第17話 小さな来訪者2



「て!」


そう叫んだ赤ん坊の声に、素早く周囲の気配を探るが、誰かがこの部屋に近づく気配はない。


今は深夜。


けれど、夜回りの使用人はいる筈なのだ。


最初に突然赤ん坊があげた声もそれなりに大きかった。

顔を合わせていきなり泣くどころか、喧嘩を売るかのような第一声には驚いた。

それでも人が動く気配すらなかった。


本当にわくだな…。


もはや、呆れるしかない。


誰もこの部屋に向かってくる気配がない事を確認し、


「て?」


と、問い返せば、


「いぇ!」


と、微妙に否定っぽい返事が返ってきた。


どっちだ。


その二つの音が同じ意味を持って発せられたのか、違ったものかどうかの判断がつかない。


本当に意味がわからない。


この小さな生き物は俺が見る限り、他のそれらと大差ない。

言葉を喋れる訳でもないらしいというのは今のこれで判明した。


では、どうやってこの赤ん坊と師の間で意思の疎通がはかれたかと言う疑問に当たる訳だが、程なく



あのおやじならやれる。



という答えに行き着いた。


常日頃より一流を自負する我が師オヤジどのだが、一流を自負するだけあって、多々、非常識さを発揮する。


いわく、「一流ともなれば常識」との事だが、一流と呼ばれる者に師の言うところの「常識」について尋ねると、もれなく子供の無知を憐れむような、何とも言えない視線だけが返ってくる。

それだけで、あのクソオヤ…もとい、師の非常識さの度合いが測れるというものだ。



赤ん坊に意識を戻せば、俺の手に向かって必死に小さな手を伸ばしてくる。


生まれてこの方、赤ん坊に接する機会は幾度いくどかあったが、怯えるか泣くばかりで、これほど真っ直ぐに自分を見据え、懐っこくされた覚えは一度もない。


青い小さな生き物は、俺に怯えるどころか、果敢に手を伸ばしてくる。


心の奥底に、感じた事のない痒みを覚える。


赤ん坊は怯え、泣くものという認識から外れたその反応に、どう返すべきか思案する。


赤ん坊の求めるものが俺の手である事は明らかで、ならばと思い、そっと手を出してみる。


空回りしていた小さな手が俺の指を掴んだ。


弱く、柔らかいその外面に反して、指を握るその力強さに驚いた。


そして俺の指を掴んだ赤ん坊は俺に向かってへらり、と笑った。


鼓動が跳ねた。


咄嗟に手を引きかけて躊躇した。


小さなその手は俺の指に吸い付いたように離れない。

けれど、生まれて初めて、まともに接した赤ん坊は予想以上に柔らかく脆い。


下手に強く手を引いて、この小さな腕が簡単に外れそうで恐い。


暗殺者たる師に拾われてから5年、両手に余る程度には人間ひとの命を奪ってきた。

女子供、大の大人が相手であろうと命を絶つのに躊躇ためらいはない。赤ん坊とて同様だ。


今まで奪ってきたそれらと、この指を握る赤ん坊は同じ人間ものであるにも関わらず、俺はこの小さな身体が壊れる事に躊躇した。


「だ〜うっ」


赤ん坊が楽しげに声をあげた。


「!」


その瞬間の事だった。


赤ん坊の握った俺の指に覚えはあるが、俺のものではない力が流れこんでくる。

流れこんできた力は俺の体内を一度ひとたび巡り、赤ん坊の握った指先に再び集う。


赤ん坊に流れるかと思われたその力は、握られた俺の指を中心に紋を展開する。


​セイレイの数だけ刻まれるその紋は指の一本から発し、二の腕に広がり、肩口までを侵食し、一際大きく発光すると、俺の身体に定着した。


「ぷふ〜」


赤ん坊の満足げな声を聞きながら、俺は呆然とする。


今、俺に刻まれた紋は紛れもなく師から解放された契約精霊による精霊紋だ。


力の履行に必要な精霊との契約に際して刻まれるその紋は、大別するべき特徴はあれど、同じものは一つとしてない。


見覚えのあり過ぎるその紋を、俺は信じられない思いで凝視する。


それは本来であれば、然るべき手順を踏んだ上で師より受け継ぐべきものの筈だった。


精霊紋とは、即ち精霊との契約の証であり、精霊が契約者・・・に刻むべきものだ。

師の契約精霊もその契約を「引継ぐ」事で精霊を譲り受ける筈だった。


だが、今この時、


赤ん坊と・・・・精霊の契約によって・・・・・・・・・に証が刻まれた・・・・・・・


その意味するところに行き着き、愕然とした。


腕に刻まれた紋を自然と目が追った。


たった今、俺は契約・・によって、この赤ん坊に縛られたのだ。

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