第19話 私に名探偵?
その財界の重鎮からしてみれば、福島亘は若手経営者の一人にすぎないはずだ。それでも、ビジネス面でいくつか提携できる可能性が大きく、福島は期待して会長室に向かった。
会長は気さくな感じで、応接セットに案内してくれた。相当な苦労人のはずだが、歳の割りに若く見えるのは、根が明るいからだろう。
「いや本当にお若い。その若さであれだけの会社をお持ちになるとは大したものですな」
会長の言葉は、お世辞とは感じさせない。
「すいません。まだ未熟者でして」
「私も若い頃は、福島さんみたいにいろんなことにチャレンジしたものです。おかげで本業以外の事業が多くなりすぎて、年をとってくると少々面倒になりましてな」
それで子会社と福島との提携なのか。福島は期待したが、いきなり仕事の話を始めては、相手に失礼と思い、世間話でつないだ。
「でも、息子さんが頑張っておられると伺っております。さぞかしご安心でしょう」
「お恥ずかしいことに、あれはまだ一人前とはいえませんな。福島さんの方が年下なのに、ずっと落ち着いていらっしゃる。やはり、会社を立ち上げられた方だけのことはありますな」
「私は一人前とは言えません。でも、お褒めいただいて恐縮です」
相手の老人の方から、本件を切り出した。
「そこで、今日わざわざお越しいただいたのは、ご紹介したい人物がおりまして」
「はい」
「もうここに呼んであるんですが」
「会長さんのご紹介でしたら、是非お会いしてみたいです」
会長は、部屋の片隅に待機している秘書に命じて、その人物を呼んだ。 しばらくすると、
「失礼します」
といって、その人物は会長室に入ってきた。
「あ、あなたは?」
福島は驚いた。
レコードショップの事件の影響で時田が戻ってから、早紀の様子は安定していた。
有名になったせいか、ドラマのゲスト出演の仕事もちらほら入るようになって、それなりに忙しく、時田はマネージャーの玉井とともに、早紀に付き添うようになっていた。
その日の撮影を終えた帰りの車内でも、早紀は上機嫌だった。しかし、玉井が車を進めるうちに、彼女は異変に気付いた。
「あれ、方向が逆じゃない? ミッチー、どこに向かってるの?」
「早紀ちゃん、実は早紀ちゃんに会わせたい人がいて。これからその人が待ってる場所に行くの」
「え? 会わせたい人って?」
「今はまだ秘密」
「警備員さんもそのことは?」
「伺っております」
到着した場所は、閉園後の荒玉遊園だった。三人は守衛に門を開けてもらい、中に入った。
「これってもしかして遊園地貸し切り? ドラマで見たことあるけど、本当にあるんだ」
「規模の大きい所は、予約人数が数百名以上、金額は数千万円らしいけど、このくらいのところは、コースによっては数十万円からあるらしいわ」
早紀は、これは貸し切りではなく、福島亘が買収案がまとまった記念に、彼女を招待したのだと気付いた。しかし、手の込んだ演出で彼女を喜ばせようという彼らの努力に合わせて、わざとその点に触れずにおいた。
すでに日は沈んで暗かったのに、遊園地には最低限の明かりしか灯っていなかった。これも演出のうちか。
閉店した売店のテーブルにつくと、玉井は用があると言って席を外した。ひと気の無い空間に、二人で取り残されているのに、時田は珍しく饒舌で、新ドラマの話題でその席は盛り上がっていた。
「警備員さんって本当は面白い人ね」
「いえ、そんなことないです。ちょっと、失礼します」
そういうと、時田は立ち上がり、席を立った。
「どこに行くの?」
彼は答えなかったが、しばらくして二人分の缶コーヒーを持って戻ってきた。
「自販機なんかあったの?」
「この間の怪しい男探している時、見つけたんです。目立たないところにあります」
「へえ、そうなの。あ、ありがとう」
早紀は蓋を開けて、まだ暖かいコーヒーを口にした。時田の選択は、コクの深い甘みの少ないタイプだった。どこにでも販売されている百二十円の味が、これほど素晴らしく感じられるのは、喉が渇いているせいだけではなかった。
その時だった。怪しい人影が、彼らのテーブルに近付いてきた。早紀は話に夢中の上、暗いこともあり、その人物に気付かなかった。そいつは、テーブルに置かれた彼女のバッグを掴むやいなや、素早く立ち去った。
「おい、待て」
時田がその人物を追ったが、すぐには捕まらない。
「警備員さん、待って」
早紀は、どうせこれも演出だろうと思っていたが、暗い中一人にされるのは怖いので、時田を追った。しかし、時田は相手を追うのに必死で、彼女は時田の姿を見失ってしまった。
「警備員さ~ん。どこにいるの」
大声で叫ぶが、返事はない。
「警備員さ~ん」
その時、誰かが彼女の腕を掴んだ。
「きゃっ」
早紀は小さく悲鳴を上げたが、相手は玉井だった。
「早紀ちゃん。時田さんは?」
「それが私の鞄、誰かにひったくられちゃって、犯人捕まえにいったの」
「おかしいわね。ここには私たちの他に誰もいないはずなのに」
玉井は辺りを見回した。
早紀も周りを見ると、夜の闇を背景に観覧車のシルエットが目に入った。それを見て彼女は、前回の不審人物騒動の謎のことを思い起こした。
「ねえ、ミッチー。遊園地の観覧車って逆回転するの?」
「タイプによって機能は異なるんだけど、速度上げたり下げたりできたり、逆回転するのもあるって聞いたことあるわ」
早紀が乗ったオープンタイプの足ブラゴンドラ以外は、安全のため密閉されている。冷房があればいいが、古いタイプではついてないものもありそうだ。遊園地自体が古いので、たぶんないのだろう。
密閉タイプに混ざって、足ブラタイプがわざわざあるということは、夏はそちらを乗ってくださいということだ。昔は中にウチワくらい置いていたけど、足ブラを導入してから乗る客なんかいないのでやめた。
あの日は八月の晴天で真昼。もちろん搭乗係は足ブラを勧めたはずだけど、客は高所恐怖症の気があるかして、ゴンドラを選んだ。
実際、乗ってみると罰ゲームのような暑さ。すぐに降りたくなるのが普通ではないか。しかも、他に客はおらず、すぐ下のホームには係が暇そうにしている。
「わかった。私の見間違いじゃなかった」
彼女が見た人物は、その時確かに観覧車のピンク色のゴンドラに乗ったのだ。
「え? 何のこと」
早紀は、玉井に自分の考えを説明した。それを聞いて、玉井はうなずいた。
「それで緊急ボタン押すか、窓を叩くかして搭乗係に降ろすよう、アピールしたと言うの? 他にお客さんはいないので放送かけることもなく、搭乗係はオペレーターに連絡して、逆回転でその客を降ろした。スタッフとしては足ブラタイプで乗りなおすことを薦めたはずだけど、客はもうこりごりと思って帰ってしまった。それから回転を普通に戻して、早紀ちゃん達が来たときにはもぬけの空。あり得ない話じゃないわね」
「ひょっとして、私って名探偵?」
早紀は自慢げだが、問題はまだある。
「でも、早紀ちゃんの見たのが幽霊じゃなく人間だったとしても、夏の平日の昼間に若い男の人が、こんな寂れた、あ、福島さんに悪いか、遊園地に一人で来て、ありふれた観覧車なんか乗るかしら。他に何かあればいいけど、メリーゴーラウンドとお化け屋敷じゃね」
「そう言えばそうね」
「早紀ちゃん。実は私も名探偵なの」
「ミッチーが?」
「このあいだのレコード店さんの人間消失トリックわかっちゃった」
「え? 本当?」
「あれ全部、早紀ちゃんの狂言、一人芝居よね」
玉井にそう指摘されても、早紀は黙ったままだ。
「時田さんに戻ってもらうため、わざとストーカーに狙われてる振りしたんだものね。だけど、建物がどうなってるか良く調べないでやったから、後で困ったのよね」
早紀は観念した。
「ばれちゃった。でもどうしてわかったの?」
「だって、私も同じようなことしてたんだもの。ピンポンダッシュ、あれ私」
「わかってたわよ」
「え?」
「だって、ミッチーが私を送り届けてしばらくしてから起こったんだもの。
郵便受けに写真見つけた時、ミッチーに電話したでしょう。その時ミッチー高速道路で運転しているのに、手帳で赤松さんの連絡先調べてるって言ったけど、自動運転機能付きでもないと無理よね。それに、現場の写真撮れる人は限られてるでしょう。でも、どうしてあんなことしたの?」
「社長に言われたからよ。昔うちの事務所がアイドル中心でやってたころ、お世話になった警備会社の方から、この不況で仕事が少ないんで、また警護の方お願いできないかと頼まれたんで、早紀ちゃんに身辺警護つけることにしたの。でも何もないのに警備員つけると、早紀ちゃんいやがるだろうから、軽いイタズラでもしておいてって、社長に言われて」
「そう、それで警備員さんが……でも、八月にここの遊園地から帰ったときミッチー一緒じゃなかったわね。あのときもピンポンあったけど、マンション前で見張っていたの?」
「それ、私知らない。本当よ。私が見張ってたのは、早紀ちゃんが忍ちゃん家から帰ってきた最初のときだけ。だって八月にはもう時田さんいるから、わざわざピンポンダッシュする必要ないでしょう?」
「そうね」
二人は時田を捜したが、暗くて見つからない。
「ねえ、その私に紹介したい人ってどこにいるの? 管理事務所?」
と早紀は聞いた。
「悪いけど、それはまだ言えない」
メリーゴーラウンド付近を調べても、人の姿はない。
「残るはお化け屋敷か」
玉井はさらりと言ったが、余計に不気味に聞こえた。
「えっ? この時間に開いているの? もしかして、私に紹介したい人もそこ?」
「行ってみないとわからないでしょう」
二人は、お化け屋敷の入り口に来た。入り口は簡単に開いた。普段からこうなのだろうか。
「入るしかないわね」と玉井。
「えっ、でも中は暗くて見えないでしょう」
最初からここに入る予定なのだろう。玉井は携帯用懐中電灯を二人分用意していた。一人になるのが怖い早紀も、玉井に付いていく他はなかった。
BGMも客の悲鳴も聞こえぬ係員のいない静かなお化け屋敷は、営業時間中よりも不気味で、懐中電灯に照らされて、映るものもリアルに感じられた。
早紀は、何かにぶつかって悲鳴を上げた。
「きゃ~っ」
パニックになったが、照らして見ると通路に突き出た提灯だった。
「もうこんなところにこんなもの出しておかないでよね~ミッチー、あれミッチー?」
気が付くと玉井がいない。早紀は恐怖で、それ以上歩くことが出来ずにその場に立ち竦んだ。だが、思考能力だけは普段以上に働いた。
若い男の人が一人であの遊園地に来たということは、他に用があったからじゃないかな。来たついでに何か乗っていこうとしたとき、観覧車あたりが適当だったから。
でも、用って? あの日のあの時刻に起きたことといえば、あの怪しい男? やはり観覧車の若い男は、あの変装した怪しい人物。ということはストーカー。
でも、仮にその男がストーカーで自分をつけ回していたとすれば、あの後にこの遊園地に留まって観覧車に乗るわけがない。
でも、怪しい男自体が、私がレコード店で演じたストーカー被害や玉井さんのピンポンダッシュみたいに狂言だったとしたら?
遊園地で狂言といえば、警察の防犯訓練ね。ドラマでよくあるじゃない。遊園地で人質をとった犯人を警察が取り押さえたら、周りで拍手が起きて訓練にご協力ありがとうございますっていう定番のアレ。
え? 私が訓練に参加?
早紀は考えることによって恐怖を忘れ、ゆっくりと歩き始めた。
訓練……どこかで聞いた言葉……。
「今日は訓練でないんですね」
……忍の家の外にマスコミ関係者が張っていた時、時田さんと一緒にかけつけた若い警備員の言葉……そういえば、彼、この遊園地にいた不審人物と背格好が似ている。
彼女は、三角頭巾を頭につけ手先をだらりと垂らした女の幽霊の前に来た時も、考えるのに夢中で、何の反応も起こさなかった。
あの若い警備員、あの時前にいた忍ではなく、その後ろにいた私にわざわざ話しかけてきた。しかも、私が話題の人だとも気付いていなかった。
ということは、私と以前どこかで会っていて、話しかけやすかったのでは。時田さんの知り合いで、遊園地での訓練に参加してくれた暇な女性くらいに思っていたのでは。
「ギゃ~っ」
そのとき玉井の悲鳴が聞こえた。続いて争うような物音。これは演出ではなく、何か予定外のことが起こったのでは。そう感じた早紀は、急いで声の方向に向かった。
彼女は、地下牢を思わせる部屋の前で足を止めた。鉢巻きをした侍が二人、女を拷問にかけている様子が再現されている。片方の侍は両手で竹刀を持ち、もう片方は水の入った桶の前で女の髪を掴んで振り回している。
隣の部屋も負けず劣らず迫力があった。色鮮やかな屏風を背に、椅子に腰掛けている鎧武者の足下に女が倒れている。その女は何故か現代風の格好をしている。
早紀は、横に向いた女の顔を照らした。玉井美智代だった。
早紀は恐怖を感じたが、これも演出に違いないと、自分に言い聞かせた。玉井の口から床にかけて赤く広がる液体も、ケチャップなどの血糊のはずだ。
そう思って、倒れている玉井に声をかけようと口を開いた瞬間、鎧武者が立ち上がった。
「キャ~ア~」
早紀は、無我夢中で走った。
壁にぶつかり、つまずいて転んでも、すぐに立ち上がって、鎧武者から逃げる。
何とか出口までたどり着いたが、入り口と違い、外から施錠されていた。追いつめられた彼女は、パニックになりながらも、懐中電灯で通路を照らした。
鎧武者が、ゆっくりと彼女の方に歩いてくる。
「来ないで~。お願いだから来ないで~」
早紀はしゃがみ込むと、尻餅をついたまま後ずさりした。
彼女は、泣き叫びながら考えた。
紹介したい人ってこの鎧武者なの?
中身は一体誰?
あの若い警備員が、この遊園地にきたのが訓練のためだとすると、当然、時田さんもその一部始終を知っていたことになる。
でも、変な訓練ね。時田さんが、個人的に命令したような訓練みたい。立場が上だからかしら。
警備業務のタイプは違えど、二人は同じ警備会社の同僚で、いや時田が上司で、NY警備という名の警備会社で、その警備会社は、早紀の所属事務所社長の宮田に身辺警護の仕事を引き受けてくれるよう頼んだ。
時田が、早紀に近付くのが目的で。
鎧武者はすぐ近くまで来た。
「来ないで~。中山浩介さん」
早紀は、自分が見合いを断った相手の名前を出した。
鎧武者は止まった。
「またの名を時田譲さんとも言うわね」
彼女はそう言って立ち上がると、懐中電灯で相手の顔を照らした。
鎧武者はあきらめたのか、兜を脱ぎ面頬を外して顔を露わにした。
いつもと変わらぬ時田の顔がそこにあった。
「こんな格好で驚かせてすいません。玉井さんがそうしろと言うから。でも、どうして僕が中山だとわかったんですか?」
いつもと変わらぬ調子で、時田が聞いた。
「今、わかったの。
前にここに来た日、帰った後またピンポンダッシュがあったけど、ミッチーいえ玉井マネージャーは知らないって言っていたから、他の人になるはずね。
玉井さんが送ってきた時のピンポンは玉井さんだから、そのときは当然私を送ってきた時田さんが一番怪しい。
昼間のストーカーが後を追ってきたように、私に印象づけようとしたのね。私がストーカーに狙われたことにしておけば、警護の仕事はしばらく続けられますからね。
その後でマスコミに追いかけられるようになると、ストーカー現象が起こらなくなったのは、それで警護の仕事が必要になるから、わざわざストーカーがいるなんてことにしなくてもよくなったからですね。
あのとき、観覧車から謎の男が出てくるのを一緒に待っていたのも、もう帰ったと報告受けてて、中に男がいないことを知っていたからですね。中にいないと知ってて、教えてくれないなんて意地悪。
私の警護したいなんて人いるかしら、なんて考えてみると、お見合い頼んできたくらいの人ならそのくらいやりそうね。もちろん普通の人では無理だけど、大手不動産会社の専務で、系列子会社にホテル、レストラン、警備会社、スポーツジムなんかある人ならできそうね。
もちろん、サラリーマン重役じゃ無理でしょうけど、創業者会長の息子さんなら、たいていのことはできるでしょう。
私がお見合いことわって、子会社のNY警備さん。これも中山からとった名前ね、そこの現場研修ということで、私の身辺警護を無理矢理、そことうちの社長に押しつけたのね。グループ本社の会長の息子さんで専務さんだったら、周りの人も言うこときくしかないし、うちの社長も昔お世話になった義理がありますから」
「いや、無理矢理というわけじゃない」
「そうね。見返りにうちの事務所の斉藤里奈ちゃんに系列のスポーツクラブのCMが入ったわけだもの」
「騙して申し訳なかった。以前からガードマンとして君に近づくことを空想していたんだが、自分の力で会ってみなさいと言われて、無気になって本当に実行してしまった。今思うと姑息な手段だけど、熱くなってどうかしていたんだ」
時田いや中山は、本当に反省しているようだ。鎧武者姿はそれにそぐわない。
「やだ、パパったら私の言葉そのまま伝えたんだ。意外と勇気あるのね。それであなたは警備員さんになって……でも謝ることはないわよ。だって、あなたの気持ちわかるから」
「えっ?」
「私も、あなたに戻ってきてもらいたくて、ストーカー被害自作自演したもの」
「……」
まだ涙は乾ききっていなかったが、早紀の顔は穏やかで幸せそうだ。時田は思いきって、彼女をここに呼んだ目的をうち明けた。
「もし、君さえよければ、またお見合いから始めてもらえないかな」
「いやです」
「ダメってことかな……」
「それよりストーカーに狙われても安心できるように、もっとセキュリティのしっかりしたマンションに引っ越そうかしら。ミッドランド開発さんのところみたいな」
「うちのマンションに?」
「でも、そんなことする必要ないわね」
彼女は心臓の前にハートマークを作った。そしてそのハートを顔の前に持ってきて、その中から時田の顔を覗いた。
「警備員さんが私のことずっと守ってくれるから」
彼女が作ったハートの中には、いたずらっぽい笑顔があった。
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