第15話 とある暗殺者の話



耄碌もうろくしたか親父殿」


それが俺の第一声だった。


ヒュカッ


飛んだナイフが俺の背後の壁に刺さった。

思いっきり眉間を狙ってきやがった。


今回の仕事は難易度で言えば、底辺。


国の中心から追い落とされ、閑職に飛ばされた、名前ばかりの辺境伯の下に生まれた赤子を攫ってくる事。


人もまばらな田園風景しか見るものもないそののどかな土地では、雇う金はあっても雇える人間がいない有様だ。


警備などザルを通り越してワク。そこいらのチンピラでも楽にこなせる仕事だろうに。


依頼人も何を血迷ってを頼ってきたのか真意を測りかねた。


普通なら絶対に回って来ないそれの何が気に入ったのか、我が養父殿クソオヤジはさも可笑しげに笑い、あっさりと引き受けたのだ。


訝しむ俺と、興味深々の兄弟子を残して我らが師オヤジどのは夜の闇に消えた。


そして夜明けに戻ってきた親父殿は随分とになって帰ってきた。


この裏の世界で自他共に超一流と認める暗殺者・・・たる男が契約精霊の半分を奪われるという、俄(にわ)かには信じ難い失態と共に。


一体どういう事かと問いただせば、「生まれて口もきけない赤ん坊に奪われた」と楽しげに語り、鋭い赤眼しゃくがんが俺たちを一瞥する。


「多少の時間はかかるが、返して貰う算段はつけてきた」


とのうのうと言ってのける。


兄弟子は腹を抱えて笑い、俺は頭を抱えて唸った。




耄碌でないならば、正気を疑う。




「ならば、確かめてくるがいい」


シッシ、と猫か何かを払うように手を振り俺は追い出された。


何か、師に担がれているような、うまく乗せられているような奇妙な気持ち悪さを内に抱えるも、結局は自分の目で確かめるしかないのだと結論付けた。


面白くはないが、今は乗せられてやろうと思い、くだんの地へと足を向けた。


闇に紛れ、人に紛れ、陰に紛れる。

どのような時にも己の存在を悟らせないよう細心の注意を払うよう教えられ、徹底的に仕込まれ、今ではそれが当たり前の事となった。


俺の存在に気づけるのは師や兄弟子を含めた手練れと呼ばれる者達のみ。


二流や三流かくした相手に悟られるようなヘマをやらかした事など一度もない。


俺は件の屋敷の奥庭で、赤ん坊を抱いた女を見つけた。

木の陰に紛れ、そっと様子を伺う。


この場に不似合いな豪奢な金髪の美しい女。その腕の中で微睡む青い髪の赤ん坊。


師のことばが真実なら、師と精霊の契約を破棄したのはあの赤ん坊という事になる。


寝床の準備が整うまでと、女が赤ん坊を抱いたまま、俺の潜む木の下に移動したその途端の事だった。


母親だろう女の腕の中で降りかけた瞼が突然上がり、真っ直ぐに俺の目を見た。


何もかも見透かすような、澄んだ青い瞳は俺から決して離そうとしない。


「どうしたの、リズ?」


「あい!」


女がつられるようにこちらを見上げるが、その目は俺を見ているようで見ていない。


阻害の力は働いている。

それは見上げる女の眼を見れば明らかだ。


だが、女の目と赤ん坊の目は俺の居る場所を共に見ているにも関わらず、明らかに違う。


その事実が、より鮮明に赤ん坊の存在を浮き立たせていた。


使用人の声を合図に部屋の中に姿を消したのを確認した途端、急速に時間が廻りだすように俺の心臓が早鐘を打つ。


柄にもなく、紛れる事すら念頭から消えていた。


それは今までに経験した事のない驚きだった。


『は…っ』


吐いた息の震えに自然と笑いが漏れた。





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