第39話 とある暗殺者の事情
「いや〜、ケッサクケッサク!!」
何の前触れもなく突然扉が開き、柔らかな金髪の少年は帰って来るなり、緑の猫のような目に涙を浮かべ、静かに座る男の向かいの席に着くなり、目の前で腹を抱えて笑いだした。
少年の上機嫌に『仕事』の首尾を聞くまでもない事を知りつつも、その奇行に一切触れず、壮年に差し掛かかる手前であろう男は「首尾」を確認するべく少年に赤い目を向ければ、少年の緑の瞳がニンマリと細くなる。
それだけで結果は十分だった。
*
ある日、一通の手紙が男の元に届けられた。それはウィスタリア当主からの依頼と言う名の取り立てだった。何処から、どのように掴んだ情報か、とは愚問だろう。何せあの、ウィスタリアだ。
ウィスタリア家当主の噂はいくらでも出てくるが、その実態を掴ませるような男ではない。
曰く、
『ウチの可愛い娘に手を出したツケは払え』
たったそれだけの為に依頼書1枚に目の痛くなるほど小さな字でびっしりと綴られた
相手を黙らせるに足る材料もあるにはあったが、それこそ『ウィスタリア』の不興を買うのは賢い選択とは言えない。買えない訳ではないが、後々面倒が付いて回るので御免である。それこそ暴利だ。
結果、タダ働きではあったが、内容は件の姫の短期間の護衛である。そう難しいものでもないので適当に誰かを遣れば良いと考えていた矢先に「1番目」たる少年が食いついてきた。
件の姫を見たいと。
そしてその結果がこれである。
「あのチビ超イイ!!」
大変良い笑顔で親指を立てる「1番目」の台詞に男の目元が僅かに動いた。
「何があった」
こちらを窺う猫を思わせる緑の瞳が細められ、口がにぃっと弧を描く。
「『虎』のガキを追い回した挙句、勝っちまいやがんの」
「……」
男の眉が困惑に寄った。
「『虎』とは、あの『クラン』の?」
少年が頷けば、男の顔には今度こそはっきりと困惑の色が浮かび、少年はそれをますます面白そうに眺める。
「虎のガキ見つけた瞬間に逃げるどころか突っ込んで行った時にはさすがの俺も驚いたケドさ、虎も虎で面喰らって、逃げ出そうとした所をあのチビッコ、尻尾ひっ掴んでさ、しゃぶっちまいやんの」
「……虎の尾をか?」
それは、別の意味で危険ではないだろうか。そう思った矢先、
「医者も呼んだっぽいから大丈夫じゃねぇの?」
師の意を汲んだ「1番目」はケロリと答える。
ならば問題ないだろうと無理やり自分を納得させる。護衛と監視を引き受ける上であちらに挙げた条件を脳内で反芻する。どこまでが範囲内でどこからが範囲外だったかの書面を思い出し、一言一句確認する。敵に回せばただでさえ厄介なウィスタリアだが、こと、娘が絡むと当主は常軌を逸した行動を起こす。髪と瞳に家名である
「なあ、オヤジ」
「何だ」
少年の猫なで声に男の勘が嫌な方向に働く。
「もう一人は決まってんの?」
やはりか
その問の先の言わんとする事を察した男の答えは簡潔だった。
「お前は駄目だ」
「何でさ」
「『2番目』を抑えられたからだ。お前を手放す気はない」
気まぐれに拾い育てた子らの内、後継にと考えたのは2人だけだった。
どちらも己の名を継がせるに足る人材であった。
内、一人はウィスタリアの姫に見出された。契約精霊は「2番目」に引き続き預けると決めた。使いこなせるようであれば、そのまま譲渡しても良い。
旧くから引き継ぎ続けた契約精霊であることを考えれば多少痛いが、半数は未だ彼と共にあり、もう一人と引き換えに残りの精霊の返還が済むならば手持ちの精霊は3/4。
目の前の少年の実力をもってすれば足りない事に問題はない。
それに足りない分は補えば良い。
「1番目」にはそれだけの素養と実力がある。
「そのもう一人って、ドレよ?」
「何故そんな事を聞く」
「納得できる相手なら引くって言ってんの」
いけしゃあしゃあと言う少年の物騒な目の色に男は赤い目を眇める。
彼の拾い子の中で「1番目」を納得させるだけの実力者など居ない。彼の基準に照らし合わせれば「2番目」で妥協がいいところだ。
「ウィスタリアは中枢から退いた。あの片田舎で余生を送る気だ。お前が面白がる事は何もない」
この少年の好むモノは「波乱」と「厄介事」であり、最も厭う処は「退屈」だ。
「何が面白いかを決めるのは俺だぜ、オヤジ」
少年の瞳は揺るがない。
「それに、あのウィスタリアだぜ?周りが放っておくかよ」
反論の余地もなかった。
男はそっと息を吐く。
「今しばらく待て」
「何でさ?」
「もう一人を仕上げるまでだ。その上でお前ら二人を向かわせる。
選ぶのはウィスタリアの姫だ。」
「ふうん」
猫のような瞳が愉快気な光を宿す。
「面白ぇ」
少年は立ち上がった。
「抜け駆けはナシだぜ」
首を巡らせにぃっと嗤う少年に男は今度こそ深いため息を吐いた。
「一番抜け駆けしそうなお前が何を言う」
と。
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