第3話 すれちがい


私は光の中にいた。


心地よい温もりに包まれて。


微睡みと覚醒を繰り返す。


優しい声がする。


なんだっけ…


私は何をしようと思っていたのだろう。


優しい声を聞くたびに何かを思い出そうとするのだが、思い出せない。


口を開けてみる


「ああう」


声はでる。


けれど、目の前の綺麗な人の心地よい声とは違う。


「あう」


声を出せば、やや、釣り上がり気味の目元が緩み優しい表情になる。


「なあに?リズ」


リズ。


それが私の今の名前だ。


本当はもっと長ったらしい名前のはずだ。

けれど私のおつむでは覚えきれない。


この身体は産まれたてで、たくさんの休息を必要とする。


多くを考えようすれば考えの9割は取りこぼす。

取りこぼしたものを拾おうとすれば、拾い終える前に疲れて眠ってしまう。


だから起きている時はなるべく一つの事に集中せねばならない。


というのはあくまでも「私」の考えであって、赤子の本能は周囲の情報を取り込み学習する事に全力を注いでいる。


赤子は本能のかたまりと言ったのは誰だったのか、今となっては思い出せないが、まったくその通りだ。


お腹が空けば泣いて呼ぶ。

シモが不快であれば泣いて呼ぶ。

赤子と言えば夜泣きではあるが、どれだけ周囲に迷惑をかけまいと頑張ったところで本能に勝てる筈もなく、意味もなく襲いくる不安や空腹に泣く事しかできない。


申し訳ない事この上ない。


因みに風呂やシモの世話に関しては「羞恥」という感情が発達していない為かそういったものは全く感じない。


今はただ、生きるための本能に任せる以外は何もできない。


「あら、急に黙り込んでしまって、どうしたの?」


「あう」


何でもない、と意思を込めて返答すれば、「なんでもないの?」と問い返してくる。


「あう」


再び返事を返せば、私を抱き上げた美しい人はふわりと笑う。


意思の疎通がほぼ成り立っているのは母である彼女と、もう一人、いつも母の側に居るライラという年配の恰幅のいい女性だけだ。


母と違って表情は豊かとは言えないが、何故かこちらの言わんとする事を母よりも的確に察してくれる。


それが不思議で仕方ない。


そんな事をぼんやり考えていると突然、がさりと繁みが揺れ、男が姿を現した。


「ああ、こんな所にいたのか」


濃い青い髪に青い瞳。

欧州系の彫りの深い顔立ちはイケメンの部類に入るだろう。

因みに母はプラチナブロンドに瞳の色は緑色だ。


男と目が合った途端に優しい母の顔が引き締まり、瞳に剣が宿る。

それに構わず男は母の腕の中の私に目を留めると大きく両腕を広げた。


「シーネ、リズ」


男の声と仕草に母の私を抱く腕の力が強くなる。それがさらに私の不安を煽り、反射的に身体が強張った。


相手はおそらく無抵抗である事を示すように腕を広げたのだろうが、私の本能はそれを「威嚇」と受け取った。


母とは違った大きな太い手がこちらに伸ばされる。


脳裏に蘇るのは赤子の抱き方すらままならないのも気にも留めず、首の据わってない私を「高い高い」などと振り回してくれた、とある場面。



すまんな、よ。



無理だ!



私は心の中で断言すると同時に、本能に任せて大声で泣き叫んだ。





ぎゃああああああぁぁぁぁ!!!



ぎゃんぎゃんと泣き出した娘に、男は慌てて手を引っ込めた。


妻のシーネは娘をかばいながら、当然だと言わんばかりの目で夫たる男を睨む。


まだ首の据わらない娘に「高い高い」をした瞬間に真っ青な顔でシーネにひったくられ、ライラに尻を蹴飛ばされたのは、まだ男の記憶に新しい。


ライラにはいかに赤子が弱い生き物かを懇々と説教をされ、赤子の抱き方を伝授された。


息子が産まれたばかりの頃に同じ事をやった記憶はあるが、先の妻もニコニコ笑って眺めていたものだが、やはり赤子でも男と女では勝手がかなり違うらしいと男は納得したものだ。


今回は大いにした反省を生かし、ライラにも赤子の抱き方を教わり再戦に臨んだのだが、臨むまでもなくあえなく敗北を喫した。


「リズ・・・」


折れた心に鞭打って、怖がらせないようにと細心の注意を払ってそっと手を伸ばせば、


うぎゃあああああぁぁぁぁ!!!


更に泣かれ、男は完膚なきまで心を折られたのだった。









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