クロード」
とある昼下がり。
執務室で目を通していた書類から顔を上げれば、慇懃な態度を崩さず執事のクロードが腰を折る。
「例の件、
「そうか」
書類を処理済みの束の上に載せ、立ち上がる。
「では行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
クロードは何も聞かずに腰を折った。
*
かちゃり
扉を開ける音がいやに耳に響くのは、この部屋の主がいないからだろう。
クロードを通して妻をライラに連れ出して貰い、その隙にこの部屋に足を運ぶ。
こうでもしなければ、妻は中々娘に会わせてはくれない。
まあ、しでかした失敗が失敗なだけにこちらも強くは出られないのだが…。
ライラも妻の側の人間ではあるものの、両親が子育てに積極的なのは良い事だと、この件には協力的だ。
赤ん坊の生態や抱き方を教わるにつけ、自分が如何にアバウトであったか、先妻の育て方などを思い出すにつけ、全く正反対であったのだと思い知らされる。
まあ、息子に関してはその分丈夫に育ってくれたので結果オーライだ。
今は息子よりも可愛い娘の事だ。
「あうぅ」
娘の声に我に返りそっとベッドを覗き込めば、バッチリ目が合う。
私よりもやや色が薄い青い髪。
目元はぱっちりしているが気の強そうな顔の造作はシーネにそっくりだ。その瞳の色は私と同じだが色味の濃い青。
娘の愛らしさとパタパタと手足を動かす
思い出すのは庭での出来事。
何もしないと両手を広げ、妻の警戒を和らげたのは良かったが、逆に娘に全力で拒否されたあの時。
今はこちらを見ても恐がる事はなくなったが、やはり泣かれるのは怖い。
私はこの館の女達のようにこの子を泣き止ませる
そうして結局はいつものように娘を眺めていると、
娘は目を逸らし、溜息をついた。
その大人のような反応に一瞬思考が凍りついた。
生まれて4
その程度の赤ん坊だ…。
今のは偶々そういう風に見えただけだ。
そう思った。
が、
可愛い娘に…。
呆 れ ら れ た
だが、その認識は心に重い衝撃を与えた。
将来、愛らしく育った娘に「お父様なんて大嫌い!」なんて言われた日には間違いなく死ねる。
かつて、息子には一度たりともかけらも味わった事のない重い衝撃だった。
思考の海に沈みそうになった私を現実に引き戻したのは小さな娘の予備動作。
身体を捻ったその態勢と、妻と二人で聞かされたライラの言葉が蘇る。
まずい!
「り、リズ!?」
「あうぶ」
咄嗟に手が動いたが、それを躊躇が阻む。
ゴロン
時すでに遅く、娘はうつ伏せ状態で転がっていた。
頭が重いのか、ぷるぷると不安定ながらも顔をあげている。
よし!
この調子なら…
ぽふり
「!?」
ベッドに顔から沈み、私の中で戦慄が走る。
「らららライラ!い、いや、シーネか!?」
落ち着け自分。
そう思いながらも冷静に動けない自分がいた。
「シーネ!ライラ!」
二人を外に出すように誘導した自分の行動が悔やまれる。
彼女とて
正面から地面に這いつくばって懇願すれば、頬に触れるくらいはさせてくれたかもしれない。
「あぅ…」
くぐもった声に振り向けば、触れば潰れそうな小さな背中があった。
確かライラはあの時、腹に手を入れてひっくり返していたのではなかったか?
しかし、あれはライラだからこそできた事で、私が同じ事をやって果たして娘を無事に仰向けにする事ができるのだろうか。
そんな考えに囚われている間も、娘が必死にもがいていた。
それがふいに
止まった。
「りりりりリザレット!?」
手加減や躊躇などという言葉は一瞬にして吹っ飛んだ。
慌てて抱き上げてみれば頭をフラフラさせながらも無事な娘の姿にホッとする。
そして我に返り、散々人形相手に練習して、ライラに言われてきた通りに娘を抱き直す。
「し、慎重に…て、丁寧に…」
娘はじっとこちらの様子を伺いながらおとなしくしている。
泣き出す素振りのない事にそのままでいてくれと、心の中で祈りながら小さな存在を腕の中に収めた。
娘の顔を伺うが、泣き出す気配はない。
そろり、と息を吐いた途端、娘の眉間に
「おぶ!」
抗議じみた声を娘があげる。
「な、何か不満かい?」
「うあ!」
肯定の意を返してきた娘に私は弱り果てた。
娘の顔は益々不機嫌に歪んでいく。
「リズ?」
ヤバイ
「あい!」
頭の奥で警鐘が鳴る。
「わうぅ!!」
何かを訴える娘。小さな顔がみるみる赤く染まっていく。
この意を汲まなければ、間違いなく娘は泣く。
どうすればいい!?
その時になってやっと私はとあるものに気がついた。
扉の影から応援している様子のクロードをはじめとする
お 前 ら 仕 事 し ろ
ツッコミたいが、今はそれどころではない。
メイドの一人が口を開く。
え が お
だと?
メイドがコクコクと頷く。
試しに娘に向かって笑ってみる。
娘は私をじっと見つめる。
歪んだ顔が不満げなそれに変わり、不承不承といったものになる。
「あぶ…」
満足とまではいかないまでも、どうやら合格点はもらえたらしい。
背後で親指を立てているクロードの査定を脳裏に書き留めながら、私は今度こそ心から安堵した。
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