エピローグ

蠱毒の壺

 

「女、犯ス。オ前、犯ス、喰ウ。

 犯シテ、犯シナガラ喰ウ」


 黒鬼あなたは重い青銅の扉を片腕で押し開け、人の背丈の3倍あるかまちにも頭を屈めて通り抜けると、臓物を垂らした白鬼あなたの屍体を私の前に投げ出す。

 あなたは私の朱い唇があでやかな嘲りの笑みを作るのをみる。私が最奥の間の扉を閉ざして出て来ないようになってからも、ずっと視つづけていたのをあなたはしらないでしょう。

 あなたは私を視姦る。私はあなたの心を覗いている。

 私は蜘蛛糸を架けて編んだ、膝くらいの高さのしとねから身を起こし、片手を突いて横座りしている。纏った黒髪が裸身を流れ落ちて石の床に拡がっている。日に晒されない肌は以前よりもさらに白く透き徹ってみえるかな。


 > 「喪蝶」


 床に拡がる黒髪から烏羽玉の闇の色をした蝶が無数に舞い上がり、肺腑を蝕み体を腐れ爛れさす鱗粉を撒き散らす。あなたの放つ瘴気が膨れ上がり、病葉わくらばのように消しとばした。


 > 「葬炎」


 黒い炎が鞭となって襲っても炎に包まれはしない。


 > 「影糸」


 細くてみえない糸の刃があなたを切り裂こうとするが触れても弾かれる。


 > 「死蔵」


 足下にある影が底なし沼のようになり、粘つく闇が蠢く触手で絡み取ろうとするけれど、あなたがそれに呑まれることはない。


「俺ニ、ソンナモノハ効カナイ。白鬼シロノ魔法ニ甚振イタブラレ、暗イ迷宮ヲ虫ノヨウニ這イズリ、毒虫ヲ喰ライナガラ生キノビ、ヌシヲ殺シテ俺ハ強クナッタノダ。モウ、闇モ、毒モ、虫モ、俺ニハ通ジナイ」


 あなたに掴まれ、私はあえかに抗う。巨躯がのしかかり、体を圧しひらかれた。

 ありとあらゆる穴を犯され、私は苦痛の悲鳴をあげる。それは残酷な蹂躙の喘ぎから、弱々しいすすり泣きへ変わっていく。

 余りの大きさに堪えられず、顎のつがいが壊れる。下腹部を尻も裂けて臓腑がはみ出し、何もかもぐちゃぐちゃに混じり合う。


「女、オ前ハ、幸セカ。俺ハ、コノウエナク、幸セダゾ。

 コウシテ、生キタ、オ前ヲ、犯スコトガデキルノダ。

 犯サヌウチ、死ナセタコトヲ、ドレホド悔ヤンダカ」


 > 「妖蛆孵化」


 私の臓物を爪で掻き出してみなぎったそれへ擦り付けていた動きが止まる。絡まったようなうめきが口から洩れ、腸詰めほどもある蛆虫がぼろぼろとこぼれた。

 あなたは膝を屈し、何度も吐瀉する。黒い皮膚がぼこぼこと盛り上がり、それを食い破っておびただしい蛆虫が頭を出す。床にくずおれながら見上げた私の下半身は巨大な蝿に変わっている。


「人ではない私の形態すがたをみるのは初めてかしら? びっしりと体に卵を生みつけていたのよ。私を犯したときに孵化するよう条件付けてね」

 背には四枚の透明な薄羽根を生やし、頭部はティアラのように複眼を頂く。腕や胸は刺のような毛の生えた黒い外殻に覆われた。


「……エンジュ!」


「そう――封じていた記憶が甦ったのね、阿僧祇あそうぎ。なにもかもみんなあなたのせい、あなたのせいで私はこんな化け物になったのよ」


 > 「混沌変成」


 蛆の腹を突き破って虫脚が出る。脱皮するように蜘蛛が這い出る。私の肢体も蜘蛛に変異する。

 百足となり、蛇体となり、蝙蝠の飛膜を拡げる。陰部が赤い眼球となって目蓋を開く。


 私の身体が水のように透明になっていき、衣裳ドレスの裾のように水母の傘が拡がる。裾をめくれさせて触手があなたへ迫る。


「すぐには死なせないわ。喰らわれながら再生しなさい。

 侵しながら溶かしながら、ゆっくりとゆっくりと喰らってく」


 私はあなたの眼に怯えをみる、おさまらぬ飢えをみる。


「私は幸せよ、このうえなく。あなたに復讐しつづけられるから。

 たとえ何度でも生まれ変わらせ、何度でも殺しつづけてあげる。


 ――ねえ、応えてよ。もう、いってしまったの?」


 池の真ん中にぽっかりと浮かんだ蓮の花のような寂寥感があった。

 何度も、こんなことを繰り返さなければならないのだろうか。

 いいえ、これは私自身が望んだことの筈じゃなかったろうか。

 あなたの子であるあなたを胎内おなかに宿しながら、私の心は空疎なままだった。


  だから、気づかされたのだった。



 私の胸に、ちくりと刺さる茨の刺のような違和感があった。

 探りあてたのは、或る物語で少年の眼の中に入って彼の心を氷らせた、ものごとを歪めてみせる鏡の欠片のようなものだった。

 それは感染する狂気。あなたの欲望を操り、私の運命を歪めた疫病のような呪いだ。


 私は因果の糸を辿りつづけていき、その元凶らしきものを見付けだす。





 木馬やら人形やら、そこは玩具箱をひっくり返したような部屋だった。

 硝子のテーブルの上には囓りかけの林檎がある。その片側はまっ白で、片側は刺殺された鳩の心臓の血のように赤い。

 彼であり彼女である者は大きな鏡の前に座っている。進化の道化にして技芸と戯れの神マリオン・ギードゥ、少年のようにも少女のようにもみえる両性具有者だ。

 それは彫刻のされた椅子に腰掛け、髪を結わえた飾り紐を解いている。流れ落ちる金と銀の髪は床についていた。綺麗な櫛で梳ってはいるが、絡まる巻毛が苛立たしげた。

 子供っぽく気まぐれな神ゆえに、私をこの世界に堕として忘れ去り、ずっと放置したままなのだろう。


 ――だから、私がこんな怪物になってるのに気づきかないでる。


 次元転移、空間そのものが変質する。罠が口を開き、そして閉じた。

 ぐにゃりと部屋が歪み、粘体のようになる。垂れて落ちかかり、包みこんで蠕動する。

 絡みつく粘液が藻掻きさえ抑え込み、口や鼻、耳や眼窩、尻穴や陰部から容赦なく入り込む。


「なにこれ? やめて、私の中に入っちゃいや。

 僕が溶ける。溶けてくよ。助けて、助けて。

 お願い、食べないで。私を食べないでちょうだい。

 ああ、取り込まれてく。僕/私が消え……」


 それは足掻きながらゆっくりと呑み込まれ、私の中で解体されていった。



> そは神喰い、混沌より生まれし蠱毒である闇の女神エンジュ・ギードゥ。

> 神々にも抗えぬ運命により、すべての世界を滅ぼす災厄をもたらす神魔。



 私の時は止まり、永遠となった。



 あなたの欲望のいきつく果てが虚無だったように、私の憎悪と復讐のいきつく果ても虚無だった。

 結局、私とあなたとは似たもの同士だったのだろうか。


 私は壊れた心のまま、狂気をエンドレスリピートさせるだけ。



 怨呪。私の運命への怨みが私の運命を歪めた呪いを作り出す。

 それは増殖し拡散する。時空を越えすべてを蝕む疫病の如く。


 私は壊れた心のまま、狂気をエンドレスリピートさせるだけ。



 私は神喰い、闇の女神――。

 悪夢の終わるのを夢見ながら、すべての世界の壊れて消える時まで、同じ繰り返し繰り返す機械人形。







 Endless repeat

 Endless repeat

 ………………

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